帝劇でも今日・・、2幕前の幕間、2時46分に30秒の黙祷・・・。
私も全国の大勢の方々と同様に家から黙祷しておりました。
SHOCKに関して言えば・・、一年前・・時間が止まってしまった瞬間で・・。
そして「中止」・・・。
去年の今日も確か私は家にいて・・、その800回というSHOCKの幕が開くことへの喜びをここに(ブログに)記した矢先きのその揺れは、SHOCKの時間にしてちょうど幕間・・。そしてまさかそれがこのようなことにとは・・と・・。
その後は、足を運んで下さったお客さまを目の前にして詫びた座長・・。
全身全霊、舞台に魂を込めて全力を尽くす日々が突然奪われ、どんなにか無念で残念であったろうかと今思っても・・。今年のSHOCKの挨拶では、「どちらの判断が正しかったのか・・」「エンターティメントに何ができるのか・・」とエンタメをあらためて深く考えた・・と話す座長・・。
エンタメは平和を祈らずして成り立たないことなのかもしれないですが、
今でもあのようなことはもう二度と・・と、座長には曇った顔はもうしてほしくないと・・・。
去年も3月4日に観劇していた私でしたが、その一週間後にあのような事態になるなど思いもせず、観劇後はそのSHOCKの感想をここに(ブログに)書き記そうとパソコンをたたいていたりもし・・。でも結局、11日のことが起き、中止となったSHOCKを思うと・・まだ多くの方々が観劇できないままに終わるということを思うと、その書きかけの私の感想もそこで止まってしまい草稿中のままとなりました。
そして今年・・、SHOCKのセリフの中にもある「俺たちはひとつ苦しめばひとつ表現がみつかる・・ぼろぼろになる・・」というそのセリフを聞きながら、そうやって色んなさまざまな思いに到達し及ぶ中からそうやって今年のSHOCKがこうして出来上がってきたのだと思うと・・噛みしめなければならないと、あらためて万感の思いにさえなりました・・。
そして、そんな今日もそうやって身を削りながらもまた身体(足)の万全ではない状況のなかにあって舞台に立ち続けている座長でもあるようですが、きっと今日のSHOCKは座長も演じつつ、ことさらにあの時の今日という日を思い廻らし、気迫に満ち・・そして見る人を感動させたのではないかとも思います・・・。
こうして走りつづけることの意味・・、一歩踏み出す勇気・・、力をあわせてひとつになることの大切さ・・・。
座長&カンパニーが帝劇から発信する思い・・、届けようとする思いは観た人、皆の・・ひとりひとりの心の中に希望という名の光となって輝いてくれると信じたいです。
かつて私自身も7年ほど前に震災に見舞われその翌年に見ることができたSHOCKはその後の私の精神のどれだけの支えとなったことかと・・・。
そんな今日はやはり1時には「始まったね・・」と気持ちはやはりそこにも向いていましたが、今日のこちらのお天気は夕方からは急に強風?という強い雨風ともなりましたが、日中はとてもあたたかなよいお天気で・・・。
実は花粉症で窓も開けるのが嫌という主人が、珍しく窓の外を伺いながら言います・・。
「子どもの声はいいねぇ・・」と・・。
やはり春ですね・・、外を通るそんな子どもたちの笑う声が家の中にまで聞こえてくるようになりました・・。今までは寒くて、戸を閉め切ってばかりでしたので。
「(子どもの声がいいねぇ・・)って思えるようになったのは、歳とった証拠?なんじゃない?(笑)」
「そ・・そうかなぁ?(汗)」
「でもさ、そう思える大人になれて良かったんじゃない?・・ね? ってか、もうじゅうぶん大人?だけどさっ」
なんて会話もしたりした今日・・・。
こうして今、この時代にまかりなりにもこうしていられることに充分感謝もしています。
今日の皆さんはやはり色んな思いをされたことでしょうが、
この一年間の私達の生活は、その温度差はさまざまかとは思いますが、あの「3・11」がさまざまな形で及んでいた一年であったかと思います・・。
今日のTVなどでもそうですが・・被災され、なお今もまだまだ不自由でお辛い思いをされていらっしゃる方々も多く・・、全く相変わらず統率力のないこの国のトップたちにあっては・・・と、たとえ・・こうして一年が過ぎ、3・11の今日という日を迎えようとも、それは何の区切り?でもない・・・という方々も多くいらっしゃることとも・・・。
どうか、そんな不自由さややり場のない思いが少しでも改善されますよう・・こんな微力で何の力にもなれていないような私ではありますが、私自身も7年ほど前の震災では皆さまのお力添えのもとこうして立ち直って参ったもののひとりとして・・及ばずながらお察し申し上げ・・今日の日に、このような言葉でしか綴ることができない私ではありますが
一年前の今日に犠牲となられました方々の魂が、せめて・・安らかでありますようにと・・祈りを言葉に代えさせて戴きます。
私も全国の大勢の方々と同様に家から黙祷しておりました。
SHOCKに関して言えば・・、一年前・・時間が止まってしまった瞬間で・・。
そして「中止」・・・。
去年の今日も確か私は家にいて・・、その800回というSHOCKの幕が開くことへの喜びをここに(ブログに)記した矢先きのその揺れは、SHOCKの時間にしてちょうど幕間・・。そしてまさかそれがこのようなことにとは・・と・・。
その後は、足を運んで下さったお客さまを目の前にして詫びた座長・・。
全身全霊、舞台に魂を込めて全力を尽くす日々が突然奪われ、どんなにか無念で残念であったろうかと今思っても・・。今年のSHOCKの挨拶では、「どちらの判断が正しかったのか・・」「エンターティメントに何ができるのか・・」とエンタメをあらためて深く考えた・・と話す座長・・。
エンタメは平和を祈らずして成り立たないことなのかもしれないですが、
今でもあのようなことはもう二度と・・と、座長には曇った顔はもうしてほしくないと・・・。
去年も3月4日に観劇していた私でしたが、その一週間後にあのような事態になるなど思いもせず、観劇後はそのSHOCKの感想をここに(ブログに)書き記そうとパソコンをたたいていたりもし・・。でも結局、11日のことが起き、中止となったSHOCKを思うと・・まだ多くの方々が観劇できないままに終わるということを思うと、その書きかけの私の感想もそこで止まってしまい草稿中のままとなりました。
そして今年・・、SHOCKのセリフの中にもある「俺たちはひとつ苦しめばひとつ表現がみつかる・・ぼろぼろになる・・」というそのセリフを聞きながら、そうやって色んなさまざまな思いに到達し及ぶ中からそうやって今年のSHOCKがこうして出来上がってきたのだと思うと・・噛みしめなければならないと、あらためて万感の思いにさえなりました・・。
そして、そんな今日もそうやって身を削りながらもまた身体(足)の万全ではない状況のなかにあって舞台に立ち続けている座長でもあるようですが、きっと今日のSHOCKは座長も演じつつ、ことさらにあの時の今日という日を思い廻らし、気迫に満ち・・そして見る人を感動させたのではないかとも思います・・・。
こうして走りつづけることの意味・・、一歩踏み出す勇気・・、力をあわせてひとつになることの大切さ・・・。
座長&カンパニーが帝劇から発信する思い・・、届けようとする思いは観た人、皆の・・ひとりひとりの心の中に希望という名の光となって輝いてくれると信じたいです。
かつて私自身も7年ほど前に震災に見舞われその翌年に見ることができたSHOCKはその後の私の精神のどれだけの支えとなったことかと・・・。
そんな今日はやはり1時には「始まったね・・」と気持ちはやはりそこにも向いていましたが、今日のこちらのお天気は夕方からは急に強風?という強い雨風ともなりましたが、日中はとてもあたたかなよいお天気で・・・。
実は花粉症で窓も開けるのが嫌という主人が、珍しく窓の外を伺いながら言います・・。
「子どもの声はいいねぇ・・」と・・。
やはり春ですね・・、外を通るそんな子どもたちの笑う声が家の中にまで聞こえてくるようになりました・・。今までは寒くて、戸を閉め切ってばかりでしたので。
「(子どもの声がいいねぇ・・)って思えるようになったのは、歳とった証拠?なんじゃない?(笑)」
「そ・・そうかなぁ?(汗)」
「でもさ、そう思える大人になれて良かったんじゃない?・・ね? ってか、もうじゅうぶん大人?だけどさっ」
なんて会話もしたりした今日・・・。
こうして今、この時代にまかりなりにもこうしていられることに充分感謝もしています。
今日の皆さんはやはり色んな思いをされたことでしょうが、
この一年間の私達の生活は、その温度差はさまざまかとは思いますが、あの「3・11」がさまざまな形で及んでいた一年であったかと思います・・。
今日のTVなどでもそうですが・・被災され、なお今もまだまだ不自由でお辛い思いをされていらっしゃる方々も多く・・、全く相変わらず統率力のないこの国のトップたちにあっては・・・と、たとえ・・こうして一年が過ぎ、3・11の今日という日を迎えようとも、それは何の区切り?でもない・・・という方々も多くいらっしゃることとも・・・。
どうか、そんな不自由さややり場のない思いが少しでも改善されますよう・・こんな微力で何の力にもなれていないような私ではありますが、私自身も7年ほど前の震災では皆さまのお力添えのもとこうして立ち直って参ったもののひとりとして・・及ばずながらお察し申し上げ・・今日の日に、このような言葉でしか綴ることができない私ではありますが
一年前の今日に犠牲となられました方々の魂が、せめて・・安らかでありますようにと・・祈りを言葉に代えさせて戴きます。