『信長考記』

織田信長について考える。

閑話 妻木光秀 ③

2014-04-06 01:58:24 | 信長
 生涯、煕子以外の妻を娶らなかったとされる光秀ですが、真偽は別として複数の側室の存在も伝えられています。

 そうしたなかに最初の正室であったとも伝えられている女性がいます。山岸勘解由左衛門光信の娘であり千草と呼ばれているで女性です。もし煕子が『明智軍記』の創り出した架空の人物だとしたら、千草こそが光秀の本当の正室であったのではないでしょうか。
 実はそのことを窺わせる一人の人物がいます。今日唯一、光秀の肖像画を所蔵する岸和田市本徳寺※の開基とされる南国梵桂こと玄琳です。
 玄琳は『続群書類従』所収の「明智系図」の制作者であり自らを光秀の子としていますが疑わしく、ましてや彼が光秀の嫡男・光慶であろう筈もありません。

※元は貝塚市にあった海雲寺。寛文二年(1662)に移転、改称。