大前提として、コスプレを否定したわけではないということを先に述べておきたい。
それを踏まえ、
「上着はセーフ、だがズボンをセットにするとアウト」
私が導き出した結論だ。
これはラグビーや野球、サッカーなどのスポーツをレプリカユニフォームを着つけて応戦するときのことを述べている。
アウトというのは言葉が強いが、レプリカユニフォームというのは概して上着しか販売していない。
今まであまり意識したことがなかったのだがポッケのない短パンがどうしても必要だったときに、ラグビー日本代表のレプリカユニフォームに目をつけたときに気が付いた。ズボン(のレプリカユニフォーム)がない。
「日本代表のユニフォームを着て応援しよう!」とはいうが、なるほど。
熾烈を通り越した競争を勝ち残って選出された代表選手、あるいはプロ選手の試合着は、上は―あくまでレプリカだが―まあ許されるが、下はアウトなのだ。やはりアウトというと言葉が強いようだが少なくとも、公式的には不許可で販売はしてくれない。
どうしてもなりきって応援したければ似たようなもので代用するか、自作するしかない。一気にハードルがあがる。
つまり、やはりそれはコスプレ(なりきり)の領域となる。
コスプレにもいろいろな考え方などが存在するのだろうが、基本的にはそのキャラ(や、もの、こと、事象)になりきらねばならない。
漫画の主人公に扮するならもちろん漫画を読んでいることは大前提以前、キャラの特徴、仕草、決めポーズ(台詞)などをきちんと見極め習得する必要がある。
ここでモノマネという言葉も浮かぶが、ものまねはコスプレをしなくてもできる。また、目的が人を面白がらせることであるためクオリティ度外視の場合もある。
また、運動会の踊り(お遊戯)も基本的には衣装は体操着の上から何かを羽織る程度で済ますことが多い。しかし運動会の踊りはものまねではないので過酷な練習を課される。それは練習の成果を披露することが目的で、面白がらせることが目的ではないからだ。
つまり、以下はそれぞれ似て非なるものといえそうだ
1.ユニフォームを着てのスポーツ応援
2.お遊戯
3.コスプレ
4.ものまね
このあたりに公式が公式許可コスプレを許さない理由が見えてとれる。なりきると楽しく応援はできない。なぜならそれなりのクオリティが必要だからだ。応援したいが試合どころではない。観るのではなく観られることを意識しなければならない。
そんなことを今ウェールズ対南アフリカのラグビーの試合を見ながら書いている。
やはりどちらの国の選手のユニフォームにもポッケはついていない。
しかし応援はできるが、この選手たちになりきることはできない。
当たり前のことなのだがなぜか寂しくなった。なぜだろう、とても距離を感じるのだ。
ちなみにポッケのない短パンを私は無事に手に入れることができたのだが、諸事情により予定日に使うことはなかった。
やるせなさの行き場がない。
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