蒼天在眼 (そうてんまなこにあり)ーベランダで星を見る

昔、昔、天文少年でした。そして、今は、ベランダから、星を見ています。
いろいろの忘備録

グリニッジの思い出 の巻

2021-07-09 16:45:30 | 旅行

まだコロナ禍が起こる前の2019年、ロンドンの外れのグリニッジ天文台(Royal Observatory, Greenwich)を観光してきました。Wikipediaによれば、ロンドン中心部から5km離れています。1998年に閉鎖され、現在は博物館になっているとのこと。ソニーのレンズ型デジタルカメラ、QX100で撮影した写真で紹介します。

Balconは、天文少年で、かつ、山中湖で初めて小型ヨットに乗せてもらってから、将来は、ヨットで世界一周を夢見た少年だったので、グリニッジには、特別の思いがあります。航海術の本には必ず、グリニッジの名前が何度も出てきました。

アクセスは地下鉄でも行けますが、今回は、リバーボートで、ウエストミンスターから、グリニッジまでテムズ川を下ります。Suicaのロンドン版のオイスターカードで、切符を買って、乗船します。

浅草から水上バスに乗る気分ですが、水上バスよりも見所が多いです。

シェークスピアゆかりの、地球座(Globe theater)が見えます。ただしこの建物は、再建で、地球座を現代に再現した劇場「シェイクスピアズ・グローブ」は1997年、もともと劇場があった場所から230メートルほど離れたところで開館したとのことです。大阪城天守みたいな感じでしょうか。

スペインの無敵艦隊を撃破した時、キャプテン ドレークが指揮したゴールデンハインド号(復元)が見えます。日本で言えば、横須賀の戦艦三笠でしょうか。ガレオン船の代表で少年時代に模型を作りました。

HMS Belfast 女王陛下のベルファースト号 こちらは本物です。軽巡洋艦とは言え、大きいです。12000トンの鉄の塊。第二次世界大戦のフランス北部ノルマンディ上陸作戦を支援し、朝鮮戦争にも参戦しました。今は博物館となって、係留中です。主砲にアップをかけて、周囲を威圧する感じ。

ロンドン塔、たくさんの人が首を落とされた場所、 「1000日のアン」、アン・ブーリンや、トマス・モアが処刑されたところ。

タワーブリッジ 特にコメントすることはありません。

グリニッジが近づくにつれてカティー・サークのマストが見えてきました。中国から新茶を運ぶために建造された快速帆船、ティー・クリッパーの代表です。 ライバルのサーモピリー号とのティ・レースのデッドヒートの伝説に心が惹かれました。大学生時代に、カティ・サークの模型を作りました。カティサークの近くの中央のドームが、船着き場です。

カティ・サークとは、女性の下着のことでこれを着た魔女の伝説が残っています。船体は、干ドック内にあって、博物館になっています。狭い船内に、お茶の入った箱をびっしり積んで、帆走した過去にしばし、タイムスリップします。うっとり。

当時、蒸気船もあったのですが、鉄製品は、お茶の味を損なうとのことで、中国の福建から、新茶をロンドンに運ぶには、帆船が使われました。早く到着すれば、高い値段で捌けるので、速度を稼ぐため、食堂のテーブルクロスやシーツまで、風をはらませたとのことです。

グリニッジ天文台は小高い丘の上にあります。観光客がいっぱいです。カティ・サークよりも観光客で混んでいます。びっくり。

日本で言うと、東京麻布台の旧東京天文台跡か、三鷹の国立天文台というところでしょうか。一般の人が、普通に、興味を持つような場所なんでしょうか。なんとも不思議です。

とりあえず、お決まりの本初子午線Prime  meridianを跨いで、両半球に立ちます。手前が東半球、奥が西半球です。

天文台の壁にも誇らしげに、Prime  meridianと掲示がされています。本初子午線に沿って各国の都市と経度が示されています。

いよいよ、入場料を払って、はるばるグリニッジに来た目的のお目当ての「エアリーの子午環」を見学します。7代目台長のサー・ジョージ・ビドル・エアリーに因んで名前がつけられた、「エアリーの子午環」( Airy's transit circle telescope)です。

子午環とは、子午線に沿ってしか動かすことのできない望遠鏡で、大きな輪になった精密な角度目盛が付いて、星の高度(目盛を顕微鏡で読んで、0.01秒角まで測定できた)と子午線通過時刻を精密に測定する機材です。

エアリーの名前は円形開口を通過した光の回折によって生じる光学現象エアリー・ディスクで、天文ファンにも馴染み深いのではないでしょうか。Balcon も、望遠鏡の光軸チェックでお世話になっています。

東京麻布台の旧東京天文台にも、子午環がありましたが、関東大震災(1923年)の時に、倒壊してしまいました。その台座の中央部の位置に日本経緯度原点の金属標が現在でも残っていて、国土地理院が管理しています。大地震の後とかに、そこで再測量などを行なっています。

 

日本経緯度原点再測量 | きちんと、測る はかりびと

「きちんと、測る」を信念として墨田区に事務所を構え日々測量しております。※現在一緒に働く仲間を求めています。弊社の記事掲載中です。https...

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さて、毎晩、望遠鏡を覗いて、子午線を通過する天体の角度と通過時刻を観測し、天体の位置を正確に測った先人の努力に頭が下がります。床に引かれた赤い線は、この子午環の中心位置を示しています。Wikipediaによれば、この子午環は、1851年から1927年まで使われ、その間の1884年に開かれた世界子午線会議の結果、世界の本初子午線はグリニッジ子午線となっために、 「エアリーの子午環」の中央を通る子午線が本初子午線となった。とのことです。また、グリニッジにおける平均太陽時を、世界の標準時とすることも決まりました。

ここでの観測は、学問的には、天体の位置を決定し、実用的には、グリニッジ標準時(Greenwich Mean time;GMT)の精度を管理維持し、天測暦の基本データを提供して、航海を安全なものとして、「日の沈むことのない帝国」と言われた大英帝国の基礎を支えたとも言えるでしょう。

このほかにも、正確な時間を測定する苦労が偲ばれるジョージ・ハリソンの初期のマリン・クロノメーターや、天文時計(振り子式)の展示もあり、興味深いのですが、No Photo だったので割愛します。

 

ここから先は余談です。

現在、GPS衛星の準拠する測地系(WGS84)の本初子午線は、エアリーの子午環から東に約102mずれた所を通っているそうです。このため、グリニッジの子午線近くでGPSを使うと、西経0度0分5秒と表示されます。このズレの原因は、主に、鉛直線偏差(2.516秒角)です。エアリーの子午環の位置で、鉛直線すなわち、重力の方向を求めると、地球の質量中心(重心)を指さないということです。そこで、今までの天体観測値に影響が出ないように、本初子午線を平行移動して、質量中心を通るようにした結果、102mのズレが起きてしまいました。新しい本初子午線にはなんの印も標識もありません。鉛直線偏差は、主に、地殻の構造が一様でないことから生じます。例えば、日本で鉛直線を精密に測定すると、西にユーラシア大陸、東に太平洋があり、密度の違いから、重力の方向は、西に引っ張られてしまいます(太平洋側に傾いている)。関東地方で測定すると、さらに、丹沢山塊と、筑波山に引かれるため、複雑なズレを生じます。東京麻布台の日本経緯度原点での鉛直線偏差は、12秒角と測定されています。なんと、グリニッジの鉛直線偏差の4.8倍!

一方、衛星測地システムの測地衛星軌道は、地球の質量中心を焦点とする楕円軌道を描き、衛星の位置から、座標を設定して、精密に測定する世界測地系と、鉛直線が地球の中心を通ることを前提(鉛直線偏差が0と仮定)にした19世紀の観測とは、ズレが生じてしまいました。日本でも、衛星測地系(WGS84)と、以前使われていた日本測地系(Tokyo datum)は、北西方向に約450mのズレがあり、現在の日本測地系2000(Japanese Geodetic Datum 2000)では、世界測地系(WGS84)に準拠して改正済みです。とはいえ、衛星がまだ無かった頃の先人の功績は、やはり立派というしかありません。

付記

東日本大震災の地殻変動後の再測量の結果、現在の日本の測地系は、日本測地系2011に改訂されています。

メアリー・スチュアートは、フォザリンゲイ城のグレートホールで処刑されたそうです。記事の一部を修正しました。

 


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