書き忘れていたのだが、先日久々に某店で「埋もれた自作曲の蔵出しシリーズ」で歌ってきた。
「作ったけれど、一度も人前で歌ったことがない自作曲」
「過去に1~2回人前で歌ったことがあっても、最後に歌ってから長い年月がたってる自作曲」
「新しい自作曲の試運転」
のどれかの要素に当てはまる「埋もれ曲」を自宅以外で人前で歌うこの自己満足企画だが、回をかさねて今回で25回目になった。
今回歌ったのは計5曲。
今回の5曲を含めて、この「蔵出しシリーズ」で歌った自作曲はトータルで98曲にもなった。
このシリーズでは「かぶりなし」で歌っているので、都合98曲を蔵出ししたことになる。
今回の5曲は、どれも人前で歌うのは初めてだった曲。
今回歌った自作曲は以下の通り。
1、祈りの朝 (別れの雨) 作詞・作曲 だんぞう
2、忘れえぬ人たち 作詞・作曲 だんぞう
3、いられない節 作詞・作曲 だんぞう
4、距離 作詞・作曲 だんぞう
5、どこかで会おう (仮題) 作詞・作曲 だんぞう
まず1曲目の「祈りの朝(別れの雨)」は、作ったのは確か20代中頃から後半だったと思う。記憶はおぼろげだが。
歌詞もメロディも出来てはいたのだが、いかんせん歌詞が1番しか浮かばず、長らく1番しかない短い曲だった。
いっそ1番だけの短い曲にするという手もあったのだが、この曲はしっかり2番3番まである普通の長さの曲にしたかった。
でも歌詞が1番しかないまま長い年月放置。
2番3番の歌詞がどうも浮かばなかった。
長い放置の後、この「蔵出しシリーズ」をやるようになったことがきっかけで、重い腰をあげて最近2番と3番を書いてみた。
「蔵出しシリーズ」がなかったら、きっと歌詞が1番しかないままだったと思う。
メロドラマみたいな・・というか、歌謡曲みたいなメロディの曲。
2曲目「忘れえぬ人たち」もまた、20代の頃に作った曲。
高校の頃、私は通学に片道1時間半くらいかかっていたのだが、そのうち1時間はバスや電車の中だった。
当然往復だと2時間くらいバスや電車の中にいることになる。その時間がもったいなくて、私は絶えず何か本を読んでいた。
色んな本を読んだが、文学が多かった気はする。
で、当時読んだ小説の中に、国木田独歩の「武蔵野」という作品があった。
元々はその表題作「武蔵野」が読みたくて買った本だったのだが、その本の中には他の作品も収録されていた。
その「他の収録作品」の中に「忘れえぬ人々」という作品もあった。
本は引っ越しの時などになくなってしまったこともあって、十代以後は読み返していない。
なので内容自体はほとんど忘れてしまっているが、最初に読んだ時に受けた印象は私の心の中に刻まれた。
私の心の中に刻まれた印象では、「一度出会って、その時一回だけの交流だったが、忘れられない人」・・そんなイメージで、この小説は私の中に残っている。読み返してみたら、違う印象になるのかもしれないが、少なくても十代の頃に読んだ印象では、そんな感じだ。
実際に私にもそういう人はいるし。あなたには、そういう人はいないだろうか。
そういう人のことを私なりに歌にしてみたものが、この曲。
だが、歌を作る際に、更に範囲を広げて、「一度見かけただけで交流らしきものはなかったけれど、妙に忘れられない人」・・そんな人のことも歌に盛り込んでみた。
そして出来上がったのが、この「忘れえぬ人たち」という曲。
当初は「忘れえぬ人々」というタイトルだったが、さすがに国木田独歩の作品のタイトルと同じにするのは憚られたので、「忘れえぬ人たち」というタイトルにした。
てなわけで、国木田独歩の小説「忘れえぬ人々」にインスパイアされて作った曲。
曲調はスローでのどかなバラード。
3曲目の「いられない節」、この曲は割と最近作った曲。
なので、今回歌った意味合いは「試運転」。
当初は気軽に作りはじめた曲で、そのせいか曲調はコミカルな感じ。
コミカルな曲はこれまでにもたまに作ってきてるが、時代屋ユニットに持っていったことはない。
時代屋にはコミカルなレパートリーがないので、一度そういう曲を持ちこみたい気はするが、実際に持ち込んだら相方の反応が気にはなる(笑)。
メロディはコミカルだが、よく読み返すと歌詞の内容は必ずしもコミカルとは言い切れないような気もしている。
まあ、曲の出来はともかく、覚えやすい曲ではあると思う。
出だしの部分は、歌詞とメロディが同時に出てきた。
普段の生活で、この曲のシチュエーションに合うような時、ふとしたはずみで自分で口癖のように口ずさんでしまう曲ではある。
出だしの部分は、それこそ盆踊りに使ってもいいような(?)「音頭」みたいな曲でもある。
4曲目の「距離」、これは数年前に作った・・・と思うが、もしかしたら10年ぐらい前かもしれない。
当初はかなりシンプルなコードをつけていたが、そのままだと自分でちょっと物足りなく思ったので、少しコード進行をいじくっていた。
それがまだあやふやな部分があったので、今回は演奏中に少しトチってしまった・・・。
遠く離れた場所に暮らす恋人にあてた曲・・・・そんなテーマでシチュエーションを妄想して作ってみた曲。
♪ 例えば遠く離れて暮らしていても 根っこの部分じゃ繋がっている
そう心の中で思ってはいるけど 距離は残酷なもんだね
こんな感じで始まる曲。
Aメロは、いかにも・・という感じの「だんぞう節」だが、自分としては途中のサビが気に入っている。
そして今回最後の5曲目「どこかで会おう」。
この曲の出だしのメロディを作ったのは、もしかしたら大学時代かもしれない。ともかく古くから自分の中にあって、埋もれていたメロディ。
とはいえ、出来上がっていたのは、最初の8小節のみの歌詞とメロディだけ。
いわば、曲の「断片」として自分の記憶の中で散らばっていた曲。
この曲をどんな曲に仕上げようか決まらぬままだったので、断片のままであり続けたのだが、最近この曲の方針・・というか方向性が決まった。
短い小品のような曲にして、ライブなどで最後の挨拶がわりに歌えるような曲にした。
以前、時代屋のライブで、最後のあいさつがわりで、既成曲「どこまでも行こう」をカバーして、途中から替え唄にして「ライブ終了の挨拶がわりの曲」にして歌ったことがあったのだが、そういう曲を自作曲で持っていてもいいかな・・・と思うようになった。
で、そういう意味合いの曲として出来たのが、この曲。
方向性や意味合いが決まってからは、それまで断片にしか過ぎなかったこの曲をすんなり仕上げることができた。
かくして断片は曲の中におさまり、それ以外の部分を作ってつなげ、小品の曲としてほぼ完成。
今回は試運転だった。
ちなみにタイトルはまだ暫定的なもの。とはいえ、このままこれがタイトルになる可能性もある。
とまあ、今回の「蔵出しシリーズ 25」のメニューを書いてみた。
通算で98曲まできたので、こうなったらとりあえず区切りの良い100曲を目指したい。
不定期にやっている「蔵出しシリーズ」なので、次はいつになるかはまったく未定だが・・。
それにしても・・これまでに未発表曲や埋もれ曲を98曲もかぶりなしで蔵出ししてきたのか、もう・・・。
もっともその中には、後に時代屋ユニットの正式レパートリーになった曲もあるが、なんにせよ自己満足なシリーズではある(笑)。
たまたまその場に居合わせた、毎回顔ぶれが違う不定期なお客さんたち、どうもありがとうございます。
今回も、興味深い楽曲ばかりです。
特に「忘れえない人たち」は、歌詞全編、歌として聴きたいですね。
「遠い昔、たった1度だけの交流だったけれど、今でも忘れられない人々」
私にも実在しています。
又、私自身、全く交流していない、すれ違いの人からでも、よく記憶されている事が多いのです(笑)
そういう人たちには、私を早々と忘れてほしいのですが…。
それから「どこかで会おう」は、時代屋コンサート・フィナーレにふさわしいですね。
一般的な楽曲のように演奏時間5分も要らない、小唄であってこそ魅力的と考えられます。
エルヴィス・プレスリーは、70年代コンサート・フィナーレに必ず「好きにならずにいられない」を歌い、ポール・マッカートニーは「アビー・ロード・メドレー」で幕を閉じますね。
時代屋にも、「この歌が演奏されるということは…?いよいよフィナーレなんだ」と観客の皆さんを叙情的にさせるナンバーがあるべきですよ♪
ユーチューブ上で聴ける私の曲はインストを含め、数曲しかありませんし。
そういう意味では、ある程度聴いてもらっていますね、ありがとうございます。
今回の蔵出しシリーズで歌った5曲のうち、目玉は「忘れえぬ人たち」と「いられない節」だったと思います。
「忘れえぬ人たち」では、一度会ったことはあっても、何の交流もなかった人のことも歌では取り上げています。
まあ、サラリ・・とではありますが。
>私自身、全く交流していない、すれ違いの人からでも、よく記憶されている事が多いのです(笑)
それって、場合によっては良くない場合もあるかもしれないので、相手によっては注意したほうがいいかもですよ。
まあ、仕事上ではそういう要素が役に立つ場合もあるでしょうけど。
「どこかで会おう」・・これは鮎川さんはまだ聴いたことがないはずなので、いつか機会があれば聴いてもらいたい気はしますが、全然たいした曲じゃないですよ。
本当に、小品ですから。
フィナーレソングといえば、クラプトンの「レイラ」などもそうですね。