寺田ヒロオさんの名前は、ちょっとコミックに興味がある方なら、耳にされたことがある方は多いのではないだろうか。
漫画家ではあるが、それ以上に、あの「トキワ荘」のリーダー的存在だった人物として。
トキワ荘・・・ご存知の方も多いとは思うが、昭和の時代に椎名町にあったアパートで、手塚治虫先生、藤子不二雄先生、石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生、などの、後に日本漫画界の大物になる漫画家が暮らしていたアパートだ。もっとも、手塚先生はトキワ荘時代にはもうすでに大物ではあったが。
手塚先生はともかく、寺田先生は、手塚先生がトキワ荘を去った後に、藤子不二雄先生、石ノ森先生、赤塚先生、つのだじろう先生などが漫画家として若かりし日を過ごした頃のトキワ荘で、皆のリーダー的な存在であったことは、その後の色んなトキワ荘出身の漫画家の回想録でよく語られている。
語られているだけでなく、トキワ荘時代のことを描いたマンガでも、寺田先生は皆の兄貴分「テラさん」として描かれている。時にはそれが映画化されたこともあるので、寺田先生の名前はよく知られているであろう。
ただ、トキワ荘の回想録などで寺田先生は名前はよく知られていても、寺田先生の描いてたマンガはあまりよく知らない・・・そんな人は、今となっては多いかもしれない。
今回取りあげる「スポーツマン金太郎」は、トキワ荘のリーダーだった寺田先生の代表作の一つである。
私は寺田先生の作品は3作品知っている。
「暗闇五段」「背番号ゼロ」そしてこの「スポーツマン金太郎」の3作品だ。
「背番号ゼロ」と「スポーツマン金太郎」は、その単行本が今でも我が家にある。
「暗闇五段」は実は私はコミック版は読んだことがない。だが、大昔実写ドラマ化されてテレビで放送されたことがあり、幼少のころの私は見たことがある。それゆえ、作品の名前は知っているのだ。もっとも当時の私はあまりに幼少過ぎたため、ドラマの主題歌の一部しか覚えていないが。
「暗闇五段」は柔道作品だったが、「背番号ゼロ」と「スポーツマン金太郎」は野球マンガだった。
寺田先生は子供時代の夢は「プロ野球選手か、漫画家」のどちらかになることが夢だったらしい。
そのせいか、「背番号ゼロ」か「スポーツマン金太郎」の単行本のどこかに、「野球マンガを描くことで、プロ野球選手か漫画家になりたいと思っていた夢が両方かなったようなものだ」と語っていたのが印象的だった。
実際、野球の腕もかなりのものだったらしく、後年どなたかによって(安孫子先生だったかもしれない)描かれたトキワ荘の回想マンガで、草野球でピッチャーを務めた寺田先生の投げた球は、なんと!130キロも出ていたという。
今でこそ日本のプロ野球でも160キロの速球を投げる投手はいるが、当時の日本のプロ野球界では、140キロ台でも速球だったはず。
そんな時代に、草野球で130キロの速球を投げていたなんて、セミプロ以上のレベルだったに違いない。
さて、「スポーツマン金太郎」。似たようなタイトルのコミックやドラマに「サラリーマン金太郎」というのがあったが、まったくの別物である。
金太郎といえば、日本昔話の主人公で、日本人なら知らない人はいないであろう。最近ではCMなどにも登場し、現役感を誇って(?)いる。
古い野球マンガには、魔球が出てくる作品が多かったが、「スポーツマン金太郎」には魔球は一切出てこない。そのかわり、日本昔話のヒーローである金太郎や桃太郎が、昭和の時代にプロ野球選手になって活躍する話だ。で、金太郎と桃太郎はライバルとして切磋琢磨し、親友同士としても活躍する。、当時の実在の球団や選手ともからむのだ。
魔球というものが一種のファンタジーだとするなら、この「スポーツマン金太郎」は、金太郎や桃太郎がプロ野球に入るという設定そのものがファンタジーであったろう。
この作品は、一種のおとぎ話でもある。
中身は健全で、殺伐とした展開やシーンはない。作品全体が、のどかでほのぼのとしている感じだ。夢があり、優しい作風だ。
ターゲットとしては児童向けマンガだ。親としては安心して子供に勧められる作品であったろう。
寺田先生の画風で私が印象的に思った点は、キャラの目にハイライトが入らないという点だった。瞳は「塗りつぶし」であった。
誰かが寺田先生の画風を「地味」と評したことがあったが、それは、目にハイライトが入らない点が、今思えばそういう印象につながっていたのかもしれない。
ハイライトが瞳に入ると、キラキラするからね。
寺田ヒロオ先生は、当時すでに顕在化していた、マンガの・・・というか、劇画の暴力性を嫌がっていた。寺田先生のそういう考え方は、彼の作品にもあらわれていた。
だが、現実世界では刺激性の強い劇画が人気を博すようになり、だんだん刺激性の強い作品が増えていく状況に距離感と絶望感と厭世感と怒りを持っていたようだった。
そして、その思いは・・・後年やりきれない結末に向かうことになった。
やりきれない結末・・・・それは、寺田先生の最後の迎え方だった。
私はこの作品はリアルタイムで味わっていたわけではない。後年「虫コミックス」の単行本で出たバージョンを古本屋で入手したのだった。
刺激の強いマンガが増える風潮の中で、この作品は読んでて暖かくほんわかした気持ちにさせられ、心の尖った部分が丸くなっていく気がしたし、読んでて安心感があったのを覚えている。
こういう作品が減っていたので、かえってこういう作品には魅力を感じ、好きな作品だった。
作品に、作者の良心がこめられている気がした。
そう、これは良質な作品であった。
寺田先生には、もっと作品を描いてほしかった。
だが、気づけば、その名前は耳にしなくなっていった。
それもそのはず、寺田先生は、筆を折ったのだった。
そして、筆を折って漫画家をやめるだけならまだよかったのだが・・・。
年月は過ぎていき、漫画家としての寺田先生の名前は全く見かけなくなった。
だが、別の形でその名前を耳にするようになっていった。
その「別の形」とは、藤子先生をはじめとするトキワ荘回想の中にあった。
特に安孫子先生(藤子不二雄Aさん)のトキワ荘回想のマンガ「マンガ道」では、寺田ヒロオ先生は、若き日の才能あふれる漫画家たちが暮らしたトキワ荘での皆の兄貴分「テラさん」として、魅力あふれる人物として登場してきた。
私の中で、寺田ヒロオ先生は、トキワ荘のテラさんとして復活してきたのだ。
「昔、スポーツマン金太郎や背番号ゼロなどの作品、好きだったなあ」と思いながら、私は「マンガ道」の中のテラさんに感情移入した。
また、トキワ荘は安孫子先生以外の人からも語られるようになり、それらの話の中でも「テラさん」の名前はよく出てきていた。
そういう状況の中、私はふと思うようになった。
「テラさん」は、トキワ荘出身の漫画家の皆さんの話の中で元気だ。ならば、実際の寺田ヒロオは、どうしてるんだろう・・・と。
やがて、ネットというものが普及し、色んなことが検索によって調べられるようになった。
そんなある日。
「寺田ヒロオ」というワードで検索してみたところ、私は衝撃的な事実を知ることになった。
それは、寺田先生の最後にまつわる記事だった。
すっかり大物になった、かつてのトキワ荘の漫画家たちが、寺田先生をなつかしく思い、寺田先生の自宅を訪ねたことがあったらしい。一説によると、寺田先生が皆を呼んだとも。
皆、大盛り上がりだったらしい。寺田先生も。
やがて夜になり、皆は帰宅のために寺田家を出た。
すると、寺田先生はいつまでもいつまでも、帰宅していく皆に手を振り続けたそうな。
その様子は、どこか「今生の別れ」ででもあるかのようだったらしい。
その翌日、トキワ荘仲間の漫画家の1人が寺田先生の家に電話をしたそうな。皆で寺田家を訪ねた時のお礼もかねて。
すると・・・寺田先生の奥さんが電話に出た。なんでも、皆が訪ねた翌日から、寺田ヒロオ先生は一切電話には出ないことにしたらしい。漫画家としての筆も折っている。寺田先生は、俗世間とのつながりを一切断ったらしい。
やがて、寺田先生は、自宅の「離れ」に閉じこもるようになった。もう誰にも会おうとしなかった。離れで1人で酒を飲んでいたそうな。
奥さんだけが、朝・昼・夜の計3回、食事をその離れに運ぶだけであった。
そんな生活が続いたある日、奥さんが運んだ朝食がそのままになっていたらしい。
奥さんがその離れに入ってみたところ、寺田ヒロオ先生は・・・すでに亡くなっていた・・ということだ。
なんでも、晩年は体調不良でも、一切医者には行かなかったそうな。
後に誰かが、寺田先生のこの最後を、こう表現した。
「これは・・時間をかけた自殺だ」と。
これが、あのテラさんこと「寺田ヒロオ先生」の最後だったそうな。
この記事を読んだ時、私はやりきれない思いでいっぱいになった。
私にとっては、この寺田先生の最後は、・・・衝撃的な最後だった。
できれば、この「スポーツマン金太郎」、一度くらいアニメにしてみてほしかった。
結局、寺田作品でアニメ化された作品はなかったから。
トキワ荘出身の漫画家で、しかもそのリーダー格だった寺田ヒロオ先生の作品が、一度も作品がアニメ化されなかった・・というのは、ちょっと不思議な気もする。
それにしても、あまりにも悲しい最後・・。
寺田先生は、他の選択はなかったのだろうか。
たとえば、アンパンマンを描いたやなせたかし先生のような道もあったかもしれないし、あるいは、あのほのぼのとした絵柄を活かして絵本作家になるとか・・・そんな選択肢はなかったのだろうか・・。
刺激を求めて過激さが増してゆくコミック。それは昔も今も変わらない。
その中で、こういう作品があるというのは、救いであり、コミックの良心なのだと思う。
だからこそ、流れのどこかに確実に存在し続けて欲しい作風の作品だ。
コミックよ、君たちは、一体どこへ?
どこへ向かうにせよ、忘れてはならないものも・・・あるんだと私は思っている。
だから、たまにでもいいから、こういう作品もあるんだということを思い出してみてほしい。
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