思うんだけど、「くやしい」と思うことって、ある意味、最高の褒め言葉なのではないか。
もちろん場合にもよるが。
「うらやましい」という言葉も一種の褒め言葉だったりするが、それ以上に「くやしい」の方が、より心情が出てる気がする。
自分がやろうとしていたことや自分がやりたかったことを先にやられたり、自分には思いつかないことだったり、自分にはやりたくても出来そうもないことを相手はやってたりする時に「くやしい」という言葉は出てくるのだと思う。
それって、相手の才能や立場や状況を最大限に認めていることだと思う。
そして、相手の状況の「良さ」も十分に理解していることだとも思う。それこそくやしいぐらいに。
そしてそこには「そのうち私もやってやるさ」あるいは「きっとそれ以上のことをやって見せる」などの思いもあったりするのだろう。
そうすれば「くやしい」と思わされた人も、その後の活動の刺激にだってなる。
ただ、その場合、「先にやられてしまった、もう駄目だ」となってしまったら、そこで終わってしまう。
あるいは、別の切り口に切り替えて、新たな切り口の先に何かを見つけることができたら、「くやしい」と思った経験は活きてくる。
それはその人次第なのだろう。
まあ、前述のように、場合にもよるんだけどね。それだけは明言しておくことにします(笑)。
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