
大河ドラマ「べらぼう」の舞台を訪ねて、その1。
2025年の大河ドラマ「べらぼう」を、私は今のところ楽しめている。
物語や舞台となった場所などて、これまでの大河になかった要素があるからだ。
舞台は浅草近辺で、ピンポイント的に場所は吉原なのだ。
吉原といえば今でも日本で最も有名な風俗街であり、昔は遊郭があった場所だ。
そんな場所が大河の舞台になるなんて、今までなかったのではないか。
大河といえば、戦国時代や幕末維新が舞台になることが多い。まあ、それはその時代が人気かあるからだろう。人気人物や著名人物も多いし。
それと、戦国や幕末じゃなかったとしても、公家だったり、歴史上の偉人が主人公になることが多い。
今回の「べらぼう」の主人公である蔦屋重三郎も、それなりに歴史上の有名な人物ではあるが、歴史を動かしたほどではないし、さらに舞台は遊郭になる。
そういう場所は、他の歴史系ドラマでは描かれることはあったが、大河となると、なかなかなかった。
だから私にとっては、なかなか新鮮。
そんなこともあって、けっこう楽しんで見れている。
てなわけで、大河「べらぼう」の舞台である吉原に行ってみた。
ここは前述の通りに、普段は風俗街なので、普段なら吉原に行ったと人に言ったら、風俗店に行ったと思われるだろう。
実際、ここは普段は風俗店目当てで行く人が大半だろう。
だが2025年の今は、普段とは少し違った。
普段はこの町に来そうもない、女性客が多かった。
それはやはり、大河ドラマの舞台になってるからであろう。
まずは、吉原遊郭で亡くなった遊女たちの新吉原総霊塔がある浄閑寺へ行ってみた。
ここは「投込寺」とも呼ばれている寺。
明治時代から昭和時代にかけて活躍した川柳作家である花又花酔(はなまたかすい)が吉原の遊女たちのことを詠んだ句「生まれては苦界、死しては浄閑寺」が総霊塔には刻まれていた。
↑投込寺こと浄閑寺の説明看板。興味ある方は、この写真を拡大して、説明文をお読み下さい。
↑浄閑寺の門。三ノ輪駅からは、すぐだ。
↑寺の境内にあった、浄閑寺史蹟の入口門。静かでのどかな空気があった。
↑浄閑寺には、こんな史蹟があった。遊女たちの総霊塔の写真は、あえて撮ってないので、悪しからず。
この寺も吉原も、最寄り駅は日比谷線の三ノ輪駅。浄閑寺は三ノ輪駅の近くだった。
だが吉原は、後からわかったことだが、駅からはけっこう距離があった。
浄閑寺を出た後、吉原に向かって歩きだしたのだが、当初は道がわからず、間違った方向に歩いてしまい、けっこう苦労した。
三ノ輪駅近くに大きな交差点があるのだが、吉原はその交差点の道をスカイツリー方面に歩けばいい・・ということだったのだが、交差点からは高いビルが死角となって、スカイツリーが見えなかった。
それで間違った方向に私は当初進んでしまったようだった。
掃除をしてるおばちゃんや、コンビニ内のおばちゃんに、吉原方面への行き方を聞いてみたのだが、よくわかってないようだった。地元のはずなのに。
だが、後になって考えてみれば、吉原といえば有名な風俗街。
普段おばちゃんたちが行くような場所ではないだろう。
吉原の風俗街は、基本は男性客が行くところだろうし。
だから、町のおばちゃんたちが知らなくてもしょうがないのかも。
ここでふと思ったのだが、女性向けの風俗街って、あるのだろうか。
今のご時世なら、あってもおかしくないような気がする。
まあ、それはさておき。
工事のおじさんに吉原への行き方を聞いてみて、やっと方角がはっきりした。
さすがおじさん(笑)。
てなわけで、吉原方面へのルートがはっきりして、吉原方面へ向かって私は歩き出した。
土手通りという大通りを。
ちなみに「土手通り」という名称は、昔、隅田川の氾濫を防ぐために、このあたりに土手や堤防があったことに由来する名称らしい。堤防の名称は日本堤だったが、関東大震災の後に堤防は崩され、その跡地が土手通りという名称になったらしい。
しばし歩いていると・・。
道の途中で、なんと!「あしたのジョー」の像を発見!
↑「あしたのジョー」の主人公である矢吹丈の像。蛇足だが、ジョーの髪型って、正面から見ると、どうもサマにならない。あの髪型は、やはり斜めの角度から見るからサマになるんだよなあ(笑)。きっとスネ夫や花形満の髪型もそうであろう。ジョーを正面から見ると、別人のように見える。
ちなみにジョーの像がここにあるのは、この辺が物語上、ジョーのゆかりの地だからだろう。
ひとしきりジョーと体面した後、私はこの日の本来の目的地である吉原大門方面に向かって歩を進めた。
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