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赤い鳥といえば、なんといっても「翼をください」「竹田の子守唄」などが有名曲であろう。
今回取り上げる「忘れていた朝」は、「竹田の子守唄」と近い時期に発表された曲。
私がこの曲「忘れていた朝」を知ったのはラジオでだったと思う。
何かのラジオ番組の主題歌か、あるいはCMソングとして使用されていたと思う。
そのへん記憶があやふやなので少し調べてみたところ、この曲は昔ヤマハが持っていたリゾート地「合歓の郷(ねむのさと)」のCMでイメージソングとして使われていた・・とのこと。
そのせいか、当時の私には、この曲はまるでヤマハのテーマソングにも思えていた印象があった。
合歓の郷は、ヤマハが開発・運営していたリゾート地で、三重県志摩氏にあった。
リゾートホテルとレクリエーション施設があった「総合リゾート地」だったとのこと。
ヤマハは本当に幅広く事業を展開していたんだね。
やがて、音楽に強いヤマハらしく、そこではあの一世を風靡した「ポピュラーソングコンテスト(通称「ポプコン」)も開催されていた。
そう、合歓の郷はあの「ポプコン」の会場でもあった。
ちなみにポプコンはキラ星のごときミュージシャンを輩出した。
中島みゆき、谷山浩子、八神純子、NSP、世良公則、チャゲ&飛鳥、長淵剛、クリスタルキング、佐野元春、その他多数のそうそうたるメンバーがこのコンテストからプロに巣立っている。
ヤマハのポプコンは、プロのミュージシャンを目指す若者にとっては、高校野球球児にとっての甲子園みたいな存在であった。
で、赤い鳥の「忘れていた朝」はそんな合歓の郷のイメージソングだったというわけだ。
私はポプコン番組はよく見てたので、そこで耳にしてたのがこの曲だったのだろう。
ポプコンはアマチュアミュージシャンにとっては激戦の場であったと思うが、会場になった合歓の郷のテーマ「忘れていた朝」は実に穏やかで安らぎを感じさせる、心地よい楽曲だった。
赤い鳥は、ヤマハがポプコンを合歓の郷で開催するようになる前に開催していた「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出演しグランプリを獲った実力派グループであった。
ちなみに、赤い鳥がその大会に出場した時には、オフコースやチューリップもエントリーしていたようだ。
オフコースもチューリップもやがて日本のニューミュージック界をけん引するようになった大物バンドだったが、そんなオフコースやチューリップほどのミュージシャンをくだして優勝した「赤い鳥」の実力はとんでもなかったのであろう。
そんな実力派でプロからも評価が高かった「赤い鳥」だったが、やがてはメンバー間の音楽性の違いで解散。
解散後は、「紙ふうせん」「ハイ・ファイ・セット」「ハミングバード」の3組に分かれた。
紙ふうせんはフォークを追求し、「冬が来る前に」などのヒットを放った。
ハイファイセットはニューミュージック路線を目指し、ユーミンの曲をはじめとするオシャレな音楽性で数多くのヒットを放った。
ハミングバードに関しては私はよく知らないのだが、アルバム1枚とシングル数枚を発表しただけで解散してしまったようだ。
赤い鳥はメンバー全員が歌えるというたぐいまれなメンバーが集まったグループだった。
個人的にはやはり山本潤子さんの声のファンであった。
「忘れていた朝」が耳に入ってきた時、なんて安らげる歌だろうと思ったし、聴いてるだけで穏やかな気分になれた。
いい曲だなあ・・・と思ってた。
とこか、カーペンターズにも通じるような良さを感じていた。
この曲、私はてっきり赤い鳥のメンバーが作ったオリジナルかと思っていた。
だが、実際には作詞が山上路夫さん、作曲が村井邦彦さんのペンによるものだった。
まあ、山本さんが赤い鳥解散後に組んだハイファイセットも、基本的にユーミンさんなどの曲をカバーしてヒットさせていたわけだから、ソングライター路線ではなくボーカリスト路線だったのかもしれない。
で、そのボーカリストとしての実力は、国内有数の実力者であった。
それはこの心地よい歌声を聴いていただければ、おわかりいただけると思う。
今聴いても、なんて素敵な歌声なのだろう。
声も楽曲も、癒される曲だった。
この曲の持つ雰囲気も私にとっては絶品だった。
ちなみに、ヤマハが運営していた「合歓の郷」は、その後三井不動産に売却され、今は「NEMU RESORT」と名前を変え、総合リゾート施設として運営されているようだ。
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