沖縄戦に「神話」はない──「ある神話の背景」反論 第8回①
今回から第8回になりますが、早速その要点を箇条書きにしていきたいと思います。
- 「赤松側の言葉を信用するか、住民側の証言に信頼を置くかの選択が残されるだけ」
- 「渡嘉敷島に関するほかの戦記もすべて信用できないとする」のはおかしい
- 曽野氏が参考にした「私製の陣中日誌」は客観的資料として信用できない
太田氏の主張する「赤松側の言葉か、住民側の証言」云々については特に難解な主張ではありません。ただし、この主張に対する個人的見解は多々ありますので、それは後回しにして先に進みたいと思います。
次は「他の戦記を信用できないとするのはおかしい」についてです。
「ある神話の背景」によると、「鉄の暴風」のほかに集団自決が掲載された二つの資料があり、それらは日付の間違いや文章そのもの等といった内容が似通っていることから、この二つの資料は「鉄の暴風」を元にした資料であるということです。
結局「鉄の暴風」は「伝聞証拠」でしかない、というような曽野氏の主張がおかしいとする太田氏からの反論ということになります。
二つの資料というのは渡嘉敷村遺族会編「慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要」と、渡嘉敷村・座間味村共編「渡嘉敷島における戦争の様相」です。
「慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要」は昭和28年(1953年)編纂なのですが、「渡嘉敷島における戦争の様相」は編纂年月日が不明だそうです。参考までに自決命令関連を下記に引用いたします。
「間もなく兵事主任新城真順をして住民の結集場所連絡せしめたのであるが 赤松隊長は意外にも住民は友軍陣地外へ撤退せよとの命令である。何の為に住民を集結命令したのかその意図は全く知らないままに恐怖の一夜を明かすことが出来た。
昭和二十年同三月二十八日午前十時頃住民は友軍の指示に従い軍陣地北方の盆地へ集ったが島を占領した米軍は友軍陣北方の約二、三百米の高地に陣地を構へ完全に包囲態勢を整え 迫撃砲をもって赤松陣地に迫り住民の終結場も砲撃を受けるに至った。時に赤松隊長から防衛隊員を通じて自決命令が下された」渡嘉敷村遺族会編『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』(1953年)
「西山の軍陣地へたどりついた住民は兵事主任新城真順をして結集場所を連絡せしめた。赤松隊長は意外にも住民は軍陣地外へ撤退せよとの命令である。
同三月二十八日午前十時住民は涙を呑んで軍の指示に従い軍陣地北方の盆地へ集った。その頃島を占領した米軍は友軍陣地北方百米の高地に陣地を構え完全に包囲体型を整え迫撃砲を以て赤松陣地に迫り遂に住民の退避する盆地も砲撃を受けるに至った。危機は刻々に迫った。事ここに至っては如何ともし難く全住民は皇国の万才と日本の必勝を祈り笑って死なう(原文ママ──引用者注)と悲壮な決意を固めた」渡嘉敷村・座間味村共編『渡嘉敷島における戦争の様相』
曽野氏が指摘する通り、二つの資料には文章の一言一句が全く同じという箇所があるのですが、引用した部分にはそれがありません。しかし興味深いことに「慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要」では赤松大尉の自決命令が明記されておりますが、「渡嘉敷島における戦争の様相」にはそれが明記されておりません。
明記されなかったことについての主張を「ある神話の背景」から引用いたします。
「当時の古波蔵村長、屋比久孟祥防衛隊長は赤松命令を確認しなかったことになる。この記録の中には、他のもっと些細な部分で、かなりはっきりした赤松隊長に対する悪意のこめられた記述の部分もあるので、そのように大切な事柄を、書き落とすとは考えられないのである」
つまり伝聞で編纂された「鉄の暴風」の引き写しであると同時に、赤松大尉の自決命令に関しては証言が曖昧であるというようなことを、曽野氏は主張しているのではないかと思われます。
それに対する太田氏の反論も引用いたします。
「文章の類似点があるとはいえ、事実内容については大筋において矛盾することはないのである。それは当然のことで、「鉄の暴風」が伝聞証拠によって書かれたものではないことはもちろん、むしろ、上述の他の戦記資料によって「鉄の暴風」の事実内容の信ぴょう性が立証されたといえるのである」
つまり、直接体験者の証言なのだから内容が似通ってもおかしくはなく、二つの資料によって「鉄の暴風」は伝聞証拠ではないという証明にもなる、というようなこと主張されているのかと思われます。
最後に「私製の陣中日誌は信用できない」についてです。主張そのものは難しくないので、これも以下に引用いたします。
「赤松隊の陣中日誌なるものは、戦後まとめられたもので、「私製陣中日誌」であることがわかった。しかも自画自賛と自己弁護の色合いが強いもので、客観的資料として信用しがたいものである」
赤松隊すなわち第三戦隊の陣中日誌は戦後になって編纂されたものであり、集団自決に関連しているものは改竄している可能性があるので信用できない、ということです。現に第三戦隊の元隊員が編纂し、複製版として防衛省防衛研究所に現在でも所蔵されております。
第三戦隊の陣中日誌ではどのように集団自決が取り上げられているかについて、参考までに引用いたします。ちなみに赤松大尉が住民に対し、自決命令を発したことはまったく書かれておりません。
「三月二十八日(中略)昨夜出発したる各部隊夜明けと共に帰隊道案内の現地防衛招集の一部支給したりある手榴弾を以て家族と共に自決す」防衛省防衛研究所所蔵『海上挺身第三戦隊 陣中日誌(複製版)』
以上が第8回の要点と解説となります。
次回以降に続きます。