空と無と仮と

1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り⑥ 漆黒のガラビ壕②




2024年現在では「ガラビ壕」というよりも、
「ガラビガマ」という名称のほうが、
比較的によく使われているようです。
しかし1990年代は「ガラビ壕」という名称でしたので、
特に他意はございませんが、
ここでは「ガラビ壕」に統一しております。

さて、ヌヌマチガマと繋がっているという、
ガマとしては長大な部類であろうガラビ壕ですが、
その入口はヌヌマチガマに比べて、
少々わかりにくい場所となっており、
2024年現在でもグーグルマップで確認できる限り、
ちょとした看板程度のものしかありません。

しかしながら90年代の頃に関していえば、
そのような看板もなかったような気がしますね。
自分の記憶が正しければの話ですけど…

そうであるがゆえに、
初めて訪れた時は沖縄の友人と共に探して探して、
やっとのことで見つけた記憶が蘇ってまいります。
ただ、どうやって見つけたかは、
残念ながらすっかり忘れてしまいました。
やっぱり看板か案内板があったのかなぁ…

そうはいっても、
その当時はヌヌマチガマよりもガラビ壕のほうが、
平和学習として使われていた頻度が多かったような気もします。

2024年現在ではヌヌマチガマのほうに、
立派な駐車場等の設備が充実していますが、
90年代当時はそれすらもありませんでした。

代わりにガラビ壕の近くにあった運動公園の駐車場へ、
観光バスが出入りしていた記憶があるんですよね。

その当時から具志頭運動公園には、
観光バスが何台も駐車できるような、
広い駐車場が完備されていましたよ。
そこからガラビ壕までは歩いていける距離です。

だからそういった意味ではガラビ壕のほうが、
ヌヌマチガマより有名だったのではないでしょうか。
1990年代から2000年代にかけて、
平和学習の拠点がガラビ壕からヌヌマチガマへと、
少しずつ移動していったような感じになると思いますよ。

そして、これはあくまでも私見なのですが、
2024年現在のグーグルマップの画像で入口を確認したところ、
90年代当時と入口が違うような気もするんです。
「こんなところだったけなぁ~?」ってな感じなんです。

たしか、自分の記憶が正しいのなら、
建設会社か何かの作業場みたいなところの、
あるいは資材置き場だったような場所で、
その脇を通り抜けていったような気がするのですが、
ちょっと曖昧で断定もできません。

その当時をご存知の方にご教授願いたいものです。

といっても20年以上の前のことですし、
ガラビ壕やその周辺は私有地だそうですから、
ルートや設備や環境そのものが劇的に変わっていても、
決しておかしくはないものです。
ガラビ壕自体が動くはずがありませんからね。

ちなみにピース広場なんてものも、
90年代当時はありませんでしたね。

次回以降に続きます。




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