天上天下唯我独尊

夢に生き、夢のように生きる人の世を
憐れと思へば、罪幸もなし・・・

四行詩集 ~無花果の実り~ 23

2008-02-15 00:00:46 | 「無花果の実り」
1.方角を間違えている時、エンジンを回せば回すほど、目的地から遠ざかる。
  制度が誤っているとき、税金を払えば払うほど、国民は幸福から遠ざかる。
  車を止めて、運転手に聞いてみろ、これは人の通る道かと。
  燃料が空になったら、重たい車を押して戻らねばならない。
「言ってやれ、『一番損な行いをしている者共を、お前達に示してやろうか。すなわち、自分では事を巧みに運んでいると考えながら、現世での努力が全部間違って道に去ってしまう者共である』(コーラン18:103)」

2.道なりにお花畑が続いていたからといって、その先が果樹園だとは限らない。
  どれだけ快楽と繁栄を積み重ねようとも、その先が楽園だとは限らない。
  歓楽街の先には暴力団が事務所を構えて待っている。
  先祖が夢のような思いをしたなら、子孫が現実に悪夢を見ねばならない。
「我が子よ
 ならず者があなたを誘惑しても
 与してはならない。
 彼らはこう言うだろ。
 『一緒にこい。
 待ち伏せして、血を流してやろう。
 罪もない者を誰彼構わず隠れて待ち
 陰府のように、息ながら一呑みにし
 丸呑みにして、墓穴に沈めてやろう。
 金目の物は何一つ見落とさず
 奪った物で家を一杯にしよう。
 我々と運命を共にせよ。
 財布も一緒にしようではないか』
 我が子よ
 彼らの道を共に歩いてはならない。
 その道に足を踏み入れるな。
 彼らの足は悪事に向かって走り
 流血を企んで急ぐ。
 翼あるものは見ている。
 網を仕掛けるのは徒労だ。
 待ち伏せて流すのは自分の血。
 隠れて待っても、落とすのは自分の命。
 これが不当な利益を求める者の末路。
 奪われるのは自分の命だ(箴言1:10)」

3.正しい道を行くならば、先だろうと後だろうと、胸を張って歩ける。
  間違った道を行くならば、先でも後でも、恥にしかならない。
  大切なのは、先んじることでも、皆と一緒に歩むことでもない。
  自分ひとりでも、皆に遅れても、正しい道を歩み続けることだ。
「神に従う人の道は輝き出る光
 進むほどに光は増し、真昼の輝きとなる。
 神に逆らう者の道は闇に閉ざされ
 何に躓いても、知ることはない(箴言4:18)」

4.地図もないのに何処へ行く? 地図があるなら何故迷う?
  前人未踏の楽園などが、この世に在るというのかね?
  楽園ならば、人が管理しなけりゃ。荒れ果ててしまうだろうに。
  楽園だからといって、楽ができると思ったら大間違いだ。
「夫れ聖人の道は、人道を本とす。人道は自然に基づくと雖も、自然とは異なるもの也。如何となれば、人は米麦を食とすれども、米麦自然にあらず、田畑に作らざれば無き物也。其の田畑と云ふ物も又、自然にあらず、人の開拓に依って出来たる物也。其の田畑を開拓するや、堤を築き川を塞ぎ、溝を掘り水を上げ畦を立てて、初めて水田成る。元自然に基づくと雖も、自然にあらずして、人工なること明らか也。総じて人道は斯くの如きもの也。故に法律を立て、規則を定め、礼楽刑政と云ひ、格と云ひ式と云ふが如き、煩わしき道具を並べ立てて、国家の安福繁栄は漸く成るもの也(二宮翁夜話/第53章)」

5.生い茂った話の中を歩くなら、手は傷だらけになるし、足も汚れる。
  果物を採ろうと道を外れるなら迷子になるかも知れないし、蛇に咬まれる恐れもある。
  しかし、あまり光も当らず水もない、踏み固められた道を行けば、その心配も無い。
  名誉や利益を避けて、先人の歩んだ確かな道を歩めば、迷う事無く生きてゆける。
「神は、お前達に明示されて、昔の人々が辿った正しい道に導き、お前達を赦そうとしておられる。神は全知にして聡明なお方。神がお前達を赦そうとしておられるのに、欲情を追う者共は、お前達が大きく逸れることを望んでいる。神は、お前たちの荷を軽くしてやろうとしておられる。人間は弱く造られているからである(コーラン4:26)」

6.道の上には花や果実は実っていないかも知れないが、前の人が落とした宝があるやも知れぬ。
  正道を行けば、珍しい発見や利益はないだろうが、古人の輝かしい知恵を手に入れることができる。
  花や果実を求めるならば、当然なから道から外れて森に迷い込む。
  古代からの制度を解体するものは、実は野蛮化の一途を辿っている。
「主は、道に迷う者をよく知り給うお方。導かれる者をよく知り給うお方である。よって、汝、嘘つきに従ってはならぬ。彼らは汝が妥協するのを望んでいるが、そうなれば彼らも妥協しようとの腹積もり。汝、断じて従う勿れ、軽々しく誓いを立てるような下らない者には。すなわち、中傷を専らにし、悪口ばかり言い触らし、善行を邪魔立てし、掟を破る罪深い手合いに。粗暴の上に素性が怪しく、財産や息子があるのを得々としているような輩には。このような手合いには、我らのしるしが読誦されると、『昔の人々の伝説だ』などと言う。いずれわれ等は、その鼻に烙印を押してやるだろう(コーラン68:7)」

7.道から外れないためには、仰向いてばかりでも俯いてばかりでもいけない。
  正しい道を行くためには、食う労に耽っていても利益を求めるばかりでもいけない。
  しっかり前を見据えていれば、空も地も視界に入る筈だ。
  義をしっかりと見据えているならば、利を取り落とすことも、害に躓くこともない。
「俯いて歩む者の方が、正しい道を正面を向いて歩む者より正しく導かれている者なのか(コーラン67:22)」

8.当初の目的地に迷わず向かうなら、何度紆余曲折しても、直行したと言える。
  一度も曲がる事無く辿り着ける所など、そうあるものではない。
  自我を貫こうとすると、すぐに壁にぶつかって怪我をし、前進を阻まれる。
  自分を曲げても、どれだけ遠回りしても、道と目的を見失いさえしなければよいのだ。
「目を真っ直ぐ前に注げ。
 あなたに対しているものに眼差しを正しく向けよ。
 どう足を進めるかをよく計るなら
 あなたの道は常に確かなものとなろう。
 右にも左にも偏ってはならない。
 悪から足を避けよ(箴言4:25)」

9.時に道から外れることがあっても、道路や標識や地図が残っていれば、元に戻れる。
  時に道義倫理に違うことがあっても、法律や学典や聖典が残っているなら、間違った所にはいかない。
  道から外れてしまってから、標識や地図を改竄しても、その歩みは正しいものとはならない。
  非道不義背倫の謗りを免れるために法律や典範を変えるなら、その罪は永遠に消されることはない。
「一世の過ちは軽く、経代の患は重く、自ら陥るの悪は小、衆を迷わすの罪は大也(資治通鑑/第101巻)」

10.みなが歩いたところが道になるというのも一理あるが、どこに行くか知れたものではあるまい。
  みなの見解がその時々で法になるなんて、国ごと迷わせるようなものでないか。
  道がないなら道を作ればよいなどと言う連中は、迷子になっていることに気づいていない。
  国を正しく導こうとする者は、古代から残っている法に違うことを極端に恐れる筈だ。
「近世の将帥の事評論ありし時、足利将軍善政・武田勝頼・斉藤義龍などは、父祖の政道を非に見て、己が一心のままに新法を建て行ひし故、終に家国の滅亡に至れり。凡そ、大小とも祖先の旧法を変乱する者は、必ず災禍あるもの也と宣ひけり。かかる御心ゆえ、君には元より御先宗の旧章を崇敬ましまして、妄りに改め給ふことましまさず、改めずしては適はざることは云ふまでもなし、大方の事は改めてもよしと思し召しても、御先宗へ対せられ御不孝に当れば、先づそのままになし置かるると也(徳川実記/東照宮御実記付録第21巻)」
    

この記事についてブログを書く
« 四行詩集 ~無花果の実り~... | トップ | 四行詩集 ~無花果の実り~... »