1.誰も牽引する者がいなくても、下り坂では重荷の力だけで、車は急激に落ちていく。
誰一人国のために奉仕しなくても、民主主義は国民のわがままによって発展する。
坂を登る時には、力強い牛の力が要る。
国を栄光の頂に押し上げるのは、広義に生きる武士の力。
「また、神は家畜をお前たちの為に創造し給うた。これでお前たちは暖まることもでき、様々な便益もあり、また食用にもする。そして、お前達自身では、辛苦なしには行き着くことができないような国にまで、お前たちの荷物を運んでくれる。まことに、お前たちの主は優しく慈悲深いお方である(コーラン16:5)」
2.下り坂では、ブレーキさえかけなければ、アクセルを踏まなくても、どんどん加速していく。
民主化が進むと、規制さえかけなければ、何も指導しなくても、生産と消費は拡大していく。
速度が乗ってきたからといって、エンジン性能や運転技術が向上したなどと思わぬがよい。
あんまり調子に乗って坂を滑っていくと、止まることができずに、崖から転落することが多い。
3.速度が上がっていくのは、坂を上っているからではなく、下っているからではないか。
景気が上向いてくるのは、文明化が進んでいるからではなく、堕落が進捗しているからではないか。
荷物が多ければ、それだけ坂を転げ落ちる勢いは凄まじい。
国民が多ければ、それだけ自由化による堕落は早く、経済成長率も大きい。
4.荷物が重いと言うならば、分けて担げば速やかに運べる。
国が大きすぎて統治がうまくいかないならば、分封すれば円滑になる。
子供を独立させないならば、親の負担が増えるばかりだ。
地方に自治権を与えないならば、中央政府の負担は増えるばかりだ。
5.対向車とぶつかりそうになるのは、自分の車の幅がはみ出ているからではないか。
他者をリタイヤさせて、勝利を得ようなんて、レース免許を剥奪すべき暴挙だ。
道幅を広げて、車線を引けば、方向が反対でも衝突することがなくなる。
子供じみた競走などしなければ、事故も減り、みな楽しく旅ができるのではないか。
「各人にはそれぞれ自分の向かうべき方角がある。だから、互いに競って善行に励め。お前達がどこにいようと、神はお前達全部を一つ所に集め給う。まことに神は全能であらせられる(コーラン2:148)」
6.標識を増やしたり、信号を大きくしても、違反者を罰しないならば、混乱を増すばかりだ。
条約を増やしたり、組織を拡大しても、軽んじた国を罰しないならば、安保理の権威は回復しない。
対向車が、車線をはみ出してきたとしても、自分の信号無視は抹消されない。
敵国に国際法違反や疑惑があったとしても、安保理決議を無視したことは取り消せない。
「とかく政は号令と賞罰とを厳しく致し候はねば罷り成らぬものに御座候。号令は下へ諸法度を号令致し候事にて御座候。何程号令致し候ても、其の号令を守らぬ者を其の儘に致し候時は、法度はいつも役に立たぬものに相成り候。此の故に賞罰を厳しく致し候て、守り候者をば賞し、守らぬ者を罰し候時は、上の思い入れ通りに政は行はれ候ものにて御座候(林子平/富国建議)」
7.高速道路を憩いの場にしているのは、暴走族だけ。
文明社会を楽園だというのは、民主国家だけ。
人々が憩えるのは、車の入ることができない公園ではないか。
車道と歩道は両立しない。文明と平安は共存しない。
8.排気音量が大きな車がよい車だなんて言うのは暴走族に限られる。
言論が活発なのを得意顔にしている国家は、暴走国家と言わずして何と言おう。
暴走国家は、蛇行運転を繰り広げ、国家秩序を乱す。
車には消音器をつけなければならない。好き勝手な言論を封ずるのは国家の義務だ。
9.速度制限をせずに、事故を減らすことなどできない。
欲望を制限せずに、犯罪や訴訟を減らすことなどできない。
速度を規制したからといって、車の開発は停滞しないし、交通も渋滞しない。
欲望を規制することによって、文化は正しく発展し、交流は円滑になる。
10.飽くまでも速さを求める者が、違反をせずに済むなど考えられない。
飽くまでも功利を求める者が、不法を行わずに済むなど考えられない。
運よく捕まらなかったというだけで、いつかは大事故を起こして墓場か病院行きだ。
功利を求める者は、さんざん危険な思いを味わうだけで、結局幸福には辿り着かない。
誰一人国のために奉仕しなくても、民主主義は国民のわがままによって発展する。
坂を登る時には、力強い牛の力が要る。
国を栄光の頂に押し上げるのは、広義に生きる武士の力。
「また、神は家畜をお前たちの為に創造し給うた。これでお前たちは暖まることもでき、様々な便益もあり、また食用にもする。そして、お前達自身では、辛苦なしには行き着くことができないような国にまで、お前たちの荷物を運んでくれる。まことに、お前たちの主は優しく慈悲深いお方である(コーラン16:5)」
2.下り坂では、ブレーキさえかけなければ、アクセルを踏まなくても、どんどん加速していく。
民主化が進むと、規制さえかけなければ、何も指導しなくても、生産と消費は拡大していく。
速度が乗ってきたからといって、エンジン性能や運転技術が向上したなどと思わぬがよい。
あんまり調子に乗って坂を滑っていくと、止まることができずに、崖から転落することが多い。
3.速度が上がっていくのは、坂を上っているからではなく、下っているからではないか。
景気が上向いてくるのは、文明化が進んでいるからではなく、堕落が進捗しているからではないか。
荷物が多ければ、それだけ坂を転げ落ちる勢いは凄まじい。
国民が多ければ、それだけ自由化による堕落は早く、経済成長率も大きい。
4.荷物が重いと言うならば、分けて担げば速やかに運べる。
国が大きすぎて統治がうまくいかないならば、分封すれば円滑になる。
子供を独立させないならば、親の負担が増えるばかりだ。
地方に自治権を与えないならば、中央政府の負担は増えるばかりだ。
5.対向車とぶつかりそうになるのは、自分の車の幅がはみ出ているからではないか。
他者をリタイヤさせて、勝利を得ようなんて、レース免許を剥奪すべき暴挙だ。
道幅を広げて、車線を引けば、方向が反対でも衝突することがなくなる。
子供じみた競走などしなければ、事故も減り、みな楽しく旅ができるのではないか。
「各人にはそれぞれ自分の向かうべき方角がある。だから、互いに競って善行に励め。お前達がどこにいようと、神はお前達全部を一つ所に集め給う。まことに神は全能であらせられる(コーラン2:148)」
6.標識を増やしたり、信号を大きくしても、違反者を罰しないならば、混乱を増すばかりだ。
条約を増やしたり、組織を拡大しても、軽んじた国を罰しないならば、安保理の権威は回復しない。
対向車が、車線をはみ出してきたとしても、自分の信号無視は抹消されない。
敵国に国際法違反や疑惑があったとしても、安保理決議を無視したことは取り消せない。
「とかく政は号令と賞罰とを厳しく致し候はねば罷り成らぬものに御座候。号令は下へ諸法度を号令致し候事にて御座候。何程号令致し候ても、其の号令を守らぬ者を其の儘に致し候時は、法度はいつも役に立たぬものに相成り候。此の故に賞罰を厳しく致し候て、守り候者をば賞し、守らぬ者を罰し候時は、上の思い入れ通りに政は行はれ候ものにて御座候(林子平/富国建議)」
7.高速道路を憩いの場にしているのは、暴走族だけ。
文明社会を楽園だというのは、民主国家だけ。
人々が憩えるのは、車の入ることができない公園ではないか。
車道と歩道は両立しない。文明と平安は共存しない。
8.排気音量が大きな車がよい車だなんて言うのは暴走族に限られる。
言論が活発なのを得意顔にしている国家は、暴走国家と言わずして何と言おう。
暴走国家は、蛇行運転を繰り広げ、国家秩序を乱す。
車には消音器をつけなければならない。好き勝手な言論を封ずるのは国家の義務だ。
9.速度制限をせずに、事故を減らすことなどできない。
欲望を制限せずに、犯罪や訴訟を減らすことなどできない。
速度を規制したからといって、車の開発は停滞しないし、交通も渋滞しない。
欲望を規制することによって、文化は正しく発展し、交流は円滑になる。
10.飽くまでも速さを求める者が、違反をせずに済むなど考えられない。
飽くまでも功利を求める者が、不法を行わずに済むなど考えられない。
運よく捕まらなかったというだけで、いつかは大事故を起こして墓場か病院行きだ。
功利を求める者は、さんざん危険な思いを味わうだけで、結局幸福には辿り着かない。