矢野貴章が、大会直前に怪我をしてしまったばかりに、代表入りを辞退せざるを得なくなった国際大会って何だったっけ?と思い、過去データを漁ったら、それは2003年のFIFAワールドユース大会だった。
今は「U-20ワールドカップ」と呼称されている、20歳以下の選手たちによる世界一決定戦だ。
この大会、横浜F・マリノスの坂田大輔が得点王になったのが記憶に残っている。
なるほど、体調万全ならば、矢野も坂田らと共にUAEに行っていたわけだ。
そしてそのメンバーには、平山相太も入っていた!
国見高校の怪物として2年生ながら早くも名を馳せていた平山は、飛び級でメンバー入りしていたのだった!
でも、彼のメンバー入りは、矢野貴章と密接な関係にあることが、調べていくうちに分かった。
平山も候補選手の一人ではあったけど、大熊清監督の構想では、身長の高いFWという序列では貴章が上で、平山は下だったようだ。
しかし、矢野が帯同できなくなり、平山が招集されて、見事に大会でゴールを決めて日本の8強入りに貢献した―そういう歴史があることが分かった。
当時の平山の飛び級代表入りはよく覚えているけど、その裏で、そんな経緯があったというのは覚えていなかった。
FWの当落線上に平山がいて、なんとか生き残った、そんな印象だったんだけど、矢野の〝代役〟だったんだな。
そして、これは裏を完全に取っていない情報なんだけど、矢野貴章の代わりは、元アルビで現ベガルタの中原貴之を、という大熊監督の方針だったんだけども、その中原もケガのために代表入り辞退、という事情もあった模様。
さて、そんな矢野貴章のケガとは、足首の捻挫だったようだ。
それも大会1ヶ月前の出来事。
だが、ジョージ・ブッシュJrがイラクに戦争を仕掛けなかったら、矢野はワールドユース大会に出られた可能性が高かったんだ!!
2003年の4月にワールドユースが開かれる予定だったのに、イラク戦争が始まったばかり、同じ中東のUAEで国際大会を実施することは難しくなり、同年11月に延期。
だから、当初予定通りならば、キショーはワールドユースに出られたかもしれないんだ。
まさか、ブッシュのせいで、こんなことになろうとは……
ちなみにウィキペディアで調べたら、 テベス、ロビーニョ、ルーニーが、そのせいで大会参加を見送っている。
ホント、ブッシュ・ジュニアは、悪人だ。