アルビレックス新潟が国立霞ヶ丘競技場(旧国立競技場)で最初に公式戦を経験したのは、遡ること20シーズン前。
2004年4月18日、対ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)戦でした。
当時の市原は、ゼットエー オリプリスタジアムを本拠地にしていました。
しかし、収容人数が1万3000人台であること、平均観客動員数が6000~7000人であること、を経営陣が気にして、20シーズン以上前の市原は、年に数試合は旧国立競技場で主管試合を催していました。
旧国立で試合を組むのは、ビジター動員が期待できる浦和レッドダイヤモンズなど。
その当時、アルビレックス新潟はホーム試合に1試合平均4万人も集めていたからでしょう、市原は対新潟戦を旧国立で開催することを決断。
さて新潟初の旧国立出の試合結果は、1対2。
前半に2点先行され、後半に森田浩史が1点を返して、それで終わり。
なお、市原の監督を務めていたイビッア オシムさんが「なぜ市原市で試合をしない、ホームタウンを大事にしないんだ」と苦言を呈したことを契機に、市原は旧国立で主管試合をしないほうに舵を切ります。
新潟との試合後は、浦和と1試合、鹿島アントラーズと1試合、旧国立で戦って、以降はゼットエーオリプリで固定。
そしてフクダ電子アリーナが完成してからは、ずっとここで。
国立2試合目は、中越地震が発生したために図らずも体験したもの。
デンカビッグスワンスタジアムが地震復旧対応のために使えなくなり、代用として。
2004年11月10日、相手は柏レイソル。
そしてアルビレックス新潟が「ホームスタジアム」として、国立競技場で戦ったのは、後にも先にも、これ一度きり。
結果は1対3。
3点差にされて、ファビーニョが1点を奪って、完封負けだけは免れる、やるせない敗北でした。
3試合目は、東京ヴェルディと2005年4月23日。
後年のJ1得点王ワシントンが点を獲れば、エジミウソンも獲り。
そしてエジミウソンが勝ち越し得点を奪って。
だがしかし、ワシントンにまたもネットを揺らされて、終わってみれば2対2。
このゲームが、アルビレックス新潟唯一の勝点を手にした試合でした。
4試合目は、Jリーグヤマザキナビスコカップの対FC東京戦。
2013年5月15日。
新潟が、旧国立で最後に戦った試合です。
岡本英也が同点弾を決めて、後半37分に勝ち越されての黒星。
5試合目は、新国立競技場で初めてのゲームに。
2023年8月5日、名古屋グランパスと。
豊田スタジアムでのアウェイではなく、東京でのアウェイ。
Jリーグ、文部科学省、スポーツ庁が、国立競技場の〝稼働率〟を上げるため、「国立でホームを」とJクラブを誘導すべく結託しています。
名古屋がその誘いに乗り、新国立で催したのがアウェイ新潟戦。
松平健さんが♪マツケンサンバⅡ♪を熱唱して、そして新潟は0対1で敗戦。
6試合目は、2024年7月13日。
その頃は未勝利継続で苦労していたFC東京を相手にして、0対2の勝点0。
木村カエラちゃんが生歌唱した♪Butterfly♪しか、良い記憶はありません。
さあ、そして7試合目が2024年11月2日。
2024JリーグYBCルヴァンカップ決勝。
2004年4月18日、対ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)戦でした。
当時の市原は、ゼットエー オリプリスタジアムを本拠地にしていました。
しかし、収容人数が1万3000人台であること、平均観客動員数が6000~7000人であること、を経営陣が気にして、20シーズン以上前の市原は、年に数試合は旧国立競技場で主管試合を催していました。
旧国立で試合を組むのは、ビジター動員が期待できる浦和レッドダイヤモンズなど。
その当時、アルビレックス新潟はホーム試合に1試合平均4万人も集めていたからでしょう、市原は対新潟戦を旧国立で開催することを決断。
さて新潟初の旧国立出の試合結果は、1対2。
前半に2点先行され、後半に森田浩史が1点を返して、それで終わり。
なお、市原の監督を務めていたイビッア オシムさんが「なぜ市原市で試合をしない、ホームタウンを大事にしないんだ」と苦言を呈したことを契機に、市原は旧国立で主管試合をしないほうに舵を切ります。
新潟との試合後は、浦和と1試合、鹿島アントラーズと1試合、旧国立で戦って、以降はゼットエーオリプリで固定。
そしてフクダ電子アリーナが完成してからは、ずっとここで。
国立2試合目は、中越地震が発生したために図らずも体験したもの。
デンカビッグスワンスタジアムが地震復旧対応のために使えなくなり、代用として。
2004年11月10日、相手は柏レイソル。
そしてアルビレックス新潟が「ホームスタジアム」として、国立競技場で戦ったのは、後にも先にも、これ一度きり。
結果は1対3。
3点差にされて、ファビーニョが1点を奪って、完封負けだけは免れる、やるせない敗北でした。
3試合目は、東京ヴェルディと2005年4月23日。
後年のJ1得点王ワシントンが点を獲れば、エジミウソンも獲り。
そしてエジミウソンが勝ち越し得点を奪って。
だがしかし、ワシントンにまたもネットを揺らされて、終わってみれば2対2。
このゲームが、アルビレックス新潟唯一の勝点を手にした試合でした。
4試合目は、Jリーグヤマザキナビスコカップの対FC東京戦。
2013年5月15日。
新潟が、旧国立で最後に戦った試合です。
岡本英也が同点弾を決めて、後半37分に勝ち越されての黒星。
5試合目は、新国立競技場で初めてのゲームに。
2023年8月5日、名古屋グランパスと。
豊田スタジアムでのアウェイではなく、東京でのアウェイ。
Jリーグ、文部科学省、スポーツ庁が、国立競技場の〝稼働率〟を上げるため、「国立でホームを」とJクラブを誘導すべく結託しています。
名古屋がその誘いに乗り、新国立で催したのがアウェイ新潟戦。
松平健さんが♪マツケンサンバⅡ♪を熱唱して、そして新潟は0対1で敗戦。
6試合目は、2024年7月13日。
その頃は未勝利継続で苦労していたFC東京を相手にして、0対2の勝点0。
木村カエラちゃんが生歌唱した♪Butterfly♪しか、良い記憶はありません。
さあ、そして7試合目が2024年11月2日。
2024JリーグYBCルヴァンカップ決勝。