人が強くなるには、孤独の時間が必要となる。
しかし孤独でありすぎるということは、人を弱らせていく。
バスケットをひたすら練習した時間、チームメイトもまた個人で練習をしていて、それぞれに目指す先は違った。
目指す先は違えど、全員で強くなろうとした方向性は一緒であり、だから孤独に取り組みながらも、1人ではなかった。
信頼における仲間がいた時、人ははじめて孤独を愛せるのだと思う。
逆に互いに疑心暗鬼である場合は、孤独である時間は苦しさともなる。
これは前にも書いたこと。
そしてここからは、最近感じたことを書く。
孤独を愛せる日は、満足いく結果が現れた時だと思う。
なぜなら、集団で固まった方が楽だから。
孤独とは1人で解決しなければならない場面が多いが、集団は決定事項も自分が意見せずとも空気感が決めてくれる。
だから1人で戦うということには、集団では得られない価値があるのだ。
時代の変わり目を生きる小中学生には、これを理解して欲しいと思っている。
スクールやクラブチームがたくさん存在し、移籍も当たり前の世の中、保護者の協力さえあれば選択肢は無限とある。
「部活動で強くなる」に限界が訪れているのが今。
だから自分が成長できる環境を自分で選んで進む力が必要なのだ。
それは、孤独の時間が作る強さ。
自分にとってホームの環境で生きることはなんとも楽で、とにかく居心地が良い。
ただ、居心地が良いと感じた時がそこでの成長の限界ともいえる。
だからその集団を離れ、孤独として、新たな世界へ飛び込むことも必要だろう。
この強さは、未来のビジョンがある子ほど持ち合わせている。
クラブチームへ進むことも、移籍することも、結局は個人が決めた道。
だから、子供達は俺が思うよりもずっと、未来を考えているのだ。
その未来のために、「今勝ちたい」と思う子もいる。
孤独を選んだ先にはリスクがある。
別れがあり、遊ぶ時間も減り… 辛い時間もあるかもしれない。
みんな1人になるのが怖いから、できるだけ安全な集団へと属するが、やはり1人の時間がなければ成長はできないと思う。
その点、将来を考えている子は多いなと感じるのだ。
しかし前述した通り、一匹狼としての孤独になれるほど人は強くない。
大切なのは、1人でいることもできるし、人とも関われること。
そして、満足がいくまで進み続けることには孤独が必要だが、その途中で出会う人々も愛せないのなら、孤独のまま終わるだけだ。
選んだ道を正解にするのは自分自身とはよく聞く言葉だが、その鍵はきっと、道で出会う人や起こることに対して愛せることなのではないか。
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