ミニバス記録

バスケノート

鑑であること

2025-01-31 19:12:00 | 日記
今日は卒論の発表、そして最後の登校日だった。
4年間の最後を、こうして自分の手で作り上げた卒論という形で締めくくることができて満足だ。
私の大学はそこまで忙しい訳ではないが、学問においても、やりきれてよかった。

この卒論は私に多くを教えてくれると共に、完成に至るまでこの4年という指導の時間は貴重だった。
そんな意味では、この論文はバスケットボールを通じて関わってくれた全ての人と共に作り上げたものなのだと思う。
そう思うと、やっぱり人と関わるって素晴らしいね。

無事大学生活を終えることができて、それを指導と両立できたこと、あらためて自分を少しだけ褒めたい。
特に大3.4年は完全にのめり込んでしまった。
遊ぶことなどとうに忘れて、人生の全てを捧げるような気で取り組めて…
それでも、自分のやるべきことは見失わないでいれたのも、子供達の存在のおかげだ。

子供達のためにコーチを全力で取り組んでいたから、学問が疎かになりました、就活何もやってません。
俺としては、そこを見失った時、子供達に合わせる顔がない。

指導者である以前に、大学生として、そして1人の人間として、まずは自分に軸を置かなければならない。

それが、「鑑としてあれるか」だと思う。
もし俺が大学生活を疎かにしてコーチでいるなら、得られる知見は1つ。
「バスケに没頭して勉強をやらないのは、仕方ないことだ」

悪い鑑となるか、良い鑑となるか…
私はいつでも、後者でありたい。

勉強は得意ではない。
というか、自分に得意なものは大してない。

ただ1つ言えることは、やるべきことはやりきる人間であって、「できない」なら「できる」までやり続けられる人間でありたい。

今ここで俺は1つやり切ったが、これからがその本番だと思う。

社会に出れば自分の無力を知り、存在が否定され、自分への価値が見出せなくなる日はきっと来る。
そんな絶望があったとしても、一歩踏み出す勇気は常に持ち続けていたい。

それが、これからするであろう彼らとの最後の約束。
君たちも俺も、世界は違えど同じように自分自身の弱さと戦っている。

俺も頑張るから、君たちも頑張れ。
例え辛い時があっても、「君たちもどこかで頑張っている」そう思うことだけが、俺を動かす力になると。

そしてまた会う日には、それぞれが成長した姿を見せ合うのだと…



2025-01-30 19:40:00 | 日記
やはりディフェンス力の向上は確かなものだ。
ポストに入った後の寄り、ドライブで簡単に1線を破られないこと、例え抜かれてもカバーの意識まで高い。

ただ、継戦能力はまだ発展途上。
長く戦えば戦うほどボロが出るし、ペースも掴まれやすいのが、この2日で露呈しているし、この前の試合もそうだった。

ミスが少ないゲームは勝率も上がる。
ディフェンスでの粘り強さを、イージーなミスで帳消しにしてしまっては、もったいないのだ。
そこは実力を磨くしかない。
あとは、ボールから目を切らないこと、次の動き、パスが来ることを頭に入れておく必要がある。

追記で、年明けからみんな上達したが、特に成長した子がいる。
その子とは今日話をしてみた。

「心の変化がそこにあるか」
ただそれだけを知りたかった。

どうやら、年明けから中学を見据えて取り組んでいるらしい。
そこまで先を見ていれば、プレーの質が高まるのは当たり前である。
それこそ、「自分自身を見つめる」ということなのだ。

見つめたからこそ、足りないものを理解して、それが行動へと現れる。
このチームではエースで、みんなから頼りにされて、尊敬されるような子が、向上心を持って取り組めていることは、チームとして非常に良いことだ。

それこそ、素直さが作った世界の先なのだ。

誰よりも的確な声をかけることができて、誰よりも闘志を燃やして、誰よりも自分と戦える存在…
だからチームとしても、ここまで成長できたのではないか?

夏合宿で、俺に言ってくれた、
「全国で活躍する」という夢に近づいているのが今。

遥か先を見据えて、このままどこまでも成長することだけを願って。
そしてこの1.2ヶ月がもっと成長できる時間であることを、信じて止まない。




生き方

2025-01-29 19:43:00 | 日記
1つの別れを前にして、彼女らは過去に生きるか、今を生きるのか…
ただそれだけを知りたかった。
今日の練習を終えて、「別れ」は彼女らにとって強さの糧となっていることが伝わった。

残り1ヶ月でも、このチームは強くなれる。
やはり、あの子らは強い。
いや、強くなった。

1ヶ月後に向かう先は、また1つ異なる世界でありたい。
だから、現状に甘えず、全員で進めればいいなと思う。

最後女子を集めて、言ったことがある。
「メンバーが欠けた(別れ)という事実に対して、1ヶ月後、別れがあったからこそ自分たちは成長できたと思うことが、大切なんじゃないかな?
これから君たちは、バスケを続けるかという選択をするだろうし、高校受験や大学受験なんかもありますね。
バスケを辞める、行きたい学校に行けなかった…
この事実が変わらないなら、自分の選択、起こる事実に対して『それで良かった』と思えるよう生きることが、人生なんだと思うんだ。」

自分はまだ、22歳。
人生のことなんか何もわからないし、偉そうに言える立場でもない。

ただ、1つだけわかるんだ。
俺はこれから、指導者から離れて社会人になる。
これは、自分で選んだこと。

世界は2つあって、「指導者として生きる世界」と、「社会人になる世界」

俺は、後者を選んだ。
だから、指導者として生きたであろう世界よりも、社会人として生きる世界に満足できるよう、これからの人生を歩むべきなのだと思う。

それだけが、自分で出した答え。

彼らも、俺も、そして人生経験豊富な者であっても、きっと同じなんだ。



別れは約束

2025-01-29 03:11:00 | 日記
明日(今日)からの練習も、引き続き個人の力を高めることを目的とする。
1on1での突破力ももちろんのこと、パスの技術からシュートバリエーションまで。
この時間だけで全てを網羅する力も、完成にもっていくことも不可能だ。
狙いは、新たな世界でも磨き上げて欲しい内容なのだ。

「頑張る」、「チームとして戦う」
→このメンタリティは明らかに完成した。

ならば、もっとバスケを楽しいと思える世界に連れていきたい。
個人スキルで打開する楽しさも、やはり魅力なのだ。

あと、私は少しばかり楽しみにしていることがある。

部員が1人かけた世界は、果たして彼女らにどんな影響を与えるかだ。
最後の時間、彼女は我々にこんなメッセージを残した。
「2月の試合で優勝してください」

この試合は、ワンデイではないが、去年負けた大会。
彼女からのメッセージ、残る部員は、どう受け取っただろうか?

別れは、約束。
離れていても強くなると、互いに誓うこと。
彼女はきっと強くなるから、俺たちも同じように進んでいく。

この生き方が、彼女へ誇れる姿となることも、きっと正解の1つなんじゃないかな?
もちろん、それは彼女らがどう生きるかだから、強制されることではない。

動機づけは、なんだっていいと思う。
ただ、俺はそうやって今日まで生きている。
みんな、頑張ろう。





最後の最後まで

2025-01-27 17:05:00 | 日記
この1年、いや2.3年を通じてこのチームには明らかな成長がある。
勝ちに対して、たまたまなのか、成長があるのかで捉えることと、どの部分が伸びたから勝てたかを考えることは、重要である。

マイボールにできるルーズボールを離してしまう→球際が弱い
頑張るという意識からヘルドボールがコールされる→意識はついたが球際、ボールコントロールはまだ弱い
ボールを失わない、マイボールにするまでやりきれる→球際は強く、競技のレベルが上がる

判断基準は、最近ヘルドボールのコールがほとんどないこと。
4月の試合を見たのだが、ヘルドボールがまぁ多かった。

そう思うと、やっぱり上手くなったのだなぁと思う。
あの頃よりずっと上手くて、身長差のある相手に対してもここまでやりきれる小学生は、なかなかいないだろう。

4月の時点では、今と比べてみんなずっと下手で、本当に成長したと思う。
あの頃チームでダントツ上手いと感じていた7番ですら、今の彼女と4月の彼女では天と地ほど差がある。

このチームの出発点は、みんな下手くそだったんだ。
そして、それぞれがそれぞれの世界でやりきれたから、競技のレベルが上がって、スキルが連動したり、考えてディフェンスができたり、トランジションの意識が高くなったのだと思う。

到達点自体に、個人差はある。
それは当たり前のことでもあるし、中学でもバスケをすると決めている子と、やらないと決めている子の上達度に差ができてしまうことはあるだらう。
しかし1.2年前、一言で片付けるなら「やる気がない」と一蹴されてしまうような子が、頑張るようになって、私のアドバイスに対してハッキリした声で「はい!!」と返事をしてくれることは、成長なんじゃないかな。

1.2ピリのメンバーも含め、全員で戦えて、確かにミスはするだろうし、1線で抜かれることもあるが、ルーズボールを追ったり、ジャンプもしなかった子が全力で飛ぶ姿が見られる。

みんなが1つの目標へと戦うとは、まさにこのことだ。
「みんなで勝ちたい」
ただそれだけの感情がここにあったこと、
それは今後の人生においても生きるはずだ。


2月が最後。
残り1ヶ月は10人から1人かけて、9人で戦う。
ただ、この事実を「弱体化」と捉えるのか、「成長のためのヒント」と捉えるかであれば、俺は後者のメンタルである。
確かに寂しいが、いつまでも引きずってはいけない。
それもまた、強さ。

世界線は2つ、
「あの子が3月まで残った世界」と、
「3月まで残らなかった世界」

前者の世界は、誰も知ることはないだろう。
ならば、後者の世界に満足できるよう今を生きよう。

「あの子がいれば勝てた」で終わるか、
「あの子がいない世界だとしても勝てた(強くなれた)」で終わるかは、俺たち次第。

残り1ヶ月という時間ですらも、人生におけるヒントが隠されていると思う。
だから、まだ歩みを止めてはいけないんだ。