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ミニバス記録

バスケノート

楽しむこと

2024-06-22 03:25:00 | 日記
高学年になるにつれ、バスケットボールを純粋に楽しむ姿が失われていくように感じるのは私だけだろうか?

「バスケって面白いなぁ」
「こんなプレーがしてみたいなぁ」
誰もがバスケとの出会いに心躍らせる。

月日が流れると、自分の理想と現実の乖離に苦しみ、いつしか毎日を惰性で過ごしたり、力及ばない自分に悩む日が来たりもする。

ここが次のステップへ進むかの分かれ道となり、そのまま直向きにできない自分と向き合う者、新たな挑戦をする者へと道は分かれる。

しかし、結局いくら真面目で、直向きに取り組んだとしても、心からバスケを楽しむ者には絶対に勝てない。

あるプロゲーマーはこんな話をした。
「ゲームをただ楽しんでやっていたら、いつの間にかプロになっていたんだ」
最近ではEスポーツの学校などもできているが、結局は楽しんでいる人が上にいくのだと思うばかり。

バスケにおいて例をあげるならラメロ・ボール
彼ほどバスケを楽しんでいる選手は他にいない。

このように何事も楽しめる者が成功していくことは確かだが、「楽しむ」ということは誰かに教わるメンタリティではないと考える。

練習をまったり取り組むクラブと、勝利を目指すクラブがあったとして、選手にとって壁が立ちはだかるのは間違いなく後者である。

少しの気の緩み、甘さを指導者に指摘され、時に負けることもたくさんある。
だからその環境で楽しめる者こそ、成功するのだ。

指導者が楽しさを核に教えるとどうなるかといえば、練習は必ず緩くなる。

もちろんそれも正しいスポーツの姿だが、それではいざ壁が現れた時、挫折を感じた時に立ち上がる強さは身につかない。

練習に1つの抜かりもなく取り組み、それが自分にとって苦しいもの、楽しくないものだとしても、結果に結びついた際の喜びは必ず大きくなる。
その過程すらも楽しめるなら、それが天才と呼ばれる者であり、誰かが教えるものではない。

倒れない自分の作り方ではなく、倒れた、倒された自分の立ち上がり方を私は教える。

この精神は人生において必ず生きると、私は信じる。

だから私は指導し続ける限り、常に選手へ壁を与える。
その壁を楽しみながら乗り越えるか、苦しみながら乗り越えようとするかは選手次第ではあるが、壁を登ることを辞めようとする選手がいるなら、その時は必ず支える存在であり続ける。

見守る場面、押し上げる場面、
それを見極める必要があるだろう。




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