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チョウ・トンボ・野鳥に親しむ

能登半島地震、南能登の被害―イソヒヨドリ

 明日は1995年に阪神淡路大震災の起った日である。石川県北部を震源とする能登半島地震から半月が経った。被災地が気になり、意を決して七塚の海岸、河北潟干拓地周辺、志賀町安部屋、赤住地区、七尾市大津池、田鶴浜地区、邑知潟干拓地の様子を見に行った。
 七塚の海岸ではミユビシギが1羽波打ち際で餌を探していた。

          綺麗な浜辺で餌を探すミユビシギ

 浜には漂着物も無く津波の影響は小さそうに見えたが、よく見ると海岸遊歩道近くには多くのゴミが散乱し風と津波で打ち上げられたものだと思われた。
 新聞には河北潟干拓地では液状化した内灘町だけでなく津幡町などでも農業用道路の陥没が報告されている。


 実際に見てみると、アクセス道路そのものの被害は大きくないが潟や水路に架かる橋周辺、例えば才田大橋のアクセス道路が陥没し1.5mもの大きな段差になっている。軟弱地盤に起こった典型的な現象だと思われた。
 何とか通ることができる橋を渡りハス田の様子を見てみた。

       反対側に段差ができて通行止めとなった潟内の道路

 ハス田や畔は一見被害は殆ど無さそうであり、ダイサギの周りにはコサギやツグミが集まっていた。

        ハス田に集まるダイサギ、コサギ、ツグミ

 畔には2羽のコウノトリが座り込んでいた。


             畔に座るコウノトリ

 普段コウノトリが座っているのをあまり見ないので、もしや地震で足でも傷めたのではないかと心配した。
 被害は干拓地そのものだけではない。干拓地に近い内灘砂丘の麓の内灘町の被害も大きい。道路が液状化し、町がゆがんだ!もう住めない!と嘆く住民が気の毒でならない。

         内灘町の液状化の惨状を伝えるニュース

 津幡町は大相撲、大の里関の出身地である。本人も自分が頑張って故郷を応援したいと言っているが、これからは復興に向けて住民の結束が望まれる。

              大の里の記事

 幸い初場所は2連勝スタートとなった。
 里山海道が通行規制されているので国道249号線で志賀町を目指した。沿道の被害は羽咋市を抜けてもあまり目につかなかった。安部屋の弁天島の岩礁ではアオサギやヒドリガモがいるだけでウミアイサやシノリガモなどの影は見つけることができなかった。

              岩礁のアオサギ

            海に集まるヒドリガモ

 また、普段はその形しか見えない沖合のローソク島(私が勝手に命名)が土台部まで見え、下部には穴があることもはっきりと確認でき少し隆起したのではないかと思えた。


      塔だけが見えていた岩礁が下部迄見えるようになった

 島を一周してみたが大きな被害はなさそうで安心した。帰りに船のマストに止まるイソヒヨドリを見つけた。

             イソヒヨドリ、オス

 オスばかりでなくメスも撮れた。


              イソヒヨドリ

 何時も観察する海岸沿いの道は狭く、通れるかどうかわからないので一旦249号線に戻り赤住に向かった。赤住の港ではボートが転覆しており、岸壁では転覆した漁船の引き上げ作業が行われていた。

              転覆したボート

            漁船の引き揚げ作業

 志賀町で震度7と報じられていたので、赤住は志賀原発に近いのでもしや揺れがひどかったのではと案じたが、道路にはひび割れが見られたが小さなものであったし、原発敷地を背景にした民家の写真からも瓦の一部が落ちた程度だったと思われ少し安心した。

            道路の小さなひび割れ


            志賀原発近くの民家の屋根

         何事もなかったかのように海を泳ぐウミウ

 志賀町の震度7は輪島に近い富来地区であったと推測される。漁船の被害は津波によるものかもしれない。気のせいか赤住でも海底が少々隆起したように感じた。
 赤住から年末に回った方向と逆回りで大津池、田鶴浜方面に向かった。途中通行止めなどもあり、Uターンをしたりしながら大津池に着いた。

          あちこちで見られる通行止め

 池には鳥は少なかったが堤防などが壊れた様子はなかった。ここから北へ向かう国道249号線は通行が規制されていたので田鶴浜に向かった。田鶴浜に近づくと、道路の盛り上がりや陥没、家屋の倒壊なども所々で見られるようになった。小型の箱のようなものが路地を塞いでいる所があった。

            路地に落下した祠と屋根

 右側をよく見ると菰を被ったお地蔵さんが見える。お地蔵さんの祠は横倒し、屋根はひっくり返って落ちていることが理解できた。かなりの揺れであっただろう。この先は和倉温泉であるが、被害も大きく、復興作業の邪魔になってはいけないと思い、田鶴浜道路(能越自動車道の一部)を使って里山海道下り方面(金沢方向)に移動した。

            田鶴浜道路の橋の陥没

 途中、至る所で道路標識が傾き、橋の所には大きな段差ができていることが分かる。
 邑知潟干拓地に寄ってみたが、新聞に報告された河北潟干拓地と同じく干拓地内の道路があちこちで寸断されていて近寄ることができず、コハクチョウなどの鳥も見えなかった。
 今回の地震では輪島や珠洲の海岸線沿いの道路では土砂崩れが大きな被害をもたらしたが、河北潟、内灘、邑知潟、高速道路では、橋は大丈夫でも、地盤が弱い取り付け道路の橋への接続部、干拓地内の道路の陥没が目立った。今後道路建設の際に注意しなければならないことの一つが理解された。
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