四日目、最終日となりました。快晴です。
7:30にホテルを出発。市内レストランで朝食を摂ります。
閑散とした市内を順調に走行。通勤渋滞はこれからのようです。
【10/3、ソウル市内観光-仁川国際空港-成田空港-昭島帰着】
朝食はもやしヘジャンクを頂きました。
バスで移動し、最初の観光は【世界遺産】◎宗廟。
宗廟(そうびょう、チョンミョ)は韓国ソウル特別市に所在する朝鮮王朝・大韓帝国の皇室の祖先祭祀場。1995
年12月ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。朝鮮・韓国の歴代の国王・王妃・功臣などを祭る。
李成桂が漢陽(現在のソウル)に遷都した1394年12月に着工し、翌1395年9月に完成した。しかし、1592年
に豊臣秀吉の侵略に際して日本軍がソウルを占領したときに破壊され、1608年に再建された。現在も大韓帝国
の皇室である全州李氏の宗家によって祭祀が営まれている。また韓国の史跡125号にも指定されている。
閑散として静寂に包まれた広大な宗廟でした。
リスのような動物が走り回っていますが、リスを食べる動物とのこと。
二つ目の【世界遺産】◎昌徳宮に移動。ここは大勢の観光客で賑わっています。
昌徳宮 (しょうとくきゅう、チャンドックン)は韓国ソウル特別市に所在する李氏朝鮮の宮殿。1405年に、
景福宮の離宮として創建され、李氏朝鮮第9代成宗が正宮として使用している。文禄の役(1592年)では、
日本の軍勢が首都に迫る中、国王の宣祖一行が漢城から逃亡すると、治安が乱れて豊臣秀吉軍の入城を前
に朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となり景福宮や昌慶宮、付属する庭園(秘苑)などと共に焼失した。
民族衣装の女性二人が宮殿に良い雰囲気を見せてくれました。
王朝末期の1868年に景福宮が再建されると、昌徳宮は再び離宮として使用された。1907年に純宗
が大韓帝国の皇帝に即位すると宮殿として使用され、1910年の日韓併合後も李王となった純宗の
住まいとなった。その後朝鮮総督府により改築されている。
ここも韓国時代劇の舞台に登場しているそうです。
三つ目は仁寺洞散策です。
仁寺洞(インサドン)は、韓国の首都ソウルの鍾路区にある地域である。仁寺洞キルという通り沿い
に多数の骨董品店・古美術店・陶磁器店・ギャラリー・喫茶店・伝統工芸品店・土産物店などが並ぶ、
ソウルの文化の街として知られている。朝鮮王朝時代(1392年 - 1910年)には王宮に勤める両班たちが
住む屋敷が立ち並んでいた。今でも古い韓屋が仁寺洞付近に多く残っている。当時のこの一帯は寛仁坊
および大寺洞という町であったが、後に統合し一字ずつをとって仁寺洞となった。
19世紀末には困窮した両班たちが伝来の品を売り払う店を開き、以来ソウル在住の外国人たちが訪れる
骨董品売買の街となってきた。1988年のソウルオリンピック以降は観光地化が進んでおり、外国から
古美術買付け目的の人だけでなく多くの一般観光客が訪れている。仁寺洞一帯に残る韓屋を使って伝統
茶を出す喫茶店やカフェ・レストランが開店し、現代美術やデザインを扱うギャラリーなども増加している。
次は昨晩散策した明洞に移動。
最初にレストランにて「純豆腐チゲ」の昼食を頂きました。
昨夜は珍しい屋台食堂が目立ちましたが、日中は若者のファッション街ですね。
突き当たりの大きな教会を見学。結婚式が行われていました。
繁華街はあまりの混雑で疲れます。買い物目当てなら楽しめそうですね。
全ての観光終了、13:30に集合して仁川国際空港に向かいます。
干潟の埋め立て地が面白い景観でした。
韓国食品店に立ち寄ってウォンを使い切り、順調に走って15:30に空港へ到着。
仁川国際空港(インチョンこくさいくうこう)は、大韓民国仁川広域市中区にある国際空港。永宗島と龍遊島の
間にあった干潟を埋め立て、2001年3月29日開港した。大韓航空及びアシアナ航空のハブ空港でもある。
当空港開港と同時に、金浦国際空港の国際線が全て当空港に移転した。ソウルへの国際線空港として機能
していることから、前述した通りソウル市外の仁川市内に所在しながら飛行機の行き先では単に「ソウル」と
案内されることが多い。現在、3本の滑走路が供用中である。
ガイドさんと別れ、出発まで空港内の催し見学等で時間を潰します。
18:35発の成田行きに搭乗。
2時間20分のフライト、新作映画アントマンを見て丁度でした。
20:55に成田空港到着。
遅い時間帯で心配しましたが、21:30の電車に乗れました。
青梅線最終便で無事に昭島に帰着できました。
またいつか行ってみたい安近短な韓国旅行でした。
次は釜山から目視できる対馬エリアの壱岐ノ島に出掛けます。
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