本場のウィーンナーコーヒーを頂きます。
オペラは体験鑑賞のため正装不要で一安心。
20時からウィーン国立歌劇場でドン・バスクワーレ鑑賞。
ウィーンはドイツから北イタリアを支配していたハプスブルク君主国の首都であったため、ドイツ・
オペラのみならずイタリア・オペラにとっても中心的存在であった。その帝都の威信をかけて発足した
歌劇場であり、精力的な上演活動によってたちまち世界のオペラをリードする位置にのぼり現在に至る。
日本語訳で見られますが、覗き込んで舞台がやっと見える席です。
撮影禁止で80分の第一幕終了。トイレと休憩に入ります。
60分の第二幕終了。ほぼ立ちっぱなしでお疲れ様でした。
ドン・パスクワーレは、なかなかの家柄の出身でお金持ち。ケチだけれどお人良しで、騙されやすい。
しかもちょっと好色という憎めない人物。医者のマラテスタは、狂言回し役で、頭の回転が早く動きも
速いやり手。「フィガロの結婚」「セビリャの理髪師」のフィガロの親戚のようなキャラクター。美人
で気が強くしたたかなノリーナは、同じオペラのスザンナやロジーナなどと姉妹のよう。甥のエルネスト
は金も力もない頼りない色男。この4人が繰り広げる楽しくて、ちょっとホロリとさせるドタバタ喜劇。
22:30にバスに集合。ホテルに戻ります。
23時にホテル着。明日は終日、【世界遺産】ウイーン歴史地区観光です。
【11/28(火)、ホテル-ウィーン観光-ウィーン-ホテル泊】
6:30に起床、悪くない天候です。
7時から朝食。
8:30にウィーン観光に出発。
ウィーンは、オーストリアの首都。2017年1月1日時点の人口は186万7582人。都市単独で一つの連邦
州であり、ヨーロッパ有数の世界都市。第一次世界大戦まではオーストリア=ハンガリー帝国の首都と
してドイツを除く中東欧の大部分に君臨し、さらに19世紀後半まではドイツ連邦や神聖ローマ帝国を通
じて形式上はドイツ民族全体の帝都でもあった。クラシック音楽が盛んで過去にモーツァルトやベート
ーヴェン、シューベルトなど、多くの作曲家が活躍したことから「音楽の都」・「楽都」とも呼ばれる。
【世界遺産】シェーンブルン宮殿を観光。この間に添乗員さんはパスポート再取得へ別行動。
ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用した宮殿。同宮殿と庭園群は世界遺産に登録。建物
は、あらゆる部屋を合計すると1,441室、両翼の端から端まで180m、正面右側翼には宮廷劇場がある。
広いフランス式庭園を挟んで宮殿に向かい合う丘の上にはグロリエッテという対プロイセン戦の勝利と
戦没者の慰霊の為に立てたギリシャ建築の記念碑(未完成)があり、ここからは周囲が一望できる。
内部は撮影禁止。ガイド付きで公開されている40室を観光しました。
残り時間で広大な庭園を見学。とても周り切れません。
Xmasマーケット開催中。后妃エリザベートグッズも目立ちます。
次はベルベデーレ宮殿とクリムトの「接吻」鑑賞。
ウィーンにあるバロック建築の宮殿。もともとハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが、当時の
代表的な建築家であるヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントに、夏の離宮として造らせたもの。
1714~1716年にかけて下宮、1720~1723年にかけて上宮が建設された。プリンツ・オイゲンの死後
1752年に、ハプスブルク家のマリア・テレジアに売却された。現在はオーストリア絵画館になっている。
オーストリアで2番目に大きな美術館。
こちらは撮影OK。
クリムトの接吻、帝政オーストリアの画家グスタフ・クリムトが1907年~1908年にかけて描いた油絵。
クリムト自身と恋人エミーリエ・フレーゲがモデルとされる。1908年の総合芸術展で大好評を博し、展
覧会終了と同時にオーストリア政府に買い上げられた、クリムトの代表作のひとつである。クリムトは
「金の時代」には金箔を多用したが、これは日本の琳派の影響を受けたものと指摘される。
一時間の見学後、バスでオペラ座近くに移動。
下車後、徒歩で王宮へ向かいます。
ハプスブルク家御用達の「デーメル」で昼食。
食後には有名なチョコレートケーキ「ザッハトルテ」
店内は甘そうなお菓子で一杯です。
午後もウイーン歴史地区観光。
ハプスブルク家が13世紀後半から1918年まで、約600年以上にわたって住居としてきた王宮(ホーフ
ブルク)。増改築が繰り返されたいへんに広い。18の棟が複雑に入り組み、2500以上の部屋がある。
王宮周辺をひと歩き。
シュテファン寺院、ケルントナー通りに移動します。
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