団塊世代の給食は悲惨の二文字だった。
貧富の差なく、一律コッペパンと脱脂粉乳、オカズは歯が欠けそうな石みたいに硬い鯨の竜田揚げで、野菜のうま煮なども頻繁にでた。
あのうま煮の臭いがたまらず吐気をもよおしたことだって、一度や二度ではない。
父親からは、何かというと『戦争中の事を思え!』と怒鳴られた。
怒鳴るだけではなく、株が下がったりして機嫌が悪いと殴られた。
なので子供の頃の我が家の夕食のオカズがなんだったのか、まったく思い出せません。
祖母が作る料理は老人食、父親は合成酒と豆腐なので、豆腐は飽きるほど食べさせられました。
少し改善したのは自宅を改装して日本蕎麦屋を始めた頃でしょうか。
それでもベースが蕎麦なので、またしても何を食べて育ったか、記憶からかき消えています。
中学に入ると突如父親が『フグ屋をする』と宣言し、自宅をこれまた改装してフグ屋を始めました。
必然的に夕食はフグ鍋が多くなりました。
ボンカレーやボンシチューもローテーションに入っていたけれど、あの味は絶対に飽きる。
ハチ(愚弟)の学校(開成)には学生食堂がありましたが、蟷螂の学校(明治)にはそんな高等なものはなく、昼は毎日パン食でしたから、いつも腹を空かせていました。
つまり、今の団塊世代は農家の師弟でもない限り、体のベースが硬いコッペパンと脱脂粉乳でできているのです。
身体の基礎ができていないと、生命予後に影響が出ます。
ひと頃昭和ひと桁世代は短命だと言われていた時代がありました。
戦時中は配給制でろくな食べ物がなく、戦後も焼け跡闇市で、口に入るものなどなかったのですから、基礎どころか全てが未発達。
早死にするのは当然です。
翻って今の学校給食の華やかで豪華なこと。
なによりも銀シャリが出ます。
あの頃蟷螂だって、コッペパンより銀シャリが食べたかった。
今やパンは小麦アレルギーがあるからダメだなんて、あのころの小麦アレルギーの子供はみんな死に絶えた?
そして現代の飽食の結果が二型糖尿病の蔓延です。
今朝の新聞に、一型糖尿病にiPS細胞を使ったシートを貼って治療する治験が始まるとありました。
そうなると2型にもシートを使う日がくるかもしれません。
飽食の現代っ子の行く末は、膵臓シートの移植!
なんて素晴らしい(悪い意味で)。
親父は若い頃から毎晩枕元にヤカンの水を置いておくように命じていました。
合成酒で糖尿がじわじわ進行したのでしょう。
合成種は砂糖の塊ではないかと思えるほど甘い匂いがします。
あれを毎晩、いくら豆腐がつまみとはいえ、続けていたら糖尿まっしぐら。
多分糖質で網膜の血管も弱くなっていたのでしょう。
50代で網膜剥離、すぐに緑内障と白内障を併発し、最後は右目を失明。
今の子供達も、大人になって直ぐにペットボトルを枕元に置くようになったら、誰が困るって国が一番困るはず、ましてや夜間に喉が渇くと言ってジュースやコーラをガブガブ飲んだら、合併症だって若いうちに発症しかねません。
美味しいものは大人になってから、子供のうちは牛乳とコッペパンで十分です。
大人になったら自分で稼いで美味しいものを食べる。
勤労意欲は飢餓から生まれるのです。
タダ飯を食べて育つなんて、ただでさえ米不足が叫ばれている今、漫然と給食にコメを出す必要性はないと思います。
一度でいいから松茸の給食を食べてみたい。
去年は全く口に入らなかったから。