蟷螂の独白

世に背を向けた蟷螂です。喜怒哀楽を綴って19年モットーは是々非々の団塊世代です。

堂場瞬一はなぜ小説を書くと長くなるかについて

2015-10-09 00:10:45 | 文学
堂場瞬一の小説を『雪虫』から読み始めた。一気に4冊もAmazonで購入したので、届いた文庫を見てその厚さに少したじろいだ。だが、文体はハードボイルドタッチで大藪春彦の再来を彷彿とさせた。これなら一気呵成に読めそうだ。とりあえず明後日、銀座のギャラリーへ足を運ぶので、そのときのお伴が決まった。
今日、ノーベル文学賞が、ベラルーシの作家に決まった。メディアではハルキストの屯しているカフェを取り上げていたが、そろそろこのバカらしいハルキストの騒動を、報道しないでほしい。そもそも村上春樹の作品には奥行きがなくテーマも軽いのだ。ノーベル文学賞は、作品の内容の重さを重視する。書生っぽさがいまだに抜けない村上春樹の作品は、本来なら候補にもならないはずだが、書店とタッグを組んでいる日本文学振興会が毎年のようにノーベル財団に推薦しているので、あちらも相手にしないわけにはいかないのだろう。そういっちゃなんだが、村上春樹は蟷螂の目の黒いうちはノーベル賞は無理だと思う。シリアへ入国し、戦禍の渦中で踞るように生活している一般市民の日常を描けば、将来的にはノーベル賞の目がないではなくなるが、たらふく肥えた村上春樹は、命を粗末にするようなことはしないだろう。将来的にはアラブの反体制運動作家にノーベル文学賞か平和賞が与えられるはずだが、村上春樹が彼らに追い付けるかどうか。春樹も大藪春彦から『春』の一字をもらっているのだから、文体は奇をてらわずに、肩の力を抜いて書いてみたら、現在よりはノーベル文学賞に近づけるのではなかろうか?
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