何の取り柄もなく、
得意なこともこれと言ってなく、
帰省の際はただただ実家に帰るのみ。
今回も両親のもてなしに
凹んだおなかが寸胴になるぐらい食べてきた。
母親から「何が食べたい?」
と聞かれたら迷わずこう答える。
「おからとヒジキ」
おからやヒジキが贅沢と言ったら
以前はそんなものと笑われていた。
最近はその意味を理解してくれた。
なかなか腹いっぱい食べれるものでもないし、
そればかりか市販のものは味を調えるのに
砂糖が入っていてあまりおいしいと思わない。
おからとヒジキが楽しみな人である。
いつものことだが家を空けるので慎重になる。
確認行為、
心理学ではそういうらしいが
何度も確認しないと家を出られないのである。
ガス、水道、戸締りとゴミ、トイレ、風呂場
確認行為が尽きない。
ようやく納得して家を出る。
バスに乗り、電車に乗り、新幹線に乗る。
行先は新大阪の手前の京都となる。
11時過ぎに京都に着き、
11時半ごろ楽しみにしていた太秦(うずまさ)につく。
日替わりのランチをいただく。
いい雰囲気のお店で人が混んでいた。
ドリンクがついていてお得な感じだった。
ここから蛇塚古墳へと行く。
住宅地の中に囲まれたように
石積みの古墳が現れた。
6~7世紀ごろにつくられたそうだが、
秦氏と関係があるようである。
秦氏の渡来にはいろいろと説があるようだが、
正確な記録が残っているわけでもない。
大陸の動乱とかかわりがあると思うが、
数世紀の時間をかけて徐々にこの地に
その氏族が落ち着いたのではないかと思う。
何万もの民が一時期に来るとなれば、
これでは侵略といっても過言ではない。
大小100余の国とか30の国とかそういう時代である。
大陸文化を知る日本の中の小さな国が渡ってきた少数の部族を受け入れ、
そこから始まったのだろうと思う。
稲作や青銅技術や習俗や学問、
それは古代の日本人にとって魅力的だったと思う。
記録に残る遣隋使や遣唐使、
はたまた鑑真の航海、
その後の蒙古来襲
どれもこれも命がけの航海である。
おそらく造船技術が格段と進歩したのは大航海時代ということになる。
中国では鄭和がアフリカまで行ったとされる。
ヨーロッパの大航海時代は鄭和の頃より始まり
その後にピークを迎える。
帰省の前に銅剣の型が発掘され話題となった。
今までの古代の歴史観に波紋を呼ぶ出来事だったようである。
金印より古く、その時代の大陸との文化交流が
濃密であったのかとも受け取れる。
石ころひとつで歴史が変わるといつも言っているが、
なんだかそんな出来事のように受け取れた。
弥生時代~古墳時代、そして飛鳥時代へとつながる。
逆に神話の時代にさかのぼる出来事が解明されるにつれて、
創成期の日本の姿が明らかになっていくのではと
胸がどこかワクワクする。
想像を廻らすのが関の山ではあるが、
現在の自分の中でのホットな話題である。
そんなことを考えていたら、
夕方までに15キロも歩いてしまった。
なかなか京都が好きになってしまった。