【湖東焼は「ことうやき」と読み、琵琶湖の東に位置する辺りは「湖東」と呼ばれています】
「あきんど 絹屋半兵衛」(幸田 真音〈こうだ まいん〉作)を読んで彦根城に行きたくなりました。
彦根城博物館に保管展示されているという「湖東焼」をこの目で見たいと。
陶磁器に全く興味がないのに、絹屋半兵衛が半生を賭けて作り上げた湖東焼とはどんなものだったのか実物を見たい、そう思わせるものがこの本にはありました。
絹屋半兵衛は江戸時代末期に実在した人物で彦根城下で古着商を営むあきんど。
この極々普通の彦根のあきんどが京で着物の買い付けをするうちに焼き物、特に磁器に惹かれやがて彦根でも磁器が焼けないものかと思うようになる。京で知り合った有田焼の職人を彦根に呼び寄せ窯を作ったものの中々思うような物ができあがらない。窯の場所を替えたり土を替えたりと失敗に失敗を重ねようやく有田焼にひけを取らない磁器ができあがる。さあこれから商売になるという時になって窯は彦根藩に召し上げられる。彦根藩から借りていた借金のカタとして。湖東焼に財産を注ぎ込んだ絹屋には借金を返す余裕などなかった。
湖東焼は14代藩主井伊直亮(なおあき)、15代藩主井伊直弼(なおすけ)にと引き継がれ世に広まりかけたが、直弼が桜田門外の変で殺された後大きな後ろ盾を失なった湖東焼はやがて衰退していった。
以上がざっとした筋書きです。
絹屋半兵衛夫妻が使う柔らかなあきんど言葉と窯焼き職人達との人間模様。
湖東焼に命を賭ける半兵衛とそれを利用しようと欲得に走る藩の役人達。
養子の口もなくさりとて藩主にも付けず悶々と悩み暮らす若き日の直弼と半兵衛の絡みも面白く上・下2巻を一気に読み終えたものでした。
↑湖東焼が展示されている「彦根城博物館」(09-11-06)
1987年(S62)に復元された彦根城の表御殿を博物館としている。
彦根藩主井伊家伝来の道具や書物等が展示されているほか、能舞台や茶室、寝室、庭園等が復元されて見学できるようになっている。
◆以下は彦根城博物館に展示されていた湖東焼4点です◆
画像はそれぞれ3枚組です。
マウスポインタを画像の上に乗せると2枚目が、そのままワンクリックすると3枚目が現れます
1枚目は斜め上から、2枚目は正面、3枚目は説明。
↑青磁砧形花活(せいじきぬたがたはないけ)
↑染付花卉図四重箱(そめつけかきずよんじゅうばこ)
↑赤絵金彩寿字雲龍文鉢(あかえきんさいことぶきじうんりゅうもんはち)
↑金欄手花卉図鉢(きんらんでかきずはち)
4点ともガラスケース越しで、撮影者(私)のヘタさも加わって余り綺麗に撮れませんでした。
彦根城博物館に展示されている湖東焼は以上の4点です。
たったこれだけ・・・・・・が正直な印象でちょっとがっかりでした。
絹屋窯で最初に成功した磁器は、白地に透き通るような青色模様がひきたつ「染付(そめつけ)」の大皿でした。この印象が強くあるので湖東焼の特徴はこの「染付」の青色絵だと思い込んだのですが、半兵衛はその後瀬戸や美濃の職人を呼び寄せて赤絵も焼いています。藩窯となってからは赤絵金彩・金欄手等が多く焼かれこれが贈答用として他藩に流れ湖東焼の代表作となっていったようです。
【↑絹屋窯~の文章中一部訂正追加しました(11/13)】
彦根城近くにある和菓子の名門「たねや」(彦根店)の2階に湖東焼を集めて展示している「美濠(みほり)美術館」にも寄りたかったのですが都合で行けませんでした。次回チャンスがあればここに寄ってみたいと思います。半兵衛の熱い息づかいが感じられることを祈って。
HPはここです→美濠美術館
上記で、彦根博物館の湖東焼がたった4点だったのにがっかりしたと書いていますが、このたった4点に湖東焼の代表作が凝縮されていたことを今改めて気づきました。(青色に特徴がある「染付」の四重箱を見ても何も感じなかったところに、陶磁器に(も)疎い私の鈍感さを露呈してますね)【11/13現在追記】
以下は湖東焼の創始者である「絹屋」の屋敷です。
今も残っていることに嬉しい驚きがありました。
絹屋半兵衛のご子孫が住まわれていらっしゃる屋敷なので外から静かに撮りました。
(上記同様マウスオン+ワンクリックの3枚組です)
↑絹屋
3枚目は、町名が変わったのでわざわざ掲げたものですね。
「彦根史談会」とはまたいいネーミングです。
明治以来途絶えた湖東焼を復活させようというグループもあるようで歴史ある町のエネルギーのようなものを感じました。
次回は彦根城内とゆるキャラで最高に可愛い「ひこにゃん」他、春と晩秋に咲く二期咲桜の紹介ですが、いつになるかはちょっと・・・(ポリポリ)
近々UPしたいと思っています。
あ、余り期待しないでください。たいした写真はありませんので。
相変わらずのまとまりのない長文とヘタな画像をご覧いただいてありがとうございました。
「あきんど 絹屋半兵衛」(幸田 真音〈こうだ まいん〉作)を読んで彦根城に行きたくなりました。
彦根城博物館に保管展示されているという「湖東焼」をこの目で見たいと。
陶磁器に全く興味がないのに、絹屋半兵衛が半生を賭けて作り上げた湖東焼とはどんなものだったのか実物を見たい、そう思わせるものがこの本にはありました。
絹屋半兵衛は江戸時代末期に実在した人物で彦根城下で古着商を営むあきんど。
この極々普通の彦根のあきんどが京で着物の買い付けをするうちに焼き物、特に磁器に惹かれやがて彦根でも磁器が焼けないものかと思うようになる。京で知り合った有田焼の職人を彦根に呼び寄せ窯を作ったものの中々思うような物ができあがらない。窯の場所を替えたり土を替えたりと失敗に失敗を重ねようやく有田焼にひけを取らない磁器ができあがる。さあこれから商売になるという時になって窯は彦根藩に召し上げられる。彦根藩から借りていた借金のカタとして。湖東焼に財産を注ぎ込んだ絹屋には借金を返す余裕などなかった。
湖東焼は14代藩主井伊直亮(なおあき)、15代藩主井伊直弼(なおすけ)にと引き継がれ世に広まりかけたが、直弼が桜田門外の変で殺された後大きな後ろ盾を失なった湖東焼はやがて衰退していった。
以上がざっとした筋書きです。
絹屋半兵衛夫妻が使う柔らかなあきんど言葉と窯焼き職人達との人間模様。
湖東焼に命を賭ける半兵衛とそれを利用しようと欲得に走る藩の役人達。
養子の口もなくさりとて藩主にも付けず悶々と悩み暮らす若き日の直弼と半兵衛の絡みも面白く上・下2巻を一気に読み終えたものでした。
↑湖東焼が展示されている「彦根城博物館」(09-11-06)
1987年(S62)に復元された彦根城の表御殿を博物館としている。
彦根藩主井伊家伝来の道具や書物等が展示されているほか、能舞台や茶室、寝室、庭園等が復元されて見学できるようになっている。
◆以下は彦根城博物館に展示されていた湖東焼4点です◆
画像はそれぞれ3枚組です。
マウスポインタを画像の上に乗せると2枚目が、そのままワンクリックすると3枚目が現れます
1枚目は斜め上から、2枚目は正面、3枚目は説明。
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4点ともガラスケース越しで、撮影者(私)のヘタさも加わって余り綺麗に撮れませんでした。
彦根城博物館に展示されている湖東焼は以上の4点です。
たったこれだけ・・・・・・が正直な印象でちょっとがっかりでした。
絹屋窯で最初に成功した磁器は、白地に透き通るような青色模様がひきたつ「染付(そめつけ)」の大皿でした。この印象が強くあるので湖東焼の特徴はこの「染付」の青色絵だと思い込んだのですが、半兵衛はその後瀬戸や美濃の職人を呼び寄せて赤絵も焼いています。藩窯となってからは赤絵金彩・金欄手等が多く焼かれこれが贈答用として他藩に流れ湖東焼の代表作となっていったようです。
【↑絹屋窯~の文章中一部訂正追加しました(11/13)】
彦根城近くにある和菓子の名門「たねや」(彦根店)の2階に湖東焼を集めて展示している「美濠(みほり)美術館」にも寄りたかったのですが都合で行けませんでした。次回チャンスがあればここに寄ってみたいと思います。半兵衛の熱い息づかいが感じられることを祈って。
HPはここです→美濠美術館
上記で、彦根博物館の湖東焼がたった4点だったのにがっかりしたと書いていますが、このたった4点に湖東焼の代表作が凝縮されていたことを今改めて気づきました。(青色に特徴がある「染付」の四重箱を見ても何も感じなかったところに、陶磁器に(も)疎い私の鈍感さを露呈してますね)【11/13現在追記】
以下は湖東焼の創始者である「絹屋」の屋敷です。
今も残っていることに嬉しい驚きがありました。
絹屋半兵衛のご子孫が住まわれていらっしゃる屋敷なので外から静かに撮りました。
(上記同様マウスオン+ワンクリックの3枚組です)
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3枚目は、町名が変わったのでわざわざ掲げたものですね。
「彦根史談会」とはまたいいネーミングです。
明治以来途絶えた湖東焼を復活させようというグループもあるようで歴史ある町のエネルギーのようなものを感じました。
次回は彦根城内とゆるキャラで最高に可愛い「ひこにゃん」他、春と晩秋に咲く二期咲桜の紹介ですが、いつになるかはちょっと・・・(ポリポリ)
近々UPしたいと思っています。
あ、余り期待しないでください。たいした写真はありませんので。
相変わらずのまとまりのない長文とヘタな画像をご覧いただいてありがとうございました。
まず第一に、湖東焼きそのものを今日のきょうまで知りませんでした。一商人が、一代でこれだけの作品を制作できるまで窯を作り上げたことに驚きました。私も陶磁器が好きなので色々と持っていますが、これほど見事なものはありません。特に、赤絵金彩寿字雲龍文鉢がとても優れた作品だと思います。また、それぞれが透明な糸でしっかりと固定されているのを見て、地元では大切な品なのだと分かります。素晴らしい編集で、内容的にも充実していると思いました。
彦根へ行きたいと思ったのが6月でした。
あれから5ヶ月ようやく彦根へ行けました。
JR大阪駅から1時間20分ほどで彦根に着くので日帰りで充分なのですが、足の悪い娘を伴ったので一泊してきました。
poloさんは陶磁器に興味がおありなんですね。
私は小説を読んだだけのミーハーなのでその良さがさっぱりわかりませんでした。
赤絵金彩の器は確かに4点の中では際だっていました。さすがですね。
私自身は湖東焼の特徴である青磁の美しい器があれば良かったのにと思ってしまいました。
湖東焼はほとんど彦根藩には残っていなかったようです。焼かれた器のほとんどは贈答用として他藩に渡っていったのですね。
お久しぶりですね。
幸田 真音さんの作品にひかれて彦根まで湖東焼きを見にでかけられたとは・・・
あまもりさんらしいですね。
私も芝木好子さんの琵琶湖の漣を織物にした作品を読んで琵琶湖を漣を眺めにでかけたことがありました。
おなじ芝木好子さんの「青磁砧」を読んで焼き物の貫入の音を聞こうと一生懸命になった時があったのを思い出します。
ビーンビーンという音を聞いたときの感動を思えています。生意気にも焼き物は活きていると思いました。
青磁砧形花活には作陶家の憧れと意気込みを感じます。
染付花卉図四重箱の白い焼き物にも有田焼と同じものを感じますね。
素敵なものを見せていただきありがとうございます。
生駒の風さんも小説にひかれて現地まで行った口なんですね。
小説によっては現地に行ってみたい、あるいは現物を見てみたいという思いにかられる本がありますよね。宮部みゆきの江戸もの小説などは江戸時代の古地図を片手に東京の街を歩きたくなります。
歴史上の有名な人物より、名もなき庶民の暮らしぶりを生き生きと描いた小説に今はまっています。
焼き物は生きていると仰る生駒の風さんはほんとに陶磁器がお好きなようですね。
私が何とも感じなかった青磁砧や染付花卉図に対する生駒の風さんのお目の高さといったら・・・。私はやっぱり焼き物の見る目がないなあと感じました。
この2点がまさに絹屋半兵衛と焼き物職人たちが作り上げた湖東焼の代表なのです。赤絵は絹屋の手から離れて藩窯となった後の作品ですから。
この2点を見ながらがっかりして帰ってきた私はまだまだ修行が足りませんね。
ちょっとは陶磁器を見る目を養わなくてはと今反省しています。
京都にいるころ大津はすぐ隣で訪れることも多かったのですが、湖東・彦根は遠くの町でした。
近江商人の進取の精神をほうふつとさせる話ですね。
時代の流れで衰退してしまったのは惜しいことです。
1冊のご本から 是非それをご覧になりたいと思われ彦根まで行かれたとは・・・
湖東という言葉は知っていましたが そこの焼物のお話は初めて知りました。
とても味わい深いものですが よく写真に撮らせてくださいましたね~
派手な模様は苦手なので上の作品に目が行きました~
どれも倒れないように(盗難予防かな?)十字に紐がかけられているのですね。
大事にされていることがよくわかります。
あまもり さんをそこまで動かしたご本すごいですね。
素敵なレポートをありがとうございました。
私の方へもコメントくださってありがとうございます。
お嬢さんの骨折の予後、まだあまりよろしくないのですか?
体重がグッとかかる関節部だけにおつらいですね。
少しずつでもよくなっていかれますよう、お祈りしています。
(すみません、poloさんへのお返事コメントを拝見してつい…)
小説を読まれて、そこまで思いが広がり実際に彦根へ足を運ばれる
ところまで繋がっていったというのがなんとも素適ですね。
あまもりさんが、いかに引き付けられたかがよく分かります。
湖東焼、初めて知りました。といっても焼き物には(も! ^^;)とんと疎い
私ですから、知らないのも当たり前。せっかく半生をかけて生み出した
磁器が藩に召し上げられてしまうとは悔しい。しかも消えてしまったのですものね。
わずか4点しか展示されるものがないとは。由緒あるお宅の蔵の中で、ひっそりと
眠っているものがいくつかありそうですが。「透き通るような青色が特徴」
という湖東焼を、もとたくさん見てみたいものですね。
ご紹介してくださった4点では、私は「染付花卉図四重箱」の素朴さと
すっきりとした風合いに惹かれました(^^)
彦根は大阪からも遠いですが、JRの新快速が長浜まで伸び片道1時間20分ほどで行けるので随分と身近な存在になりました。
彦根行きは私にとって二度目になります。
ン十年前にJR(当時はまだ国鉄でした)が企画したお座敷列車に乗って彦根城の公園で冬に咲く桜を見、今回も開花している桜を見ましたがまだ2、3分咲きといった寂しげな状態でした。
なんだか嬉しい一致です。
陶磁器に関しては全くの門外漢ですが、江戸時代末期と思えない現代にも通じる内容で読む者をグンと惹きつけるものがありました。
全く焼き物に興味もないのに絹屋に会いたいという思いが彦根城に足を運ばせたのかもしれません。
彦根城博物館にはあらかじめ電話で確かめ湖東焼はOKとの許可を得ていました。その他の展示物は撮影禁止でした。
貴重な品物であることは括られたビニール紐の存在で解りましたが、撮影する側としてはないほうが良かったと(笑)
湖東焼の画像の1番目と2番目こそが絹屋窯で焼かれた作品の代表だと思います。赤絵金彩、金欄手の2点は彦根藩の藩窯となってから焼かれたものと思われます。小説にはそのように書かれていましたから。
絹屋窯を代表する2番目の染付花卉を見ても感動しなかったのは、思ったより小さかったのと陶磁器に疎い貧弱な私の頭のせいだと思います。今考えてみると ですね。
気にかけてくれてはってほんまおおきにです。
骨折はとおに治っているんですが、膝関節が悪くなって長い時間歩けないんです。長い階段は特にダメで、今回も彦根城の天守閣までは登れませんでした。(彦根城は山城で、天守閣はお山のてっぺん。どの方向からも長い階段を登らなくては行けないんです)
私も焼き物にはとんと縁がなく興味もないんです。でも「あきんど 絹屋半兵衛」には湖東焼という磁器を通じて現代にも通じる人間模様が描かれいます。これが彦根城にまで足を運ばせた理由かもしれません。
ポージィさんが選ばれた「染付花卉図四重箱」こそ絹屋窯で焼かれた湖東焼の代表作だと思います。
ん?それにしては染付花卉図の地肌は白いですよね。
すんません、「透き通るような青色が特徴」というのは私の勘違いかもしれません。
小説を読んで疎い頭の中で想像したのは焼き上がった磁器の地肌が透き通った青だと思ったのですが、染付花卉図を見ても和菓子のたねやさんにあるという展示物を見ても地肌は白かった。
↓このサイトに
http://yakimono.jpn.org/index.php?%5B%5B%B8%D0%C5%EC%BE%C6%A1%CA%A4%B3%A4%C8%A4%A6%A4%E4%A4%AD%A1%CB%5D%5D
「徹底的に優品を目指したので、白く焼き締まった磁器を中心に、金欄手、赤絵金彩、色絵、染付、青磁などの細やかで美しい逸品が数多く作られた。」
とあり、
その中でも初期の作品である「染付」は
「素焼きしたあと、白い素地の上に呉須(ごす)(青色の絵の具)で図柄を描き、上ぐすりをかけて高温で焼き付ける。すると、白地にコバルトブルーの鮮やかな絵柄になる。」
だそうで、この表現を地肌の色と私が勘違いしたのかもしれない。自宅に帰ってもう一度その部分を確認してみます。
青磁は陶器の中でも一番美しいですね。
金箔などが使われているのは有田焼にも多いですね。
彦根襄は国宝でもあり、一度は行きたいお城です。
その際美濠美術館にも足を延ばしてみたいと思います。
花ぐるまの甥には陶芸家が一人いるのですが、
花ぐるまもあまり今まで陶芸のことを知りませんでした。
これからはもう少し興味を持って見てみたいと思います。
町名の看板、昔の町名と現在の町名の2つを
書いてあるのは面白く、また良いことだと思います。
最近どこへ行っても町名が変わったり市の名前も新しくなったりしていて混乱状態です。
あまもりさんのひこにゃんを待っていま~す!!(思いっきりプレッシャー)
元気そうで安心しました。
私のと違って相変わらず内容の濃いブログで感心しております。
私も焼き物にはあまり興味がありませんが「あきんど絹屋半兵衛」は読んでみたいなと思いました。
幸田真音さんの作品は彼女の得意分野である金融関係の本を何冊か読みましたが、こんな伝記みたいな本まで書いているとは全く思いませんでした。
この一冊はいつか読む本のリストに加えておきますね。
今は秋の観光シーズンですからあちこち出かけましょう!!
いいものを見せていただきました。その本も読みたいなぁという気がしてきましたね。
久しぶりの休暇でしたか?
心の休養も必要ですから、それもいいことでした。
朝焼けの空を見ながら忙しいんだろうなぁと思っていたのですよ。
絹屋半兵衛が彦根で最初の窯を造った時の助言者であり、その窯焼き職人の棟梁だったのが有田焼の職人だったのです。ですから有田焼と同じ手法で造られたようです。その後瀬戸焼や美濃焼の職人も加わり多彩な湖東焼になっていったようです。
国宝に指定されているお城は、この彦根城と松本城、犬山城、姫路城の4つですよね。
その内ほとんど築城当時のまま残っているのが彦根城らしいですね。
甥御さんに陶芸家の方がいらっしゃるならこの湖東焼の名をご存知でしょうか。
幕末から明治初期までの5~60年ほどの歴史しかないそうです。
歴史に翻弄された幻の焼き物と言えるかもしれませんね。
絹屋の屋敷に貼り付けられている新旧の町名は、小説の中で絹屋の場所が「外船(そとふな)町」と書かれているからだと思います。他の場所ではこんな新旧の町名プレートはなかったように思います。私のように本を読んで尋ねていく人のためかな?とちょっと思いました。
ひこにゃんはなんであんなに可愛いんでしょ。
ただ、私が撮った写真のひこにゃんが可愛く写っているかどうかは保証外ですけど(笑)
文章を短くしようと思ったのに、なんせ久し振りのブログ記事なのでダラダラとなってしもてあきませんでした(ポリポリ)。
そうそう幸田真音さんは金融関係に詳しいお人なんやね。小説もそっち方面が主流とか。
私は酔歩若とは逆にこの「あきんど絹屋半兵衛」から入ったので、次はその本流の方を買うてみよかと思ってます。
そうそう観光シーズンの秋は短いのでまたどこかへ出かけたいと思ってますけど、思うようにいかへんし・・・(悲)
若の秋の観光シリーズを待ってま~す。
博物館なので基本的には撮影禁止だったのですが、湖東焼のみならOKと許可をいただきました。薄暗い館内なので光が足らず、かといってフラッシュは焚けないし。(ガラスに反射するのでフラッシュ無しは正解なんですが)
日曜日はちゃんと休んでいるですが、遠出したのは久し振りでした。
彦根まで行っておきながら琵琶湖は一度も見えずでした。
次は琵琶湖周遊の遊覧船にでも乗りたいですね。