狛犬がネズミだという神社のことを知り、早速そこへ行ってきました。
難波から少し南に下った浪速区の国道25号線沿いにある大国(だいこく)神社です。
正確には「大国主神社(おおくにぬし じんじゃ)」。
(「日出大国社」が正式名称だと書いているサイトもありましたが、鳥居に書かれている神社名は「大国主神社」でしたのでこれを採用しました)
祭神は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」。大国(だいこく)さんです。
この神社から少し南に「大国町(だいこくちょう)」がありますが、この名前の元になった神社です。通称は「木津の大国さん」。あるいは単に「大国さん」。
でも上の画像には二つの鳥居が登場しますね。
それにトップの文字は「敷津松之宮・大国主神社」。
どういうこっちゃ、ですよね。
この神社には二つの祭神があって、それぞれに鳥居があり社殿があります。
一つの境内に二つの神社が存在しているということです。
それぞれの参道はクロスしています。
読んだだけでは解りづらいと思いますので簡単に見取り図を書いてみました。
↑(緑の破線がそれぞれの参道です)
社務所は一つだったので、管理は一元化されているのだと思います。
◆最初に造られたのは「敷津松之宮(しきつ まつのみや)」。
祭神は須佐之男尊(素戔嗚尊)(すさのおのみこと)。
神功皇后が敷津浦を船で通りかかった時に、松を3本植えて、須佐之男尊を祀り航海の安全を祈願したので松之宮と付いた、との言い伝えがあるようです。(神社が建てられた当時、ここはまだ海岸線でした)
◆大国主神社は、江戸時代中期に後で造られたようです。
満面笑顔の大きな大国さんが祭神です。
(写真に撮ろうかもと思ったのですが、失礼にあたると断念しました)
この須佐之男尊と大国主命。二つの祭神には深い繋がりがありました。
そして白ねずみとも深い関わりが・・・。
撮影目的の狛ねずみの話。
…(コマネズミと言えば高麗鼠、あるいは独楽鼠。「コマネズミのように働く」との譬えもあるハツカネズミに似た白いネズミを指すようですね。繋がり?知りません。私が勝手に狛ねずみと書いているだけですので)…
真っ白のねずみで、狛犬と同じように阿吽像でした。
社殿に向かって右に位置する阿形の狛ねずみは、米俵をかかえています。
一方左に位置する吽形の狛ねずみは打ち出の小槌を持っています。
大国さんと言えば、イラスト看板にもあるように、この米俵と打ち出の小槌を持っていますね。二体の狛ねずみは、それぞれに大国さんの持ち物を大事に持っていました。
しかし・・・米俵にねずみはないやろと。食べられてしまうがな普通。
首を傾げつつ、社務所の方にその理由を尋ねました。
大国さんとねずみの繋がりは古事記にあったのです。
大国主が、因幡で白兎を助けた後のお話。
大国主は、須佐之男の娘、須勢理姫(すせりひめ)との結婚条件に3つの試練を須佐之男から課された。
一つ目は、蛇の室(むろや)で一晩過ごすこと。
二つ目は、ムカデと蜂の室で過ごすこと。
三つ目は、射ると音の出る鳴鏑(なりかぶら)の矢を取ってくること。
二つは、須勢理姫からヒントを得て無事にクリア。
最後の三つ目の課題の矢が一番楽勝のようですが・・・。
須佐之男は草原に矢を射る。大国主がその矢を取りに行ったのを確かめてから、大国主を囲むように草原に火をつけた。
逃げ場を失い、火の海でなすすべもなく立ちつくしていた時、白ねずみが出てきて、地面下のねずみの穴を教えた。そこへ逃げ込んで命拾いをした大国主。白ねずみは探していた鳴鏑(なりかぶら)の矢も持ってきてくれた。
火が収まるのを待って、穴から出た大国主は、矢を携えて須佐之男に渡し、めでたく須勢理姫と結婚した。
以降、大国主は命を助けてくれた白ねずみを配下に加え、出雲の国を治めた。
(社務所の方のお話と小林晴明・宮崎みどり共著「古事記のものがたり」を参考にしました)
これが大国神社の狛ねずみの由来です。
大国さんを護るのは、狛犬ではなく、ねずみということが解ってすっきりしました。
古事記に登場する須佐之男尊と大国主命が仲良く並んで一つの境内に収まっているユニークな神社。
たまには古事記の神話の世界で遊ぶのもなかなか面白いものです。
次に木津勘助像と折口信夫の歌碑について知ったこと。
大国神社の鳥居をくぐってすぐ右(北)に大きな銅像が立っています。
木津勘助像です。
木津勘助は豊臣秀吉に仕え治水工事や新田開発に従事し、江戸期に入ってからもその腕が買われ活躍した。
しかし、寛永16年(1639年)近畿一円が、ひどい冷害で大飢饉になった折、大阪城の備蓄米を放出するよう嘆願するも、聞き入られず、私財を投げ打って村人たちを助けたが限度があり、ついに米の「お蔵破り」を決行した。その罪で流罪になる。
村人たちは、木津勘助の恩を忘れず、後代へ語り継いだという。
(浪速区役所サイト参照)
折口信夫の歌碑。
この大国神社から近い「鴎(かもめ)町公園」辺りで生まれ育った、民族学者でもあり歌人でもあった折口信夫の「幼き春」の反歌が刻まれています。
(反歌(はんか)=「返し歌」のことで、贈られた和歌に答える返事の和歌)
歌碑の文字は薄れてしまって読めなかった。
内容は、両親の愛情に恵まれなかった信夫の悲しい歌というこです。
なお、鴎町公園内には折口信夫の生誕の碑があります。
大国神社の近くには、大阪でお馴染みの「今宮のえべっさん」があります。
十日戎で有名な今宮戎神社です。
ここのえべっさんと大国さんは七福神の二神ですね。
大阪に七福神巡りってあるのかな?淡路島の七福神巡りは知ってますが。
下手な長文を読んでくださった方に感謝します。
ありがとうございます。そしてお疲れ様でした。