先日の大型台風接近のニュースを見ながら 子供の頃のことを
思い出して クローゼットの奥をゴソゴソ。
懐かしいアルバムを引っ張り出して眺めていました。
4、5歳(たぶん5歳)のとき、両親と共に夏の宮崎を旅行しました。
宮崎県、幼い私の記憶では何度か訪れた記憶が ゴッチャになって
同じ旅行のときの思い出として記憶されていたりして 写真を見て
「アレ❓ この時だったっけ❓」と記憶の中の思い出と
写真に記載された年月日を 照らし合わせたりします。
TOPの写真は夏の宮崎、、、ではなかったような❓❓❓
だけど 確かに夏の宮崎には訪れていて しかも その滞在中に
台風が来て ホテルの部屋から 暮れ行く外の様子を見ると
ホテルの部屋から見える景色の中のソテツの木が それはそれは
凄い勢いでビョォォォォーーーッと連獅子の如く風の中で揺れていて
それは普段、紀伊半島という台風通過や上陸の多い地域に
暮らしていた私でも「うおぉぉぉぉ〜っ‼️」と思う様子で
宮崎での印象深い思い出。
大人になってから 宮崎を訪れたことはないけれど ふっと
思い出を辿ってみたら 実に印象深いことが多く 最近、
そろそろ自分の人生を振り返るお年頃になってきたのか
そういう懐かしい場所を訪れてみたくなります。
最初の写真は宮崎の「はにわ園」。
私がはにわ好きになったキッカケの場所。
父が若〜い(笑)私が5歳だとすれば父=40歳
ふむふむ。40歳。今時の40歳より老けてますな。
でも。最近の40歳は見かけが若いのは この頃の40歳より
精神年齢が低くて幼稚なのだろうなぁ、、、と思っています。
日本人。昔の人の方が精神的に自立した大人になるのが今よりも
遥かに早く シッカリしていたように思います。
文字だって男女ともに美しかったし どうしてでしょうねぇ❓
はにわ園での写真を見た後、他の懐かしい写真を見ていて
私の初めての『三毛猫』の思い出を・・・
これは はにわ園での写真より 少し前。4歳かなぁ・・・
この頃、私はタップダンスが習いたくて 親にお願いしていた頃(笑)
でも「ダンスするなら その前に音感を伸ばさなきゃね」と
ピアノを習いに行くよう言われて 「え”ーーーーー😐」と後ろ向きな
気分でした・・・・💧
この写真は父母兄の母校の 母のご学友(と思う)が我が家へ
遊びにいらした時のもの。
家族用の玄関を入った所、台所とリビング(食堂)の前での記念写真。
私の記憶に残る最初の三毛猫【ニャロメ】(←歳がバレる)と
一緒に写った写真。
ニャロメは 我が家とお隣の境界に立っている高いブロック塀の下の
茂みの中に住処があって そこで子猫を産んで育てていたノラの
肝っ玉お母さん猫。
でもご飯は 必ず我が家で食べていて母にも私にもよく懐いて
私が「ニャロメ〜❗️遊ぼう〜‼️」と呼ぶと 茂みの中から
シュトッ‼️とカッコよく塀の上に飛び移り 塀から石の置物や
鹿威しの上をシュタッ‼️と足音なく飛び移って 私の足元へ
やって来てくれる子でした。
あんまり詳しい柄は覚えていないけれど 前足は白ソックス履き。
顔もマズルの辺りが白くて ナカナカの美人さんでした。
子供の頃はショートヘア、眼鏡っ娘だった私。
ン十年経過して 今年、眼鏡っ娘が そろそろ復活。
髪はロングになりました
なんて可愛い写真・・・
お父様も、とってもダンディ!
このニャロメ、いつの間にか住処を変えた
らしく、その後 私が次々に野良猫を拾ってきては里子に出す、、と言う方式に。
ニャロメは私にとっては三毛猫としてと言うより「猫」という生き物が身近で とても可愛い生き物だと教えてくれた存在です。
父は昔「鶴田浩二似」と言われていたらしいです。