
京都
落柿舎は元禄の俳人向井去来の遺跡
です。
去来は蕉門十哲の一人に数えられ、師
芭蕉の俳論を今日に伝えた人物として
知られています。
「おくのほそ道」を京都寺町の井筒屋
から刊行したのも去来です。

芭蕉は1689年(元禄2年)以来三度
来庵し、「嵯峨日記」を誌しています。
現在の落柿舎は、1770年に再建した
ものです。

敷地内には多数の句碑・歌碑がありま
す。去来・芭蕉・虚子・昭憲皇太后等
です。
落柿舎の北、去来墓への道の傍にある
西行井戸は、西行法師の出家当時の
草庵の址との伝承があります。

(二尊院総門)
二尊院は「百人一首」で名高い小倉山の
麓にあります。
平安時代初期、嵯峨天皇の勅願により、
慈覚大師が開山したと伝えられていま
す。
その後荒廃しますが、鎌倉時代初期に
法然の高弟らにより、再興されました。
本尊は釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を
祀っており、二尊院の名の由来です。
古来より四宗兼学(天台・真言・律・
浄土)の道場として栄え、明治以降天台
宗に属しています。

総門を入り、紅葉の馬場を歩くと西行庵
跡の碑がありました。
二尊院門前近くにも庵を結んだとされて
います。
「我がものと 秋の梢を思うかな
小倉の里に家居せしよ里」

高浜虚子の句碑です。
「散紅葉 ここも掃きゐる 二尊院」

(本堂)
本堂は京都御所の紫宸殿を模して
います。
本堂裏の小高い山が小倉山で、百人一首
に「小倉山 峯のもみじ葉 心あらば
今一度の 御幸またなん」(藤原忠平)
と詠まれています。
小倉山の山中には藤原定家が百人一首を
選定した「時雨亭」があったとされてい
ます。

境内には有名人のお墓がいろいろありま
す。

(法然上人廟)
1227年の嘉禄(かろく)の法難の際
に、大谷の法然の墓地が破壊されると、
法然上人の遺骸を二尊院まで移送しまし
た。
(嘉禄の法難は伝統仏教と政治権力から
の弾圧です。)
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