
京都
河原町から四条大橋を渡り、四条通の
東のつき当たりが、八坂神社です。
7月の祇園祭で知られる、古くからある
神社ですが、創建については諸説ありま
す。
一説には876年、南都の僧円如が建立
。堂に薬師千手等の像を奉安、天神(祇
園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したこ
とに始まるそうです。

当初は興福寺や延暦寺の支配を受ける神
仏習合の寺とみなされていました。
藤原氏の崇敬あつく、天皇・上皇の行幸
もたびたびありました。
又、平清盛、源頼朝、足利将軍家など
武家の崇敬もあつく、その地位を高め
ました。
1384年、足利義満は祇園社を比叡山
から独立させ、以後祇園祭は京の町衆に
より行われるようになりました。

境内東側には円山公園が広がっています
。
公園南側には大谷祖廟があります。

大谷祖廟は、東本願寺の飛地境内で、
親鸞の墓所です。
起源は親鸞聖人入滅後10年の1272
年、墳墓を改め、廟堂を建てて聖人の御
影像を安置したことによります。

(表唐門)
本願寺の東西分派後の1670年、現在
地に祖廟として造営されました。
東山区には別に、五条通と東大路通が交
差するあたりに建っている大谷本廟があ
ります。こちらは西本願寺の親鸞の廟所
で、西大谷とも呼ばれています。

(太鼓堂)
親鸞(1173-1262年)は、法然
を師と仰いで、独自の寺院を持つことは
せず、各地に簡素な念仏道場を設けて教
化する形をとりました。
1201年、29才の時に東山吉水(東
山区円山町)の法然の草庵を訪ね(法然
は69才)、入門を決意します。
1207年の建永の法難では、越後国国
府(新潟県上越市)に配流となります。
流罪により生涯にわたり、非僧非俗の立
場を貫きました。
1262年、行年90(満89才)で入
滅すると、遺骨は鳥部野北辺の「大谷」
に納められました。

(本堂)
本堂には、本尊である阿弥陀如来立像が
安置されています。

(北門)
北門から出ると、長楽寺に通じる参道
です。
(次回は長楽寺を訪ねます。)
西本願寺以外の大谷の祖廟はいったことがないので、興味深く拝見。
親鸞一人の信仰が、京都本願寺だけでなく、津々浦々何百万人の信仰に生きていることを思うと、親鸞の『歎異抄』と蓮如の布教の歴史的な重味を感じます。