matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

晩秋の京都その3-八坂神社~大谷祖廟

2017-12-16 11:16:57 | 京都散歩




 京都

 河原町から四条大橋を渡り、四条通の
東のつき当たりが、八坂神社です。

7月の祇園祭で知られる、古くからある
神社ですが、創建については諸説ありま
す。

一説には876年、南都の僧円如が建立
。堂に薬師千手等の像を奉安、天神(祇
園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したこ
とに始まるそうです。



当初は興福寺や延暦寺の支配を受ける神
仏習合の寺とみなされていました。

藤原氏の崇敬あつく、天皇・上皇の行幸
もたびたびありました。
又、平清盛、源頼朝、足利将軍家など
武家の崇敬もあつく、その地位を高め
ました。

1384年、足利義満は祇園社を比叡山
から独立させ、以後祇園祭は京の町衆に
より行われるようになりました。



境内東側には円山公園が広がっています

公園南側には大谷祖廟があります。



大谷祖廟は、東本願寺の飛地境内で、
親鸞の墓所です。

起源は親鸞聖人入滅後10年の1272
年、墳墓を改め、廟堂を建てて聖人の御
影像を安置したことによります。


  (表唐門)

本願寺の東西分派後の1670年、現在
地に祖廟として造営されました。

東山区には別に、五条通と東大路通が交
差するあたりに建っている大谷本廟があ
ります。こちらは西本願寺の親鸞の廟所
で、西大谷とも呼ばれています。


  (太鼓堂)

親鸞(1173-1262年)は、法然
を師と仰いで、独自の寺院を持つことは
せず、各地に簡素な念仏道場を設けて教
化する形をとりました。

1201年、29才の時に東山吉水(東
山区円山町)の法然の草庵を訪ね(法然
は69才)、入門を決意します。

1207年の建永の法難では、越後国国
府(新潟県上越市)に配流となります。

流罪により生涯にわたり、非僧非俗の立
場を貫きました。

1262年、行年90(満89才)で入
滅すると、遺骨は鳥部野北辺の「大谷」
に納められました。


  (本堂)

本堂には、本尊である阿弥陀如来立像が
安置されています。


  (北門)

北門から出ると、長楽寺に通じる参道
です。

 (次回は長楽寺を訪ねます。)


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-12-27 16:41:50
昨年7月に、祇園祭の宵山の山鉾を、じっくり見ることができて、八坂の縁の町衆の心意気を感じました。

西本願寺以外の大谷の祖廟はいったことがないので、興味深く拝見。
親鸞一人の信仰が、京都本願寺だけでなく、津々浦々何百万人の信仰に生きていることを思うと、親鸞の『歎異抄』と蓮如の布教の歴史的な重味を感じます。
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