タネの縁側  

偏見に満ちております。どなたの参考にもなりません、各自でお確かめいただきますよう御願いいたします。

芥川ブランド

2012-07-06 | 
いろんな注目のされかたがあるけど、ケナした相手に子どものように言い返したことで注目され、結果ヒットしちゃった。
石原慎太郎の回りくどい応援ってことはないな、絶対。
 ┓(´_`)┏~…


選者、石原慎太郎の辛口評価にたいし「もらってやる」発言で注目されてしまった田中慎弥

芥川賞は映画のアカデミー賞に似ていて、
めっちゃおもしろいワケじゃないけど、時代性や切り口に斬新さがあったり、話題性があったり、全体的には平均点は超えてる、みたいな作品が多くなったような気がする。
違うか (・ω・`)



小説家は子ども時代のことを鮮やかに描くことのできる人だと思う。
「第三紀層の魚」
いつから祝祭日に国旗を掲げなくなったんだろう。



「共喰い」

なんだかやたら性欲の強い男と、性を子どもにまでアカラサマに語る女、
ちょっとだけ、不思議な町の御伽噺みたいにも感じてしまった。



娘は幼いころから母親に「男の性欲の恐ろしさ」を遠まわしに教えられる(うちだけ?)。
それは大変恐ろしいもので、夜道での災難など、夜道に歩いた自分が悪いのだとさえ思わせるほどの教育だった。男の性欲は猛獣が生きていくために必要不可欠なのだから、夜道の女が獲物となることは「起こり得る」ことであるらしい。
法治国家だから、その男は逮捕され罰を受けるが、女性が受けた被害は殺人と同様であるのに、刑罰が軽いのには「本能ゆえ」が盛り込まれているとしか思えない。

少なくとも、二人以上の犯行に関しては終身刑以上の重刑にすべきだと思っている。


思春期を過ぎたころから、どうも母親の言うのは「大げさ」過ぎるのではないか。

中学生でさえ男女のグループで遊園地にでかけ、夜中の駅前には少女がたむろしていたり、しかし、時に新聞には大変痛ましい若い女性の被害が載っており、
つい最近では道を尋ねるふりをして・・・という事件を聞くと、
やはり親の言うのは正しいのではないかと、再認識するが、
回りの友人など自分ほど男に警戒している様子もなく、幸い、身近な誰の身にも何も起きてない。

そんなこんなで異性関係のことに大変晩生で、一応のプロセスは通過できたものの、
今も「母親の教え」が幅を利かしており、最近の訪問販売も同様、見知らぬ男など全部「野獣」であるという警戒心は強くなるばかり。


で、話は戻る。
主人公の父親の暴力には多少の分別がある、しかし激昂したときには竜巻がドロシーをオズに連れて行くがごとく・・・・

それを何もできずにいた少年
竜巻であるがゆえに、暴力であるのに劣情より、もっと野性に近い、発情だから仕方がないことを少年と一緒に見せ付けられた感じだ。
だからこの父親と生活をともにできる女もいて、その男の子どもだって産む。
野生の本能を理解してやれる女はいる。
でなけりゃ、とっくに歴史は終わっていたっていいのだから。



比較するのは間違っているだろうけど、中上健次を思い出した。この男は野獣としては中程度かと、苦役列車より胸につかえることなく読めた。
そこんとこが「くれてやる」であるのかもしれない。

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