宮使えの引越はいつも赤、引越専門業者のない昔は大仕事だった。大阪から札幌へ転勤。内示から引越まで一週間。引越ってどうやってする?。まず業者選び。当時は運送会社に持ち込み個別の荷物として送るのが一般的だった。運送会社までは別の運送会社に依頼するトンデモない時代だった。日通は個人の引越なんか相手にしない。電話帳で運送会社(結構大きな会社だった。1部上場企業だったかも)に電話すると15万円だという。独身でほとんど荷物はない。荷物をまとめると7個になった。運送費は7万円しか出ないと泣きを入れると7万円でいいという。簡単に半分になる値決めがいい加減なものだがほっとして依頼した。業者は5トン車でやってきて大きな荷台に7個積んで行った。一個1万円だ。1個はバケツや箒の段ボールだ。この運賃も1万円。荷物の金額では布団が10万円(昔は布団が高かった、質草にできたくらいだ)、冷蔵庫は5万円、TVが5万円、背広は30万円(背広も高かった)分だから荷物捨てて現地で買うという選択肢はない。とにかく業者が見つかって良かった良かった引っ越せるという思いである。後日談として、同期は札幌から東京へ、引越金額を聞くと1万円しなかったという。彼は荷物は少ないと思うが何たる差だ。彼は引っ越し費用でかなり儲かったことになる。
次の引越ではヤマト運輸のコンテナ便(国鉄貨物コンテナ)を使った。その後ヤマト運輸の楽々パックというのも使った。このときは支給された運送費の2倍支払った。月給相当の赤だった。ということで引越で儲かったことはない。
引越12回プラスαのαは単身赴任解消で別居家族を呼び寄せた引越。これは1円の手当もなく全額自腹だ。引越では家族に叱られ子供には文句を言われる。まことに引越貧乏だ。
次の引越ではヤマト運輸のコンテナ便(国鉄貨物コンテナ)を使った。その後ヤマト運輸の楽々パックというのも使った。このときは支給された運送費の2倍支払った。月給相当の赤だった。ということで引越で儲かったことはない。
引越12回プラスαのαは単身赴任解消で別居家族を呼び寄せた引越。これは1円の手当もなく全額自腹だ。引越では家族に叱られ子供には文句を言われる。まことに引越貧乏だ。
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