歴史を語る上でやってはいけない事があります。
それは「現在の価値観で過去を批評する」ことです。
例えば今から50年くらい経って飲酒が禁止になったとします。
んで会社の先輩と後輩が一緒に飲みに行って、50年後に先輩が後輩から「私は50年前に先輩から飲酒を強要された」と訴えられる。
普通なら「はぁ?なに言ってんのこのアフォ」とか思うとこですが、
現在に普通にあるのことです。
会社の先輩と後輩の間に無理矢理酒を飲ましたか、
後輩が勝手に酒を飲んだかは本人等にしか分からない事なので批評のしようがないんですが、
禁酒推進団体(仮)が後輩の弁護について世論が動いて先輩が有罪になるって事もあり得るんですよ。
でまぁ、なにが大切かっていうと知識と世論に流されない強い心なんですけどなかなか難しいですよね。
ましてや情報が氾濫した現在社会において正義感ってのは一番やっかいだったり…
まぁ一番気持ちが悪いのはネット上で正義感振り回す人達なんですけどねw
それは「現在の価値観で過去を批評する」ことです。
例えば今から50年くらい経って飲酒が禁止になったとします。
んで会社の先輩と後輩が一緒に飲みに行って、50年後に先輩が後輩から「私は50年前に先輩から飲酒を強要された」と訴えられる。
普通なら「はぁ?なに言ってんのこのアフォ」とか思うとこですが、
現在に普通にあるのことです。
会社の先輩と後輩の間に無理矢理酒を飲ましたか、
後輩が勝手に酒を飲んだかは本人等にしか分からない事なので批評のしようがないんですが、
禁酒推進団体(仮)が後輩の弁護について世論が動いて先輩が有罪になるって事もあり得るんですよ。
でまぁ、なにが大切かっていうと知識と世論に流されない強い心なんですけどなかなか難しいですよね。
ましてや情報が氾濫した現在社会において正義感ってのは一番やっかいだったり…
まぁ一番気持ちが悪いのはネット上で正義感振り回す人達なんですけどねw