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20mn年04月04日 / (Web編集部)
ところが、スティーブンスらしいというかなんというか、事態が突然悪化します。水素を入れるエアバッグの下側に裂け目ができ、徐々に広がっていきました。 「成層圏探査(Exploring the Stratosphere)」と題し、『ナショナル ジオグラフィック』1934年10月号にスティーブンスが詳しいレポートを書いているので、ちょっと引用してみましょう。
「気球に乗って成層圏へ――高度10マイルへの2度の飛行は新しい空の旅行のはじめの一歩(Ballooning in the Stratosphere ―― Two Balloon Ascents to Ten-Mile Altitudes Presage New Mode of Aerial Travel)」と題し、ピカールは『ナショナル ジオグラフィック』1933年3月号に寄稿しました。
ウィリアムズはその模様を1932年3月号の「史上初、世界の屋根を車で越えてみた(First Over the Roof of the World by Motor)」(全44ページ)でレポートしました。山脈を越えたのが夏にもかかわらず、掲載が春まで遅れたのは中国国内の混乱で無線が使えなかったせいです。原稿と写真も陸路はるばる送られてきたのでした。
1922年12月16日、10人の探検家を乗せてトゥグルトを出発した5台のハーフトラックは翌23年の1月7日に無事トンブクトゥに到着。北アフリカから西アフリカを短時間で移動できるとともに、探検に自動車が使えることをはっきりと世界に知らしめました。 その模様は『ナショナル ジオグラフィック』1924年1月号の「自動車でサハラ砂漠を征服(The Conquest of the Sahara by the Automobile)」と題して紹介しています。
ひとつは1923年5月号に書いた「ツタンカーメンの墓で(At the Tomb of Tutankhamen)」。 ツタンカーメンといえば、黄金の仮面や発掘関係者が次々に変死をとげる“ファラオの呪い”で日本でも超有名ですが、広く知られるようになった理由は、珍しいことにほとんど盗掘されておらず、お墓がほぼ完全な形で残されていたことでした。