【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

挑戦者達の苦闘=s Ⅱ-5=

2013-02-08 23:40:01 | 冒険記譜・挑戦者達

非常の山“K2”≪遠征記録≫

【At the end of the K2 Glacier, the team hikes through a corridor of ice towers. Ahead of them, K2 rises like a massive pyramid in the clouds】.

 =Dispatch #5—July 16, 2011


  最後の手紙を受け取って、はや一週間がすぎた。 日々 やるべき作業は全員が協力してこなしていた。 登山計画の消化は順調だった。

  三日間の休息後、私たちはデポ・キャンプ(ABC)から前進・キャンプ(CI)に登ったのは7月12日。 安全確保用登山器具、アイス・スクリュー、雪かきスコップ等をキスリングに詰め込み登っていった。

 

 私たちは北柱稜ルートに安全ロープを固定しながら登攀した。 キャンプ(CI)は膝まで没する雪に埋没していた。 しかし、太陽光線に晒された雪は安定している。 直ちに テントを掘りだし、我々の料理人・アブドールが作った強壮剤のニンニクとポテトの油揚げで食事をとった。

 

 食事を終えた我々は、当初の計画には拘らずに明日からの攻撃タクテックス(登攀方法)について時間を掛けて話し合った。

 

 私たちは 時には深くて邪悪な雪面に前進を阻まれながら、登行した。 高度が増すにつれ苦して、息も上がる。 進行は全くのろく、時間のみが停止していた。 しかし、一歩一歩を強制的に足を出す。

 雪稜には雪崩の危険がある。 雪庇を踏み抜く死の落とし穴がある。

 

 マックス、ワシリー、ダレクとトミーはキャンプ(CⅠ)に引き返した。 ゲェリンデ(Gerlinde)とラルフ(Ralf)は稜線で雪面が安定した小さな平地を掘り起し、テントを設営した。

 

 このテント・サイトは5,950m(19,520フート)の海抜高度で 信じられぬほどの、素晴らし素晴らしい場所であった。 だがしかし、おびただしい雪崩が近辺で起き、音もなく谷底に落ちて行く。 

 

 怯える心配は無かったが 翌日の早朝 雪質が安定している間に登攀を開始した。 より上部へと登り続ける。 振り返れば、テント・サイトの近くに雪崩れた形跡が見える。

 

【Gerlinde shovels a platform in the snow for a bivouac to spend the night on the snow ridge.】

 

 午前6時、 私たちは雪稜の稜線上に登り、稜線に従い登攀を続けた。 朝の陽光が空に広がる。

 朝の太陽はとても強力く輝き、放射する。 私たち二人は この信じられないほどの野生の自然の中にいることの特権を感謝し、幸福感に寒さと疲れを忘れた。

 

 挑戦的な岩稜の通路を登り、短い休憩を持った。  この場所からは下部のメンバーが見える。 彼らはキャンプ地に到着していた。

 

 今日中に 私たち(GerlindeとRalf)は 更に上部のキャンプ(C II) を構築する計画のスポットに到達したいと考えていた。 一メーター・一メーター、一歩一歩と進んだ。   時間は飛ぶように過ぎて行く。

 

 マックス とワシリーが私たちの足跡を追い、後方から登ってくる。  危険な個所に安全対策のロープを固定しながら。  正直に話せば、 我々のトレース・ルートは 予測に反して、その全体のコースが非常に急であり、登攀不可能な個所が多かった。

 

 私たちは 何回も上下左右に移動し、迂回する必要があった。  迂回のトラバースは危険極まりない。  私たちはそれを固定ロープで可能な限り安全にしたかった。  我々 としては、先鋭的な また 挑戦的なことは一切期待してはいません。 安全登山がアルピニズムの哲学ではないですか。

  

【Looking down upon the 150-meter-long (490-foot-long) traverse

into the northwest slope as Ralf ascends the fixed ropes.】

 

 ヴァシリー(Vassily)、彼は非凡な気力・士気力で知られている。 部分的に岩が露呈する危険な氷壁=150m(490フィート)の高さの氷壁、粒状の雪の層で覆われて不安定な雪壁を先頭切って攻撃した。 難所にルートを開いて行く。

 

 ゲェリンデがヴァシリーの登攀をビレー(転落防止のロープ補助)する。 その間、ラルフが安全・確実なポイントにボルトやアイス・スクリュを打ち込んで行く。 アバァコフ(Abalakov)が細引きをそれに結び付け、安全な足場を作る。 互いにビレーし合っての危険なルート工作に全神経を傾ける。

 

 非常にトリッキーな垂直に近い岩稜を時間を忘れ、ただ 意志と集中力だけで前進する。 夜中(20;30)に安全地帯に登り切った。 我々は6,600メートル(21,650フィート)の地点に小さなテントを設定した。

 

 ワシリー(Vassiliy) はロープで懸垂下降を繰り返して、 6,250メーター(20,500フィート)まで下降した。 その場所にはマックス( Maxut)が一夜を過ごす準備を終えて待っていた。

 ラルフとゲェリンデはキャンプ II に選択したやや平坦な岩棚=岩稜上の巨大な石柱の基部で一夜を明かす最初のメンバーになった。 

 ダレクとトミーは我々が前の晩を過ごした雪嶺上のキャンプ・サイトで夜を過ごし、上部で寝ているメンバーに翌朝早くから資材・食糧の追加供給をもたらす担当であった。

 それは完璧なチームワークが発揮された勝利の日だった。


【Camp I with the 200-meter (650-foot) couloir towards the snow ridge.】


  私たちは携帯無線で相互にれんらくを取り合った。 ワシリーはマックスが彼を待っている場所を探りながら到達できた。 ダレクとトミーも上機嫌で無事CⅡに到着していた。

 

 午後14;30 ゲェリンデとラルフは上部への登攀開始。 喉が渇き、飲み物を要求する。 雪を解かすのにはこの高度は努力がいる。 飲み物を口に入れることも体力との競争なのだ。

 二人のその日の夕方の雰囲気について説明することはほとんど不可能に近い。 地平線全体が光輝いた。 二人は再び深い喜びの感慨に満たされながら、登攀は日没後も継続、深夜の11時には疲れ果てた二人はビバーク(緊急野営)テントを拡げ・被り、ただ 寝袋に潜り込んだ。

 

 下部では、ダレクとトミーが、ワシリーとマックスが待機する場所に驚くべき速さで達し合流していた。 ラルフとゲェリンデは6,600メートル(21,650フィート)の雪崩セーフ セーフティ キャンプ まで下降し、器材デポサイトにするべく整地作業に専念していた折、マックスとワシリーが登って来た。 

 

 デポサイトの整備は一段と加速し、ワシリーとマックスが担ぎ上げた資材・備品の仮置き整備など2 時間余りを要した後、我々全員が下降を開始した。 二時間を費やしキャンプⅠに到着、見下ろす前進キャンプ(ABC)は雪に見舞われている。 今しがた降りだしたようだ。

 

大雪の高高度前進ベース キャンプ(ABC)に全メンバーが集結した。 ラルフは私たちの友人やチャーリー=オーストリア、インスブルックの気象学者・博士カール(Dr. Karl Gabl ) =に再び無線連絡を取った。 

 

 彼の天気予報では、 悪天候は 2 日間はあまりで止み、これ以上の新雪は降らないだろうとの事。 私たちは、天気回復後の登行を開始する折にはより良いコンデションで登攀を楽しめるであろうと期待した。

 

 

 上部への再登攀は今日です。 我々 は、ABCに降り積もった雪に暖かい敬意を表した。 再会は出来ないであろうと・・・・・・・

 

 

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                          森のなかえ

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