○◎ モンゴルのルーシ侵攻 ◎○
★= モンゴル人のロシア支配 =★
キエフ大公国分裂後の分領制時代にあっては、ポロヴェツ人(キプチャク族)とルーシ諸公とのあいだは平穏なものとなっており、両者のあいだには婚姻関係も結ばれて互いに親族となっていた。 ポロヴェツの酋長は、モンゴルの襲来を予見して正教に改宗し、南ルーシの諸公に対して援軍を要請した。 南ルーシ諸公とポロヴェツの連合軍は、1223年、チンギス・ハーンの忠実な家臣で、勇猛さと思慮深さで知られたスブタイ(前節参照)とジェベによって指揮されたモンゴル軍先遣隊(偵察隊)に対し、ルーシの領域外のカルカ川まで出征して挑んだが大敗を喫した。 =カルカ川の戦い=
1237年、ジョチの子バトゥ(前節参照)が再び大軍を率いてルーシを攻略、さらにヨーロッパへの大規模侵攻を開始した。 これに対し、ルーシの団結は整わず、この年の12月、リャザン公国が6日間の抵抗ののちに陥落した。 公の一族は皆殺しにされ、このとき女性や子供、聖職者にいたるまで凄惨な殺戮にあう。 また、ウラジーミル・スーズダリ大公国、ノヴゴロド公国、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国などルーシに割拠していた諸国も抗戦したが完敗する。 1238年のウラジーミル大公国攻略の際、モンゴル軍は途中のモスクワで捕虜としたユーリー・フセヴォロドヴィチ(ユーリー2世)の末子をウラジミールの黄金門の外に立たせて攻め込んだ。
ウラジーミル大公のユーリーは、このときウラジーミルを脱出して北方に退却したが、彼の末子は斬殺され、ウラジーミルに残された彼の家族は生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)に立てこもったが聖堂とともに焼き殺された。 北方へ脱出したユーリー・フセヴォロドヴィチは、同年中、シチ河畔の戦いでモンゴル軍に敗れ、そこで戦死している。 なお、現在、生神女就寝大聖堂の黄金門も大聖堂も復元されており、焼失を免れた大聖堂の扉のみは当時のものである。
このようにして、泥湿地に囲まれた北端のノヴゴロドをのぞく全ルーシが征服された。 モンゴルの侵攻によってルーシの多くの町が焼き払われた。 都市の再建は停滞し、ステップ(草原)地帯などでは数百年にわたり再建が進まなかった都市もある。 1245年、ローマからカラコルムに向かうローマ教皇の使者プラノ・カルピニは、往路途中の古都キエフが今やは骸骨の散乱する廃墟であり、わずか200世帯の寒村となってしまったことを記録している。 モスクワ西方のヴァロネジの再建は16世紀に至ってのことであり、リャザンの再建は断念されて55キロメートルも離れたペレスラヴリの町に中心が移った。 ルーシ諸侯国の人口は激減し、50万人が犠牲になったと言う。
モンゴル人は大征西ののちもルーシの地を去ることはなく、カラコルムを本拠とする大ハーンにしたがう一方、ほぼドナウ河以東の広大な地域を支配した。 そして、ヴォルガ川支流アブトゥバ川の河岸に黄金の陣営(オルド)を建て、ここに首都サライ(現在のアストラハン州)を築いてキプチャク草原とルーシに対する支配を続けた。これが、モンゴル帝国の西方を管轄するジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)であり、この国をロシアでは「金のオルダ(本陣)」と称したところから「金帳汗国」とも表記される。 首都のサライは最盛期には人口60万人に達したと推定され、中世世界で最大級の大都市として繁栄する 。
ジョチ家のウルスであったキプチャク・ハン国は、東半分をバトゥの兄オルダが統括し、4人の弟(ウドゥル、トゥカ・チムール、シュソグクル、シソグクル)をしたがえて弟とともに軍の左翼を指揮したのに対し、バトゥはウルスの西半分と軍右翼を統括した。 つまり、ハン国はジョチの2人の息子(バトゥとオルダ)で二分されていたほか、他の兄弟もそのなかに自らのウルスを保有していたということであり、その意味ではハン国は諸ウルスの連合体としての性格が濃かった。 そのため、歴代のキプチャク・ハンはジョチ家の家長であったにもかかわらず、個々のウルスの長に対しては必ずしも強力な統率力を行使できたわけではなかった。
従って、キプチャク・ハン国の中央権力機構は、ベクリャリベク(長老エミール)をリーダーとして軍事指揮権・対外交渉権をもつ系列とヴィジール(宰相)をリーダーとして財政・徴税部門を管轄する系列とに二分されていたが、征服国家としての性格を反映して前者の権威の方が高かった。 そして、ベクリャリベクの下には方面軍指揮官とでもいうべき4人のウルス・ベクがおり、その下に70人のチョームニク(万戸長)、その下にトゥイシャチニク(千戸長)が配置されていた。 いっぽうのヴィジールには、その下に主として徴税を担当するダルーガが置かれた(詳細後述)。
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