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「おぉあぁぁぁっ!」 外見は二十代半ばに見えるまだ若い噛まれ者が、咆哮とともに踏み込んで手にした曲刀を振るう。重い風斬り音とともに肉薄してきた刃が横腹を押しのける様にして軌道を変えられ、床に衝突して火花とともに床に喰い込む。
長剣の刃を踏み折ろうと足を撃ち下ろすいとまは無い――小さく舌打ちを漏らして、アルカードは肩口から仕掛けたタックルで若い吸血鬼の体を吹き飛ばした。
単純な膂力であれば、噛まれ者たちは到底キメラたちに及ばず――したがってアルカードと力で拮抗するなど望むべくもない。
なすすべも無く背中から転倒した噛まれ者に向かって塵灰滅の剣を振るうが、噛まれ者はぎりぎりのところで後転してその斬撃から逃れている。
おそらく彼らには塵灰滅の剣は視認出来ていないだろうから、それ以前に振るった斬撃が周囲の調製槽につけた傷跡からおおよその間合いを測ったのだろう。
反応は悪くない、が――
続いて刺突を繰り出そうとするよりも早く横合いから攻撃を仕掛けられて、アルカードは追撃を断念して撃ち込まれてきた刺突を躱した。平刺突から横薙ぎへと連携した追撃を間合いをはずして躱し、その攻撃を繰り出してきた十代後半の若い娘の噛まれ者に向かって反撃を仕掛ける。
一撃で肩を叩き割らんとして繰り出した撃ち下ろしを、噛まれ者の娘が側面に体を開いて躱した。続いて一歩後ずさって間合いを作り直しながら、手にした長剣で塵灰滅の剣の峰を撃ち据える様にしてアルカードの一撃を叩き落とす――その反動で剣を跳ね上げて繰り出されてきた首を刈る斬撃をその軌道の下をくぐる様にして躱し、アルカードはそのまま腕の外側に出て側面に廻り込んだ。
塵灰滅の剣は手放している、が――いくらでも再構築出来る。そしてその際に、サイズも自由に変更出来る――彼らは先ほどある程度間合いを読んでいた様だが、これで意味は無くなった。
「くぅっ!」 あわてて転身しながら噛まれ者が翳した長剣に塵灰滅の剣を叩きつけると、その衝撃で翳した長剣の刃にビシリと音を立てて亀裂が走った。
魔力強化すらまともに出来んのか、雑魚が!
そのまま塵灰滅の剣を押し込んで、娘の体を吹き飛ばす。
その程度の技量で――いったい誰に仕掛けてる!
続く一撃で防御に翳した長剣ごと頭蓋を叩き割ろうと真直に剣を振り下ろす――より早く、横合いから飛び込んできた六十過ぎの外見の壮年の噛まれ者が、振りかぶった塵灰滅の剣の鋒に近い箇所を長剣の刃で撃ち据える。
その一撃で鋒を撃ち落とされて体勢を崩し、アルカードは塵灰滅の剣を手放してその場で転身した。
一瞬の躊躇も無く武器を棄てるというのは、敵としても予想外だったのだろう――手放した塵灰滅の剣が床の上でからんと音を立て、魔力供給を打ち切られた魔具が形骸をほつれさせて消滅してゆく。
それを見届けるよりも早く――アルカードは攻撃を仕掛けた。
長剣を両手で保持した噛まれ者の右手首を右手で捕り、同時に右肘の下をくぐらせる様にして左手で左腕の下膊を掴む。その状態で曲げた左腕をまっすぐに伸ばすと、噛まれ者の右肘が極まる――七-九-四、草薙神流では『刀狩』と呼ぶらしいが。
「がっ……」 右肘の関節を挫かれる寸前のところで、噛まれ者が短い苦鳴をあげながら長剣の柄から左手を放す。
それで関節技から解放された壮年の噛まれ者が、下膊を掴む左手を振りほどいて右腕の外側にいるこちらの顔に向かって鈎突きを――
繰り出すよりも早く右手首を掴んだ手を手首を返す様にして握り替え、今度は手首近くにある急所を千二百キロある握力で押し込みながら腕を肩越しに背中に捩じ上げる――急所を押し込んだときに力の入れすぎで手首の骨が砕けたらしく、右手の指の力が抜けて落下した長剣ががちゃんと音を立てて床の上で跳ね回った。
肩越しに手を背中に廻し、頭の後ろでもう一方の手で肘を掴んで広背筋と上腕三頭筋を伸ばすストレッチの動作から、伸ばす側の腕の手首を掴んで下側に引き下げた様な動きだ――技をかける側の体の位置によっては左手での肘撃ちやナイフによる攻撃はおろか、足で相手の足を踏んだり蹴ったりといった行動も含めて、まったく反撃出来なくなる。
「ッがぁぁぁぁッ!」 極められた肩が痛いのか、それとも握り潰された手首が痛いのかはわからなかったが、噛まれ者が悲鳴をあげる――それを無視して左手に塵灰滅の剣を再構築し、二体の噛まれ者が同時に仕掛けてきた攻撃を迎え撃った。
右手のひとりが撃ち込んできた斬撃を翳した塵灰滅の剣の物撃ちで受け止め、そのまま塵灰滅の剣を横にスライドさせる様にしてもう一体の撃ち込んできた斬撃を柄の先端附近で受け止める。
ふっ――
鋭く呼気を吐き出しながら、アルカードは深く踏み込み様に水平に翳した塵灰滅の剣を押し出した。二体の噛まれ者が力負けして吹き飛ばされ、同時に腕を捩じ上げられた吸血鬼が背中側に向かって体勢を崩す。
アルカードはそのまま背中に捩じ上げて肩を極めた右腕を手前に引きつけ――肩に力がかかって関節がはずれたのか、ゴキリという鈍い音が聞こえてきた――、捕まえた噛まれ者の体をその動きで後傾させて体勢を崩すと同時に足を刈り払い、壮年の吸血鬼の体を背中から床の上に引き倒す。
倒れ込むより早く右手首を掴んでいた右手を放し、そのまま顔を掴んで後頭部から床に叩きつける――手にした曲刀で頭蓋をぶち抜いてとどめを呉れようとするよりも早く、先ほど吹き飛ばしたふたりの噛まれ者と入れ替わる様にして六人の吸血鬼が殺到してきた。
全方向から六人――相手が騎兵ならどうとでもなる数だが、歩兵が同時に六人となると一度に捌き切れる数でもない。
小さく舌打ちを漏らして、アルカードは床を蹴った――状況打開のために敵に突っ込んだりはしない。それをするためにはすでに敵との間隔が詰まりすぎている。
が――
「――ぎゃああ!」
残る仲間たち全員に切り刻まれて、背中から突き飛ばされた噛まれ者が悲鳴をあげる――予想外の同士討ちに、残る五人の噛まれ者の気配に動揺が走った。
前述したとおり、貯水槽の原液の補充とその供給の停止はフロートバルブによって行われている――貯水槽の液面が上昇すると水面に浮いた浮きが上昇して、そのフロートに取りつけられた栓が水の供給口をふさぐのだ。
したがって、貯水槽の構造物が破れて水が流出すれば、水位が上がると供給口をふさぐフロートバルブは機能しなくなり、当然原液の供給が止まらなくなる――周囲には流出した大量の調製培養液の原液が存在し、先ほど02を釜茹でにするため熱湯に変えたとき、そして03の突進をそらすために膨張爆発を発生させた際に蒸発した大量の水蒸気も存在している。
つまり――レベル4実験室の空気中には大量の水分が存在しているのだ。触媒になる空気中の水分は豊富、温度もそこそこ。靄霧態を取るのに必要な条件は十分整っている。
靄霧態に変化し、包囲網の外側で再び人間態に戻って――手近にいた噛まれ者を包囲網の真中へと蹴り込んだのだ。
噛まれ者は反射能力も向上しているが、同時に身体能力も跳ね上がっている。当然斬撃の速度も生身の人間が振るよりはるかに速く――ゆえに彼らは、本来の目標がいきなりいなくなって代わりに目標のいた位置に仲間が転がり込んできても、攻撃を止めることが出来なかった。
合計五人の噛まれ者が繰り出した斬撃が、憐れな噛まれ者の体を切り刻む――切り刻まれた不幸な噛まれ者にとって幸いだったのは、ほかの噛まれ者たちが魔力強化をろくに使いこなせていないことだった。
無論、霊体武装や霊的武装を所持していれば魔力強化など必要無いのだが、彼らは通常の武器しか持っていない。魔力強化を施していない剣は、ただの剣でしかなく――したがって霊体に対する破壊力も持ちえない。吸血鬼の腕力で振るわれた刃物で切り刻まれた以上肉体的にはそれなりのダメージは受けているだろうが、霊体が無傷である以上じきに修復するだろう。
これが魔力強化を施されていれば致命傷になっていただろうが――結局のところ未熟が原因で同士討ちを免れたのだと言える。
だが――
魔力強化の技能が優れているがゆえにロイヤルクラシックと互角に渡り合っていられるグリゴラシュの教練を受けて、魔力強化をろくに使いこなせていないというのはどういうことだ。
師匠が泣くぞ、不出来者ども――! 否別にどうでもいいけど――!
胸中で咆哮をあげ、アルカードは床を蹴った――手前にいた二十代後半の若い女の噛まれ者に背後から殺到し、彼女の腰のあたりを狙って背中から横蹴りを叩き込む。
ぐぇ、というお世辞にも色気があるとはいえない悲鳴をあげて、女が顔面から床に倒れ込んだ。
「ちぃぃぃぃっ!」 背後から殺到してきたふたりの若い男の吸血鬼が、こちらの腰元あたりを狙って刺突を繰り出す――若干遠間に過ぎた攻撃ではあるが、魔力強化の施された鋒が甲冑の隙間から帷子を貫いて体内に入れば、致命傷にはならねどもダメージは与えられる。どうせ実力では天地の開きがあるのだから、手数にものを言わせてじわじわと体力を削っていくつもりか。
だが――
「――な!」
すでにこちらを捉えたものと確信していたのだろう、目標を失った剣の鋒が互いにぶつかり合って火花を散らすのを目にして、ふたりの吸血鬼が驚愕の声をあげた――さもありなん、こんな蝿の止まりそうな遅い刺突など問題にもならない。彼らが刺突を繰り出してからそれがアルカードの体に触れるまでの瞬きする間もない刹那の時間に、アルカードははるか遠くに跳んでいる。
「馬鹿な――」 世迷言を無視して、アルカードは再び間合いを詰めた。疾走しながら、右手で保持した塵灰滅の剣の柄を握り直す。
ふたりまとめて斬り斃そうと塵灰滅の剣を振るう直前、別の噛まれ者が横合いから殺到してきたためにアルカードは攻撃をあきらめて後退した。
再び体勢を立て直し、まだ長剣を強振する攻撃動作が終わらないまま顔だけをこちらに向けた女の噛まれ者に向かって左手を振るう――こちらに顔を向けた吸血鬼の右目に照明の光を照り返して銀色に輝く平べったい物体が喰い込み、噛まれ者の口から絶叫がほとばしった。
女が残った左目を殺意に爛々と輝かせながら眼球に喰い込んだ物体を引きずり出し、叩きつける様にして足元に投げ棄てる――銀色の五百円硬貨が、床の上で一度だけ跳ねて澄んだ音を立てた。
唇をゆがめて笑ったとき、視界の端で若い吸血鬼が長剣を振り翳すのが見えた。その刀身が紅い激光を放ち、パリパリと音を立てて電光を纏わりつかせる。
あれは――
ひぅ、という軽い風斬り音とともに、攻撃態勢に入った噛まれ者が振りかぶった長剣を振り下ろす――剣風と魔力が絡まり合って鋭く研ぎ澄まされた衝撃波を形成し、床や障害物を引き裂きながら襲いかかってきた。
世界斬・断の出来損ないか――唇をゆがめて笑い、アルカードは右手の塵灰滅の剣の柄を握り直した。隠匿を解いた塵灰滅の剣の刀身が蒼白い激光を放ち、バチバチと音を立てて電光を纏う。
しっ――歯の間から息を吐き出しながら、アルカードは塵灰滅の剣を振り抜いた。
解き放たれた世界斬・散が床の上に散乱した調製槽やコンピュータの残骸を津波の様に押し流しながら、噛まれ者の繰り出した衝撃波と激突する。
急激な気圧の変化によってレベル4実験室内の空気が悲鳴の様な轟音をひしりあげ、同時に世界斬・散の衝撃波が噛まれ者の放った衝撃波を飲み込んで、衝撃波を放った吸血鬼へと殺到した。
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