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「失礼します」 ノックのあとにそう言って入ってきたのは、二十代の前半の若い女性だった――薄く化粧をした整った顔立ちの、色香匂い立つ様な文句無しの美女だ。薄いグレーのパンツスーツを身につけている――彼女はそのままフィオレンティーナの傍まで歩いてくると、握手を求めて手を差し伸べた。
「貴方が聖堂騎士フィオレンティーナ? 警視庁特殊現象対策課の立花深冬警視です」
「トクシュゲンショウ……?」 とりあえず差し出された手を握り返しながら軽く眉をひそめて問い返すと、タチバナと名乗った女性はうなずいた。
「ええ、日本の警察とカトリック聖堂騎士団の間の仲介を努めるのが任務です。日本国内で貴方たちが活動しやすい様に便宜を図ったり、情報を提供したりする役目だといえばわかりやすいかしら。よろしく、可愛い聖堂騎士さん」
そう言ってから、彼女は自分に続いてフィオレンティーナの部屋に入ってきていた柳田司祭を見遣った。
「ご紹介をありがとうございます、司祭様――このまま吸血鬼についての説明を始めてもよろしいかしら?」
その言葉に、フィオレンティーナは眉をひそめた。
「吸血鬼の? 誰かを捕捉したんですか?」
先日シスター・マイと一緒に赴いたショッピングセンターで『
先日山中の廃工場――アルカードが言うには篠原工業製作所とかいうらしいが――で処分した小泉純一以降
現状において、カトリック教会は吸血鬼アルカードと敵対はしていない。アルカードは現時点において、はっきりとドラキュラと敵対している――どころか真祖か
アルカードは先日、この土地を『領地』だといった――自分の縄張りだと。つまり、あの男の拠点がこの近辺に存在しているということで――あの男が継続的な拠点を必要とするほどに討伐に手こずる様な相手が、この東京近郊にいるのだ。
そしてなにより、魔物どもの間で『折れた長剣』と嘲笑されるアルカードは、独立していない『剣』なのだ。
アルカードがどういった過程でドラキュラの『剣』となり、その精神支配を振り切って自由意志で動いているのかはわからない。
だが今のところ、アルカードが吸血によって誰かを殺した記録は無い――『剣』は
そしてそれは同時に、上位の吸血鬼が下位の吸血鬼に対して完全な服従を強いるための儀式でもある。吸血鬼化した犠牲者に対して上位個体が最初に下す命令は、他人の血を吸うことだ――それも出来れば家族や友人といった、自分のごく近しい人間の血を。
一度血を吸った
そしてそれは、たとえ直接の命令下になくても上位個体の影響を受けることを意味する。
噛まれた時点で、上位個体と下位個体は血を介して精神的にリンクしている。
そしてその
頭の中でエンドレスで
吸血鬼は犠牲者の血を喰らうとき、犠牲者にある種の因子を注ぎ込む。
これは人間の肉体と霊体を変質させて吸血鬼に変えるもので、成功すれば
これは自分の力を一部犠牲者に分け与えるということで、血を吸った直後の吸血鬼は若干弱体化する。
そして吸血鬼の犠牲者が変貌した下位個体の吸血鬼は、再び人間を襲い犠牲者を増やす――このとき下位個体の吸血鬼もまた血液を奪う代わりに犠牲者を吸血鬼化させる魔素と呼ばれる因子を送り込むわけだが、下位の吸血鬼は犠牲者から奪い取った力の大半を、より上位にある吸血鬼に奪われるのだ。
そして下位の吸血鬼から取り上げた力で、上位の吸血鬼は下位に与えた自分の力を補填するのである。
下位個体が血を吸い続ける限り上位個体は下位個体から力を奪い続け、さらに自分もまた別の下位個体を増やして、もともと持っていた以上の力を手に入れ、自己を強化していくのだ。さらに上位の吸血鬼もまたその上位の吸血鬼に力を奪われるという、ある種詐欺商法の構図にも似た図式が完成しているのである。
ここで重要なのが、最初に吸血によって犠牲者に与えた力は犠牲者が実際に吸血を行うか、もしくは死亡するまで回収出来ないということだ――つまり力の一割を与えた犠牲者が吸血を拒否したら、上位個体はどんなにほかの犠牲者から力を搾取してもその一割の力は欠けた状態になるのだ。
そしてアルカードは吸血をしていない『剣』――直射日光下でも平気な顔で行動出来るといった特徴以外は基本的に
そしてもうひとつ、先ほども述べたとおり、吸血鬼化して蘇生した
自分で殺すのでも他人が殺すのでもいい。無論なんらかの理由で力を使い果たして衰弱死するのでもかまわない。
アルカードが吸血鬼化して以来一度も血を吸っていないのならば、ドラキュラを殺すことで人間に戻ることが出来るはずだ――本人に確認出来ているわけでは無論ないが、ヴァチカン首脳部はアルカードの目的はドラキュラの殺害による吸血鬼化の解除だと考えていた。
そしてその根拠になっているのがドラキュラが何度と無くアルカードに刺客を差し向けている節があること、それにアルカードがドラキュラが潜伏していると目されている土地に頻繁に姿を見せていることだ。
無論それ以外の土地でも、吸血鬼アルカードの目撃証言はある――だがそれは基本的にはドラキュラを探して行動している最中に目撃されているだけで、アルカードはドラキュラやほかの吸血鬼を殺す以外ではどこに行っても目立った動きはしていないのだ。
先日見た限り、アルカードは隣町でかなり腰を落ち着けている様だった――そうでなければ電化製品をどっさり買い込んだりはしないだろう。彼があのスーパーでいろいろ買いあさっていたのは、おらく周囲に対する擬装として生活を演出しなければならないからだ。
とはいえ、おそらくこのあたりは外国人であるアルカードにとって潜伏しやすい地域のはずだ――あの街には日本国内でも有名な大学があり、留学生も多く受け入れている。つまりこの地域には、十代後半から二十代前半の外国人留学生が数多く住んでいるのだ――アルカードも見た目は十代後半から二十代前半くらいに見えるから、この町に住んでいても違和感は無いはずだ。
まさか吸血鬼である彼が、どこかにアパートでも借りてそこらのレストランでウェイター稼業でもしながら生活を成り立たせているなどということは
吸血鬼アルカードがこの近辺にいることをヴァチカンに報告したところ、アルカードには手を出さずほかの吸血鬼の掃討に集中しろという命令が下った。
理由は単純だ――アルカードが生きている限り、ドラキュラの力はアルカードによって削がれたままだ。だがアルカードが先に死ねば、アルカードが奪ったままになっている力はドラキュラに戻ってしまう。ならば最上の策はアルカードとドラキュラが潰し合うのを待って、――どちらが生き残ったにせよ――残ったほうが戦闘で疲弊したところを叩くという戦法だ。
ドラキュラが先に死ねば、アルカードは人間に戻る――人間に戻っても戦闘技術や知識、霊体武装はそのままなので、教会にとって脅威となりうる。
身体能力に関しては、どうかわからない――だが生身の人間と吸血鬼では持久力に桁違いの差があるので、仮に身体能力がそのまま残っていたとしても、逆に基礎代謝率が高すぎて消耗戦を挑めばあっという間に自滅するだろうというのが聖堂騎士団の判断だった。
もし生身の人間と同程度に身体能力が落ちれば、霊的に補強された聖堂騎士が総出でかかれば仕留めるのは難しくない――アルカードを殺せば、それで万事が解決だ。こすっからい策だと思わざるを得なかったが、まあ勝つために手段を選んでも仕方が無い。
「それでタチバナ警視、吸血鬼についての説明というのはどういうことですか」
フィオレンティーナの問いかけに、彼女はこちらに視線を向けた。
「ええ、そう――つい半日前、わたしの情報網から吸血鬼と思われる人物を捕捉したと連絡があったの」
吸血鬼と思われる人物――その言葉を胸中で反芻し、フィオレンティーナはタチバナの顔を見据えた。
「とはいっても、さすがに生身の人間の捜査員に必要以上の深追いはさせられないから、今の時点では確信は無いわ――確認するのはあなたたちの仕事よね?」
というタチバナの言葉に、小さくうなずいてみせる――視力、聴力、嗅覚。どんなに弱い個体であっても、吸血鬼の知覚は人間とは比べ物にならない。
吸血鬼は人間の呼吸音や心音を聞き分けられるほどの聴力を持っており、その気になれば特定のパターンの心拍音――たとえば吸血鬼を尾行しているために緊張して呼吸や心臓の拍動が早くなっている人間を識別することも出来る。
そのため、いざ相手に気づかれたときに対処する能力の無い生身の人間に内偵をさせるのは危険なのだ。対象が吸血鬼でもなんでもない無関係の一般人であればよし、もし吸血鬼であったなら、迂闊に手を出せば彼らの巣に足を踏み入れることになる――幼児が変化した吸血鬼でさえ、生身の人間が対処するのは難しい。
したがって、接受国側の捜査機関はあくまで容疑者を探し出すことに徹している。その容疑者が吸血鬼であるか否かを確認して対処するのは、聖堂騎士の仕事だった。
「聞かせてください、タチバナ警視」
フィオレンティーナがそう言ったとき、その言葉が終わるより早くタチバナの後ろから声が聞こえた。
「わたくしも参加させていただいてもよろしくて?」
聞き覚えのある声に、フィオレンティーナはそちらに視線を向けた。失礼いたしますわ、という流暢な日本語とともに、聖堂騎士団の漆黒の修道衣を身につけた女性が入ってきた。
やや癖のある金髪を背中まで伸ばした、二十代のいくつにでも見える美女だ――無論、フィオレンティーナの知った顔だった。
「騎士カトリオーヌ?」
「ええ、騎士フィオレンティーナ。騎士エルウッドの容態はどうでしたの?」
第十一位の聖堂騎士カトリオーヌ・ラヴィンは、そう言って花の様に微笑んでみせた。
「報告が遅れて申し訳ありません、騎士フィオレンティーナ」 カトリオーヌの科白が終わるのを待って、柳田は口を開いた。
「騎士カトリオーヌは先ほど羽田空港に到着されました。先ほどヴァチカンから連絡を受けるまで、私も知らされていなかったものですから――先ほど外出したときに時期に到着すると連絡があり、そのまま迎えに行っていたのです」
いいえ、とフィオレンティーナは首を振ってみせた。
「増援が来ることはわたしが知っていました、司祭様――ヴァチカンはこの東京でアルカードとドラキュラを完全に処分するため、聖堂騎士三人の増派を決定しています」
「そのとおりですわ、司祭様。残るふたりはそれぞれダカールとシドニーから参ります。ヴァチカンで待機中だったわたくしが、一番早く動けたのです」
フィオレンティーナの言葉をカトリオーヌが引き継ぐ。彼女はそのまま、タチバナに向かって言葉を継いだ。
「そういうことですわ、警視さん――貴女が掴んだという吸血鬼に関する情報、教えていただけますこと?」
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