対するアルカードは握るとも開くともつかぬ程度に左右の五指を軽く曲げ、とっさの打撃戦にも組み討ちにも対応出来る体勢だ。武器は無い――武装の持ち合わせは軽く百を超えるが、この状況なら必要無い。
フゥゥゥゥ、とグリゴラシュが呼気を吐き出す。
シィィィィ、と歯の間から息を吐き出して、アルカードは数ミリぶんほど前足をずらした。
互いの間合いを測って、動く――互いにじりじりと間合いを詰めながら、ふたりはどちらともなく口元をゆがめて笑った。
グリゴラシュが、床を蹴る――次の瞬間繰り出されてきた左の上段廻し蹴りを、アルカードは右腕で受け止めた。たがいの身につけた装甲に這わされた魔力強化 が干渉して紫色の火花を散らし、同時に一瞬だけ周囲を昼間の様に明るく照らし出す。
同時に半歩ほど踏み出して――受け止めた一撃でガードが弾け、防御が崩れてがら空きになった胴にそのまま続いて二枚蹴りが撃ち込まれてくる。
甲冑の魔力強化 は部品ごとに魔力を這わせる必要があり、かつ部品ごとの材質や表面積によって補強強度にばらつきが生じる――ゆえに表面積の広い胴甲冑 と表面積の狭い手甲 や脚甲 では意識して補強強度を変えないかぎり胴甲冑のほうが補強強度では劣る傾向があり、さらに手甲 の内手袋 など、革や布で作られている部分はそこだけ極端に補強強度が落ちる。
胴甲冑の補強強度は多少強めていたのだが、足りなかったらしい――魔力強化 を突破して撃ち込まれてきた衝撃で一瞬横隔膜が痙攣し、息が詰まる。魔力強化 は強化対象に入力された衝撃を光と音に変換して放出することで衝撃を軽減し対象を保護するが、その緩衝機能で処理しきれないほどの強烈な威力の蹴りを撃ち込まれたのだ。
甲冑の装甲に這わせた魔力強化 が撃ち込まれてきた衝撃を光と音に変換して激光と轟音を発し、同時にグリゴラシュが小さく舌打ちを漏らして弾かれた様に後方に跳躍した。
蹴り足を引き戻しながら、アルカードも小さく舌打ちを漏らす――カウンターで撃ち込んだ軸足狙いの廻し蹴りは、狙い通りに無防備の軸足に入った。
魔力強化の許容量を超えて入力された衝撃で脚を痛めたのか、グリゴラシュが顔を顰めている――期待したほどのダメージは与えられなかったのか、グリゴラシュは再び床を蹴った。
互いが繰り出した下段の廻し蹴りが衝突し、互いが装甲に這わせた魔力同士が干渉しあって紫色の火花と、入力された衝撃を変換処理する際の閃光と轟音を撒き散らす。
蹴り足で踏み込みながら、グリゴラシュが左拳の鈎突きを顔面めがけて撃ち込んできた――それを一歩後ずさって間合いをはずして躱す。
左手には短剣を握り込んでおり、ただの鈎突きよりも間合いが広い――きらきらと輝く銀閃が視界を水平に割っていく。その鋒を遣り過ごすと同時に、アルカードは反撃の左拳を撃ち込んだ。
その左拳を右の掌で払いのけながら、グリゴラシュが転身する――彼は掌で拳を払いのける動作のままこちらの左腕の外側に踏み出して、回転の勢いに乗せて左手で保持した短剣を後頭部めがけて突き込んできた。
体を沈めながら、左後方に向かって踏み出す――金属同士の擦れ合う音とともに鋒を引っ掛ける様な動きで突き込まれた短剣の刃が頭上をかすめ、それを無視してアルカードはグリゴラシュの胴に背中を押しつけた。
「くっ――」 焦燥もあらわにグリゴラシュが後方に飛びのこうと重心を沈めるよりも早く、アルカードが床を踏み鳴らす轟音が響く。
それと同時に『砕 』――超至近距離からの、ありていに言えばタックルの一種なのだが――をまともに喰らって、グリゴラシュが派手に吹き飛んだ。骨が数本折れる音が聞こえ、グリゴラシュが口蓋から血を吐き散らす。指の隙間からこぼれ落ちた短剣が床の上で跳ね返り、カランカランと軽い音を立てた。
空中で回転して体勢を立て直し、そのまま着地して数歩後ずさったグリゴラシュが、変形した胴甲冑 を見下ろして小さく舌打ちを漏らす。グリゴラシュは間合いを取り直すことはせず、わずかに重心を沈めて再び踏み込んできた。
無事な右足で繰り出してきた蹴りを躱して後退しながら、アルカードは装甲の隙間から刺殺用の短剣を引き抜こうと柄に手を添え――そしてそれよりも早く、グリゴラシュが到底こちらに届くはずもない間合いからこちらの眼前を引っ掻く様な軌道で左手を振るう。
それを激痛から間合いを読み誤ったのだと読んだのが、失策だった――顔の左半分にへばりついたものが、皮膚の焼け爛れる異臭とともに強烈な灼熱感と激痛で神経を焼く。
「ぐ――!」
酸――ではない。おそらく、加熱されて融けた金属だ――いつの間に取り出していたのか、口に含んで吹きつけるベアリング、もしくは全金属製の短剣を魔術を使って熔解させて、それを投げつけてきたのだろう。
ドロドロに熔けた金属が肌に張りついて異臭とともに皮膚を焦がし、その下の肉を爛れさせてゆく。熔けた金属はそれ自体に魔力が込められているわけではないが、液状化した金属が顔面にへばりついて皮膚を焦がし肉を焼いているために治癒どころではない。
しまった……!
「――Syaaaaaaaaaaaaaaaaa !」 グリゴラシュが喊声をあげ、開いた間合いを再び詰めるために飛び込んでくる――固めた右拳が陽炎の様に揺らいで見え、それがなんなのかを瞬時に理解して、背筋の寒くなる様な焦燥に舌打ちを漏らす。アルカードはサイドステップしながら、撃ち込まれてきた右拳を横に押しのけた。
空振りに終わった拳がすぐ背後にあったコンクリートの壁に激突し、轟音とともに壁を崩壊させる――ガラガラと音を立てて瓦解したコンクリート壁の向こうから吹き込んできた雨風が顔にへばりついた金属を冷却し始めたが、もはや左目は完全に死んでいる。へばりついた金属を完全に除去しないと、もはやどうやっても傷は治らない。
下肢を狙って撃ち込まれてきた蹴りを膝でブロックしようとするより早く、蹴りの軌道が変化する――跳ね上がって死角からこめかみを直撃した上段廻し蹴りを対処出来ないまままともに喰らい、一瞬意識が遠のいてアルカードはその場で踏鞴を踏んだ。
代わりに手にした細身の短剣を、グリゴラシュの内腿に突き立てる――下半身の可動範囲を確保するために大きく開いた脚甲から剥き出しになった帷子を突き破り、短剣の鋒がグリゴラシュの太腿の肉を貫き骨に衝突した。
「この――!」 毒づきながらグリゴラシュが蹴り足を引き戻し、その足で踏み込みながらこちらの下顎を掌で突き上げる。
飛びそうになる意識を引き戻し、アルカードは短剣を突き刺したまま手放して、右拳でグリゴラシュの下顎を突き上げた。下顎骨がその一撃でふたつに割れ砕け、グリゴラシュがうなり声をあげながら後ずさる。
十分な間合いを取り直すよりも早く、その右手を掴んで引き寄せる――そのまま肩を掴んでグリゴラシュの体を裏返し、背後から首に腕を巻きつけて、アルカードはグリゴラシュの首を裸締めに極めた。一気に首の骨をへし折ろうとした瞬間、脇腹に灼熱感とともに凄まじい激痛が走る。
「ぐ――!」 グリゴラシュが装甲の隙間から引き抜いた細身の短剣を、こちらの胴甲冑の隙間から脇腹に突き立てたのだ。グリゴラシュは胴甲冑の隙間から刺し込んだ短剣はそのままにこちらの拘束を振り払い、足元に転がっていた先ほど取り落とした短剣を拾い上げ、こちらに向き直って今度は腰元から突き込んできた――重ねの厚い両刃の鋒が鎖帷子を引き裂きながら内臓に達し、喉の奥から熱いものがこみ上げてくる。
脇腹に残った刺殺用の短剣を無視して、アルカードはグリゴラシュが短剣を引き抜くより早くその手首を掴んで固定し、三爪刀 を右手で引き抜いてグリゴラシュの内腿に突き立てた。
股関節を鎧う鎖帷子が易々と突き破られ、内腿の動脈が切断されて、ホースで撒いた様に派手に血が噴き出す。足元を濡らす水が見る見るうちに朱色に染まり始め、グリゴラシュの口から苦鳴が漏れた。
三爪刀 を股関節に突き刺したままグリゴラシュの胸元を掴んで引きずり回し、そのまま投げ棄てる――ヘリポートの構造物の下から土砂降りの雨の中へと投げ棄てられたグリゴラシュの巨体が屋上に設置されたビルの貯水タンクの支柱のひとつに背中から激突し、そこでようやく動きを止めた。
だがまだだ――脇腹に突き立てられた細身の短剣を引き抜いて足元に投げ棄て、コートの下から先ほどのものよりも長い三爪刀 を引き抜いて、アルカードは床を蹴った。
ひん曲がった支柱に手をかけてよろめきながらも立ち上がったグリゴラシュが、憎悪もあらわに再びこちらに視線を据える。彼は苦痛のうめきを漏らしながらも内腿に突き立てられたままになっていた三爪刀 を傷口から引き抜いてその場で体勢を立て直し、太腿の装甲の外側に固定した鞘から大型の短剣を引き抜いた。
給水塔のそばに立ったままのグリゴラシュに殺到し、三爪刀 を振るう――もはやグリゴラシュも俊敏な動作はかなわない。互いが刃に這わせた魔力強化の干渉で紫色の火花と純白の激光を撒き散らしながら数合斬り結び、勢いをつけすぎて短剣が流れた一瞬の隙を衝いて、顔面を引き裂かんと三爪刀 を突き込む。左手で払いのけられた三爪刀 の尖端がステンレス製の貯水タンクを突き破り、紙の様に引き裂かれたステンレス鋼板の裂け目から水が流れ出した。
腕が上がってがら空きになった胸甲冑の右脇の隙間から短剣を刺し入れられ、アルカードは激痛に一瞬身をのけぞらせた。帷子を貫いた頑強な鋒が腋下動脈を引き裂いて肺を突き破り、肺の内部に張りめぐらされた無数の毛細血管が切断されて、あふれ出した血液が肺胞を濡らしてゆく。
「がぁっ……!」 含漱音の混じった苦迷を漏らしながら、アルカードは鈎爪の様に強張った左手を伸ばしてグリゴラシュの顔面を鷲掴みにした。同時に人差し指をグリゴラシュの右眼に捩じ込み、そのまま後頭部から貯水槽に叩きつける――貯水槽のステンレスの外壁が打擲に耐え切れずに変形し、その衝撃で先ほどの三爪刀 の刺突によって生じた裂け目が広がって、さらに大量の水がふたりの下肢を濡らし始めた。
二、三度グリゴラシュの頭を貯水槽の外壁に叩きつけてから、屋上の端に向かって投げ棄てる――もはやアルカードにも猶予は無い。右肺の損傷と腋下動脈からの大量出血による行動能力の低下が動けなくなるほど深刻なものになる前に、グリゴラシュの息の根を止めなければならない。
ビルの窓硝子や外壁を清掃するためのゴンドラを吊り下げるレールに背中から激突して、グリゴラシュがその場で膝を突く。体勢を立て直すよりも早く、アルカードは左手で引き抜いた三枚の三爪刀 をグリゴラシュの胴体に突き立てた。
ありったけの魔力を総動員して補強された鋒がグリゴラシュの胴甲冑を紙の様に突き破り、内臓をいくつか引き裂きながら肺を貫き心臓に達する――グリゴラシュが雷撃に撃たれた様に一瞬体を硬直させたあと、喉を掻き毟りながら口から大量の血を吐き出した。
アルカードはそのままグリゴラシュの体を拳で突き上げる様にして持ち上げ、その状態から勢いよく三爪刀 を引き抜いた。
力無くその場に崩れ落ちたグリゴラシュが、再び起き上がろうともがく――彼はアルカードがまだ立っているのに気づいてか、床の上に這いつくばったままコンクリートの上に指先を滑らせた。
圧縮術式から解凍、起動した術式が、内容を解析して干渉するよりも早く発動する。
足元のコンクリートの床が瞬時に溶融し、次の瞬間蒸気爆発を起こして両者を派手に吹き飛ばす。失血が原因で反応が遅れ、回避行動を取ることもままならぬまま、アルカードは為す術も無く吹き飛ばされて貯水槽の外壁に背中から叩きつけられた。
派手に咳き込みながら視線をめぐらせるも、グリゴラシュの姿はすでに無い――屋上の外縁部分が派手に吹き飛んでいる。おそらくそこからビルの下に吹き飛んでいったのだろう。
朦朧とした意識のまま、アルカードはその場に膝を突いた。全身を濡らす雨滴が装甲の隙間から内側に入り込み、もはや吸水能力の限界を超えてたっぷりと水を含み肌に張りついたアンダーウェアの表面を伝い落ちていく。体表を流れる雨滴に急速に体温を奪われるのを感じながら、アルカードは立ち上がった。
すぐにここから離れなければならない。数体の吸血鬼が、ここに近づいている――グリゴラシュか、あるいはドラキュラ隷下の吸血鬼か。いずれにせよ、普段ならともかくこの損傷では勝てる見込みは少ない。低いうなり声を漏らして、アルカードは派手に吹き飛んだ外縁に視線を向けた。
出来れば、グリゴラシュにとどめを刺しておきたかったが――もはやこの状況では望むべくもない。口の中に溜まった血を吐き棄てて、アルカードは踵を返した。まずはそこらじゅうに投棄された、自分の装備品を回収しなければならない――三爪刀 は扱いに癖があるが、使いこなせば非常に強力な武器だ。魔力の伝導性が高いため、魔力強化 によって非常に強い対霊体殺傷力を賦与することも出来る。今この状況で敵の手に渡り、追手に使われたら面倒だ。
アルカードは重い体を引きずる様にして、まずは貯水タンクへと歩み寄った。
フゥゥゥゥ、とグリゴラシュが呼気を吐き出す。
シィィィィ、と歯の間から息を吐き出して、アルカードは数ミリぶんほど前足をずらした。
互いの間合いを測って、動く――互いにじりじりと間合いを詰めながら、ふたりはどちらともなく口元をゆがめて笑った。
グリゴラシュが、床を蹴る――次の瞬間繰り出されてきた左の上段廻し蹴りを、アルカードは右腕で受け止めた。たがいの身につけた装甲に這わされた
同時に半歩ほど踏み出して――受け止めた一撃でガードが弾け、防御が崩れてがら空きになった胴にそのまま続いて二枚蹴りが撃ち込まれてくる。
甲冑の
胴甲冑の補強強度は多少強めていたのだが、足りなかったらしい――
甲冑の装甲に這わせた
蹴り足を引き戻しながら、アルカードも小さく舌打ちを漏らす――カウンターで撃ち込んだ軸足狙いの廻し蹴りは、狙い通りに無防備の軸足に入った。
魔力強化の許容量を超えて入力された衝撃で脚を痛めたのか、グリゴラシュが顔を顰めている――期待したほどのダメージは与えられなかったのか、グリゴラシュは再び床を蹴った。
互いが繰り出した下段の廻し蹴りが衝突し、互いが装甲に這わせた魔力同士が干渉しあって紫色の火花と、入力された衝撃を変換処理する際の閃光と轟音を撒き散らす。
蹴り足で踏み込みながら、グリゴラシュが左拳の鈎突きを顔面めがけて撃ち込んできた――それを一歩後ずさって間合いをはずして躱す。
左手には短剣を握り込んでおり、ただの鈎突きよりも間合いが広い――きらきらと輝く銀閃が視界を水平に割っていく。その鋒を遣り過ごすと同時に、アルカードは反撃の左拳を撃ち込んだ。
その左拳を右の掌で払いのけながら、グリゴラシュが転身する――彼は掌で拳を払いのける動作のままこちらの左腕の外側に踏み出して、回転の勢いに乗せて左手で保持した短剣を後頭部めがけて突き込んできた。
体を沈めながら、左後方に向かって踏み出す――金属同士の擦れ合う音とともに鋒を引っ掛ける様な動きで突き込まれた短剣の刃が頭上をかすめ、それを無視してアルカードはグリゴラシュの胴に背中を押しつけた。
「くっ――」 焦燥もあらわにグリゴラシュが後方に飛びのこうと重心を沈めるよりも早く、アルカードが床を踏み鳴らす轟音が響く。
それと同時に『
空中で回転して体勢を立て直し、そのまま着地して数歩後ずさったグリゴラシュが、変形した
無事な右足で繰り出してきた蹴りを躱して後退しながら、アルカードは装甲の隙間から刺殺用の短剣を引き抜こうと柄に手を添え――そしてそれよりも早く、グリゴラシュが到底こちらに届くはずもない間合いからこちらの眼前を引っ掻く様な軌道で左手を振るう。
それを激痛から間合いを読み誤ったのだと読んだのが、失策だった――顔の左半分にへばりついたものが、皮膚の焼け爛れる異臭とともに強烈な灼熱感と激痛で神経を焼く。
「ぐ――!」
酸――ではない。おそらく、加熱されて融けた金属だ――いつの間に取り出していたのか、口に含んで吹きつけるベアリング、もしくは全金属製の短剣を魔術を使って熔解させて、それを投げつけてきたのだろう。
ドロドロに熔けた金属が肌に張りついて異臭とともに皮膚を焦がし、その下の肉を爛れさせてゆく。熔けた金属はそれ自体に魔力が込められているわけではないが、液状化した金属が顔面にへばりついて皮膚を焦がし肉を焼いているために治癒どころではない。
しまった……!
「
空振りに終わった拳がすぐ背後にあったコンクリートの壁に激突し、轟音とともに壁を崩壊させる――ガラガラと音を立てて瓦解したコンクリート壁の向こうから吹き込んできた雨風が顔にへばりついた金属を冷却し始めたが、もはや左目は完全に死んでいる。へばりついた金属を完全に除去しないと、もはやどうやっても傷は治らない。
下肢を狙って撃ち込まれてきた蹴りを膝でブロックしようとするより早く、蹴りの軌道が変化する――跳ね上がって死角からこめかみを直撃した上段廻し蹴りを対処出来ないまままともに喰らい、一瞬意識が遠のいてアルカードはその場で踏鞴を踏んだ。
代わりに手にした細身の短剣を、グリゴラシュの内腿に突き立てる――下半身の可動範囲を確保するために大きく開いた脚甲から剥き出しになった帷子を突き破り、短剣の鋒がグリゴラシュの太腿の肉を貫き骨に衝突した。
「この――!」 毒づきながらグリゴラシュが蹴り足を引き戻し、その足で踏み込みながらこちらの下顎を掌で突き上げる。
飛びそうになる意識を引き戻し、アルカードは短剣を突き刺したまま手放して、右拳でグリゴラシュの下顎を突き上げた。下顎骨がその一撃でふたつに割れ砕け、グリゴラシュがうなり声をあげながら後ずさる。
十分な間合いを取り直すよりも早く、その右手を掴んで引き寄せる――そのまま肩を掴んでグリゴラシュの体を裏返し、背後から首に腕を巻きつけて、アルカードはグリゴラシュの首を裸締めに極めた。一気に首の骨をへし折ろうとした瞬間、脇腹に灼熱感とともに凄まじい激痛が走る。
「ぐ――!」 グリゴラシュが装甲の隙間から引き抜いた細身の短剣を、こちらの胴甲冑の隙間から脇腹に突き立てたのだ。グリゴラシュは胴甲冑の隙間から刺し込んだ短剣はそのままにこちらの拘束を振り払い、足元に転がっていた先ほど取り落とした短剣を拾い上げ、こちらに向き直って今度は腰元から突き込んできた――重ねの厚い両刃の鋒が鎖帷子を引き裂きながら内臓に達し、喉の奥から熱いものがこみ上げてくる。
脇腹に残った刺殺用の短剣を無視して、アルカードはグリゴラシュが短剣を引き抜くより早くその手首を掴んで固定し、
股関節を鎧う鎖帷子が易々と突き破られ、内腿の動脈が切断されて、ホースで撒いた様に派手に血が噴き出す。足元を濡らす水が見る見るうちに朱色に染まり始め、グリゴラシュの口から苦鳴が漏れた。
だがまだだ――脇腹に突き立てられた細身の短剣を引き抜いて足元に投げ棄て、コートの下から先ほどのものよりも長い
ひん曲がった支柱に手をかけてよろめきながらも立ち上がったグリゴラシュが、憎悪もあらわに再びこちらに視線を据える。彼は苦痛のうめきを漏らしながらも内腿に突き立てられたままになっていた
給水塔のそばに立ったままのグリゴラシュに殺到し、
腕が上がってがら空きになった胸甲冑の右脇の隙間から短剣を刺し入れられ、アルカードは激痛に一瞬身をのけぞらせた。帷子を貫いた頑強な鋒が腋下動脈を引き裂いて肺を突き破り、肺の内部に張りめぐらされた無数の毛細血管が切断されて、あふれ出した血液が肺胞を濡らしてゆく。
「がぁっ……!」 含漱音の混じった苦迷を漏らしながら、アルカードは鈎爪の様に強張った左手を伸ばしてグリゴラシュの顔面を鷲掴みにした。同時に人差し指をグリゴラシュの右眼に捩じ込み、そのまま後頭部から貯水槽に叩きつける――貯水槽のステンレスの外壁が打擲に耐え切れずに変形し、その衝撃で先ほどの
二、三度グリゴラシュの頭を貯水槽の外壁に叩きつけてから、屋上の端に向かって投げ棄てる――もはやアルカードにも猶予は無い。右肺の損傷と腋下動脈からの大量出血による行動能力の低下が動けなくなるほど深刻なものになる前に、グリゴラシュの息の根を止めなければならない。
ビルの窓硝子や外壁を清掃するためのゴンドラを吊り下げるレールに背中から激突して、グリゴラシュがその場で膝を突く。体勢を立て直すよりも早く、アルカードは左手で引き抜いた三枚の
ありったけの魔力を総動員して補強された鋒がグリゴラシュの胴甲冑を紙の様に突き破り、内臓をいくつか引き裂きながら肺を貫き心臓に達する――グリゴラシュが雷撃に撃たれた様に一瞬体を硬直させたあと、喉を掻き毟りながら口から大量の血を吐き出した。
アルカードはそのままグリゴラシュの体を拳で突き上げる様にして持ち上げ、その状態から勢いよく
力無くその場に崩れ落ちたグリゴラシュが、再び起き上がろうともがく――彼はアルカードがまだ立っているのに気づいてか、床の上に這いつくばったままコンクリートの上に指先を滑らせた。
圧縮術式から解凍、起動した術式が、内容を解析して干渉するよりも早く発動する。
足元のコンクリートの床が瞬時に溶融し、次の瞬間蒸気爆発を起こして両者を派手に吹き飛ばす。失血が原因で反応が遅れ、回避行動を取ることもままならぬまま、アルカードは為す術も無く吹き飛ばされて貯水槽の外壁に背中から叩きつけられた。
派手に咳き込みながら視線をめぐらせるも、グリゴラシュの姿はすでに無い――屋上の外縁部分が派手に吹き飛んでいる。おそらくそこからビルの下に吹き飛んでいったのだろう。
朦朧とした意識のまま、アルカードはその場に膝を突いた。全身を濡らす雨滴が装甲の隙間から内側に入り込み、もはや吸水能力の限界を超えてたっぷりと水を含み肌に張りついたアンダーウェアの表面を伝い落ちていく。体表を流れる雨滴に急速に体温を奪われるのを感じながら、アルカードは立ち上がった。
すぐにここから離れなければならない。数体の吸血鬼が、ここに近づいている――グリゴラシュか、あるいはドラキュラ隷下の吸血鬼か。いずれにせよ、普段ならともかくこの損傷では勝てる見込みは少ない。低いうなり声を漏らして、アルカードは派手に吹き飛んだ外縁に視線を向けた。
出来れば、グリゴラシュにとどめを刺しておきたかったが――もはやこの状況では望むべくもない。口の中に溜まった血を吐き棄てて、アルカードは踵を返した。まずはそこらじゅうに投棄された、自分の装備品を回収しなければならない――
アルカードは重い体を引きずる様にして、まずは貯水タンクへと歩み寄った。
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