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「――ッ!」 声にならない悲鳴をあげて、フィオレンティーナはベッドから跳ね起きた――まるで全速力で数十キロも走った後の様に、全身が汗で濡れている。
まるで実際に体験したかの様に鮮明に――口の中に血の臭いすら感じられそうなほど強烈なリアリティを残した淫靡極まり無い夢に、両手が知らず知らずのうちにシーツの耳を握り締めている。
荒い息を吐きながら、フィオレンティーナは口元に手を遣った――思わず感じた強烈な嘔吐感に、唇を噛んで堪える。
男たちの指と舌が全身を這い回るおぞましい感触が、実際に体験したかの様に全身に残っている――嫌悪感に総毛立つのを感じながら、フィオレンティーナは首筋に手を伸ばした――昨夜掻き毟った吸血痕に指先が触れてしまい、フィオレンティーナは強烈な痛みに小さくうめいた。
よりによってなんて夢を――火の様に熱い息を肺の奥から吐き出して、ベッドから足を下ろす。ひどい寝汗をかいたらしく、寝間着に使っているパジャマがぐっしょりと湿っていた。
ここまで同調が進んでいるなんて――胸中でつぶやいて、自分の体を抱きしめる。
その情景も、触れられた感触さえもがいまだ鮮明に残っているあの淫靡な夢――あれはおそらく、自分を噛んだあの吸血鬼の『剣』が、実際に行った殺人だ。あの女は実際にどこかの繁華街に出向き、どこの馬の骨とも知れぬ男たちに身を任せ、そしてそのあと彼らを噛み殺したのだ。
吸血鬼と彼らに噛まれた犠牲者は『絆』と呼ばれる
場合によっては系譜を同一とする吸血鬼を介して他の吸血鬼の意識を見ることもあるらしい――そしてそれはどうやら本当の様だ。こうして自分があの女の殺人を、まるで現場にいるかの様な鮮明さで見届けたのがいい証拠だ。
震える手でサイドテーブルのリモコンを取り上げ、電源ボタンを押してテレビをつける――テレビなどニュース番組しか観ないのだが、今はなんとなく喧騒がほしかった。
ちょうど放映していたのは、早朝五時のニュースだった――あのろくでもない淫らな夢のせいで、いつもよりもかなり早く目が醒めたらしい。
「――東京二十三区で、地下駐車場に停められていた自動車の車内から大量の血痕が発見されました」テレビのスピーカーから聞こえてきた音声に、フィオレンティーナは弾かれた様にテレビ画面を見遣った。
「――現場は東京二十三区にあるホテルの地下駐車場です。この地下駐車場で発見された、世田谷区在住の二十二歳の男性が所有する自動車の車内から、複数の人間の血痕が大量に発見される事件がありました。第一発見者はこのホテルの従業員で、一日以上放置された車に不審に思って近づいたところ、窓硝子に附着した大量の血痕を発見し警察に通報したものです。警察の調べによると、この車の所有者は世田谷区在住の二十二歳の男性で、この男性は数日前から行方不明になっているとのことです。また、車内からは血液以外の体液も検出されており、警察はこの自動車が恒常的な婦女暴行の現場となっていた可能性もあると見て――」
ムカつく胸に爪を立て、フィオレンティーナは画面に映し出された自動車の所有者だとされる男の顔写真を見据えた。間違い無い――あの夢の中で、女の口を蹂躙していた男の顔だ。
ひどく気分が悪い――あの男たちの会話から察するに、彼らは女性を性交の道具、下手をすれば性の奴隷くらいにしか思っていない様な手合いだ。だが、彼らの所業は人と法の手によって裁かれるべきもので、吸血鬼の餌となるべき道理など無い。
ニュースの内容からすると、死体は見つからなかったらしい――フィオレンティーナの見た夢は最後の男の首に噛みついたところで終わっていたが、おそらく彼らは
あの女の吸血被害者であれば、長くても十数分程度で蘇生するだろう――したがって、しばらく待っていれば被害者が
そして三人の男たちは、
吸血鬼が犠牲者を
そしてある程度力をつけた吸血鬼たちの間では、下位個体として使役するのは
吸血鬼が下位の吸血鬼から魔力を巻き上げているのは前述したとおりだが、吸血鬼は
小泉純一が配下の
つまり、吸血鬼たちにしてみれば、ある程度の自由意志を持つために少々扱いづらくても、
対して
『
あれだけ大量の
そういった雑魚の様な吸血鬼でも、他者の血を吸って自己を強化していくうちに、自分が直接血を吸った被害者すべてを
アルカードもそう言っていたが、吸血鬼は高位の吸血鬼になればなるほど犠牲者の適性の有無にかかわり無く
奥歯を噛み締めて、フィオレンティーナは立ち上がった。テレビを消してからリモコンを乱暴にベッドの上に放り出し、浴室のほうへと歩いていく。
欧米風のユニットバスではないので、脱衣所に入るとトイレと浴室への扉が別にある――フィオレンティーナは壁の棚に歩み寄ると、パジャマを脱ぎ捨てて脱衣籠に放り込んだ。
普段は朝風呂などという生活習慣を持ってはいないのだが、今日ばかりは清潔感への欲求が先に立ち、フィオレンティーナはシャワーを浴びることに決めた――それに、どのみち今日は仕事は休みだ。
老夫婦の店の主な客は近くの会社の会社員や大学生、それにちょっと離れたところから自転車でやってくる市役所の公務員なので、日曜日や祝日はめっきり客が減る――主要客が来ないので、予約などが入らない限り日曜祝日は休みだった。
下着も一緒に洗濯籠に放り込んでから、フィオレンティーナは浴室の扉を開けて中に足を踏み入れた。
給湯器のスイッチを入れてシャワーの蛇口をひねると、勢いの強い節水シャワーヘッドから温かいお湯が出てきた。
肩からお湯を浴びせると、滑らかな肌を水滴が珠になって滑り落ちていく。
お湯が首の傷口にかかって強烈に沁み、フィオレンティーナは顔を顰めた。激痛に身を任せればあの嫌な記憶を振り払えるかもしれない、そう思って傷口に思いきり湯を浴びせる。
先ほどの嫌な夢の記憶を追い払う様に頭からお湯をかぶったとき、フィオレンティーナは防犯のために格子の入った窓が開いているのに気づいた――昨夜換気のために開けてから、閉めるのを忘れていたのだ。閉めようと手を伸ばしたとき、窓の外をアルカードが歩いているのが見えた。
どうも寝つきが悪かったのか、普段は快活な昼型吸血鬼はしきりに欠伸をしながら、こちらに気づいた様子も無くアパートの裏手にある駐車場へと歩いていった。
裏手の駐車場はアルカードの私用の車の駐車場で、アルカードは店で使うライトバンの簡単な整備なども自分でやっているらしい――おそらく、池上という整備士から昨日譲り受けた部品の交換をそこでするのだろう。
裏手の塀に設けられた扉をくぐって、アルカードが塀の向こうに姿を消す――それを見送って、フィオレンティーナは窓を閉めた。
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