「昭和の日」反対!!
日中国交正常化40周年
問われる日本人の歴史認識!!
「731部隊のすべて
~人体実験・細菌戦~」
(2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール)
「悪魔の飽食」
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人体実験被害者遺族の証言
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細菌戦被害者の証言
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細菌戦の研究
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新資料発見者 奈須重雄さんのお話
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松村高夫(慶大)さんのお話
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周桐さん・731記念館館長のお話
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最後の挨拶
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問われる日本政府の隠蔽体質!!
日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を全面公開せよ!!
日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!!
原発輸出反対!!
日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!!
遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More Noborito!! No More War!!
No More Fukushima!!
武器よ!原発よ!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!!
税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!!
※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!!
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!!
●731・原爆・原発
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
[証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~
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「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!!
731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書
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封印された原爆報告書
広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。
番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。
*SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。
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20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報
天皇制維持条件にポツダム宣言受諾
ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。
8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。
こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。
111006肥田舜太郎氏インタビュー
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731部隊と山下俊一
ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永
山下俊一トンデモ発言
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山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは?
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広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発
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長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん
このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。
ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。
山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。
【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦
120411大石又七氏インタビューダイジェスト
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~
古舘、生放送原子力村の存在を認める
原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!
2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也
「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」
☢放射能汚染の被害に遭っている原発城下町
福島とNWOの人口削減
20120419 新生東電課題は山積み 作業員の声
20120419 原発再稼働わたしはこう思う エコノミスト・浜矩子
たかじんのそこまでやって委員会 武田邦彦 : 大飯原発再稼働
安全を担保されない再稼働はダメよ!無責任なこともダメよ!!(`・ω・´)ゞ
●731部隊
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
危機寸前の脱出
すると、伊東雇員は何を思ったか、いきなり毛布の端をつまみあげた。何事かと見つめる皆の目の前に、あの、内地上陸の祝酒にしようといったウィスキー瓶が転がり出た。伊東雇員は、それを鷲づかみにし、口をよじらせて、歯で栓を抜いた。雇員たちは、誰も何も言わなかった。この際、彼のわがままは当然許さるべきもののようであった。
しかし、ラッパ飲みにすると見えた伊東雇員は、一口含んだだけで、握ったままの瓶を畳の上に押し立てた。
「かまわんのだよ。よかったら、飲んでくれ」
と、大角雇員が言った。
「無理することァなかったんだ。何も、やけを起こすほどのことじゃない・・・・。馬鹿だよ、俺は」
伊東雇員は、ふと襲った自棄気分のとりこになった自分をなじって一人ごちた。皆から離れて行かねばならない、彼の、やり場のない悲痛は、私にもわかる気がした。
本渓湖に着いたのは、夕暮時分であった。停車すると、大体各車輌から一人ずつ連絡に行く人たちがホームに降りた。
「これが、一生の別れになるかもしれないなあ」
731部隊8月9日 証拠湮滅・日本帰還!!
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▼金子論文はこちら(PDF 14MB)
日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染
医学界とは731部隊そのものである
※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。
南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。
※満州の満人をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。
フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。
今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ)
※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。
もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。
ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)
731部隊員の証言 1
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細菌戦の新発見資料について
精魂塔(表)
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精魂塔(裏)
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精魂塔(これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
黒い太陽731部隊
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々
戦犯たちの戦後
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証言ー侵略戦争1
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北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか?
中国人強制連行1
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中国に咲いた一輪の花!!
朝日新聞より 2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す
(日本政府が正式に謝罪すべきだ!!)
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。
このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
1937年12月13日
南京陥落!!
●南京大虐殺
日本政府は、戦史資料を全面公開せよ!!
河村・石原両氏の発言には全くあきれる!!
南京大虐殺は世界的に誤解されています。
中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。
父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。
非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。
捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。
ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。
昭和12年7月の南京の人口は135万人です。
11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。
否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。
小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。
(65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】
栗原利一資料集
20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ
南京事件-日中戦争 小さな資料集
日本人の「南京大虐殺」に対する認識
三笠宮崇仁と南京事件
偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺
23.南京大虐殺の責任(上)
「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」
河村たかし名古屋市長による
南京大虐殺否定発言に対する抗議声明
1 河村たかし名古屋市長の発言
名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。
しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。
2 判決の認定した事実
731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。
この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。
同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。
そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。
3 撤回及び謝罪要求
これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。
河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。
2012年3月19日
中国人戦争被害賠償請求事件弁護団
731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団
李秀英名誉毀損訴訟弁護団
夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団
南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団
南京大虐殺74周年、日本は沈黙
南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り
3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。
4月 1日 国家総動員法公布。
【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】
「南京事件」143枚の写真
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
マギー
夫人への手紙
(1937年12月12日~1938年2月5日)
12月22日、水曜日
今日日本兵が又、至る所で人を捕まえた。僕にも何度も、機関銃の音と普通の小銃の音とが聞こえたが、それは更なる虐殺を意味している。45分くらい前に、60~70人ほど捕まっていったのを見かけた。数日前に日本の官吏数人と技術者一名とが、僕たちの委員会に、電灯工事に明るい労働者を見つけてほしいと、頼みに来たので、ラーベさんとほかの人たちが労働者を54人見つけてあげ、その人たちが電灯工事を始めて、和記洋行に住まった。日本兵たちがそのうちの43人を、撃ち殺したのは昨日だったと、僕思うんだが、残り11人を殺さなかった唯一の原因は、シーク族インド人である洋行の門衛がその人たちが知っていて、前にそこで働いていたと言ったからで、ほかの人たちを殺した言い訳は、電灯会社は中国政府に属する企業だから、彼らは政府の雇員であり、処刑されるべきというのだ。実際にはその会社は、全く政府に属しているわけではないのだが、日本兵にとっては、それはたいした違いではないんだ。
南京大虐殺マギーフィルム)1
南京大虐殺
日中戦争 (1937-1938)
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南京大 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1
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南京大虐殺