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2012-05-18 09:05:04 | Weblog

日記@BlogRanking

日中国交正常化40周年
問われる日本政府の隠蔽体質!!
問われる日本人の歴史認識!!
「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」
(2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール)

「悪魔の飽食」
人体実験被害者遺族の証言
細菌戦被害者の証言
細菌戦の研究
新資料発見者 奈須重雄さんのお話
松村高夫(慶大)さんのお話
(日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない?
茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委
遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!!
遺棄毒ガス問題について
周桐さん・731記念館館長のお話
最後の挨拶


日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!!

日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!!
原発輸出反対!!

日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!!
遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!

きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 
  「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More Noborito!! No More War!!
No More Fukushima!!
武器よ!原発よ!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!

新しい日本!! 

世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!!
税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!!

※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!!


沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!

日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!!



●731・原爆・原発
アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
[証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~
「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!!
731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書
封印された原爆報告書
広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。
番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。
*SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。
原爆投下 活かされなかった極秘情報

天皇制維持条件にポツダム宣言受諾
 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。

 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。

 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。

111006肥田舜太郎氏インタビュー
第26回 原爆被害の隠ぺい(1)
日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題
731部隊と山下俊一
731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一
ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永
山下俊一トンデモ発言
「御用学者」批判ができない大学社会
山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは?
広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発
福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新)
【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦
長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん
甲状腺がん手術症例数の年次推移
このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。
ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。
山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。
【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦
これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~
日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室


原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!

原発 事故で東電へ影響無きように #野田佳彦 国民は犠牲に:ガンダーセン
「原発が安全か否かという論争はもう終わりにしよう」 藤田祐幸さん
東京で電気が足りるのに関西で足りないのはなぜだかわからない(前編)
【293】 NHKの中学校教育報道 ... 2重の犯罪性と善良な習慣への挑戦
原発再稼働のためにここまでやるか!(○`ε´○)

●731部隊
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
解説
―この作品の信憑性について―
       編集部       竹村 一

(4)
731部隊に輸送され、「マルタ」とされる囚人は、パルチザン、日本軍に対し極度に反感を示す捕虜、自軍のことについて全然黙して語らない、中国、ソヴェトの捕虜であった。731部隊のものには裁判によって死刑が確定した者が送られてきていると教育されていたが、事実は裁判手続きは全然行われず、憲兵隊、特務機関からの直送であった。殺戮された「マルタ」の数は、公判記録によると毎年500名~600名前後であり、昭和15年から昭和20年の間、平房の731部隊のみで、3000名を下らないと推定される。

(5)

 この作品の信憑性を証明する資料はこの他に無数にあるが、これだけでも十分読者は信憑性を確認してもらえると思う。

 ソヴェト軍事裁判における被告たちの判決は次のようであった。( )内は刑期である。
   山田乙三 大将       関東軍司令官    (25年)
   梶塚隆二 軍医中尉     関東軍軍医部長   (25年)
   川島 清 軍医少将     第731部隊製造部長 (25年)
   西 俊英 軍医少佐     第731部隊教育部長 (18年)

731部隊員の証言 1

中国再訪の旅5

七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一

※ここでは細菌兵器はあまり効果が無かったと書かれてあるが、実際は中国で細菌兵器を使用し、多くの犠牲者を出した!!

日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染

「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見

▼金子論文はこちら(PDF 14MB)

731部隊の細菌戦 新証拠発見

100部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!!
(731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!)

ノモンハン事件・石井の野望 2

戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖
[証言記録 兵士たちの戦争
[証言記録]従軍看護婦が見た戦争

太行の麓をしのんで -生体解剖-

湯浅謙

九州大学生体解剖事件

731部隊8月9日 証拠湮滅・日本帰還!!

医学界とは731部隊そのものである

※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。
南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。


※満州の満人をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。
フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。
今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ)

※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。

 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。

 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)

精魂塔(表)
精魂塔(裏)
精魂塔(これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
黒い太陽731部隊
戦犯たちの戦後
証言ー侵略戦争1
中国人強制連行1

中国に咲いた一輪の花!!
朝日新聞より   2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
731謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す

(日本政府が正式に謝罪すべきだ!!)


問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。


●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。
このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

マッカーサーと昭和天皇
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)

 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?

※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】


1937年12月13日
南京陥落!!

南京大虐殺
日本政府は、戦史資料を公開せよ!!
河村・石原両氏の発言には全くあきれる!!
清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省
教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声
2人芝居ー「悲しみの南京」の案内
5月21日(月)午後6時30分~ さいたま市民会館大宮 大宮駅東口より西へ直進、 2つ目の交差点大宮区役所の角を右折、500m進み、左に見えてホール、地下1階

演出・出演、渡辺義治さんご自身の、元軍人の父親との「加害」を巡る確執から、ライフワークとして、横井量子さんとの作、出演、美術により演じられる二人芝居です。3年ぶりの全国公演になります。このテーマについてはしばらく静穏でしたが、このところの右寄りの勇ましい政治家達によって、再び、ねじ曲げた史実を喧伝されています。
昨日、河村名古屋市長が藤岡、渡部某と言った国粋言論人と一緒になって、「南京虐殺はなかった」とする意見広告を出そうとして中日新聞が断った報道がありました。
地元の首長に対して、中日新聞は、よくぞ意思を貫き通してくれたと思いますが、一方で、他の政策で大衆の人気を圧倒的に集めている政治家たちの言説だけに、その影響は油断できません。渡辺さんたちの公演へのサポートをお願いします。
前売り3,500円(当日4000円)

栗原利一資料集
20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ   
南京事件-日中戦争 小さな資料集
日本人の「南京大虐殺」に対する認識
三笠宮崇仁と南京事件
偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺
23.南京大虐殺の責任(上)
東京裁判 天皇との絡み新たに
南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判)
【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】
南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること)
「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」


南京大虐殺74周年、日本は沈黙
南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り

3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。
4月 1日 国家総動員法公布。 
【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】
「南京事件」143枚の写真  
         
       
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
マギー
マギー
夫人への手紙
(1937年12月12日~1938年2月5日)
 今日僕ベイツから聞いたんだが、日本の軍隊が、我々外国人のここにいることにすごく憤慨していて、征服した軍で中立のオブザーヴァーの存在を認めているところなど、どこにもないと言っている。それはもちろん本当でなく、ドイツがベルギーを占領した間、中立のオブザーヴァーがたくさんそこにいたんだ。しかもこれは、我々が初めから、日本人は我々の南京にいるのを喜んでいないとみなしたのが、正しかったということだ。彼らの我が大使館を通して、我々を追い払おうとしたのが、南京は危険に過ぎると、言ってだったんだ。不可思議なのが、外国の中国に駐在している大使館員や領事館員でさえ、南京入りを認められてないことで、日本兵が12月12日に入城したのにだ。中国軍部隊の掃蕩が続いているから危険だと、彼らが言いふらしたと、僕たち聞いている。実際問題として、かなり離れた場所でのほかは、12月12日以降はいかなる抵抗もなかったと思う。日本軍が言えるかも知れないのは、彼らの入城した後、武器を放擲した中国の兵士と幾千幾万もの無辜の一般市民とを虐殺する行動が、いまだに続いているということだ。

侵略の戦場で何があったのか!!
南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯
南京大虐殺マギーフィルム)1
南京大虐殺
日中戦争 (1937-1938)
南京大 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1
阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城
「南京!南京!」が見られる映画サイト

南京大虐殺5
南京大虐殺

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