秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”
日常/ #3ドキュメント2013.12.6
グーグルクロムで見るとスムーズに画面が動きます。
権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。
情報をもっとオープンに公開せよ!!
「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」
安倍さん!!72年の日中共同声明を完全に忘れたのですか?
共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記している。
※今の日本で「命の教育」などできるのか、疑問だ。過去の日本の残虐行為を全て日本政府からして隠し続け、「日本を取り戻す」、「美しい国」とか、天皇制の強化を唱えている。大人がきちんと過去と向き合っていない!!
第1次世界大戦から100年、安倍首相への10の質問―中国メディア
安倍のお爺さん、岸信介と731の関係は?情報公開せよ!!
日本人が忘れても、マルタの怨念は日本の罪業を訴え続けている!!
安倍の行けない中国・韓国では731部隊の研究が盛んになってきている!!
「秘密保護法」の施行を急ぐ安倍政権の閣僚に世界からメッセージが届いています!!
とくとご覧下さい!!
侵華日軍第731部隊罪障陳列館(ハルピン)
中国が教える731部隊
生きた人を人体実験、日帝731部隊の恐ろしい蛮行
鉄証:731部隊の罪業
日本人の証言もありますよ!!
語り部フォーラム
731部队的真相(英文)2/5 731部隊の真実 the truth of Harbin Unit 731(English Narration)
731部隊のことは、アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター・・・1946年に創設され、アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康と、安全の保護を主導する立場にある連邦機関。)のビデオでも紹介され、世界では公然の事実とされている。
インターネットエクスプローラーのグーグルで(グーグルクロームでは映りません。)
http://www.bt.cdc.gov/agent/plague/trainingmodule/1/02wmp.htmをご覧下さい!!
疾病管理予防センター(CDC): 谷川透訳
医学博士、科学博士 ジョアンヌ・コノー
人は中世以来、敵を殺し、敵の能力を奪うため、自然界に存在する生命体を用いてきた。
初期の例の一つは、14世紀にタタール軍が黒海沿岸の城郭都市カファを包囲攻撃したときに起きた。
腺ペストが発生してタタール人に猛威を振るい始めたとき、彼らはペストに罹って死んだ者の死体を投石器で市内に投げ込み、城壁の内部で腺ペストを勃発させることを決めた。
その後まもなく、城市の中で虐殺から身を守っていた人々は、突然ペストに襲われ、イタリアへ逃がれた。
彼らはこの伝染病を、彼ら自身でヨーロッパに運び、それが恐ろしい黒死病の大流行の始まりとなって、ヨーロッパの人口を激減させたのであった。
ペストの流行に関する今日のわれわれの知識によれば、ノミは人体が冷えるとすぐ人体を離れるので、人体を離れたノミによって元々市内に住んでいたネズミが感染し、市内で突然発生したペストが現実にカファ全域に広がった可能性は非常に高い。
日本帝国731部隊は、日本が戦争に動員され準備が整った1930年代と40年代に仕事をした。
この恐ろしい計画の立案者である石井四郎中将は、病気を殺人兵器に変える任務を帯びていた。
石井は特にペストに魅了されていたが、それはペストによる細菌戦攻撃が自然発生的な伝染病の様相を呈するからであった。
さらに、人から人への感染拡大は、最初に用いる(細菌戦)発動物の量に応じて、病気を発生させることが出来るからであった。
731部隊は、ペスト菌を霧状に散布したり、水に溶かして散布したりすることが出来なかった。そこで彼らは、ペストを感染拡大させるために、天然の病毒媒介昆虫――通常のノミ――を用いた。
感染ノミを搭載した陶器爆弾が中国本土の幾つかの都市に投下され、その住民に多数の感染を引き起こした。
ペストは恐怖心を生み、容易に感染拡大し、人々を迅速に殺すので、兵器として魅力的である。
合衆国の攻撃計画でもペストに関して若干の調査研究を行なったが、同国では完全に武器化することは出来なかった。
ペスト菌を大量に増殖させた時、人はその毒性を持った細菌を保有しつづける魅力に打ち勝つことが出来ない。
ペスト菌は武器であって、伝染力を持っている。われわれは過去を振り返って、そのことを強く感じる。さらに、ペスト菌をエアロゾルにして持ち歩かないよう管理することも問題だし、気象条件によってペスト菌が変異しうることも問題だし、細菌の形をとらなくても非常に感染性が強いことも問題だし、最後にペスト菌がどういう形をとってお終いになるのか、誰もコントロールすることが出来ない。
ペスト菌はきっと、帰ってきて、あなた方に噛みつくことでしょう。
あなた方の軍隊だけでなく、あなた方の友軍や同盟軍にも噛みつくことでしょう。
しかしながら、ソビエトの兵器工場では、ペスト菌はその伝染性ゆえにお気に入りの生命体である。
ソビエト軍は、米軍の経験した毒性の問題を克服した。
ソビエトの亡命者アリベック博士とのインタビューによれば、彼らは1,500トンのペスト菌をいつ如何なる時でも手にしており、それを大陸間弾道弾に搭載する準備が出来ているとのことである。
保管の問題のため、彼らは頻繁にペスト菌の備蓄を廃棄して、新しいものに替えるという。
われわれはテロリストによるペスト菌の使用に非常に関心がある。というのは、ペスト菌が自然界に見いだされるだけでなく、世界中の数多くの生物学資料供給所で入手できるからである。
「生物兵器による戦争とテロリズム;軍事上および公衆衛生上の対応」(アメリカ食品医薬品局発行、1999年)から脚色
<動画>日本軍の細菌戦の遼寧省で唯一公認の被害者が病死
中国(瀋陽)日本戦犯審判の特別軍事法廷旧跡陳列館が開館
日本人戦犯の中国侵略の罪の直筆供述書
<動画>郵便検閲書類が日本軍の細菌戦を実証
気になるニュース
731の幻想
虹企画/ぐるうぷ・しゆら83回公演
檜山良昭 原作
「細菌部隊の医師を追え」より
731の幻想
脚色・演出 三條三輪
照明 小関英勇
舞台監督 桑島義明
大陸を走る黒い列車を或るジャーナリストが追う!
次第に姿をあらわす731の秘密、人体実験、細菌兵器。
血のメスをにぎる白衣の人は怪物? やさしい父親?
推理文学の偉才が描く1人の医師の愛の道は──
出演 三條三輪 跡見梵 石川由吾 荻原俊一 木崎真宥子 桑島義明 斎藤雄太 とやきみこ 林龍六 古谷一郎
牧野こずえ 溝口潤 宮崎江弓子 森奈美守 山口勝久
料金 前売¥3000,-当日¥3500,-
日時 8月15日(金)PM7:00~
16日(土)PM2:00~、PM7:00~
17日(日)PM2:00~
料金 前売り3000円 当日3500円
お問い合わせ……℡090-6712-0114
場所 虹企画ミニミニシアター
虹企画/ぐるうぷシュラ
新宿区北新宿1-18-1 川嶋ビル1階
090-6712-0114(アトミ)
基地移設へ辺野古沖にブイ設置 市民は抗議
「思い風化させぬ」 ヘリ墜落10年 沖国大で集い
室井佑月「なんつー卑怯な政権だ」〈週刊朝日〉
終戦の日の頃になると思い出す、中国ハルピンで出会った女性との小さな出会い
国連が日本の「韓国人へのヘイトスピーチ」問題を審議、韓国側は期待感を示す―中国紙
日本人には真実が隠されているのでは?「秘密国家!日本!!」
マレーシア航空機の墜落原因を親ロシア派が邪魔しているように、日航機墜落事故も、米軍や自衛隊が事故の真相究明を邪魔しているのではないか?というか日本政府とアメリカ政府が真相究明をさせないようにしているのではないか?
原因は、自衛隊か米軍か?
御巣鷹山JAL事故29年…墜落直前の生々しい新テープ「やばい!」「あーああ、終わった」
日本は、テロ攻撃を受け続けている!~まさに戦時下!
日航ジャンボ機JAL123便撃墜事件(M氏の証言_完全版)
中曽根元総理、あなたは、あの日、防衛庁、とりわけ航空自衛隊に対して、一体、如何なる命令を下されたのか?!
【JAL123便墜落事故】
自殺した航空自衛隊員が所持していた 2枚の写真 (世界の真実の姿を求めて!)
NHK速報の「待機命令を無視して救助に行こうとした隊員を 射殺」
NHKアナ「ただいま長野県警から入った情報です。現地に救助に 向かった自衛隊員数名が、何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。 続報が入り次第お伝えします」
JAL123便墜落事故・自衛隊員への銃撃
日航機墜落:29年 慰霊の夏--群馬・御巣鷹
小出裕章先生:米国は、いざとなれば、日本を核兵器保有国にして、防波堤にしようとしている。
15分31秒~第83回小出裕章ジャーナル
関電の歴代総理ヤミ献金スクープと日米原子力協定について「政治家はひたすら核兵器を持ちたい、電力会社はとにかく金儲けをしたい、少しぐらい危険でも、過疎地に押し付けておけばいいだろうとやってきた訳です」
松井英介氏講演
内部被曝による健康障害
日本の医学界は731の残虐行為を真から反省し、謝罪しないかぎり、未来がないと思う!!
旧日本軍「731部隊」、人体実験で23人博士号取得―韓国メディア
心療内科に通院していた…自殺した笹井芳樹氏の最近の様子とは
理研、笹井氏異変を10日前に把握 辞任認めず対応遅れ「速やかに検証する」
理研・笹井副センター長の家族に宛てた遺書の内容が明らかに
笹井氏 遺書に“不当バッシングに疲れた”
山中伸弥教授 「残念でならない」
「(加害者の)父親は大手通販の『ジャ・・・・・・・・』や佐世保市医師会の顧問弁護士のほか、倒産案件などを数多く手がける弁護士として知られています。
長崎佐世保の女子高生猟奇事件、犯人の父親は佐世保市の超有名企業の弁護務めていた!?話題の豪邸も納得か【追記あり】
母親=東京大学卒、佐世保市の教育委員かつ長崎県スケート連盟会長(病死)
佐世保女子高生殺害解剖事件!殺人鬼の人生壮絶過ぎる!!
佐世保事件、少女の鑑定留置決定 佐世保簡裁
「娘が起こした事件により、何の落ち度もないお嬢様が被害者となられたことについては、おわびの言葉さえ見つからない」
「体の中を見たかった」「人を殺して解体してみたかった」
「私たちに、今残されているのは、不気味な日常性の中で行なわれたものを今、痛みを持って思い起こすことであり、この多くの歴史的事実を絶えず現在の問題としてとらえ直すことであろう。」
『人間の価値』より
イギリスのデイリー・メール紙は「近年の日本で最も衝撃的な事件の一つ」、「日本で起きた犯罪の中でも最も陰惨なものの一つだ」と大きく伝えた
この加害者の少女Aは、有害なものを給食に入れたり、人体解剖をしたりと、全く731部隊員がやっていたようなことをした。(731部隊では、もっと恐ろしい生体解剖が日常的に行なわれていた。)
少女Aは小中学生のころ、医学書を読んだり、ネコを解剖したりしていた。その中に731の本もあったのだろう。中国で毒入りの饅頭を人目のつく所に置いたり、井戸や川に細菌を投げ込んだりしていたことや、部隊本部で生体解剖をしていたことも知っていたのではないか?
かつての日本軍が中国でやったこの非道なことが全く裁かれず、みんな何事もなかったかのように戦後生き抜けた医学者のことも知っていたのではないか。
少女Aは、小学6年生時代に同級生の給食に毒物を混ぜ込んだことがあり問題になったが、教諭の諭す言葉に少女Aこう答えたという。
「何が善で何が悪かは、大多数の意見で決まる。絶対というものはない。そしてその善悪を決めるのはこの『僕』だ」
少女Aは自分のことを「僕」といっていた。
日本で731部隊を真似て、毒物混入事件は、たくさん起きている。
真相はまだ究明されていないが、「帝銀事件」、「千葉大腸チフス事件」、「名張毒ぶどう酒事件」、・・・
毒物を撒く事件は、「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」、そして、アメリカがいち早く、非加熱製剤の危険を察知し、加熱製剤に切り替えたにもかかわらず、日本は非加熱製剤を血友病患者に投与し続けた「薬害エイズ事件」。この他にも、水俣病をはじめとする様々な公害事件、福島原発事故等々。
中国には人知れず残虐に殺されたたくさんの松尾愛和さんがいる。
中学校の卒業文集に少女Aの「数える」という文章がある。
「僕が人生で本当のことを言えるのは、これから何度あるだろうか。
人生で、涙ぐむほど美しいものを見ることは、悲しみに声を枯らすことは、お別れのあいさつを書くことは、好きな人と手をつなぐことは?数えたら、きっと拍子抜けするだろう。
いま人生を始めたばかりの薄い肩に、どこまでも水平線が広がっている。
あまりにも短い航海の間、僕は何度心から生を叫べるか、正の字をつけて数えておこう。
この人生の幕引きに笑ってお辞儀ができたなら、僕はきっと幸せです」
報道によれば、いまだに加害者の少女は殺害した同級生へのお詫びの言葉を口にしていないという。
ここも、日本政府とそっくりだ!!
この文章の冒頭の部分が私には、こう聞こえて仕方がない。
「日本政府が国際舞台で本当のことを言えるのは、これから何度あるだろうか。
・・・・数えたらきっと拍子抜けするだろう。」と
この事件は、少女Aの個人的な事件ではなく、日本人自身が過去に向き合い、考えなければならない問題ではないのか?
女子生徒を鑑定留置 佐世保・同級生殺害
佐世保の加害者JKの卒業文集がステキ
松尾愛和さん猟奇殺人★加害者本人と家族、その周辺情報と報道★佐世保北高校生
「同級生殺害」娘を籍から抜いていた加害女生徒の父!直後に金属バット殴打
女子生徒は小中学生のころ、医学書を読んだり、ネコを解剖したりしていました。
4年前、同級生の給食に有害物質 高1殺害容疑の少女
(参考)長崎は731部隊と縁がある!!
まずは長崎大学から。
==== 長崎大学医学部(旧長崎医大) ====
山下俊一、高村昇らが活躍(暗躍)する長崎大医学部は元731部隊関係者の巣窟であった。少なくとも次の4人が関係者だと言われている。
林一郎(病理) 長崎大学名誉教授・日本先天異常学会会長
斎藤幸一郎 (生理) 長崎医科大学教授・金沢医科大学第1生理学教室教授
青木義勇 (細菌) 長崎医科大学教授
福見秀雄 (細菌・防疫) 長崎大学学長・長崎大学教授・ 国立予防衛生研究所(予研)第6代所長
福見秀雄は1980年に長崎大学学長に就任。
同年、長瀧重信が医学部教授に、のちに医学部長になっている。
長瀧の教え子が山下俊一、そのまた教え子が高村昇である。
長崎大医学部は、731部隊直系の研究組織と言ってよい。
そして、そこから御用学者が何人も出ていることは決して偶然ではない。
天皇はなぜ広島・長崎の式典に参列しない?天皇と原爆は関係ない?
天皇批判した小川、謝罪も炎上
小川未菜は100%正しい! 「日本人は昔,天皇のせいで苦しみ、命がたくさん奪われた」
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」
原爆投下について記者から問われた昭和天皇は、こう答えている。
天皇:「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。」
日本は、戦況が悪化し負けていたにもかかわらず、「国体護持」にこだわって降伏を遅らせ、多くの日本人の犠牲者を出してしまった。そのときも、戦争をはじめたときも最高責任者は、昭和天皇であった。
1975年の記者会見では、天皇の戦争責任ついてこう述べている。
「中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。」
『天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。』
日本は戦争中、世界で初めての2発の原爆投下を、経験した。
これは、アメリカが莫大な費用をかけて開発したものだった。
アメリカは実戦の効果を知りたかった。
原爆の子
日本が、本当に「自衛のための戦争」をしていたならば、敗戦後この非人道的な核兵器の被害を、国際社会に訴えることができたはずだ。
ところが、日本は戦争中、中国大陸において、驚くべき残虐な人体実験、細菌戦、毒ガス戦等を展開していた。アメリカは再三日本に「この非人道的な細菌戦、化学戦(毒ガス戦)はやめろ」とと警告を発していた。
日本は自国の戦争犯罪を隠すことに汲々として、アメリカとの取引をし、そして、原爆被害を世界に訴えることなく、全面的に核兵器の効果を調べるためのアメリカの調査に協力した。その結果、その調査によって被爆者は全く治療されなかった。
封印された原爆報告書
1997年の平和宣言で広島市長平岡敬氏は「アメリカの核の傘から日本は抜け出すべきだと政府に要求する」と唱えた。
すると橋本首相は平岡氏に歩み寄ってきた。
「あなたの気持ちはわかるけれども、そんなことはできない。あなたはアメリカの怖さを知らない」と言ったという。
やんばるの白ひげ ~核の傘の下で~(3)
私の想像:もしも日本政府が、アメリカの核戦略から抜け出し、この非人道的な核兵器の廃絶を世界に訴えたら、アメリカは「日本が中国で行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦、三光作戦等をばらすぞ!!」と脅しているのではないかと思う。そしたら今の天皇制はすっ飛んでしまうだろう。
追記:アメリカの怖さとはこれかな?
橋本龍太郎は、1986年7月22日、第3次中曽根内閣の運輸大臣に就任した。
このドラマの最初の方で事故調査報告書を受け取っている。
ボイスレコーダー ジャンボ機墜落20年目の真実
米軍が墜落させた?それとも、自衛隊?
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表
橋本首相は続けて言う。
「日米安全保障条約によって支えられている安全保障の仕組みがこの国にとって必要だ。」
私の解釈:だからお互いに過去の非人道的な過ちは隠しておいて、未来志向で、放射能の怖さや遺伝子組み換え操作の怖さにも触れず、未来志向で、日本はアメリカの核戦略・生物化学兵器開発(もちろん日本も密かにやっているのでは?)を危険と知りつつ、進んでいきましょう。そしたら、天皇制も安泰です!!(何時まで続くこの身分差別!!)
原爆を浴び、放射能の恐怖を体験したはずの日本が、原発を50余機持っている。そして文殊はじめ原発関連の施設の維持費は膨らむばかり。国家財政は破綻寸前!!(破綻しているのかな?)、若者の貧困化も深刻!!
・内部被曝を日本の司法は認めているが、日本政府は認めていない?
・日本の医療・教育で、本当に「人間を人間として見る医療・教育がされてきているのだろうか?」
※日本は、戦後東京裁判で731部隊の罪業が裁かれることなくきたために、教育界・医療界でも戦争の反省をすることなく進んでしまった。
その結果、歴史認識の問題や放射能の怖さについても、まともな研究が疎まれ、今の政治状況が生まれている。
広島・長崎で2発の原爆投下を受け、悲惨な状況を経験し、また福島であれだけの原発事故が起き、これまた悲惨な状況にあえいでいるにもかかわらず、原発再稼動に日本は突っ走ろうとしている!!なぜなのか?
日本では、「人間を人間として見る」教育などされていないのでは?
いつも権力者の言うことに慣れ親しんいる。
(転載)
中国からのメッセージ!!
細菌戦に関与したのは、石井部隊だけではなく、関東軍主力が関わっていた。国際法違反は日本軍全体の問題である。日本側の検証を望む。
日本戦犯・三宅秀也:“指導”して楊靖宇を殺害した
三宅秀也の供述書公開 細菌戦に備えペスト研究を指示(三)
2014年7月29日原文:人民ネット―国際チャンネル
公開資料の22番目の日本戦犯は、三宅秀也の罪業供述書である。三宅秀也は、抗日英雄・楊靖宇等の犠牲に関与している。
1954年8月~1955年4月の供述書は、三宅が1902年、兵庫県生まれ、傀儡満州国熱河省警務庁警務課課長・傀儡奉天省警察庁庁長を歴任したと示している。
重要な罪業:
1936年には、偽熱河省と偽錦州省で共産党員や反満抗日思想を有する中国愛国者ら7066人を検挙し、「内一五〇名を『厳重処分』(死刑)に附して居ります」
1938年11月には、防疫本部の会議において、「偽新京のペスト防疫の完避を期するため偽農安県城をペスト病源地として、偽警察力を以て包囲し、外部との交通を完全に遮断することを決定しました」。「関東軍が石井部隊をしてペスト防疫業務を直接担当せしめたる主なる目的は、偽新京にペストの発生せるを好機とし、他日の細菌戦に備へ、石井部隊をしてペスト病菌に対する種々なる研究及実験をなさしめんとするに在りました。石井部隊は偽農安県城に於ても、偽警察の包囲下に於て、人民をペスト病菌に対する研究と実験の用に供して居ります」
1939年9月から1941年3月までは、所属の各偽警察機関を指導し、抗日聯軍第一路軍の「消滅」に協力し、「抗日聯軍約二千名を射殺し、約一千五百名を誘降し」、射殺された中には楊靖宇や陳翰章などもいた。
1942年8月3日には、偽慶安県警察隊に命令し、該県青風嶺附近で抗日聯軍第三路軍の許享植軍長を射殺した。
1944年7月から1945年8月まで偽奉天省警務庁庁長として在任中、部下に命令して刑法違反者を逮捕し、「一市六県のみにて中国人民一万二千一百八十名を『検挙』し四千五百六十五名を偽検察庁に送致致しました。偽検察庁に送致せられたる者の中、十四名は死刑を宣告せられ、偽監獄に於てせられました」(編集MA)
初めて知った戦争「大久野島」「731」
毒ガスのほとんどは大久野島で製造され、中国で大量に使用され、多くの中国人が犠牲になった。
使用前には、731部隊と516部隊(化学戦部隊)が合同でマルタ(=被験者)をトーチカに入れての人体実験や野外実験などで、効果を調べ、その結果をもとに実戦に使用した。
そして、敗戦で引き揚げる時にその毒ガスを中国に遺棄したため、今、中国ではその被害に多くの人が悩んでいる。
遺棄毒ガス訴訟、請求棄却 中国の少年2人が被害
鈴木啓久供述書:毒ガスを使用した!!
重要な罪行は次の通り。
1934年6月頃、錦州で「中国人の農民2名を殺害した」。
1935年3月上旬頃、高木大佐を援助し、「上板城附近で約300戸のある村二つを焼却し、多数の中国人民を殺害した」。
1940年9月、安徽省宣城作戦において、屋内に退避した抗日軍人約50名に「毒ガス攻撃で全員惨殺した」。
1941年、安徽省巣県に慰安所を設置したうえ、20名「中国の婦女及び朝鮮の婦女を誘拐して、慰安婦をなさせた」。
1941年11月、河北省棗強で八路軍を攻撃し「八路軍約10名を殺害し、約600戸のある村二つを焼却し、中国人の農民100名を虐殺した」。
1941年12月、「長城線附近2キロメートル内の」「住民を移転させ、無人地帯となさせた」。
1942年1月、唐山一帯で田浦大佐に対して掃蕩を命令し「約八〇〇戸のある村を焼却し、中国人の農民1000人を虐殺した」
中央檔案館が日本戦犯、鈴木啓久の中国侵略罪行自供抜粋を公開
日本人戦犯1人目・鈴木啓久の供述書を公開
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
榊原秀夫(731部隊林口支部長)
榊原秀夫の供述書公開 731部隊の細菌戦に協力(一)
榊原が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
「林口支部の任務に従って私は在職間、細菌戦準備の為に第一課長細矢少佐に命じ細菌保存培養を実施せしめました」。当時の生産量は、「中蘇国境の東部地面に撒毒し、極めて大量に蘇同盟軍隊のみならず中蘇両国の平和人民をも毀滅せしめるに充分な量」だった。
「細菌戦準備の為の捕鼠」では、「私は部隊全員を動員して捕鼠に従事致しました」。「間所少尉を長とし約二五名の捕鼠班を常時設置」し、「捕鼠により第七三一部隊に送附致しました鼠の総数は一九四五年四月に一〇〇〇匹、五月一〇〇〇〇匹、六月八〇〇〇匹、七月七〇〇〇匹総計二六〇〇〇匹」にのぼった。
1945年3月上旬,「私は第七三一部隊の命により」「支部の保存培養中のチフス菌、A型パラチフス菌の試験管二本を第七三一部隊第一部毒力検定班」に提出した。「両菌種共に第七三一部隊第一部保存菌中の標準毒力」に適合しており、「細菌戦の準備の為の保存培養に適」していた。「井戸水には効力の確実を期するために大体一・二本の試験管でし得ると計画したものであります」。「私は此の効力実験によりて四名の中国愛国者を殺害したものであります」
1945年4月には、黒竜江省安達県で、「私は安達に於ける殺人実験に参加致しました」。「中国愛国者の方四名」が「安達演習場に二五米―三〇米の間隔に地に打ち込んだ丸太の棒に縛りつけられました」。「軽爆撃機が演習場の上空に飛来し約一五〇米の高度より素焼製爆弾(陶器の一種)を投下し五〇米上空で炸裂しました」。「私は完全予防衣をつけ五・六〇〇米位の距離から此の惨行を見たものであります。此の爆弾は恐るべき炭疽菌を充填した爆弾で鼻咽腔より吸入せしめ当時絶対に生きることの見込のない肺炭疽に、或は破片により皮膚炭疽を起させる全く酷悪の罪行であり、私も此に参加したものであります」
1945年8月、「蘇聯軍開戦をラヂオに依り知り、直ちに自動車の出動準備を命じ、同時に一切の馬を除いた動物、即ち捕鼠した鼠、白鼠、モルモット、兎、蚤、及保存培養せる細菌を第七三一部隊に送附せしめました」。「部隊建物に藁を積み石油を準備し建物の焼却準備を実施し、更に部隊専用の水源地の給水ポンプの破壊を命じ破壊せしめました」。「細菌戦準備の為の一切の証拠物件を煙滅破壊したものであります」。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年7月11日)
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
上坪鉄平
重要な罪は次の通り。
1944年8月より1945年2月に亘る間、「鶏寧、平陽、東安地区に於いて部下分隊長に命じ、抗日地下工作員9名(氏名記憶せず)を検挙させ、厳重な拷問を以って取り調べの内、8名は特移扱いとしてハルビン特務機関を経て石井部隊に特移送らせた」。
1944年9、10月の間、検挙した中国人(ソ連諜)1名を「特移扱いとして」、「ハルビン憲兵隊に移送させ、該隊が石井部隊に特移送させる。」「特移扱いは『防諜(思想)上の重大犯人にして、特に未来逆用の見込みなきものは、特移扱いとして憲兵隊司令官に申請し、司令官の許可及び移送命令に依りハルビン憲兵隊に送致す』、ハルビン憲兵隊により石井部隊に送致し、石井部隊にては細菌研究の実験に供するものになるとハルビン憲兵隊戦務課長より告知された。」
1944年11月頃、勃利分隊に命じて、抗日地下工作員約90名を検挙し、1945年4月頃、「其の内10名(氏名記憶せず)は特移扱いとしてハルビン特務機関を経て石井部隊に特移送らせた」。
1945年4月初、平陽分隊が検挙した抗日人員8名を「特移扱いとして、ハルビン特務機関を経て石井部隊に特移送らせた」。
1945年5月、勃利分隊が検挙した抗日人員4名を「石井部隊に特移送らせた」。
「以上私の鶏寧、東安隊長として検挙した中国人は誰も愛国抗日の積極的先進分子にして、私は彼達の大部分を石井部隊に特移送り、最も非人道的な細菌研究の実験に供した」。
「私が鶏寧、東安憲兵隊長として部下憲兵に命じて抗日地下工作人員を検挙の上拷問を以って厳重たる取調べを実施させた者は、既報した者150名以上、内特移扱いとしてハルビン石井部隊に特移送らせた者44名、拷問致死2名である」。「報告し得ざる者も相当多数あることは確実である」。(翻訳・編集/呉寒氷)(新華網日本語))
731部隊とは
齋藤美夫の供述書 中国人を集団虐殺(二)
重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1937年11月初旬、新京北、南分隊及び首都警察庁の厳重処分に付すべき中国人約30人を新京北東北方約20キロの刑場に押送するよう命令。途中、全員が射殺された。
1939年8月8日、「河北より石井細菌化學部隊に引渡すべき中国人九〇名を哈爾濱、及孫吳に押送」する命令を下達した。1956年6月17日の訂正・追加自供書で彼は「被押送人員三〇名は哈爾濱に下車せしめられ石井部隊の細菌化学生体実験に、孫吳に下車せしめられた被押送人員約六〇名は習志野学校(瓦斯部隊)と石井部隊の協同による毒瓦斯弾効力実験特別演習の用に供せられたものなることを白濱大尉の事後報告により知りました」と記した。
1940年8月~1942年6月、広州市内および周辺村落で約200回捜査を行い、勾留人員は約1000人、検挙人員200人に達し、うち5分の1の40人を厳重処分に付した。
1941年6月~1942年6月、「私は派遣軍憲兵隊長として命令を以て約三回に亘り廣東憲兵隊をして同隊の検擧したる中国人民を『嚴重処分』として『集体(銃殺)』せしめました」「約一二〇名に達し」た。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年7月23日)
飛びゆく雲 最後の戦犯は語る
日本人戦犯の中国侵略の罪の直筆供述書
戦時中、中国で731部隊員はこんなせりふを言い、たくさんの中国人を殺していたのですか?
「近くでペストが発生しました。予防薬をみなさんに飲んでいただかなくてはなりません。」
「さあ、どうぞ!!」
【安倍首相】731部隊・マルタ部隊を連想させるパフォーマンスを行ったって本当なの?
731部隊!!
聞け、この沈黙の慟哭を
平房の涙、地底の叫びを
見よ、この虐げられた大地を
名も知れぬ鳥たちが番人のように私を見下ろしている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
731部隊展感想(武蔵野展)
<展示アンケート>
項目4 展示内容についてのご感想、ご意見をお聞かせください。
項目5 このような取り組みについて、どう思いますか。ご意見をお聞かせください。
【4月6日(日)】
★40代 通りがかり 女性
4.知らない事も沢山ありました。想像以上に中国に対して非道な事をしていたと思いました。学校でも、キチンと教えるべきだと思います。
5.日本人として、過去の歴史を知る事は、とても大切な事だと思います。
◆?
4.(う?)なるほど勉強になりました。でも疑問が湧きます。…では中国は何も悪いことはしなかったのだろうか?日本が100%悪者で中国が100%善良で…とはいうはずはありません。新しい事実はそうでもないことを次々と明らかにしています。日米間も同じことです。それぞれ知る為に図書館があります。ご利用ください。
5.Pleas liy to be fair to TRUTH! (?)
【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F
戦争や実験という名の殺戮
何箇所か設けられた処刑場の跡も、念入りに消した。これは、特に注意深く行なった。
我々の与えられた命令は、一切の痕跡を残してはならない、というものだった。杭の穴1つたりと言えど、残してはならなかったのだ。731部隊では、いつもそうだった。731部隊は、いつでも、秘密の部隊であらねばならなかった。
一切の後始末が済むと、来た時と同じように1台のトラックが我々を迎えに現われた。トラックに乗り込んで、幌をおろす前に、私は、再び空き地と化した基地を見た。
何もなかった。731部隊がここにいた、ということが信じられないほどだった。
しかし、731部隊は、まぎれもなくここに来たのだ。ここで細菌戦の実戦を行なったのである。
その証拠には、我々がどんなに必死で部隊の痕跡を消そうと努めても、その努力をあざ笑うかのように、この地方では、伝染病が猖獗(しょうけつ)を極めていたのだった。
平房への帰路は、やって来た時と全く同じだった。トラックで駅に着き、貨車に乗り、弁当を食べ食べしながら、何日か北上するわけである。
平房から部隊本部へトラックで帰ったのも、前と同じだった。ただ、到着したのは、夕方ではあったが、まだ、あたりが明るい時刻だった。
翌日、1日の休暇が与えられた。宿舎でゴロゴロしていたように思う。次の日からは、また、いつもと変わらない日常が、何事もなかったように始まった。
寧波細菌戦
寧波については最初の方にあります。
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
細菌戦被害の人々(寧波細菌戦)
細菌戦被害者の証言(2012年4月15日)
中国側はペストの発生で防疫活動に大わらわ!!
ペスト流行地区を最後には焼き払う!!
続きは「ノブのノート」で
あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?