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南京!南京!

2014-12-11 09:30:02 | Weblog

●731部隊
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?

秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”
日常/ #3ドキュメント2013.12.6 

グーグルクロムで見るとスムーズに画面が動きます。

権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。
情報をもっとオープンに公開せよ!!

「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」

安倍さん!!72年の日中共同声明を完全に忘れたのですか?

共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記している。

※今の日本で「道徳重視」とか「命の教育」などと政府は言っているが、その一方で過去の日本の残虐行為を全て日本政府からして隠し続けている!!政府から姿勢を正し、過去の日本の侵略行為と向き合い、史料をきちんと国民の前に提示して、その責任を明確にすべきだ!!
北朝鮮の拉致問題で日本政府が北朝鮮に、「正直で誠実な対応」を求めているが、731や慰安婦問題等でも日本政府に「正直で誠実な対応」を求めたい!!

第1次世界大戦から100年、安倍首相への10の質問―中国メディア

●今回の選挙の争点は、「歴史認識と近隣外交」ではないのか?
日弁連 特定秘密保護法の廃止求める声明
大江健三郎氏:秘密保護法を一番要求しているのは米国だろう……(`・ω・´)
特定秘密保護法施行に日本各界が憂慮 反対のうねりが巻き起こる
「検証・安倍政権」<外交編>活発だった首脳外交、中韓関係が課題
シリーズ:安倍政権2年の通信簿と選挙の争点4「政治はなぜ原発政策から逃げるのか」(1/2)
麻生発言問題:麻生さんの本音?メディアの意図?
アベノミクス→失敗(*゜Д゜)発見 = アホノミクス……そろそろ気づこうね?(´・_・`)


安倍政治を問う〈6〉 荒廃照らす 歴史認識 関東学院大林博史教授
ドイツは今でも戦犯を追っているのに、日本は、戦争犯罪を権力・お金の力によって隠蔽し、戦犯追及を全くやっていない!!
「アイヒマンの右腕」死亡か=超大物ナチス戦犯―4年前シリアで
「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館
731部隊では何が行われたのか
(参考)中国の劇映画 荒原城堡731第9集

ETV特集「戦場で書く~作家・火野葦平の戦争~」①


加藤典洋(かとうのりひろ)
過去の自分の国が為した間違いを「謝る」こと、自分たちの「誤り」を認め、それと向きあうことが、戦争の死者の「無駄死に」に応え、自分たちの道義の「強さ」「まっとうさ」「未来性」のカギとすることで、彼らの「死」を弔うことにもつながる。 
慰安婦、日韓併合、中国侵略…「謝罪は戦争の死者たちを哀悼する行為でなければならない」―日本を代表する思想家
歴史を否定する国が尊敬を勝ち取ることはできない


作家の村上春樹氏はこのほど日本メディアの取材に答え、第2次世界大戦や福島原発事故などに関して、日本は責任を回避していると批判した。
村上春樹氏「日本人は自らを第2次大戦の被害者と認識」―中国メディア


二度と悲惨な戦争を起こさないために1人1人が出来る事は?

731問題・南京大虐殺・慰安婦問題・重慶大爆撃等の歴史問題に日本人はきちんと向き合おう!!

●南京大虐殺
(朝鮮日報日本語版) 南京大虐殺追悼日控え、中国が日本を意識した軍事演習
初の南京大虐殺追悼日、南京全市でサイレン―中国メディア
中国の「南京事件」哀悼日、日本の世論も高い関心=習主席、対日批判展開か―仏メディア
南京大虐殺記念館、今年7602点の歴史資料収集
南京大虐殺の新史料公開、毒ガス弾も新たに収集―中国メディア
中国版アンネの日記 国家公文書局が南京大虐殺動画をネット配信
「南京大虐殺辞典」、第1巻が完成―中国紙


南京事件のシリーズ映像、ネットで公開開始=13日の国家追悼日に向け、「中国版アンネの日記」ほか―中国

南京大虐殺のような人類にとっての悲劇が再び起きないように努力し、世界に永久の平和がもたらされるようになる」と指摘しています。
「南京大虐殺公文書抜粋」、ウェブで公開開始
<南京大虐殺>悪魔でも許されない残虐行為、日本に謝罪と賠償求める―中国民間団体
南京事件で「謝罪と賠償」求める書簡を日本に送付、中国公文書当局は写真公開
「日本語を話すな!」台湾で怒鳴られた、ネット上で非難の嵐―台湾


・1937年(昭和12年)12月13日南京陥落
「南京事件」笠原十九司著 岩波新書より

中国映画-『南京!南京!』(日本語字幕版、HQ、高画質)


映画 映像の世紀 南京大虐殺1 地獄絵巻はこうして繰り広げられた


南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分 


南京大屠城



●ご案内
最高裁の不当判決に抗議!!
遺棄毒ガス事件被害者の救済を求める大集会

日時:12月20日(土)午後6時半~8時半
場所:文京区民センター2A室
(都営地下鉄三田線・春日駅スグ、丸ノ内線・南北線・後楽園駅下車5分)



●皇室の秘密
君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?より
昭和天皇が日中戦争を起こした本来の目的

【満州帝国と阿片】日の丸はアヘンのトレードマーク
拡大した市場は、もはやイギリスの阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていった。植民地朝鮮半島でも、中国への阿片輸出のため、3万~8万人が従事して、毎年、約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造することとなった。

阿片・麻薬の需要は増大し、三井物産と三菱商事が、ドイツ・イラン・トルコ・シンガポールの阿片・麻薬を一手に輸入していた。英仏によって、中国華僑の活躍した東南アジアにも阿片の弊害は及んでいったのだ。実に欧米に成り代わった日本は大東亜阿片圏と言うべき阿片の毒牙をむき、三井・三菱の阿片船がアジアを往来した。

三井物産は上海へ、1938年4月に約3万トン、1939年1月に約7万トンもの阿片を運び込み、南京維新政府の財政を助けた。三菱商事は三井の3.5倍もの量を1939年2月に満州の大連へ運び込んでいる。

南満州進出、21カ条要求、満州事変と中国への日本の侵略は拡大、さらに日中戦争へと突入する。日本は、中国の占領地に満州帝国を始めとする傀儡政権を次々とデッチあげていく。

これらの傀儡政権や親日の軍閥は、日本軍の擁護の下に、阿片を政府・地域の許可・専売制として、阿片・麻薬の利潤を日本軍と分け合った。傀儡政権の満州・内蒙古では堂々とケシが大量栽培されていた。

日本政府、「731部隊」「慰安婦連行」などの書類を数日かけ廃棄 1945年、東京の夜空を焦がした公文書焼却の煙
資料:日本人の著作に見る「南京事件」
大虐殺の開始


堀江貴文 「天皇は戦争の責任を負うべき」神をも恐れぬビッグマウス!そして池上彰ディスり!!
日本人を大量虐殺した天皇家の皇太子妃・雅子の一族
水俣病Q&A 



●気になるニュース
なぜ、靖国神社や天皇制が残っているのか私にはわからない!!
戦後も、元軍人やA級戦犯容疑の政治家が数多く日本の政治の中枢にい続け、現在もその流れが力を持っている。
国民にそしてアジア諸国等対戦相手に多大な犠牲を負わせたあの戦争。日本もアメリカも正義の戦争をしたのではなかった。日本はアジア諸国を侵略し、略奪を重ねた。アメリカは、日本をまねて、無差別空襲を実施し、最後は2発の原爆投下!!
そして、天皇とアメリカは取引をし、天皇と皇族たちは誰1人裁かれることなく、アメリカは戦争ビジネスでもうけ、731部隊員を裁くことなく、そのデータを買収した。一方B・C級戦犯は証拠も不十分で、弁護も受けることなく、命令者の罪を被されたまま処刑された!!
韓国、靖国参拝を批判 「慨嘆禁じ得ない」


本島さんの不屈の精神には驚きました!!ご冥福をお祈りいたします!!
この人は、日本軍の加害の事実をきちんと認識していた!!(ウィキペディア本島等)より(私は、原爆も非常に非人道的な兵器だと思うが!!)
[質問]原爆の持つ非人間性は。
[回答]『原爆による死には『極限の残虐』という言葉が使われるが、拷問で死ぬ前の隠れキリシタンの恐怖は、いかばかりだったか。南京大虐殺や731部隊も残虐の極致だ。日本人の非人間性、野蛮が出ている』
[質問]原爆や空襲、沖縄戦の犠牲者に責任があるのか。
[回答]『戦争責任は昭和天皇をはじめとする戦争指導者だけでなく、マスコミにあおられて狂信的に戦争を進めた一般民衆にもある。全国民を裁くわけにはいかないので、東京裁判で指導者が裁かれた』
「天皇の戦争責任はあると私は思います」「戦争終結を早く決断していれば沖縄広島、長崎はなかったと思う」
訃報:本島等元長崎市長 本島等さん肺炎のため亡くなる 92歳
(参考)中国では731部隊は生体実験、生体解剖、細菌戦をやり、中国にあった日本の陸軍病院では当たり前に手術演習として麻酔もかけずに生体手術演習が行われていた(残酷)!!
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」


・天皇制を考える
ノーベル物理学賞受賞者・益川敏英博士にインタビュー
米政府“拷問”刑事責任問われず
CIA収容所 ポーランドに存在
朝鮮学校へのヘイトスピーチ 禁止命じた判決が確定
「カネがなくても日本とは共催しない」と韓国側関係者・・・平昌五輪の「分散開催案」に=中国メディア
日本兵による米兵虐待描写の映画、日本公開はNGの可能性も?=米紙報道に、米国ネットは「ばかばかしい議論」
小出裕章先生:東電も政府も責任とらない→ゼネコンもますます儲かるという構図になっているわけです


小出裕章先生:東電も政府も責任とらない→ゼネコンもますます儲かるという構図になっているわけです

慰安婦隠蔽は危険な火遊び・・米紙が社説で日本批判、韓国ネットは「日本が自ら自滅中」「日本も韓国も…」

六本木に米軍基地がある?!憲法より上位の安保法体系がある!!日本の最高決定機関で決めた事よりも日米合同委員会の決めた事の方が上位?
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治・孫崎享 対談



●ご案内


●731部隊展
一旦戦争を始めれば、国民は総動員され、残酷な事にもなれてしまう?

世田谷
「731部隊と現代普通の~医者が生体実験 なぜ?」
講師 奈須重雄 (NPO法人731部隊・細菌戦資料センター理事)
世田谷展 奈須講演1 

世田谷展 奈須講演2 

731部隊でやったこと(生体実験・生体解剖・細菌兵器開発・細菌戦の実施)


731部隊・防疫給水部に従事した医学者の中には、自分のやったことに後悔し、自殺した者、命令を拒否した者もいた!!

戦後、731部隊の事は全く反省されず、放射能の被害についても隠蔽が続いている!!

731部隊ではデング熱の人体実験もされていた。陸軍でも生体実験は行われていた。戦後、精神病院の患者に対して行われた生体実験。

学会での批判と反批判。

戦後、精神病院・乳児院などで生体実験が行われていた。アメリカは731部隊での人体実験・細菌戦を公に認めている!!

731にいた友人の変わり果てた姿!!

大牟田爆発赤痢事件
大牟田「(いわゆる)爆発赤痢」研究会
九州大学生体解剖事件




[戦争の証言] 七三一部隊~人体実験
unit731 


(参考)
Unit 731 Japanese Torture & Human Medical Experiments 部隊の真実

コメント
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南京!南京!

2014-12-11 09:29:09 | Weblog
731で研究された生物戦のデータはアメリカに渡り、(ソ連もハバロフスクで追及し、細菌戦の概要を知った!!)戦後の日本でも研究が継続されている!!
だから、日本政府はまったく細菌戦について調査をする気がない!!(もちろん隠す目的)
2003年川田議員に対する小泉首相の答弁
「お尋ねの細菌戦に係る事実調査等については、本件の性格や時間的な経過に鑑みれば、更なる調査を行い、明確な形で事実関係を断定する事は極めて困難と考えるが、新たな事実が判明する場合には、歴史の事実として厳粛に受け止めていきたい。」

七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
答弁本文情報

政権が変わっても全く同じ!!(医学界・旧軍人・天皇側の圧力が加わっている?)
2012年服部議員に対する野田首相の答弁
(細菌戦の効果を論文にまとめた「金子論文」が見つかっているのに、こんな答弁しか出来ない!!ほとんど小泉と同じ官僚の作文!!)
「お尋ねの細菌戦に係る検証作業については、本件の性格や時間的な経過に鑑みれば、更なる調査を行い、明確な形で事実関係を断定する事は極めて困難と考えるが、新たな事実が判明する場合には、歴史の事実として厳粛に受け止めていきたい。」

七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
答弁本文情報

●11月22日細菌戦センター学習
冷戦下の人体実験 

医学系大学では、731の事を教えていない!!サーズは人工的に作られた?研究者は密室で何をしているか分からない。
中村明子先生と西里扶甬子対談 1


国立予防衛生研究所とはどんなところか?731部隊員は、予研では優遇された。自衛隊の園口忠男(第8代衛生学校長)は、予研では閣下と呼ばれていた!
自衛隊と予研の関係は?
中村明子先生と西里扶甬子対談 2 

対談後の質疑応答

「衛生学校記事」情報公開裁判の報告 

細菌戦センターからのお知らせ!!

731部隊に関与した医師・医学関係者     作成者:小俣和一郎
731部隊の犯罪を反省せぬ感染研

731部隊ではやはりデング熱の人体実験を行っていた!!
デング熱と731



戦後の日本医学界の風潮


(参考)
Mengeles Erben (4/10)



●重慶大爆撃
日本人の多くが知らないか、忘れていること?
日本各地で空襲があり、多くの人が犠牲になりましたが、日本軍は戦時中中国各地を同じく無差別に空襲をしていました。
重慶大爆撃もその一つです。
今日本で、この裁判が行われています。志のある方はご賛同よろしくお願いします!!


1941年6月5日、日本軍が重慶市に対する連続5時間余りに及ぶ大規模な爆撃を行い、較場口の防空トンネルにいた多くの市民が窒息死し、「六五大トンネル事件」となった。
「侵華日軍重慶大爆撃殉難同胞記念園」の設立、専門家が呼びかけ―中国メディア
重慶大爆撃
重慶大爆撃 対日民間賠償請求訴訟
重慶大爆撃とは①

もちろん、無差別爆撃もあった!!
陸軍航空隊の爆撃行(日本のプロバガンダ映画)



●靖国神社参拝違憲訴訟
安倍靖国参拝訴訟裁判
靖国参拝差し止め訴訟、首相側は争う姿勢「私人の立場」


(参考)
日本鬼子(リーベンクイズ)


映画『『日本鬼子(リーベンクイズ)』のDVD発売中
税込価格 5184円 (カラー160分)
購入をご希望の方は「中帰連発行所」に連絡ください。
申込先メルアド tyuukiren@yahoo.co.jp   Fax 03-3954-6142


●日本軍が戦時中、中国でやった事
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」 

1956年の瀋陽特別軍事法廷で裁かれた旧日本軍人など45人の供述調書より

21、中井久二が1954年8月から11月にかけて書き記した供述によると、彼は1897年に日本の鳥取県に生まれ、1936年から偽満洲国錦国地方法院審判官、司法矯正総局局長などの職に就任した。

重要な罪は次の通り。
1938年より1944年迄、「監獄内に於ける己決犯、未決犯収容者の死亡者数を揚げると、1938年度6000名位、1939年度8000名位、1940年度11000名位、1941年度14000名位、1942年度16000名位、1943年度18000名位、1944年度20000名位で、毎年監獄を出入りする収容者の推定総人員20万人に対し、30‰から100‰の高率に上がっている」。
1939年5月、「慰安の妓楼に供用する為、金3万圓を以て、建物1棟(約200百平方メートル)を建設して、貸与し。日本帝国主義軍隊を協力した」。
1941年7月17日より1945年8月15日迄、「奉天第一監獄は偽満洲国奉天医科大学の要求に応じ、監獄内に於いて病死し、屍体引取人のいない数百人の収容者の屍体を解剖学上の研究資料として提供する名義の下に、同大学に送付して、解剖させた」

瀋陽軍事裁判 「被害者の叫び1 」 




●昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?

広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!!
この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。
8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。

山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。

有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。
この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。
私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・
・・・・・・・・・・・
学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。

陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。
※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか?
高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。

高野 源進(たかの げんしん、明治28年(1895年)3月15日 - 昭和44年(1969年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官僚としては主として警察畑を歩き山梨県知事・警視総監などを歴任したが、特に原爆被災時の(官選)広島県知事を務めたことで知られる。
福島県北会津郡北会津村で農業を営む高野源八の長男として生まれる。
ヒロシマ壊滅 その時 知事は 高野源進氏の書簡見つかる 


畑 俊六(はた しゅんろく、明治12年(1879年)7月26日 - 昭和37年(1962年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は従二位勲一等功一級。陸相在任中に戦陣訓も考案した。
終戦間際の昭和20年(1945年)8月14日10時、昭和天皇は御前会議の開催に先立って元帥会議を召集し、俊六(第二総軍司令官)、杉山元(第一総軍司令官)、永野修身(元軍令部総長)の3元帥より意見を聴取した際、杉山と永野が主戦論を張るなか、畑のみは「担任正面の防御については敵を撃攘し得るという確信は遺憾ながらなしと申上ぐる外ありません」と率直に現状を説明、これが本土決戦の不可能を昭和天皇に確信させることになった。

父は旧会津藩士・畑能賢

これも天運であると共に明治大正を通じて温醸された弊害が積り積って潰滅した結果に外ならない。

※どんな因縁があるのか知らないが、ご両人とも福島県出身。会津藩は幕末には薩長にやられ、敗戦間際には天皇の命令により第2総軍の壊滅計画の役を買わされ、その後の原爆被害の対応、そして2011年には最悪のレベル7の福島原発事故!!
(畑は、南京大虐殺後の昭和13年(1938年)には松井の代わりに中支那派遣軍司令官となり、徐州戦、武漢作戦を指揮している。)



(参考)
大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。

8月7日(火)晴
10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。
議長、副議長と雑談。
正午過ぎ、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。十数万の死傷の報、大塚地方総監爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2,3百メートルにて爆裂、直径4キロ全滅全焼、エライことなり。
直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。

では、『広島県史(近代Ⅱ〕』の「原爆と敗戦」を見ることにする。

広島地区司令部の強い要望により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。

この2つの本を読んで、私は次のように推論する。 
8月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進広島県知事と中国地方総監を説得した。第2総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第2総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。
・・・・・
もう1度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。

私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるということを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来るというのがむしろ幸いである。(「米内海相直話」昭和20年8月12日)

まさに、米内海相が語るがごとく、数十万の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その1つが広島にある第2総軍であったというわけである。
その第2総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こしたというわけである。



●天皇はなぜ広島・長崎の原爆忌に参列しない?天皇と原爆は関係ない?
天皇批判した小川、謝罪も炎上
小川未菜は100%正しい! 「日本人は昔,天皇のせいで苦しみ、命がたくさん奪われた」


日本は戦争中、世界で初めての2発の原爆投下を、経験した。
これは、アメリカが莫大な費用をかけて開発したものだった。
アメリカは実戦の効果を知りたかった。

原爆の子
最初の原爆はドイツが作ったと言う説もある!!
スパイ ”ベラスコ” が見た広島原爆の正体 (高橋五郎)


日本が、本当に「自衛のための戦争」をしていたならば、敗戦後この非人道的な核兵器の被害を、国際社会に訴えることができたはずだ。
ところが、日本は戦争中、中国大陸において、驚くべき残虐な人体実験、細菌戦、毒ガス戦等を展開していた。アメリカは再三日本に「この非人道的な細菌戦、化学戦(毒ガス戦)はやめろ」とと警告を発していた。
日本は自国の戦争犯罪を隠すことに汲々として、アメリカとの取引をし、そして、原爆被害を世界に訴えることなく、全面的に核兵器の効果を調べるためのアメリカの調査に協力した。その結果、その調査によって被爆者は全く治療されなかった。
封印された原爆報告書


1997年の平和宣言で広島市長平岡敬氏は「アメリカの核の傘から日本は抜け出すべきだと政府に要求する」と唱えた。
すると橋本首相は平岡氏に歩み寄ってきた。
「あなたの気持ちはわかるけれども、そんなことはできない。あなたはアメリカの怖さを知らない」と言ったという。
やんばるの白ひげ ~核の傘の下で~(3)


私の想像:もしも日本政府が、アメリカの核戦略から抜け出し、この非人道的な核兵器の廃絶を世界に訴えたら、アメリカは「日本が中国で行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦、三光作戦等をばらすぞ!!」と脅しているのではないかと思う。そしたら今の天皇制はすっ飛んでしまうだろう。
追記:アメリカの怖さとはこれかな?
橋本龍太郎は、1986年7月22日、第3次中曽根内閣の運輸大臣に就任した。
このドラマの最初の方で事故調査報告書を受け取っている。
ボイスレコーダー  ジャンボ機墜落20年目の真実
米軍が墜落させた?それとも、自衛隊?
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表

ザ・エデン
【JAL123便撃墜事件の真相】
狙いは日本のOSトロンの技術者だった? 
中曽根康弘元首相のつぶやき
日本航空123便の墜落事故 29年目の真実(2014年)より
マスコミ・政府は真相を必死に隠す!!
『日航機墜落30回目の夏生存者が今明かす32分間の闘い』

【ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件】
(参考)【天皇は偽物】現皇室の秘密を暴くと、早死します

橋本首相は続けて言う。
「日米安全保障条約によって支えられている安全保障の仕組みがこの国にとって必要だ。」

私の解釈:だからお互いに過去の非人道的な過ちは隠しておいて、未来志向で、放射能の怖さや遺伝子組み換え操作の怖さにも触れず、日本はアメリカの核戦略・生物化学兵器開発(もちろん日本も密かにやっているのでは?)を危険と知りつつ、進んでいきましょう。そしたら、天皇制も安泰です!!(何時まで続くこの身分差別!!)
原爆を浴び、放射能の恐怖を体験したはずの日本が、原発を50余機持っている。そして文殊はじめ原発関連の施設の維持費は膨らむばかり。国家財政は破綻寸前!!(破綻しているのかな?)、若者の貧困化も深刻!!

・内部被曝を日本の司法は認めているが、日本政府は認めていない?
・日本の医療・教育で、本当に「人間を人間として見る医療・教育がされてきているのだろうか?」
※日本は、戦後東京裁判で731部隊の罪業が裁かれることなくきたために、教育界・医療界でも戦争の反省をすることなく進んでしまった。
その結果、歴史認識の問題や放射能の怖さについても、まともな研究が疎まれ、今の政治状況が生まれている。
広島・長崎で2発の原爆投下を受け、悲惨な状況を経験し、また福島であれだけの原発事故が起き、これまた悲惨な状況にあえいでいるにもかかわらず、原発再稼動に日本は突っ走ろうとしている!!なぜなのか?
日本では、「人間を人間として見る」教育などされていないのでは?
いつも権力者の言うことに慣れ親しんいる。




●731部隊!!

夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)

細菌戦争の実態

湘桂(しょうけい)作戦―コレラ作戦で味方も罹病


一方、1943年(昭和18年)10月北支方面第12軍第59師団(衣師団・山東省駐屯)が展開した「18秋魯西(あきろせい)作戦」は対八路軍討伐作戦といわれているが、その裏面は731部隊によるコレラ菌汚染作戦とその蔓延促進と敵性地区の覆滅を狙った衛河(えいが)決壊による大洪水、そしてその細菌戦の結果を調査する作戦であったとする報告が熊沢京次郎によってなされている。
森村誠一氏は、『続悪魔の飽食』の中で、ある看護婦の証言として「永山診療部長が“重慶爆撃の時はコレラ菌を塗りつけた生菓子やアメ玉を上空からばら撒いた”という話を聞いた」と書いている。

湘桂作戦
コメント
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