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●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●731問題
歴代日本政府は、天皇制護持の為、いつも情報を隠蔽している!!
政府、秘密開示に消極的=国会審査会が不満募らす
何で、行政が後押ししない??
高知県、731部隊講演の後援断る 「事業に該当せず」
・放射能の被害が深刻化しているのに、なぜ日本の医学界は“脱原発”と叫ばない??
731部隊でも放射線をマルタに浴びせて人体実験をしていた。
科学者は、治療よりも、やはり新兵器に夢を託すのか?再び大日本帝国を目指して。
毒ガスの製造が明らかになったんだから、それと並行して生物兵器、核兵器も勿論自衛隊、国立感染症センターなどでは研究しているだろう。
731の秘密を隠すために、放射能の被害については、何も言わない??
「心証を良くする為にとは、何のために心証をよくするんですか?」
「731のことなんかもあるでしょうね」
※ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちの治療よりも原爆の威力の調査が優先された。
国体護持のために。それが今のフクシマの現状も同じではないか?
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?
放射能の危険性
アメリカの圧力があるのか?
水俣病の被害が拡大した時も、医学界の権威者が、一時、チッソ水俣工場の有機水銀説を否定した。
歴史は繰り返す?
福島の癌→子供の甲状腺がん増加地図をチェルノブイリと比較する
水俣病
原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた1959年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。
731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は?
戦後70周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ!
虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか?
日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!!
日本には本当に三権分立があるのかが問われている!!
731(1)
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
黒い太陽№15
※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。
朝枝繁春の証言
●横浜「戦争と加害」のパネル展
細菌戦(「戦争と加害」のパネル展in横浜)
毒ガス(「戦争と加害」のパネル展in横浜
参観者の感想
・731部隊が今の製薬会社とつながっている事、今回初めて知りました。あまりにもむごい日本軍の行為、目をおおいたくなります。
“戦争”とは、人を人とさせない。よく資料を集めました。お礼を申し上げます。60代女性
「戦争の加害」テーマに 13日まで横浜でパネル展
●全世界!!脱原発!!核兵器廃絶!!政府の唱える非核3原則は嘘っぱち!!
憲法に優先する安保条約であるなら、アメリカと合同で極秘に核兵器開発を進めることも不可能では無いのではないか。
この甚大な被害をもたらした大地震の原因の究明はされていない!!地震学者も驚いているではないか!通常の地震とは違った!!
何で国は、北朝鮮からのミサイル攻撃の時の原発の被害想定などを国民の目から隠す!!被害は甚大である。
プルトニウムを何のために保有する??核兵器がそんなにほしいのか??
小出裕章先生:一番大切なのは多くの人達が真実を知る。そして一人ひとりが責任を持って声を挙げること
プルトニウムの使いみち はっきりしない状況続く
2011年3月11日 車が流される 人が飲まれる 津波
原発事故の原因が究明されずになぜ再稼動??
原発事故の原因はなぜ解明されない??
20150502 R/F #121「小出裕章ジャーナル」【原発攻撃被害報告書が明るみに】
巨大地震、津波の原因は??
なぜ、地震学者が驚く!!
原発攻撃
(以下「高知新聞」より)
要約すれば、憲法は理論上は全ての核兵器の使用を禁じていない。だが、「現実」がその歯止めになると読み取れる。
現実が憲法を超えるとするなら、政府が守ると言っている憲法の平和主義も、核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」の「非核三原則」の国是も一気に空洞化する。
法的な歯止めではない現実は、刻々と変わる。時の政権の判断によって、核兵器の使用が可能になる余地が残る。
国会の場で、日本の核兵器使用が現実味を持って公然と語られる現状にも驚きを禁じ得ない。
【法制局長官答弁】核使用まで容認とは驚く
横畠内閣法制局長官、核使用「憲法で禁止されず」と話す
この人は核兵器と通常兵器を全く区別していない!!
「核兵器の使用」横畠裕介・内閣法制局長官の答弁記録3 18参院・予算委員会
日本も地下核実験をやっているのか?(アメリカと合同で)
人工地震津波兵器は国際政治軍事上の常識!浜田復興担当政務官
地震学者の「今までやってきた研究が全て無駄だった」という発言は、本当に東日本大震災の原因は何だったのかを考えさせられる!!!
いまだ福島原発事故の解明はされていないのになぜ原発再稼動!!なぜ原発輸出!!
明らかに、全く戦争の反省がない日本は本気で核兵器の保有を考えている!!
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
原発訴訟の希望と絶望
三権分立は日本にはない!!
地震発生(1944年12月7日)の翌日8日の新聞のトップは昭和天皇の写真。(開戦記念日)
地震の詳細は掲載されない!!被害は隠す!!
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
元NHK五十嵐さんが命をかけ伝えたかった人工地震の真実
自衛隊技術者15人は311テロ計画を知らないで爆弾製造に携わっていたようです
あの戦争で日本軍のしていたことを全く反省していない日本。
だから、戦後も、自衛隊を中心に『防護の為』と称して、核兵器の開発、毒ガスの製造、生物兵器の開発が行われているだろう!!
毒ガスの製造は確認でした!!生物兵器は勿論核兵器もか??
そして、戦争になって初めて、自国がどんな兵器を持っているか気付かされるのでないか?
<小出裕章さんに聞く>日本のメーカーはなぜ原発にこだわり続けるのか
福島の子どもの甲状腺がんで「家族の会」結成
米専門家 日本でプルトニウム増え続ける現状に懸念
東電から東京ガスへ電気契約客が雪崩的大移動…ガスとセットで割安、客の東電離れ加速
小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい
小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい
小出裕章先生:一刻も早く原子力の夢からさめて…
●憲法9条
彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。
彼らと真逆の憲法は作れないか?
・憲法9条を守る!!・外交を強化する・自衛隊は災害救助隊に
・象徴天皇制を廃止して、大統領制にする
・脱原発 ・靖国神社を廃止して、戦争懺悔慰霊碑の建立
・日米安保条約見直し・国連改革
・憲法9条(侵略戦争の反省から憲法9条が生まれた!)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
03
想像してごらん、
おたがいに戦争しないと
約束した世界を。
Imagine,
A world that promises
not to fight wars with each other.
想像,
许诺的世界
不打仗彼此。
Представить,
Мир, который обещал
чтобы не воевать друг с другом.
IMAGINE9 (『イマジン9 想像してごらん、戦争のない世界を。』(文:星川淳・川崎哲、絵:成瀬政博 2007年12月1日発行、合同出版)
解説
03
おたがいに戦争を しないと約束した世界
「相手が攻めてくるから、 準備しなければならない」
軍隊は、いつもそう言つて大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしてぃきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどんと増えていきます。
このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めないという約束を結ぶことができます。とくに、地域のなかでこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ連合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。
日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちのあいだでは 「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。日本や韓国、北朝鮮は核兵器をもたないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
また、日本とロシアのあいだで争いになっている 「北方領土」 周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。
地球規模では、世界各国が軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つことが重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
グローバル化の時代、人びとは国境を越えて行き来し、経済や社会はつながり合っています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。
防衛相 豪外相に潜水艦開発でアピール
ぐんじ と ひんこん アベちゃんのもくろみ…(´ε`;)
武器輸出三原則
今の現状防衛装備移転三原則
●ご案内
政府、秘密開示に消極的=国会審査会が不満募らす
●ニュース
辺野古移設に県民の58%「反対」 沖縄県調査 賛成は25%
「部隊で虐待、脱走」 朝鮮出身日本兵の調書入手 本島初の捕虜か 上陸直後米軍尋問 識者「証言極めて珍しい」
政府側が審査会の求める情報開示に応じないケースが多く、特定秘密に当たらない事項まで回答を拒む!!
政府、秘密開示に消極的=国会審査会が不満募らす
何で、行政が後押ししない??
高知県、731部隊講演の後援断る 「事業に該当せず」
余剰医師、2040年に3万4千人…厚労省推計
「思いやり予算」増 約9465億円に
PKO宿営地に着弾 中谷防衛相「報告なかったのは適切さ欠いた」
これからも、もっと自衛隊による事故が増えるのでは??
陸自第4施設団、1等陸尉ら5人処分 滋賀・高島の民家着弾で
米大統領、辺野古遅れに懸念 首相は移設方針不変と説明
教科書謝礼問題 71人受け取り認める 群馬
「特別法廷」最高裁が謝罪へ ハンセン病、手続き不適切
奈良県警前署長がスーパーで置き引き、減給処分その日定年退職…退職金は満額支給へ
HIV感染で休職指示 勤務先病院に賠償命じた判決確定
どんな生物兵器を作るのか??「周辺住民の理解を得ながら進めていきたい」と話しています。周辺住民が納得するのだろうか??
国立感染症研究所 「レベル4」施設で5月から実験
小出裕章先生:一番大切なのは多くの人達が真実を知る。そして一人ひとりが責任を持って声を挙げること
●昭和天皇と731部隊
中国では、現在、細菌戦の調査が着々と進められている。日本政府は反対に細菌戦に対し、全く無視し、過去を消し去ろうとしている。
細菌戦被害の人々
なぜ、生体実験が必要だったのか?
東京初空襲・浙かん作戦
淅贛(せっかん)作戦
1942(昭和17年)浙贛作戦における細菌戦
1942(昭和17)年4月18日、日本近海のアメリカ空母から飛び立ったB25爆撃機は、浙江省衢州の飛行場を着陸基地として、東京・名古屋を初空襲した。これに驚いた陸軍中央は、浙江省の前線の飛行場を徹底的に破壊することを決定した。これが「大陸命(大本営陸軍部作戦命令)612号」による「浙贛(せっかん)作戦」である。大本営作戦参謀井本熊男大佐の日記によれば、5月30日には細菌戦実施を指示する「大陸指(大本営陸軍部作戦司令)」が、参謀本部第一部長田中新一少将から、石井四郎少将、増田美保少佐らの実戦指揮者に伝達されている。7月26日には贛州(かんじょう)、建甌(じぇんおう)で飛行機から細菌の撒布が実行されたことが記されている。
地上撒布は、日本軍に被害が出ないように、侵攻した日本軍が反転し、撤退した8月19日以降に実施された。「井本日記」8月28日には、井本大佐が支那派遣軍参謀の長尾大佐から、「ホ実施現況」として細菌戦の実施状況の報告を受けている。これは細菌撒布の地上戦に関する報告で、広信、広豊、玉山にはペスト菌、江山、常山に対してはコレラ菌を、衢県、麗水には腸チフス菌、パラチフス菌を撒布したと記されている。
※井本日誌には浙贛作戦の仔細な情報が記されていた。
『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行
(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より
・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
恐るべき遠足
死体を解剖して、肺臓、脾臓など各部分からそれぞれ検査用塗抹標本を作る手伝いをさせられたのだったが、与えられた仕事を理解しようとする心のゆとりもなく、ただ反射的に手を動かしていた。周囲の壁を通して悲痛なうめきが聞こえ、金網の外には、取り出した臓腑をかぎつけた蠅どもがうなっている。
わずか1時間足らずの時間だったろうが、私は体も神経も蒸されたようにふらふらとなって部隊に帰った。
は一週間ほどたって全部焼き払われた。中には生き残った者もあったろうが、極秘の実験であるから、実験後には一人残らず殺されたのだそうである。
「細菌戦裁判」の第1審の東京地裁で事実認定された日本軍の細菌戦
細菌戦部隊731
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
常徳細菌戦
●日本や中国各地に毒ガスが遺棄されている!!生活に支障をきたさないのか?
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
旧日本軍の作った毒ガス、戦時中は国際法違反の軍極秘の毒ガスエ場、陸軍と海軍が共に研究、開発、実戦に使用、そして隠ぺいされてきた実態…日本の侵路戦争と共に使用され、戦後なお隠し続ける化学兵器の数々、歴代政府による遺棄毒ガス処理の抜本的な対策は無にひとしく、それによって被害は今日に至るまで続いています。
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
平塚にあった海軍技研は現在美術館、警察署、合同庁舎建設現場〔ここから大量の毒ガス(主に青酸)瓶が出てきている〕から北側高砂香料、不二家、パイロットにわたる一帯に研究、実験、製造工場等があり、毒ガス生産の規模拡大の為、寒川に大規模な毒ガス工場を作りました。海軍は毒ガスのことを特薬と名付け(陸軍は色で呼ぶ)、1号特薬(催涙)(緑)、2号特薬(クシャミ)(赤)、3号特薬甲.(びらん)イペリット(黄1号)乙(びらん)、ルイサイト(黄2号)4号特薬(致死)青酸(茶)があり、他にホスゲン(青)、窒素イペリットガス等があり、細菌兵器として11号特薬もある。兵器として砲弾、爆弾(30kg、60kg)、手投弾、噴射、雨下散布等が作られ、他に風船爆弾発火剤用エチル亜鉛(ガラス瓶)数万個、サイダー瓶に詰められた青酸1万本、そして細菌兵器の数々、敗戦時、戦犯逃れの為、そのほとんどが遺棄、隠匿され、全国に及ぶ。
暴かれる毒ガス戦の真実
自衛隊は防護のためと称して昭和20年代後半から毒ガスの研究をし、1964年にはサリンを合成し、VXガス、タブンも作った。最新の無能力化ガスBZは1973年に成功している。1970年日本政府ジュネーブ議定書締約、1993年化学兵器禁止条約日本署名、1994年6月松本サリン事件、1995年3月地下鉄サリン事件発生、自衛隊とオウムの関係は?
2013年度の「核・生物・化学兵器対処関連事業」費71億8200万円。何に使っているのだろうか?
死者13人、約6300人の被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年3月20日発生)
1950年代に、自衛隊は秘密裡にアメリカ側のデータを下に毒ガス製造をはじめ、1964年(東京オリンピックの年)にサリンの製造に成功している。オウム真理教の土屋正美(事件発生当時30歳)だけの知識で果たしてサリンが製造できたのか?自衛隊のデータが漏れていなかったのか?それとも、自衛隊も事件に関わっていたのか??
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース
・自衛隊では、サリン合成に成功したのは東京オリンピック(1964年)の年だった。
・1973年、自衛隊は、当時最新の毒ガスBZガスの合成に成功。
週間金曜日 2013年5月17日号
自衛隊とサリン 第1回
「私は自衛隊で毒ガス・サリンの製造に関わっていた」
世界を揺るがした地下鉄サリン事件より数十年も前から、陸上自衛隊はサリンを製造していたことが複数の資料と証言で明らかになった。サリンだけではない。VX、タブンといった猛毒の殺人ガスも・・・・。非核三原則と同様、日本政府は毒ガスについても「持たず、作らず、持ち込ませず」などと表明していたが、自衛隊によるサリン製造が事実なら(これは事実であった!!)、毒ガスのをめぐる戦後の歴史が塗り替えられる可能性がある。(塗り替えられた!!)
※日本が95年9月に批准した現行の化学兵器禁止条約では、サリンなどの化学兵器の開発、生産、保有が包括的に禁止されているが、ここにも抜け道がある。同条約によれば、「生産量が年間1トン以下なら生産施設に当たらない」(第二条8)し、「防護目的」の生産・保有なら「この条約によって禁止されていない目的」(第二条9)に入る。国際機関である化学兵器禁止期間(OPCW)に申告し(第三条)、OPCWの査察を受け入れればその生産・保有・廃棄などが可能だ。防衛省によれば、同条約に基づき、1997年から2012年6月まで、計8回、OPCWの査察を受け、申告内容に問題がないことが確認されている、という。
※サリンなどの毒ガス製造が「防護目的」であれば、つまり兵器として使用しなければその製造が許されるとしたら、同じ理屈で核兵器や生物兵器の「防護研究」も可能ということになる。
それとも、自民党も毒ガスの製造、貯蔵のことを知っていたが、嘘を言って国民をだましているのか?
戦争前は「防護目的」、戦争になったら大量生産?毒ガス兵器、生物兵器、核兵器!!
機密ばかりが多いと、国民はいつもだまされる?
・非核3原則も嘘だった!!
佐藤栄作の遺族は早く故人のノーベル平和賞を返上しろよ
本来、アメリカが出すべきお金を、日本政府が肩代わりして出していた現実!!
こんな問題もあった!!沖縄密約
沖縄毒ガス
日本軍の毒ガス被害
昭和天皇の“沖縄メッセージ”
●今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!!
秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる?
防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!!
特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158)
ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より
第二章国家機密の構造
手厚く保護される米軍機密
以上のように、アメリカ軍の機密は協定、合意事項、法令その他の措置によって、それ自体厳重に保護されている。そればかりか、これに関連する日米間の軍事・外交機密までが、その保護対象とされているのである。なお、防衛庁の庁秘訓令は、第10条第6項で「外国政府から得た秘密については、その外国政府の秘密区分に相当する秘密区分に指定するものとする」と定め、また、第29条第2項で「外国政府に秘密の知識又は文書、図画若しくは物件を伝達又は送達するときは、事務次官の定めるところによる」としている。事務次官の定めは秘密文書とされている。これにより日米間(日韓、日台間その他も含まれるであろう)の秘密情報資料の交換がなされているわけである。庁秘訓令に刑特法上の機密について特段の規定がないのは、それを知得するメンバーが極めて限定されているからであるともいわれている。
※南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景
※しかし、溥儀が恐れるほど関東軍が強くないことを証明したのが、1938年の張鼓峰(ちょうこほう)事件と1939年のノモンハン事件である。いずれもソ連との国境紛争で、関東軍は惨敗した。両事件ともソ連軍の戦車・航空機・大砲・兵員が、質量とも圧倒的に勝っていた。日本軍は2度の敗戦をひた隠しに隠した。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)
※日本は、ノモンハンの敗北を封印することに腐心する。帰還した将兵には緘口(かんこう)令を敷き、戦闘に参加した将校を自決させ、作戦を立案した参謀を更迭した。
●南京大虐殺
・証言
日本軍は南京を占領した後、引き続き周りの農村地域を掃蕩したので、私たちは又もや安徽省(あんきしょう)全椒県の望銀子という農村まで逃げました。翌年の陰暦5月に、南京が割に平静になったと聞いて、全椒の田舎から300里歩いて帰りました。着いた時は、両足とも腫れてすねが腿と同じくらいの太さになり、足の裏にはまめがいっぱい繋がって、痛くてたまりませんでした。城内に入って来る時、日本軍がみんなに2つずつびんたをなぐりました。家に着いて初めて、両親と兄と兄嫁とがとっくに帰っていたと知り、伯父が死んで屍すら見つかっていないと知りました。哀れにも私たち一家の老いも若きも、身の置き所がなく、古くからの隣人の助けで、やっと何とか落着いたのでした。
日本軍が南京にいた間に、家では父と上の兄と2番目の兄とが驚きの余りに前後して世を去りました。逸仙橋に住んでいた上の姉の家も我が家の向かいに住んでいた2番目の姉の家も家屋が焼き払われてしまいました。(以上:申全英と章厚之が記録)
南京大虐殺
南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分
※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)
世界初の「南京大虐殺辞典」出版される
●中国残留孤児問題!!(中国残留孤児の書いた奇跡の書「この生あるは」)
映画化したら、過酷な運命・そして中国人の人間愛がよくわかる!!
敗戦時3歳、この中国残留孤児の過酷な運命に対して、国はきちんと補償したのだろうか?
この本の中に、米軍が1950年代の朝鮮戦争時、北朝鮮に行った細菌戦に神経を尖らせている中国の一般民衆の生活や反核運動の様子が描かれている。
中国の恩に報いたいー半生記を出版した残留孤児 中島幼八さん
2016年1月18日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
残留孤児の一冊<本澤二郎の「日本の風景」(2238)
<「この生あるは」(中島幼八著)>
中国・新華社通信の友人に紹介された残留孤児・中島幼八さんの記録「この生あるは」(幼学堂)の日本語版を読んだ。その悲しい運命から、気が重くなる厳しい内容ゆえに、同じ時代を日本で生きてきた者には、とても興味を引く本である。人間は一人では生きられない、そのことを痛切に教えてくれる人間性のあふれる内容である。同時に「2度と侵略や戦争を起こしてはならない」ということを、日本の為政者に訴えている。全国の図書館に置いて、多くの国民が読むべきである。
<戦争を知らない世代の必読本>
日本の歴史教育は、特に近現代史のそれはあまりにも問題がありすぎる。多くの日本人は、日中戦争や侵略について、ほとんど理解しないまま大人になっている。
このことが、隣人との友好の阻害要因となっている。残留孤児について知らない若者が多いだろう。この中島本を学生に教えるといい。歴史を教える教師の副読本にしたらいい。
発売元 亜東書店 03-3835-7091
中国語版 北京三聯書店「何有此生」
●731問題
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
友は隔離病舎に
「本当か?知らんな、どうしたのだ」
「ほら、この間、使役で来住野がここへ来たろう」
「あ、君と同郷の、だな?」
「うん。何でも、あの日に感染したらしいんだが、どうだったんだい、一体その日は・・・」
時間が無いので、私はせいていた。
「知らん。俺は初めて聞いた」
「ねずみをいじったりなんかしたらしいんだから、そのときなんだろうがね」
林田は、思い出そうとしているらしく、眼をあらぬほうにすえていた。しかし、もう、作業開始の時間だった。
「やつ、どうなんだ?」
「入院しているんだが、まだ行ってみない。午休みに行くつもりだ」
私は去りながら叫んだ。
「俺も行くぞ。その時にな・・・・」
私は林田の声に、後向きのまま大きくうなずきながら駆け出した。
いつもの通り、菌の移植作業をやりながら、私は、ペストが感染する時の様子を、小枝傭員に尋ねてみた。
厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。・・・・・・
健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。
小泉親彦(ちかひこ)
※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。
真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
731細菌戦部隊 5(後編、プライム10)
ガン治療のウラ 5/8
抗がん剤は猛毒だ!厚生労働省の技官から聞いたんだから。船瀬俊介の船瀬塾より
「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄1/6 ラジオ深夜便
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第13章 遅すぎた降伏
1943年1月、カサブランカでルーズベルトは、連合国はファシズム政府の指導者を処罰するが、その民衆を減ぼすことはないと述べた。しかし、ルーズベルトとチャーチルは枢軸国に全面的に勝利するまでは、無条件降伏という簡潔な文言の意味を明らかにせよという要求を断固として拒絶した。ルーズベルトとチャーチルはヨーロッパに第二戦線を開き苦戦を強いられていたソビエト赤軍を援護しようとはしなかった。この件についてスターリンが英米に不信を抱いていることをよく知っていたふたりは、彼をなだめるためにも枢軸国に強硬な態度を示しておかなければならなかった。ソ連の軍事力が必要だったからである。ふたりは、反枢軸の戦時同盟を維持しながら、第2次世界大戦を最後の総力戦とすることを決意していた。侵略国の指導者による提案はいかなる申し出であれ、これをしりぞけ、侵略国を占領する上でのフリーハンドを確保し、その軍事力を破壊し、政府を倒壊させた後でその改革を行うという決意を、いよいよ強固なものとしていたのである。」
ルーズベルトはウィルソン〔アメリカ第28代大統領、国際連盟の提唱者〕の理念を「無条件降伏」に盛り込もうとした。彼はそれを自由主義的な国際秩序を実現する手段と見なしていた。降伏後の改革の達成を視野に入れた無条件降伏の方式は、ファシズム打倒後の新しい世界秩序を建設するための基本的な前提条件について述べていた。日本の場合、日本本土での権力行使について連合国に最高の権威を約束していたが、それは「国際法が軍事占領に際し認めていた権限」を超えるものであった。
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
第三章
敗戦
(その1)
マニラへの特使
こうした考えはいずれも、相応の犠牲と倫理的献身を必要としていた。日本を農業国にするには、軍による徹底した平和化運動を展開しなければならず、その後も、数年間にわたる抑圧的駐留を続ける必要があっただろう。それに、農業だけに頼って暮らしてゆくことができるようになるまでには、その人口は幾度にもわたり激減されなければなるまい。日本社会を西洋風に作り変えるにしても、それは人道的にはより高度な目標というべきであったろうが、それにも、数十年にわたる占領継続が欠かせなかったろう。日本が、学んだ教訓を生かし、自らを改めることはありえたとしても、過去の経験からして、それを望むのは無謀なことであったかもしれない。単に、日本を厳しく罰し、卑屈な貧困と戦うよう仕向けたとしても、それもやはり近視眼的なことであったかもしれない。
全文は「ノブのノート」で!!