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●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●マレーシアの旅
●九大生体解剖事件
●ご案内
1月23日の河村たかし名古屋市長発言に抗議する!!
河村さんも名古屋との友好都市南京に積極的に行かれたらどうですか?
本当に友好を願うなら現地に行き、その目で事実を確かめられたらと思う!!
・写真展「重慶大爆撃」【2月9日(木)~15日(水)入場無料】
・「戦争の加害」パネル展(横浜)2月21日(火)~28日(火)
糸数慶子参議院議員挨拶(沖縄の風)
『週刊金曜日』からのメッセージ
日中戦争、南京大虐殺から今年は80年にあたります。本来なら安倍首相はこの国を代表し、改めて侵略戦争を反省し、アジアの国々に謝罪すべきです。しかしその風情は感じられず、「加害」の意識が希薄としか思えません。未来を語るためには、過去をしっかりと見つめる必要があります。どんなにつらくとも、負の歴史を正面からとらえなくてはなりません。このパネル展が多くの市民の考えるきっかけとなることを望んでやみません。
パネル展『戦争の加害』プレイベント(横浜)
戦争の加害と教科書記述の変遷
「戦争の加害」パネル展(2016年2月横浜)
「辺野古の“今”」写真展(2016年2月横浜)
秘密国家日本!!
日本だけの無期限秘密(『日本の国家機密』藤井治夫著 1972年)
アメリカではニュヨーク・タイムズによるベトナム秘密文書公表事件いらい、世論の批判が高まったためもあって72年6月1日、秘密文書取扱規則が改正されている。これにより一般秘密文書は、一定期間とに秘密区分をダウンレードし、10年後にはすべて公開することになった。また、国家安全保障にかかわる文書についても、30年を経過したときは自動的に秘密解除されることになった。ただし国務省、国防総省、CIAの文書および外国政府と取り交わした、とくに重要な文書については、関係官庁の長官が必要と認めたときは例外措置がとられる。
このほか各国の状況をみると、学術研究者には全く制限を付さないのがアラブ連合、25年ないし35年で原則的に解除するのが東ドイツ、ハンガリー、アイスランドなど6ヵ国、50年で制限を解くのがイギリス、イタリアなど16ヵ国、100年で解除されるのがスペイン、バチカン、ベルギーの3ヵ国となっている(総理府調べ)。無期限なのは日本だけで、スペインやバチカンより悪質ということになる。政府資料は、とうぜん国民に帰属する。そうした観念を全くもたないのが、わが支配階級なのである。
過去の侵略戦争を全く反省しない自民党政権!!
安倍氏「真珠湾犠牲者を哀悼」…中国「本当の和解望むなら南京に来い」
日本軍による太平洋戦争最大の3万人虐殺事件
1943年5月9日から12日にかけ洞庭湖の湖畔にある魚とコメが豊富な廠窖鎮が地獄と化した。日本軍はここで罪のない人々を虐殺し、中国侵略で二番目の大虐殺事件を起こした。これは太平洋戦争の最大の虐殺事件で、わずか3日間に中国の軍民3万人余りを殺害し、200人余りの女性を強姦し、第二次世界大戦でのファシストによる1日の殺りく数としては最多となった。
福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった 雁屋哲〈週刊朝日〉
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。
──福澤の思想が、現代の保守政治家たちにも影響を及ぼしているのが問題だと。
安倍晋三首相は2013年の施政方針演説で、福澤の「一身独立して一国独立す」の言葉を使い、日本を強い国にすると言いました。また日本会議は天皇を中心とする大日本帝国的な社会に戻ることを目指しています。これらの考えの最初の一歩を始めたのが福澤諭吉。つまり、福澤が明治の人々に行った洗脳はいまだ続いています。いま日本は、駆けつけ警護という訳のわからぬ言葉で、自衛隊が海外で敵と思った相手を銃撃できる国になりました。人を殺す戦争のできる強い国を目指すのは、まさに福澤の思想です。
三原じゅん子は過去の日本が「八紘一宇」のスローガンのもとに行った残虐行為の数々を認識しているのだろうか??
まずは、安倍と中国各地を巡ったらいいと思う!!
【国会】三原じゅん子『【八紘一宇】を語る? 2016年年3月16日
地底からの叫び声が聞こえませんか??
731勿忘
731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、
また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。
ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長)
侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像
常徳細菌戦
なぜ日本人は、アメリカに原爆投下の責任を問わないのか??
核兵器禁止条約制定目指す決議案 日本は反対 批判の声も
こんなことまで起こっている!!
外務省は、安倍内閣の顔色を窺ったのか、政府からの指示があったのか、中国人細菌戦被害者遺族のビザを発給しなかった!!
これからも、アジアの戦争被害者や遺族の入国を拒否するかもしれない!!
当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者なぜいない?
ビザ発給拒否・集会妨害裁判について
次回の裁判は、3月2日(木)午後2時~東京地裁、傍聴よろしくお願いします。
莫大な防衛費を使って、化学学校、衛生学校ではどんなことが行われているのであろうか?
米軍と共同でCBR兵器の開発を密かに行なってはいないのか?防御のためと言いつつ、裏で何を行っているのだろうか。明らかにしたい!!
〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器=細菌兵器等)、R(放射能兵器=核兵器)〕
12月21日(水)『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の公開を求める裁判が東京地裁522号法廷でありました。
最初は、情報公開法でその2点を開示請求していたのですが、保有していないことを理由に、行政文書不開示を防衛省は決定しました。それに対し、原告は、行政不服審査法に基づき異議申し立てをしました。その審議会が、防衛省の意向に沿って、不開示は正当であるとの結論を出すまでに、4年も年月をかけているのです。全く何もやっていなかったのではと思ってしまいます。防衛省と審査会とのやり取りはどんなことがあったのか、4年間の経過をきちんと説明してくださいと、弁護士は切実に訴えました。また原告は、いまだに、細菌戦被害・毒ガス被害で悩む中国の被害者のためにも、きちんと公開すべきだと陳述しました。
化学学校記事の第12号には、杉田論文「自衛隊員が語る旧軍技術研究」として次のような細菌戦に関する記述があります。
「-日本は1931年(昭和6年)満州に細菌戦遂行のため〈731〉部隊を編成した。研究所、部隊は逐次整備され1935年(昭和10年)には、ねずみ2000匹を使用してノミを飼育し、ペスト菌の培養量だけでも毎日10㎏に及んだ。
1938年 華中戦線 細菌大量使用
1939年 ノモンハン 細菌大量使用
1940年 重慶爆撃 ペスト菌、コレラ菌使用
1941年 湖南省 細菌作戦
1943年 華中、華北 細菌作戦
その戦績は、衛生部隊としてかつてない大きな成果をあげたとして感謝状36回授与にみられる」
今、現在の研究では、細菌戦を始めたとされるのは1939年のノモンハン事件の時です。この論文が確かだと、ノモンハン事件の前に細菌戦が38年に華中で行われていたこと、また、重慶でも細菌戦が実施されていたこと、1942年の浙贛作戦以降の43年にも細菌戦が行われていることになります。
今、まさに、この『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』『衛生学校記事』そして『731部隊関連資料』の全面公開を実現させ、細菌戦・化学戦の戦中・戦後の実態を解明し、今の日本の現状でいいのかを考える時に来ています。
米軍と共同で自衛隊はCBR兵器の開発を密かに行なってはいないのか?非核3原則を唱えながら、防御のためと言いつつ、裏で何を行っているのだろうか。防衛省はきちんと国民に説明する義務があります!!
憲法9条はないがしろにされ、軍事研究がどんどんとスピードアップされている現状を打破しなければと強く思います!!
次回「衛生学校記事情報公開裁判」は、2月28日(火)午後 2時~東京地裁419号法廷 傍聴よろしくお願いします!!
次回「化学学校記事情報公開裁判」は、3月 1日(水)午前11時~東京地裁522号法廷 傍聴よろしくお願いします!!
・中国外務省の陸慷報道局長は7日の記者会見で、南京大虐殺記念館のほか、満州事変の発端となった柳条湖事件を記念した博物館や731部隊跡地を挙げ、「日本が深刻に反省し本当に謝罪したいなら、中国には多くの弔うべき場所がある」と述べた。
中国にも「弔う場所ある」=安倍首相の真珠湾訪問
「米国が真珠湾を忘れられないように中国も南京大虐殺を忘れることができない」
安倍総理の真珠湾訪問に対し 中国外務省が牽制
「今の日本にもう黙っていられない!」マレーシア
アジアフォーラム
●ニュース |
●731問題
横倉氏は政府・与党との連携を重視!!(731のことなど頭にない??)
日本医師会 会長選挙 現職の横倉氏が3選
ドイツはまだ、戦争責任を追及している!!日本は全く忘れようとしている!!いや、あの戦争を肯定している!!
アウシュビッツ元看守に禁錮5年=94歳、殺人ほう助―独
南京大虐殺や原爆開発の反省をしないまま戦後突き進んだ結果が福島原発事故だ!!
木村守江(元軍医で南京戦に参加、元福島県知事。元日本医師会会長の武見太郎との関係は??木村の方が年配だが、同じ慶応大学医学部出身だ!!)と南京大虐殺と原発!!
木村守江と南京、福島原発
昭和天皇(当時は大元帥であり、現人神と教えられた)の名で始めた戦争!アジアで何千万人が犠牲になったのだろうか?
そして敗戦!!昭和天皇は責任を取らなかった!!謝罪もしない!!
あの戦争は明らかに侵略戦争であり、自衛の為の戦争ではなかった!!
安倍晋三と日の丸と戦闘機と「悪魔の飽食」731
安倍晋三のおじいさん岸信介と731の関係は??
岸信介・・・1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、山口県出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より
岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。
強制連行の決定
(参考)
岸信介、中曽根康弘、正力松太郎だけではなかった。
自民党自体がCIAの秘密工作機関であった!!
船瀬俊介の本を紹介 世の中はペテンに支配されている
従軍慰安婦を娼婦呼ばわりし、今回の閣僚・議員の靖国挑発を画策し、アメリカ様よりお叱りを受けて、侵略は国によって異なるとか、靖国や歴史認識、慰安婦の政治問題化は望んでいないなどの噴飯の見苦しい詭弁や言い訳を吐き続ける安倍晋三。親子揃ってそっくりではないですか?
第61・62・63代内閣総理大臣佐藤栄作は実弟。また長女・洋子は安倍晋太郎に嫁いだ。洋子の次男は第90・96・97代内閣総理大臣安倍晋三、三男は政治家岸信夫。
岸は安保反対のデモが続く中、一時は首相官邸で実弟の佐藤栄作と死を覚悟する所まで追いつめられた[65]が、6月18日深夜、条約の自然成立。6月21日には批准、昭和天皇が公布した。新安保条約の批准書交換の日の6月23日、混乱の責任を取る形で岸は閣議にて辞意を表明する。
樺美智子さん(60年【岸内閣】安保闘争の犠牲者)の墓誌
「最後に」
誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ
終戦50周年731部隊
特定秘密保護法撤廃!!
国民は「知る権利」を行使し、軍備増強を阻止しよう!!
学術会議会長「自衛目的の研究許容を」 軍事否定から転換の可能性
この人は、有毒ガスを吸着するシートの開発に取り組んでいる。(軍事研究に積極的)
大西隆会長
特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■731部隊と大学
―今述べられた罪悪とのかかわりで、 とりわけ大学医学部は、どのように戦争に加担していたのでしょうか。大学研究の戦争への加担という点で、特徴的なことはあるのでしょうか。
まず、731・「石井機関」に特にかかわる戦争加担についてお話しください。
731部隊などには、軍医将校の他に「技師」という身分の医学者がいました。 彼らは京都大学医学部の細菌学教室・生理学教室・病理学教室、東京大学伝染病研究所、慶応大学医学部細菌学教室、金沢医科大学細菌学教室等の出身です。2008年に出版された『京大医学部病理学教室100年史』で紹介された「石井発言」では、教室、学部、大学として組織的関与に発展していった様子が如実に語られていることが明らかになりました。筆者の請求によって「要審査」が解かれ公開された国立公文書館の留守名簿は目下解析中で、731部隊・「石井機関」にかかわる新たな人物が明らかになると思われます。
以上(月刊『前衛』より)
731部隊で行われた人体実験・細菌戦に関し、日本政府は罪をきちんと認め、謝罪すべきだ!!
科学者の社会的責任
日本学術会議の軍事研究容認の動きを危惧し、反対する医学・医療関係者の声明
わが国の人文・社会科学、自然科学全分野の代表機関である日本学術会議が2016年5月20日、軍事研究のあり方を考える「安全保障と学術に関する検討委員会」の設置を幹事会で決定した。これに先立ち同会議の大西隆会長が本年4月の総会で自衛目的の研究を容認する考えを示したのを受けての動きと考えられる。
私たち 「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」は、軍事研究に公然と道を開こうというこの委員会設置を強く危惧し、医学界の一員としてここに断固として反対の意を表明する。「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」は2009年に発足し、「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となる」という歴史の教訓を生かして、いわゆる「731部隊」に代表される十五年戦争における日本の医学者・医師らによる「人体実験」などの非人道的行為を、史実に沿って検証し、その教訓を生かしていくために活動を続けてきた。
患者の命を守るべき医学者・医師が「研究」の名目のもとに残虐な行為を行う加害者となり、戦後は「人体実験」などのデータ供与と引き換えに米国政府から免責され、わが国の医学界は一貫して検証も反省もせずに事実を隠蔽したまま現在に至っている。このように「731部隊」の問題には、軍事研究が行き着く先のすべてが含まれている。私たちは本会の設立以来、多くの資料や証言によってこの日本で実際に起きた医学者の加害の歴史について検証を進め、二度とこのような過ちを繰り返すべきではないと日本医学会や日本医師会を始め、医学界に強く警鐘を鳴らしてきたのである。今回の学術会議の動きは、まさにその過去の大きな過ちへの道を再びたどるものと危惧する。
平和主義と基本的人権の擁護は、患者の命を守る使命を担った医学者・医師が片ときも忘れることを許されない倫理であると同時に、日本国憲法の原則に一致するものである。世界医師会は「非倫理的行為を求める法には従わない」ことを医師に求めている。
日本学術会議は 1950 年に「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を、1967 年には「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発出している。これはわが国の科学者の真の自律と良心の宣言として、過去・現在そして未来までもその輝きがいささかも失われることがあってはならないのである。
「『戦争と医』の倫理の検証を進める会」は、歴史の教訓を踏まえ、科学者としての倫理と平和を追求する立場から今回の大西会長の発言に大きな危惧を有し、反対の意思を表明し、従来の声明の擁護を求めていくものである。
2016年6月8日
「戦争と医」の倫理の検証を進める会
日本政府は731の史料をことごとく隠蔽し、人体実験・細菌戦の事実を認めていない!!
731部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書⁄川田悦子(衆議院議員)
2003年10月3日
七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
答弁本文情報
外務省、防衛省等の文書において、関東軍防疫給水部におけるお尋ねの「研究檢索」、「製造業務」及び「其ノ他危險ナル病原細菌」の具体的内容を示す資料は現時点まで確認されておらず、お尋ねにお答えすることは困難である。
いかなる部隊であったのか?
731部隊というのは一旦入ったら、2度と出ることはできない気違い共の医者たちに目茶目茶に切り刻まれて実験で殺されてしまう。
医学者?と人体実験
731部隊のドキュメンタリー
731部隊にいたことを悔い、医学者の道を捨てた男の物語
こういう人は稀だ!!ほとんどの上級隊員は、731での実績??をもとに出世??した!!
「731部隊と医学者たち」
※中国の731罪障陳列館から特移扱で731部隊に送られ、人体実験されて亡くなった人の資料が届きました。犠牲者は3000人以上とされています。
その「特移扱」というのは、憲兵隊及び偽満州国警察が、中国人民を不法に逮捕し、「重罪にあたる者」と決定したならば、裁判をおこなわないで、憲兵隊から石井部隊に移送して、細菌実験材料としてなぶり殺しにすることであった。
特移扱い朝鮮被害者李基洙の資料4
封印された真実
戦争の狂気を語る!!
日本で、米兵の生体解剖したら、戦後大問題!!
九大石山教授は自殺した。
中国で多くの人を生体解剖しても、なぜ問題にならない???
731の罪業は許されるのか???
九州大学生体解剖事件 (2/2)
九大生体解剖事件、90歳医師の償い 最後の生き証人
九大生体解剖事件
・情報公開裁判
【報ステ】PKO部隊の日報「戦闘激化」見つかる
なぜ、自衛隊衛生学校で作った『衛生学校記事』がきちんと保管されていないのだろうか?衛生学校と言っても、国民の税金で作られた公の施設である。自衛隊だから戦後、物品の管理はしっかりやっていると思うのであるが、不思議である。自分たちの大事な研究をまとめた機関誌である。第5代衛生学校長、金原節三氏の大切な寄贈資料も所在不明、よほど、管理が杜撰なのか??
季刊誌『ふかみどり』がきちんとあるのに、なぜ、その前の『衛生学校記事』はない??
金原節三・・陸軍に入り、次いで東大大学院で耳鼻咽喉科を専攻。ドイツ留学、昭和17年軍医大佐、近衛師団軍医部長、第15軍軍医部長、第38軍軍医部長、陸軍省医務局医事課長を歴任。戦後厚生省東海北陸医務出張所長を経て開業。30年防衛隊に入り陸上自衛隊衛生学校長、陸上幕僚監部衛生課長から陸将、第3代陸上幕僚監部衛生監となった。36年退官。その後防衛衛生協会会長、共済組合連合会三宿病院顧問、48年防衛衛生協会名誉会長。竹郎子と号し俳句、俳画をよくした。著書に「大東亜戦争陸軍衛生史」がある。
※『化学学校記事』等についての回答がありました。
審査会の結論
「『化学学校記事』1号ないし最新号」につき、これを保有してしていないとして不開示として決定は、妥当である。
答申が出るまでになんと4年のかかっている!!その間、防衛省は、審査会にどんな返答をしていたのか?全く無視していたのか?
防衛省と規模がでかくなって、何をやっているのか、全く見えない省である。すべて秘密裏に行っている??
この情報公開裁判で「衛生学校記事」「化学学校記事」等の公開を求めているが、それらにはどのような記述がみられるのか。特に核兵器については、どのような部署で防護の研究が行われているのだろうか。日本は、唯一の被爆国でありながら、その悲惨な状況を国民に知らせることはなかった。日本政府、学術会議等のリーダーたちは、加害の事実をことごとく隠蔽し、戦争の反省を深くすることなく、アメリカの傘下に入り、再軍備に走っていることが下記の論文から、よくわかる。また、原発と自衛隊の関係はどうなっているのだろうか。防衛省は、「衛生学校記事」「化学学校記事」等を全面公開をし、防衛費を増額していったい何をやろうとしているのか、しっかりと国民に伝える義務がある!!
敗戦前の隠蔽工作、そして戦後の核・ミサイル開発
新妻清一(1945年1月において陸軍省軍務局軍事課課員)について
・・・さらに(1945年8月)13日に新妻は広島を離れるが、東京に戻ると8月15日付けで「特殊研究処理要領」を軍事課名でまとめ、関係方面に通知した。その内容は、「一 方針 敵ニ証拠ヲ得ラルル事ヲ不利トスル特殊研究ハ全テ証拠ヲ隠滅スル如ク至急措置ス」とし、「二 実施要項」で、ふ号登戸関係、731部隊、100部隊等に連絡するよう指示している。
このように新妻は広島に投下された兵器が原爆であることを熟知していたにもかかわらず、その事実を隠蔽し、一般に知らせることを避け、それと同時に登戸研究所、731部隊等陸軍の秘密研究の隠滅も図ったのである。
5、敗戦後の新妻―米軍の監視対象者から自衛隊の幹部へ
新妻は敗戦後米軍の監視対象者となり、731部隊やウランの保有量等様々な問題について尋問されたが、徹底した事実の隠蔽を図った。彼がサンダースから尋問を受けていたまさにその時期、45年11月10日付けの八木秀次からの手紙を受け取っている。それは雑誌『科学知識』が原子力や原爆の特集号を出すにあたって、新妻に原稿を依頼するものであった。その手紙で八木は新妻について次のように述べている。
寄稿を願うべき方として仁科博士に9月初め頃お願いいたしたることあり、総合的に原子爆弾については貴官が中心となり居られることと承知いたします。
八木は戦時期に軍と学会をつなぐ役割を果たした人物であり、彼が仁科に新妻を紹介されたということは、新妻が深く軍の原爆研究に関わっていたことを示すものと言えよう。
このように新妻は電波兵器の開発と原爆研究に深くかかわっていた。その知識と経験によって、新妻は戦後自衛隊で再び役割を担うことになる。
新妻は敗戦後第一復員局において旧軍関係の業務の処理に当たり、1954年には防衛技術研究所に入所し、企画室において企画業務に従事した。翌1955年には防衛研究所教官兼務となる。以後新妻は核及びミサイル、レーダー関連の専門家として活躍することになる。
(「核とミサイルに関する新妻清一関連資料」(1) 軍事史研究グループ(松村高夫、兒嶋俊郎)より
審査会の結論
「『衛生学校30年のあゆみ』衛生学校30年のあゆみ編さん委員会編(1982年10月)第4編の資料中の『研究の実績』の昭和55年度(265頁)の『衛生戦史資料の体系化』と題する論文」(以下「本件対象文書」という。) につき、これを保有していないとして不開示とした決定は、妥当である。
「ABC企画ニュース」より
10月11日(火)14:00から、東京地裁419号法廷で、第12回目の防衛省の『衛生学校記事』の公開を求める裁判が行われました。岩井裁判長は、被告の防衛省に対し、詳しく調べるように、具体的な名前まで挙げ(防衛省が管轄する図書館のすべて、例えば、衛生学校図書館、彰古館等)さらに防衛省の外局も調べるように、また、あった場合は、その経緯も報告するように命じました。
また、ある程度時間がかかってもよいということで、よく調べてくださいということでした。
原告側からは、防衛研究所にある資料と金原節三目録の資料とは同じではないかということで、同一のものであることも確認してくださいということが付け加えられました。
次回「衛生学校記事情報公開裁判」は、2月28日(火)午後 2時~東京地裁419号法廷 傍聴よろしくお願いします!!
次回「化学学校記事情報公開裁判」は、3月 1日(水)午前11時~東京地裁522号法廷 傍聴よろしくお願いします!!
原告の陳述より
5金原資料は隠蔽されている。
私たちが本件裁判で公開を求めている『衛生学校記事』は、一昨年、その
一部が防衛医科大学校図書館等から発見されたとして公開されました。
しかし、そもそも裁判を起こされてから「防衛医科大学校図書館」を調べ直したら 『衛生学校記事』 の一部が発見されたという話し自体に私は強い疑いを抱いています。虚偽だと思います。また、元学校長の金原節三氏が『衛生学校記事』 を89冊も寄贈しているのに、防衛省は存在しないと主張し続けていますがこれも虚偽だと思います。
裁判所の三権分立がいま問われている!!
なんとか、この防衛省の内部研究誌を公開させたい!!
上記2点に対する裁判所の決定
お粗末な日本政府の情報公開
※自衛隊衛生学校、階級社会のパワハラ、セクハラ!!
国民が見えない密室の中で何が行われているのだろうか??
沖縄の那覇での写真。米軍の戦闘車両です。今年から米軍が参加しています。一回目に送信した写真は自衛隊の特殊防護車と地帯空ミサイルです。

米軍の車両

自衛隊の特殊防護車


地帯空ミサイル
そう言えばこんな事件もありました!!
たちかぜ自衛官いじめ自殺事件
731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は?
戦後72周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ!
虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか?
日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!!
日本には本当に三権分立があるのかが問われている!!
・・・・・・金成民、彼は侵華日軍第731部隊罪障陳列館館長だ。2010年、彼は本部1号棟とロ号棟がつながっている廊下の中で731部隊及び細菌戦で名前が確認できた2900人余りの犠牲者のために位牌を安置した。歴史の空にさまよい瞑目出来なかった霊魂がようやく安息できた。
「いったいどのくらいの人が731部隊の人体実験の被験者にされましたか。つまり殉難者の人数はいったいどのくらいになるのか、それを一番わかっているのは731部隊に違いありません・・・・・・・・・・・
731(4)
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
黒い太陽№15
※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。
朝枝繁春の証言
●横浜「戦争と加害」のパネル展
『週刊金曜日』からのメッセージ
日中戦争、南京大虐殺から今年は80年にあたります。本来なら安倍首相はこの国を代表し、改めて侵略戦争を反省し、アジアの国々に謝罪すべきです。しかしその風情は感じられず、「加害」の意識が希薄としか思えません。未来を語るためには、過去をしっかりと見つめる必要があります。どんなにつらくとも、負の歴史を正面からとらえなくてはなりません。このパネル展が多くの市民の考えるきっかけとなることを望んでやみません。
細菌戦(「戦争と加害」のパネル展in横浜)
毒ガス(「戦争と加害」のパネル展in横浜
「戦争の加害」パネル展(2016年2月横浜)
「辺野古の“今”」写真展(2016年2月横浜)
参観者の感想
「慰安婦」関係資料21選より
●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕
日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア
井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)
※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)
寧波(ニンポー)細菌戦
地底からの叫び声が聞こえませんか??(「八紘一宇」のスローガンのもと行われた残虐行為!!)
731勿忘
731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、
また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。
ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長)
侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像
常徳細菌戦
闇に消された虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
細菌戦裁判(1997年~2007年)
終戦50周年731部隊
細菌戦被害の人々
(毒ガス戦)
原爆被害の重い苦しみを負いながら、学徒動員で毒ガス製造に関わった体験から自らの加害責任を語り伝える女性がいる。「戦争で受けた苦しみを知るからこそ、加害者としての責任も語り継がなければならない」。8月15日は終戦記念日。【高田房二郎】
<終戦記念日>ヒロシマの加害語る 学徒動員され毒ガス製造
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)
暴かれる毒ガス戦の真実
(毒ガス戦)
さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。毒ガス兵器は多くの中国やモンゴルの戦闘員・非戦闘員を死に至らしめた。「日華事変」が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた。ベルサイユ条約第171条ならびに、第1次世界大戦後、日本が調印した国際的な協定は、催涙ガスを含め毒ガスの使用を禁止していた。しかし、軍事技術の面で劣った敵に対してはこの禁止を守らなくても問題はないと陸軍は考えていた。昭和天皇も明らかに同じ考えであった。天皇が化学兵器使用を最初に許可したのは、1937年7月28日のことであり、それは閑院宮参謀総長により発令された。北京-通州地区の掃討について、「適時催涙筒を使用することを得」と書かれていた命令である。天皇の2度目の命令は、1937年9月11日に出され、このときも閑院宮参謀総長により発令された。いくつかの特別な化学兵器部隊を上海に配備することを許可したものである。当初は実験的で、非常に小さな規模でこれらの命令が許可されたが、1938年の春・夏になると、中国、モンゴルの主要な戦闘地域で大規模に毒ガスが使用されることとなった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
天皇は知っていた!!
澤田茂司令官は細菌戦に反対だった!!
『「澤田日誌」からみた浙贛(せっかん)作戦における日本軍の細菌戦』
松野誠也(明治大学大学院)【当時】より
・・・・・・(略)
澤田日誌には6月25日に再び関連する記述が登場します。
これは非常に重要な内容でありまして、支那派遣軍の反対意見が参謀本部によって握り潰されるということが記されています。内容は次の通りです。
石井部隊の使用総軍〔支那派遣軍〕よりも反対意見を開陳せしも大本営の容る処とならす大陸命〔大陸指の誤りか〕を拝したりと。命令ならは致方なきも作戦ハ密なるを要す。若き作戦課の人達を抑へる□に総長〔参謀総長・杉山元大将〕の力なからさるへからす。遺憾なり。ペスト防疫の為 一部家屋ハ焼却の命令を出す。
これを見ますと、陸軍中央と現地軍が一致して細菌戦に賛成していたのではなく、現地軍は反対していたが、大本営から指示なり命令がきて、それに従わざるえなくなったという構図が描けるわけです。しかも、トツプに立っている参謀総長は、幕僚たちがいろいろ意見を突き上げてくることを「抑へる」ことができない。それは非常に遺憾なことであると書いているのも非常に注目されます。澤田将軍は参謀次長を務めた経験があるので、参謀本部の下僚を「抑へる」ことの重要性と難しさをよく知っていたのでしょう。
次に澤田日誌に細菌戦関係の記事が出てくるのが7月11日です。石井四郎が戦線の第13軍司令部にやってきたという記述が出てきます。
石井少将連絡の為来着す。其の報告を聞きても余り効果を期待し得ざるが如し。効果なく弊害多き本作戦を何故強行せんとするや諒解に苦しむ。堂々王者の戦をなせば可なり。
何故こんな手段を執るや予には不可解なり。何れとも既に命令を受けたる以上実施せさるへからす。
仍(よ)つて次の三点に就て特に注意せしむ。/1、秘密の絶対保持/2、□□の予防/3、飛行場に攻撃を向くる事。
石井四郎の報告を聞いても、細菌戦の「効果」に対する疑問と「弊害」に対する認識は変わらず、命令だから嫌々ながらもやらざるを得ないという、澤田中将の参謀本部にたいする不満がよく伝わる一文です。あげくの果てに「何故こんな手段を執るや予には不可解なり」とまで書いています。・・・・・・(略)
東京初空襲・浙かん作戦 一般に中国軍の飛行場破壊を目的とした侵攻と言われるが、恒久的に占領できる目処もない状態で飛行場破壊のみ行っても効果は薄く12万人もの兵力を動員する目的としては疑問が残る。実際の目的は飛行場破壊よりもむしろ、それを名目とした浙江省東部一帯の蛍石産地の占領にあったと言える。財界と軍部が連携して利権獲得に動いた作戦である。 ※蛍石・・・・用途・加工法・・・古くから製鉄などにおいて融剤として用いられてきた。現在では望遠鏡や写真レンズ(特に望遠レンズ)などで、高性能化のための特殊材料としてキーパーツとなっている。フッ素の貯蔵に用いられることもある。 蛍石を採掘するのも、山東省、河南省、安徽省、江蘇省、浙江省などから強制連行された中国人だった。(約1700人) 1944年疫病がはやり、病気になったものは、隔離され食べ物も与えられず、餓死した。 ![]() ![]() 蛍石の彫り物 ![]() ![]() ![]() 赤坂離宮内の生物学研究所【1925(大正14)年】 ・昭和天皇は生物に関心があった!!勿論、細菌にも関心はあっただろう!! ・日本は富国強兵を目指した!! ![]() 1921年昭和天皇フランス視察 ![]() 1929年11月7日陸軍軍医学校(731部隊に指令を出していた防疫研究室はこの中に1932年に開設される)視察 ??A氏(731部隊幹部)の言うには、今事実関係を明らかにすると、それは戦争中の犯罪行為を暴露するだけにとどまらす、戦後の重大な犯罪事実までズルズル数珠つなぎに明らかになってしまうから、だから話が出来ない、ということなのです。?? ・731と天皇の戦争犯罪 同じように、おそらく日本政府が恐れているのは、戦争中の日本軍の戦争犯罪が暴かれて賠償の問題になることだけではなく、暴露によって戦後の重大事実が明かになることなのではないかという疑いが大きくあります。 それと同時にもう1つ大きな問題は、天皇の戦争犯罪の問題です。私も鑑定書で書きましたが、中国・浙江省寧波で細菌作戦の時、昭和15年の11月に発令された「大陸指」というのがあります。杉山参謀総長名で出ているものです。その781号によると、大陸指690号によって目下実施中の特殊ガスの試験を大陸命第439号に基づく大陸指第781号を以って終わりにすると、11月末日で終了せよという命令が出ています。特殊ガス試験というのは細菌兵器の実施使用のことです。これは明かに細菌戦の命令指示です。 「大陸命」というのは大本営陸軍部命令の略ですが、天皇が発する命令です。 当時は普通御前会議で昭和天皇と陸軍部の参謀総長、海軍の軍令部長とそれと大体原則的には侍従武官長が列席して、お上に作戦を上奏します。それでOKということになると「大陸命」を作成するわけです。陸軍部がやるわけですが、その「大陸命」を作るとそれに基づき「大陸指」を作成してこれでよろしいかと、お上にお見せするのが慣例でした。いつも必ず見せていた。それでこの通りにというと「大陸指」という参謀総長の発する命令、指令が出るわけです。作戦によっては担当の大本営の担当者、参謀が直接天皇の前へ行って作戦を事細かに上奏、説明します。・・・・・・(中略)・・・・・ 瀬島龍三という元大本営の参謀も、「陸軍は大陸命、海軍は大海命といいますが、それがないと軍の用兵は何1つ出来ない、参謀総長や軍令部総長といえども、そういう厳密な手続きを経なければ勝手に軍を動かすことは一切出来なかった」と言っています。ですから「大陸命」に基づいてというところが一番肝心なのですが、その内容はすべて昭和天皇の耳に入っていたということです。ここに731を何としてでも隠蔽しなければならなかった理由があります。・・・・(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より) ・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか? 医の倫理は、向上すると思う!! 中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!! 夏草をふみしめてなおも歩き続ける 軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光 住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々 長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた 【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より 日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア 混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮) 細菌戦資料発掘の旅(1) 近藤昭二(本会共同代表、ジャーナリスト) 731部隊・細菌戦関連の資料を発掘する旅の報告。まずはロシアに残されている資料のレポートから始めることにする。 日本語版も出回ったハバロフスク細菌戦裁判の公判記録 冒頭に、調書の目次があり、続いて日付順に調書が並べられている。 どういった様式になっていたのか、ここに実例を挙げてみる。 『公判書類』は、1950年出版の後、1973年12月に全日本医学生連合・刊行委員会から、1982年7月には海燕書房と不二出版で復刻されているが、いずれも残念なことに捜査段階の調書は「抄録」になっている。特に川島清の1949年10月24日付け調書は省略が多く、そこには安達演習場での実験の模様や中国中部での細菌戦実施についての重要な事実が語られているので、川島分の3通全文をまずここであげてみる(宇都宮亜紀訳 英語版を参照して筆者監修)。 大括弧[ ]でくくった太字の部分が省略された部分。二重括弧《 》は欄外余白の記入、文中の下線は原文のママで、タイプ後に記入されているもの。 川島清尋問調書 捕虜・少将 1949年10月23日 ハバロフスク市 [尋問時間:10時30分 尋問終了:2時45分 休憩:17時~21時 川島証人はロシア連邦共和国刑法第95条による偽証罪の警告を受けている。 尋問は、ロシア連邦共和国第95条による偽証罪の警告を受けた、通訳プリャチェンコを介して日本語で行われる。 (プリャチェンコ) 質問:関東軍731部隊の生産能力について証言を続けよ。 答え:伝染病の媒体となる蚤を繁殖させる機械は次のようなものだった。部隊の第2部に、およそ4500の孵卵器が入る、設備された部屋があった。それぞれの孵卵器には1ヶ月に3~4匹の白ネズミを順番に入れ替えていて、これらのネズミは専用の固定装置で孵卵器に固定されていた。孵卵器の中には培養基と蚤の個体が数匹入れられていた。繁殖期間は3~4ヶ月、その間、各孵卵器が約10グラムの蚤の生産をしていた。このように、部隊として、ペスト菌を媒介できる蚤を3~4ヶ月で約45キログラム繁殖させていた。 蚤の繁殖に関する数字はおおよそのものであるということを記録していただきたい。なぜなら私は第2部では働いていなかったからだ。 部隊の作業計画では、細菌培養と蚤の繁殖の生産性を常に上げていくことが見込まれていた。部隊の活動には参謀本部が重大な関心を寄せていた。 1941年6月、石井将官が東京から戻ってきた後、自身の執務室に部隊のすべての部の部長を集め、日本の参謀本部にて、731部隊が細菌兵器としてペスト菌に感染した蚤の増殖方法を開発し、軍事目的で広い規模での実践使用が可能になったと報告した旨、私達に伝えた。 ![]() 小泉親彦(ちかひこ) ※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物 1945年9月、自決。 ・「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行) 第2部 恐るべき遠足 死体を解剖して、肺臓、脾臓など各部分からそれぞれ検査用塗抹標本を作る手伝いをさせられたのだったが、与えられた仕事を理解しようとする心のゆとりもなく、ただ反射的に手を動かしていた。周囲の壁を通して悲痛なうめきが聞こえ、金網の外には、取り出した臓腑をかぎつけた蠅どもがうなっている。 わずか1時間足らずの時間だったろうが、私は体も神経も蒸されたようにふらふらとなって部隊に帰った。 は一週間ほどたって全部焼き払われた。中には生き残った者もあったろうが、極秘の実験であるから、実験後には一人残らず殺されたのだそうである。 ・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた?? 実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。 1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英) 1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。 紅白の殺戮者 1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか? 当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。 三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと 2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと 患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない) 市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること (参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年) ![]() ・パネル展 ![]() 中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。 ・細菌戦最大の被害地・浙江省を訪ねるスタディツアー ![]() 2016年10月24日 衢州(くしゅう) ![]() ![]() 2016年10月25日 麗水 (れいすい) 2016年10月25日(火) 麗水№2 2016年10月26日(水) 四路口(しろこう) ![]() 2016年10月27日(木) 武義、金華石門 2016年10月28日(金) 金華市街 2016年10月29日(土)義烏市崇山村 |
台湾義勇隊(金華 )
台湾義勇隊(上)抗日戦争:細菌戦
台湾義勇隊(下)(抗日戦争)
事前学習会
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
「細菌戦裁判」の第1審の東京地裁で事実認定された日本軍の細菌戦
話は今につながっている!!
最先端の技術を日本は持ったわけですね。人体実験やるわけですから。それを米軍が引き継いだと。それから細菌戦の恐怖というのは今もって続いているわけでして9.11の後に炭疽菌の騒ぎがありましたね。これも石井部隊研究してたわけですからね。それからもう1つは薬害エイズで話題になったミドリ十字というのはこの石井部隊の部下たちが作った会社。つまり今につながっているんですね。いろんな話が!!
石井隊長の戦後4
筑紫哲也さんはガンで死んだのではない。
ガン治療のウラ 3/8
抗がん剤切り替えた8人が重い肺炎 厚労省注意呼びかけ
「ミドリ十字」という会社
内藤良一・・・731部隊員、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者として、731部隊が主導した細菌兵器の開発・研究や人体実験に関与した。
厚労省の敷地内に『誓いの碑』がある。そこにはこう書いてある。
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような
医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう
医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する
千数百名もの感染者を出した
「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省し
この碑を建立した
平成11年8月 厚生省
碑を建てても薬害は続く!!
8月24日を「薬害根絶デー」とし、毎年要望している。
薬害根絶求め要望書 エイズなど被害者12団体
イレッサ判決・大阪高裁で原告の逆転全面敗訴
イレッサ訴訟
子宮頸がんワクチン接種後の症状
国はワクチンの承認や定期接種などに積極的に関わった責任があり、グラクソ・スミスクライン、MSDのメーカー2社は製造物責任がある!!
子宮頸がんワクチン 国とメーカー2社へ集団賠償訴訟へ
以下、ウィキペディアより
・ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字社に一本化された。路線転換を迫られ、血液製剤や人工血液、医薬品への移行を模索する。1964年8月に社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。
・1982年、創業者・内藤良一の急死後、厚生省薬務局長を務めた松下廉蔵(社長に就任)など多数の厚生省出身の天下り官僚らにより経営の実権は握られることとなった。当時の薬事行政では、すべての製薬会社は官僚の天下り先にされていたので、多数の厚生官僚出身者が業界首位の同社経営に携わることとなった。具体的には、当時の副社長には厚生省薬務局細菌製剤課長補佐経験者、取締役には同薬務局企画課長補佐経験者、薬事部長には同薬務局経済課長補佐経験者などが就いた[1]。
・ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。
国から派遣された日本の医学者は原爆症患者を救わず、アメリカに協力して原子爆弾の威力・効果を調べた!!
ABCC委員会と731部隊
・・・・ABCC[には、731部隊の顔ぶれやいくつかの関連事実が登場してきます。731部隊の凍傷研究班の班長であり、同時に特移扱いにされたマルタの管理を行っていた班の班長でもあった吉村寿人、後に京都府立医大の学長になる病理学者もその1人です。この吉村寿人が度々ABCCに出入りし調査をしていた記録が残っていますし、これを裏付ける関係者の証言もあります。
ABCCと旧731部隊の関係についてですが、ABCCが最初に広島の北の方、高台の所に出来たときの施設には、石井四朗の叔父の家が提供されて、その建物を使っています。今調べていますが、ABCCの当時の職員名簿を見ると、日本側の職員の中に731部隊の旧隊員が何人もいます。その1人貞政昭二郎が私の取材に「吉村さんはABCCによく来ていた」と話しています。
1948年の終わりから49年という時期に、職員にそういう人たちが出てきます。ちょうど日米の取引の成立直後くらいです。48年の終わりというのはヒル・レポートもできる頃で、その頃には協力体制が出来上がっており、旧731部隊とABCCの共同で動き始めていたのかも知れません。しかし戦後に共同という形で調査をしていたという動きは今のところ記録上ははっきりとはしてません。(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より)
ABCCと国立予防衛生研究所(予研)の関係・・・ウキペディアより
米国科学アカデミー(NAS)が1946年に原爆被爆者の調査研究機関として設立。当初、運営資金はアメリカ原子力委員会(AEC)が提供したが、その後、アメリカ公衆衛生局、アメリカ国立癌研究所、アメリカ国立心肺血液研究所(en:National Heart, Lung, and Blood Institute)からも資金提供があった。1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加した。
施設は、広島市の比治山の山頂(元々比治山陸軍墓地があった地)に作られた。カマボコ型の特徴的な建物であった。
ABCCは調査が目的の機関であるため、被爆者の治療には一切あたることはなかった。ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなった。
1975年、ABCCと厚生省国立予防衛生研究所(予研)原子爆弾影響研究所を再編し、日米共同出資運営方式の財団法人放射線影響研究所(RERF)に改組された[4]。
731部隊の罪業をアメリカは不問に付した結果、日本は731部隊の反省を全くしなかった。戦後、731の流れは国立予防衛生研究所(予研)→国立感染症研究所に姿を変えている!!
エイズ・エボラ出血熱・マーズ・サーズ新型インフルエンザなどの病気は、世界のこういった研究所で作られたのではないか??
一体、国立感染症研究所は、どんな仕事をやっているのだろうか??
国立感染症研究所
国立感染症研究所
どんな生物兵器を作るのか??「周辺住民の理解を得ながら進めていきたい」と話しています。周辺住民が納得するのだろうか??
国立感染症研究所 「レベル4」施設で5月から実験
国立感染症研究所の危険性!!
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
防御と称して、生物兵器開発を進めてはいないか???
ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永
プロローグ
京都帝大調査班にまぎれて
731部隊の協カ者でもあった木村廉医学部長らが救援隊として9月22日、京都を出発、翌日広島に着いた。木村も、他の教官らとともに「原子爆弾傷恵者血清の細菌学的研究」を共同でまとめ、学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に対し、報告している。都築正男が1946年12月、木村廉に送った通知によれば、京都帝大医学部ととにも、石川が所属する金沢医大にも政府の学術研究会議事務局から研究費が配分され、支払われていたことがわかる。原爆投下後1年以上が経過しても研究が継続されていたことが窺える。長く継続して原爆調査を行った理由は何だったのだろうか。 2010年8月6日に放送されNHKスぺシャル「封印された原爆報告書」での三木輝雄元陸軍軍医少佐の証言によっても原爆調査を731部隊などの戦争犯罪から逃れるための力ードとして使ったことが指摘されている。
放射能汚染地図「川で何が起きているか?」
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集
原爆報告書を書いた科学者は、原爆の威力を調べ、調査に参加した医学者は、原爆が人体に与える影響を調べ、治療はしなかった。アメリカとの取引を有利にするために為に。被爆者は???
封印された原爆報告書
開示された文書「何で黒塗り?」
・日本の科学者の核兵器への執念の系譜
戦中、日本は原爆開発を研究していた。陸軍は理研の仁科芳雄のもとで、海軍は京大の荒勝文策のもとで。戦後もアメリカと自衛隊の軍事交流によってその流れは加速している!!
核兵器禁止条約制定目指す決議案 日本は反対 批判の声も
潜在的核保有国化を目指す日本は、核兵器禁止条約制定目指す決議案に反対!!
非核3原則は嘘だった!!
※2009年(平成21年)になって沖縄に核兵器が持ち込まれていた事実が明らかになった。
※非核三原則を表明した佐藤栄作は1969年(昭和44年)1月14日付で米国政府に送った公電で「非核三原則はナンセンスだ」と発言したことが、アメリカの公文書から明らかになっている。
日本は、世界に「核廃絶!!」とは叫んでいないのだ!!
なぜ日本人は、アメリカに原爆投下の責任を問わないのか??
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直
しかしアメリカは仁科の虚偽をあえて暴こうとはしなかった。表面上は、 それを聞き入れるかのような姿勢さえ示した。アメリカ軍によるサイクロトロンの破壊(海中投棄)は科学への冒涜だといった世論を、アメリカ国内で盛り上げたりしたのも、その姿勢の現れだったのかもしれない。ではアメリカはなぜ仁科に対して寛大だったのか。次の、GHQ経済科学局科学技術課次長H.C.ケリーが、経済科学局長W.F.マーカットに宛て送った1948年9月3日付の報告書が、その疑問に答えてくれる。
主題:合衆国による日本科学者の利用
1.貴方の1946年3月の口頭による要請にこたえ合衆国による日本科学者の利用の可能性を調べた。
2.日本は理論科学に優れた指導者をもっている。実験科学では、仁科や菊池といった2、3の例外を除けば、むしろ弱い。理論科学者たちは、理論原子核物理学の分野で際立った寄与をしてきた。Oppenheimer博士のような最良の助言者によれば、核理論の発展において彼らは合衆国とほとんど肩を並べている。実験核物理学における彼らの寄与はほとんど無視できるほど小さい。
3.日本の科学者が合衆国に行くとすれば、学者として、安全に責任をもつ民間の機関をスポンサーとして行くべきであり、ドイツの場合のように彼らを輸入すべきではない。ドイツ科学者の輸入による—アメリカの科学者自身にさえよる—負の宣伝効果を見れば、われわれの方法がより実際的なものであることが分かる。
4.合衆国に行くべき最初の科学者の一人は京都帝国大学の教授、湯川博士である。彼は中間子理論の発案者であり、Oppenheimerによって世界の最も優れた理論物理学者10人の中に数えられている。湯川博士は、プリンストンの高等研究所の任用を受け9月2日に発った。この計画は、極東委員会の議論のため、早めることはできなかった。
5.貴方の承認があれば、同じ路線が将来もとられるであろう。傑出した日本科学者は、非友好的な国々よりもアメリカに向かうよう、あらゆる手段で奨励されるであろう。[★7]
※湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。
※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。
※今現在も、潜在的核保有国なのか、もう核兵器を持っているのだろうか?全ては極秘裏に進められている!!
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
全文は、「731からフクシマまで!!」で!!
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●731部隊(1) ●731部隊(2) ●731部隊(3) ●731部隊(4) ●陸軍軍医学校50周年記念行事について ●南京大虐殺 ●昭和天皇 ●教科書問題 ●陸軍登戸研究所 ●日航123便の怪 ●日本とドイツの違い ●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!! ●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? ●731部隊展 ●マレーシアの旅 ●九大生体解剖事件 ●ご案内 1月23日の河村たかし名古屋市長発言に抗議する!! ![]() 河村さんも名古屋との友好都市南京に積極的に行かれたらどうですか? 本当に友好を願うなら現地に行き、その目で事実を確かめられたらと思う!! ・写真展「重慶大爆撃」【2月9日(木)~15日(水)入場無料】 ![]() ・「戦争の加害」パネル展(横浜)2月21日(火)~28日(火) 糸数慶子参議院議員挨拶(沖縄の風) ![]() ![]() 『週刊金曜日』からのメッセージ 日中戦争、南京大虐殺から今年は80年にあたります。本来なら安倍首相はこの国を代表し、改めて侵略戦争を反省し、アジアの国々に謝罪すべきです。しかしその風情は感じられず、「加害」の意識が希薄としか思えません。未来を語るためには、過去をしっかりと見つめる必要があります。どんなにつらくとも、負の歴史を正面からとらえなくてはなりません。このパネル展が多くの市民の考えるきっかけとなることを望んでやみません。 パネル展『戦争の加害』プレイベント(横浜) 戦争の加害と教科書記述の変遷 「戦争の加害」パネル展(2016年2月横浜) 「辺野古の“今”」写真展(2016年2月横浜) 秘密国家日本!! 日本だけの無期限秘密(『日本の国家機密』藤井治夫著 1972年) アメリカではニュヨーク・タイムズによるベトナム秘密文書公表事件いらい、世論の批判が高まったためもあって72年6月1日、秘密文書取扱規則が改正されている。これにより一般秘密文書は、一定期間とに秘密区分をダウンレードし、10年後にはすべて公開することになった。また、国家安全保障にかかわる文書についても、30年を経過したときは自動的に秘密解除されることになった。ただし国務省、国防総省、CIAの文書および外国政府と取り交わした、とくに重要な文書については、関係官庁の長官が必要と認めたときは例外措置がとられる。 このほか各国の状況をみると、学術研究者には全く制限を付さないのがアラブ連合、25年ないし35年で原則的に解除するのが東ドイツ、ハンガリー、アイスランドなど6ヵ国、50年で制限を解くのがイギリス、イタリアなど16ヵ国、100年で解除されるのがスペイン、バチカン、ベルギーの3ヵ国となっている(総理府調べ)。無期限なのは日本だけで、スペインやバチカンより悪質ということになる。政府資料は、とうぜん国民に帰属する。そうした観念を全くもたないのが、わが支配階級なのである。 過去の侵略戦争を全く反省しない自民党政権!! 安倍氏「真珠湾犠牲者を哀悼」…中国「本当の和解望むなら南京に来い」 日本軍による太平洋戦争最大の3万人虐殺事件 1943年5月9日から12日にかけ洞庭湖の湖畔にある魚とコメが豊富な廠窖鎮が地獄と化した。日本軍はここで罪のない人々を虐殺し、中国侵略で二番目の大虐殺事件を起こした。これは太平洋戦争の最大の虐殺事件で、わずか3日間に中国の軍民3万人余りを殺害し、200人余りの女性を強姦し、第二次世界大戦でのファシストによる1日の殺りく数としては最多となった。 福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった 雁屋哲〈週刊朝日〉 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。 ──福澤の思想が、現代の保守政治家たちにも影響を及ぼしているのが問題だと。 安倍晋三首相は2013年の施政方針演説で、福澤の「一身独立して一国独立す」の言葉を使い、日本を強い国にすると言いました。また日本会議は天皇を中心とする大日本帝国的な社会に戻ることを目指しています。これらの考えの最初の一歩を始めたのが福澤諭吉。つまり、福澤が明治の人々に行った洗脳はいまだ続いています。いま日本は、駆けつけ警護という訳のわからぬ言葉で、自衛隊が海外で敵と思った相手を銃撃できる国になりました。人を殺す戦争のできる強い国を目指すのは、まさに福澤の思想です。 三原じゅん子は過去の日本が「八紘一宇」のスローガンのもとに行った残虐行為の数々を認識しているのだろうか?? まずは、安倍と中国各地を巡ったらいいと思う!! 【国会】三原じゅん子『【八紘一宇】を語る? 2016年年3月16日 地底からの叫び声が聞こえませんか?? 731勿忘 731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、 また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。 ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長) 侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像 常徳細菌戦 なぜ日本人は、アメリカに原爆投下の責任を問わないのか?? ![]() 核兵器禁止条約制定目指す決議案 日本は反対 批判の声も こんなことまで起こっている!! 外務省は、安倍内閣の顔色を窺ったのか、政府からの指示があったのか、中国人細菌戦被害者遺族のビザを発給しなかった!! これからも、アジアの戦争被害者や遺族の入国を拒否するかもしれない!! 当時の集会の模様 中国人細菌戦被害者なぜいない? ビザ発給拒否・集会妨害裁判について 次回の裁判は、3月2日(木)午後2時~東京地裁、傍聴よろしくお願いします。 莫大な防衛費を使って、化学学校、衛生学校ではどんなことが行われているのであろうか? 米軍と共同でCBR兵器の開発を密かに行なってはいないのか?防御のためと言いつつ、裏で何を行っているのだろうか。明らかにしたい!! 〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器=細菌兵器等)、R(放射能兵器=核兵器)〕 12月21日(水)『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の公開を求める裁判が東京地裁522号法廷でありました。 最初は、情報公開法でその2点を開示請求していたのですが、保有していないことを理由に、行政文書不開示を防衛省は決定しました。それに対し、原告は、行政不服審査法に基づき異議申し立てをしました。その審議会が、防衛省の意向に沿って、不開示は正当であるとの結論を出すまでに、4年も年月をかけているのです。全く何もやっていなかったのではと思ってしまいます。防衛省と審査会とのやり取りはどんなことがあったのか、4年間の経過をきちんと説明してくださいと、弁護士は切実に訴えました。また原告は、いまだに、細菌戦被害・毒ガス被害で悩む中国の被害者のためにも、きちんと公開すべきだと陳述しました。 化学学校記事の第12号には、杉田論文「自衛隊員が語る旧軍技術研究」として次のような細菌戦に関する記述があります。 「-日本は1931年(昭和6年)満州に細菌戦遂行のため〈731〉部隊を編成した。研究所、部隊は逐次整備され1935年(昭和10年)には、ねずみ2000匹を使用してノミを飼育し、ペスト菌の培養量だけでも毎日10㎏に及んだ。 1938年 華中戦線 細菌大量使用 1939年 ノモンハン 細菌大量使用 1940年 重慶爆撃 ペスト菌、コレラ菌使用 1941年 湖南省 細菌作戦 1943年 華中、華北 細菌作戦 その戦績は、衛生部隊としてかつてない大きな成果をあげたとして感謝状36回授与にみられる」 今、現在の研究では、細菌戦を始めたとされるのは1939年のノモンハン事件の時です。この論文が確かだと、ノモンハン事件の前に細菌戦が38年に華中で行われていたこと、また、重慶でも細菌戦が実施されていたこと、1942年の浙贛作戦以降の43年にも細菌戦が行われていることになります。 今、まさに、この『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』『衛生学校記事』そして『731部隊関連資料』の全面公開を実現させ、細菌戦・化学戦の戦中・戦後の実態を解明し、今の日本の現状でいいのかを考える時に来ています。 米軍と共同で自衛隊はCBR兵器の開発を密かに行なってはいないのか?非核3原則を唱えながら、防御のためと言いつつ、裏で何を行っているのだろうか。防衛省はきちんと国民に説明する義務があります!! 憲法9条はないがしろにされ、軍事研究がどんどんとスピードアップされている現状を打破しなければと強く思います!! 次回「衛生学校記事情報公開裁判」は、2月28日(火)午後 2時~東京地裁419号法廷 傍聴よろしくお願いします!! 次回「化学学校記事情報公開裁判」は、3月 1日(水)午前11時~東京地裁522号法廷 傍聴よろしくお願いします!! ![]() ・中国外務省の陸慷報道局長は7日の記者会見で、南京大虐殺記念館のほか、満州事変の発端となった柳条湖事件を記念した博物館や731部隊跡地を挙げ、「日本が深刻に反省し本当に謝罪したいなら、中国には多くの弔うべき場所がある」と述べた。 中国にも「弔う場所ある」=安倍首相の真珠湾訪問 「米国が真珠湾を忘れられないように中国も南京大虐殺を忘れることができない」 安倍総理の真珠湾訪問に対し 中国外務省が牽制 「今の日本にもう黙っていられない!」マレーシア アジアフォーラム ●南京大虐殺 ・南京大虐殺から80年、今年の12月13日は、80年前の日中戦争で南京が陥落した日だ。そして、虐殺が始まる。(もちろん、南京に至る過程でも、残虐行為を繰り返していた!) 24、虐殺数 ・虐殺数1 30万人以上 1947 年の南京軍事法廷で30 万人以上とされ、中国の見解はこの判決に依拠している。代表的な論者は、孫宅巍(江蘇省社会科学院研究員)、高興祖(南京大学教授)、アイリス・チャン(ジャーナリスト)などがおり、中国共産党政府、南京大虐殺紀念館、また中華民国の国軍歴史文物館も同様の見解をもっている。『蒋介石秘録』には30万~40万と記された。 また、孫宅巍によれば、30万説には南京城外の六県その他の地域の犠牲者数を入れていないので、今後これらも考慮して研究すると述べた。 ・虐殺数2 20万人以上 1948年の東京裁判では、日本軍が占領してから最初の六週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は20万以上とされる。埋葬隊記録では155,000体だが、これは焼き棄てられた死体や、揚子江に投げこまれた死体を計算に入れていない。 外務省は、持っている情報をきちんと開示せよ!! ある書物には、こう書いてあるが、この真偽はいかがなものか? 「1938年の1月17日に、廣田弘毅外務大臣は東京からワシントンDCの連絡員に次のような電文を転送したが、それをアメリカの情報機関が傍受し、暗号を解読してから、1938年2月1日に英語に翻訳した。 数日前に上海に戻ってから、私は南京やその他の地区で日本軍によって行われていると報告されている虐殺行為を調査した。信頼できる目撃者の口頭の説明と、信頼性について疑念の余地のない人たちの手紙により、日本軍がフン族のアッチラを思わせるような態度で振舞ってきて、現在もそういう風に振舞っているという確証を得ることができる。30万人を下ることがない中国の民間人が殺戮された。そのほとんどは血も凍るようなことだ。」 南京の情報を遮断するために、海軍はパナイ号は故意に撃沈した? 「そこで電報を(漢口にいる蒋に)打ち、同時に東京へ一通送る必要があった。電文が起草され、ベイツと僕とでそれを携えて“パナイ”号へ行ったのだが、・・・・・・その翌日“パナイ”号はさらに上流へと出発し・・・時ならぬ終着駅でもある処へと向かった。あらゆる通信がかくして切断され、僕らはそれ以上停戦を促す何事もなしえなかった。(ミルス:「夫人への手紙」より) パナイ号撃沈 安倍首相は、なぜ中国へ行って謝罪しない??パールハーバーよりも先ではないか!! 当時、南京にいたアメリカ人牧師マギーがとらえた南京虐殺 フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」 マギーフィルム(日本語訳付き) ![]() フォースター(Ernest H. Forster)は1895年にフィラデルフィアで生まれ、1917年にプリンストン大学を卒業した。バルティモア聖ボーロ小学校で校長の助手を2年務めた後、聖公会の宣教師[Episcopal missionary]として中国へ行き、揚州の馬関学校で教えた。1936年に名高い弁護士タウンゼントゥ(Irving U. Townsend)の令嬢クラリッサとボストンで結婚した。フォースター夫妻は一緒に中国へ戻り、揚州に駐在した。南京が陥落する1ヶ月前に、2人は揚州から南京へ移り住み、聖公会の聖ボーロ礼拝堂に仕えた。1937年11月末にクラリッサは南京から漢口へ撤退し、1938年1月中旬に香港を経て上海に着いた。フォースターはもう1人の聖公会の牧師マギーと、南京に留まり大虐殺の全歳月を過ごした。 フォースター夫妻のイェール神学校に保存されてきた文献の中の手紙やレポートや写真が、南京大虐殺の全般的で目に見えるような記録となっている。 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日)※ ここからがフォースター氏の書簡の抄録で、その後の南京に関わる消息が記載されている 12月2日、木曜日 夕べは駅で夜を明かした。あそこは情況がよくなく、助けてくれるはずだった部門が、どこも店じまいして行ってしまい、責任を負うべき人たちも、今は全く関心を払わない。重たい負担の一切が、僕らの肩にのしかかっている。イギリス大使館の役人何人かが、情況を見にやって来た。兵士たちの受けている苦しみは、見るに忍びないほど痛ましく、責を負うべき機関の怠慢は、勘弁ならないほどだ。僕らの経験したこうした場面からどうしても、罪に流されて生きる者は死に、神の聖霊に導かれる者は生きると言う教えを、人々に宣べ伝える必要があると、思わせられる。誰でも自分のした事に責任持たねばならないのだが、貧乏と病気にこもごも迫られ、何の寄る辺もないとしたら、なんと悲惨なことか。取るに足りない人たちの中に、ずっと豊かな誠実さや優しさが見られるみたいだ。―明らかに、揚州はやっぱりひっそりしている。 しゃべってから死ぬ!南京大虐殺 南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分 昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!! ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より 第3部 陛下の戦争(1931年~1945年) 第9章 聖戦 日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・ 1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171 ・・・・・・・・ (日中戦争)『昭和天皇』「上」(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫より) 序章 1946年を迎えて間もないころ、44歳の昭和天皇には、戦争犯罪人として告発されるのではないかという重圧が国の内外からのしかかっていた。もし起訴されれば、1941年に東条英機を総理大臣に任命し、その後アメリカとイギリスに宣戦したかどで裁判にかけられるだろう。天皇は宣誓のもとに、パール・ハーバーヘの攻撃計画をいつ知ったか、御前会議のたびにどういう役割を果たしたか、捕虜の扱いではどうだったかを糾(ただ)されるに違いない。そして無罪が証明されなければ、何らかの罰を受ける恥辱に服さなければならない。皇族のなかには、天皇を退位させることで政治責任をかわし、天皇制を護持しようとする声があった。有力な自由主義的知識人は、国民に道義的手本を示して天皇は退位すべきだと主張していた。 軍と政府が一体となって実施した慰安婦制度!! (勿論、警察も見て見ぬふりをした!!) ※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著) ![]() お粗末な日本政府の情報公開 ※南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像! 南京陥落 東京の風景 ※しかし、溥儀が恐れるほど関東軍が強くないことを証明したのが、1938年の張鼓峰(ちょうこほう)事件と1939年のノモンハン事件である。いずれもソ連との国境紛争で、関東軍は惨敗した。両事件ともソ連軍の戦車・航空機・大砲・兵員が、質量とも圧倒的に勝っていた。日本軍は2度の敗戦をひた隠しに隠した。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著) ※日本は、ノモンハンの敗北を封印することに腐心する。帰還した将兵には緘口(かんこう)令を敷き、戦闘に参加した将校を自決させ、作戦を立案した参謀を更迭した。 |
●ニュース
安倍氏「真珠湾犠牲者を哀悼」…中国「本当の和解望むなら南京に来い」 「安倍首相はまず南京に来るべきだ。我々は寛容の心で受け入れる」 <中国>南京大虐殺の追悼式典 安倍首相の訪問求める声も 実際のところ、その日に日本が攻撃した場所は真珠湾だけではありませんでした。その約1時間前には日本陸軍はマレー半島の北東沿岸を攻撃、同日にはアジア太平洋地域の他の幾つかの英米の植民地や基地を攻撃しています。日本は、中国に対する侵略戦争を続行するために不可欠な石油や他の資源を東南アジアに求めてこれらの攻撃を開始したのです。 それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の「慰霊」にも行く予定はありますか。 真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状 (朝鮮日報日本語版) 中国人デモ隊を数で圧倒した日本人右翼を一切報じない日本メディア アパホテルに抗議、在日中国人らが東京でデモ 【報ステ】稲田大臣、法的な意味の戦闘行為ではない 稲田氏発言、野党追及へ PKO「戦闘」報告が焦点に 民進、防衛相の辞任要求 南スーダン「戦闘」問題で PKO“日報問題”野党4党「集中審議を」 <3点セット>野党が攻勢…法相文書・陸自日報・天下り 東芝、昨年末時点で債務超過の見通し 3月末の回避模索 日米共同開発の新型迎撃ミサイル 安倍首相、トランプ米大統領とゴルフか CNN「慰安婦最大20万人」報道 菅官房長官「全く具体的裏付けない」 法務省「祖国へ帰れ」はヘイトスピーチ。 【築地仲卸組合理事長選】移転慎重派が新理事長に。 第43回 市民が本当に政治を変えることができるのか? 第043回ライトアップジャーナル / 「ニュース女子」沖縄ヘイトデマ問題 ウソとペテンはもう嫌だァァァァ(((((┏ ’ω’)┛ 日本は正しい歴史観に基づいて自国民を教育せよ―中国外交部 [寄稿]1★9★3★7 産経新聞が日テレの「南京虐殺」検証番組を「裏付けなしの謀略宣伝」と攻撃! でも捏造と謀略は産経の方だった 三笠宮は、731の生体実験・細菌戦・毒ガス戦・南京大虐殺も全て知っていた!! 昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王は、南京事件に 「架空の歴史を信じない」。戦時に軍部を批判した皇族、三笠宮さまが注目される理由 日テレが産経に「厳重抗議」 ギャラクシー賞「南京事件番組」検証記事めぐり 村上春樹氏「歴史を書き換えれば結局は自身を傷つけることに」 極右稲田朋美防衛相「南京大虐殺を事実と認定しない、日中戦争は侵略と断言出来ない」→韓国人「中国尖閣諸島周辺で活動範囲を拡大」 「核」で過去の発言追及…稲田氏に集中砲火 稲田防衛相らの「白紙領収書」問題 韓国、大揺れ 安倍首相「慰安婦へ謝罪の手紙」拒否に政府板挟み [特派員コラム] 12・28合意と決別しよう 韓国で少女像「移転してはならない」が76% 韓国国民の63%が「慰安婦問題再交渉すべき」、少女像移転反対も76% 核兵器禁止、「本音」と「建前」に揺れる日本政府、オバマ大統領の「核先制不使用」には反対 潜在的核保有国化を目指す日本は、核兵器禁止条約制定目指す決議案に反対!! 非核3原則は嘘だった!! ※2009年(平成21年)になって沖縄に核兵器が持ち込まれていた事実が明らかになった。 ※非核三原則を表明した佐藤栄作は1969年(昭和44年)1月14日付で米国政府に送った公電で「非核三原則はナンセンスだ」と発言したことが、アメリカの公文書から明らかになっている。 日本は、世界に「核廃絶!!」とは叫んでいないのだ!! 核兵器禁止条約制定目指す決議案 日本は反対 批判の声も 「Iam not ABE に込めた警告 ひとりひとりの挑戦こそが民主社会をつくる」 これが自民党の実態だ!! 憲法改正で自民党が目指すもの!! 国民主権、基本的人権、平和主義の3つを無くし、 国防軍創設、国体護持!! 全く、戦前の日本と同じではないか!! 自民党の目指すもの?? ●731問題 横倉氏は政府・与党との連携を重視!!(731のことなど頭にない??) 日本医師会 会長選挙 現職の横倉氏が3選 ドイツはまだ、戦争責任を追及している!!日本は全く忘れようとしている!!いや、あの戦争を肯定している!! アウシュビッツ元看守に禁錮5年=94歳、殺人ほう助―独 南京大虐殺や原爆開発の反省をしないまま戦後突き進んだ結果が福島原発事故だ!! 木村守江(元軍医で南京戦に参加、元福島県知事。元日本医師会会長の武見太郎との関係は??木村の方が年配だが、同じ慶応大学医学部出身だ!!)と南京大虐殺と原発!! 木村守江と南京、福島原発 昭和天皇(当時は大元帥であり、現人神と教えられた)の名で始めた戦争!アジアで何千万人が犠牲になったのだろうか? そして敗戦!!昭和天皇は責任を取らなかった!!謝罪もしない!! あの戦争は明らかに侵略戦争であり、自衛の為の戦争ではなかった!! 安倍晋三と日の丸と戦闘機と「悪魔の飽食」731 ![]() 安倍晋三のおじいさん岸信介と731の関係は?? ![]() ![]() 岸信介・・・1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、山口県出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。 岸信介という人 以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より 岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。 国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。 岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。 岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。 岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。 そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。 このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。 戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。 強制連行の決定 (参考) 岸信介、中曽根康弘、正力松太郎だけではなかった。 自民党自体がCIAの秘密工作機関であった!! 船瀬俊介の本を紹介 世の中はペテンに支配されている 従軍慰安婦を娼婦呼ばわりし、今回の閣僚・議員の靖国挑発を画策し、アメリカ様よりお叱りを受けて、侵略は国によって異なるとか、靖国や歴史認識、慰安婦の政治問題化は望んでいないなどの噴飯の見苦しい詭弁や言い訳を吐き続ける安倍晋三。親子揃ってそっくりではないですか? 第61・62・63代内閣総理大臣佐藤栄作は実弟。また長女・洋子は安倍晋太郎に嫁いだ。洋子の次男は第90・96・97代内閣総理大臣安倍晋三、三男は政治家岸信夫。 岸は安保反対のデモが続く中、一時は首相官邸で実弟の佐藤栄作と死を覚悟する所まで追いつめられた[65]が、6月18日深夜、条約の自然成立。6月21日には批准、昭和天皇が公布した。新安保条約の批准書交換の日の6月23日、混乱の責任を取る形で岸は閣議にて辞意を表明する。 樺美智子さん(60年【岸内閣】安保闘争の犠牲者)の墓誌 ![]() ![]() 「最後に」 誰かが私を笑っている 向うでも こっちでも 私をあざ笑っている でもかまわないさ 私は自分の道を行く 笑っている連中もやはり 各々の道を行くだろう よく云うじゃないか 「最後に笑うものが 最もよく笑うものだ」と でも私は いつまでも笑わないだろう いつまでも笑えないだろう それでいいのだ ただ許されるものなら 最後に 人知れずほほえみたいものだ 終戦50周年731部隊 生体解剖は、731部隊以外の中国の陸軍病院でも行われていた!! 消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」 特定秘密保護法撤廃!! 国民は「知る権利」を行使し、軍備増強を阻止しよう!! 学術会議会長「自衛目的の研究許容を」 軍事否定から転換の可能性 この人は、有毒ガスを吸着するシートの開発に取り組んでいる。(軍事研究に積極的) ![]() 大西隆会長 特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 一 戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか ■731部隊と大学 ―今述べられた罪悪とのかかわりで、 とりわけ大学医学部は、どのように戦争に加担していたのでしょうか。大学研究の戦争への加担という点で、特徴的なことはあるのでしょうか。 まず、731・「石井機関」に特にかかわる戦争加担についてお話しください。 731部隊などには、軍医将校の他に「技師」という身分の医学者がいました。 彼らは京都大学医学部の細菌学教室・生理学教室・病理学教室、東京大学伝染病研究所、慶応大学医学部細菌学教室、金沢医科大学細菌学教室等の出身です。2008年に出版された『京大医学部病理学教室100年史』で紹介された「石井発言」では、教室、学部、大学として組織的関与に発展していった様子が如実に語られていることが明らかになりました。筆者の請求によって「要審査」が解かれ公開された国立公文書館の留守名簿は目下解析中で、731部隊・「石井機関」にかかわる新たな人物が明らかになると思われます。 以上(月刊『前衛』より) 731部隊で行われた人体実験・細菌戦に関し、日本政府は罪をきちんと認め、謝罪すべきだ!! 科学者の社会的責任 ![]() 日本学術会議の軍事研究容認の動きを危惧し、反対する医学・医療関係者の声明 わが国の人文・社会科学、自然科学全分野の代表機関である日本学術会議が2016年5月20日、軍事研究のあり方を考える「安全保障と学術に関する検討委員会」の設置を幹事会で決定した。これに先立ち同会議の大西隆会長が本年4月の総会で自衛目的の研究を容認する考えを示したのを受けての動きと考えられる。 私たち 「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」は、軍事研究に公然と道を開こうというこの委員会設置を強く危惧し、医学界の一員としてここに断固として反対の意を表明する。「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」は2009年に発足し、「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となる」という歴史の教訓を生かして、いわゆる「731部隊」に代表される十五年戦争における日本の医学者・医師らによる「人体実験」などの非人道的行為を、史実に沿って検証し、その教訓を生かしていくために活動を続けてきた。 患者の命を守るべき医学者・医師が「研究」の名目のもとに残虐な行為を行う加害者となり、戦後は「人体実験」などのデータ供与と引き換えに米国政府から免責され、わが国の医学界は一貫して検証も反省もせずに事実を隠蔽したまま現在に至っている。このように「731部隊」の問題には、軍事研究が行き着く先のすべてが含まれている。私たちは本会の設立以来、多くの資料や証言によってこの日本で実際に起きた医学者の加害の歴史について検証を進め、二度とこのような過ちを繰り返すべきではないと日本医学会や日本医師会を始め、医学界に強く警鐘を鳴らしてきたのである。今回の学術会議の動きは、まさにその過去の大きな過ちへの道を再びたどるものと危惧する。 平和主義と基本的人権の擁護は、患者の命を守る使命を担った医学者・医師が片ときも忘れることを許されない倫理であると同時に、日本国憲法の原則に一致するものである。世界医師会は「非倫理的行為を求める法には従わない」ことを医師に求めている。 日本学術会議は 1950 年に「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を、1967 年には「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発出している。これはわが国の科学者の真の自律と良心の宣言として、過去・現在そして未来までもその輝きがいささかも失われることがあってはならないのである。 「『戦争と医』の倫理の検証を進める会」は、歴史の教訓を踏まえ、科学者としての倫理と平和を追求する立場から今回の大西会長の発言に大きな危惧を有し、反対の意思を表明し、従来の声明の擁護を求めていくものである。 2016年6月8日 「戦争と医」の倫理の検証を進める会 ![]() 日本政府は731の史料をことごとく隠蔽し、人体実験・細菌戦の事実を認めていない!! 731部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書⁄川田悦子(衆議院議員) 2003年10月3日 ![]() 七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書 答弁本文情報 外務省、防衛省等の文書において、関東軍防疫給水部におけるお尋ねの「研究檢索」、「製造業務」及び「其ノ他危險ナル病原細菌」の具体的内容を示す資料は現時点まで確認されておらず、お尋ねにお答えすることは困難である。 いかなる部隊であったのか? ![]() ![]() 731部隊というのは一旦入ったら、2度と出ることはできない気違い共の医者たちに目茶目茶に切り刻まれて実験で殺されてしまう。 医学者?と人体実験 731部隊のドキュメンタリー 731部隊にいたことを悔い、医学者の道を捨てた男の物語 こういう人は稀だ!!ほとんどの上級隊員は、731での実績??をもとに出世??した!! 「731部隊と医学者たち」 ※中国の731罪障陳列館から特移扱で731部隊に送られ、人体実験されて亡くなった人の資料が届きました。犠牲者は3000人以上とされています。 その「特移扱」というのは、憲兵隊及び偽満州国警察が、中国人民を不法に逮捕し、「重罪にあたる者」と決定したならば、裁判をおこなわないで、憲兵隊から石井部隊に移送して、細菌実験材料としてなぶり殺しにすることであった。 特移扱い朝鮮被害者李基洙の資料4 ![]() 封印された真実 戦争の狂気を語る!! 日本で、米兵の生体解剖したら、戦後大問題!! 九大石山教授は自殺した。 中国で多くの人を生体解剖しても、なぜ問題にならない??? 731の罪業は許されるのか??? 九州大学生体解剖事件 (2/2) 九大生体解剖事件、90歳医師の償い 最後の生き証人 ![]() 九大生体解剖事件 |
・情報公開裁判
【報ステ】PKO部隊の日報「戦闘激化」見つかる なぜ、自衛隊衛生学校で作った『衛生学校記事』がきちんと保管されていないのだろうか?衛生学校と言っても、国民の税金で作られた公の施設である。自衛隊だから戦後、物品の管理はしっかりやっていると思うのであるが、不思議である。自分たちの大事な研究をまとめた機関誌である。第5代衛生学校長、金原節三氏の大切な寄贈資料も所在不明、よほど、管理が杜撰なのか?? 季刊誌『ふかみどり』がきちんとあるのに、なぜ、その前の『衛生学校記事』はない?? 金原節三・・陸軍に入り、次いで東大大学院で耳鼻咽喉科を専攻。ドイツ留学、昭和17年軍医大佐、近衛師団軍医部長、第15軍軍医部長、第38軍軍医部長、陸軍省医務局医事課長を歴任。戦後厚生省東海北陸医務出張所長を経て開業。30年防衛隊に入り陸上自衛隊衛生学校長、陸上幕僚監部衛生課長から陸将、第3代陸上幕僚監部衛生監となった。36年退官。その後防衛衛生協会会長、共済組合連合会三宿病院顧問、48年防衛衛生協会名誉会長。竹郎子と号し俳句、俳画をよくした。著書に「大東亜戦争陸軍衛生史」がある。 ![]() ※『化学学校記事』等についての回答がありました。 審査会の結論 「『化学学校記事』1号ないし最新号」につき、これを保有してしていないとして不開示として決定は、妥当である。 答申が出るまでになんと4年のかかっている!!その間、防衛省は、審査会にどんな返答をしていたのか?全く無視していたのか? 防衛省と規模がでかくなって、何をやっているのか、全く見えない省である。すべて秘密裏に行っている?? この情報公開裁判で「衛生学校記事」「化学学校記事」等の公開を求めているが、それらにはどのような記述がみられるのか。特に核兵器については、どのような部署で防護の研究が行われているのだろうか。日本は、唯一の被爆国でありながら、その悲惨な状況を国民に知らせることはなかった。日本政府、学術会議等のリーダーたちは、加害の事実をことごとく隠蔽し、戦争の反省を深くすることなく、アメリカの傘下に入り、再軍備に走っていることが下記の論文から、よくわかる。また、原発と自衛隊の関係はどうなっているのだろうか。防衛省は、「衛生学校記事」「化学学校記事」等を全面公開をし、防衛費を増額していったい何をやろうとしているのか、しっかりと国民に伝える義務がある!! 敗戦前の隠蔽工作、そして戦後の核・ミサイル開発 新妻清一(1945年1月において陸軍省軍務局軍事課課員)について ・・・さらに(1945年8月)13日に新妻は広島を離れるが、東京に戻ると8月15日付けで「特殊研究処理要領」を軍事課名でまとめ、関係方面に通知した。その内容は、「一 方針 敵ニ証拠ヲ得ラルル事ヲ不利トスル特殊研究ハ全テ証拠ヲ隠滅スル如ク至急措置ス」とし、「二 実施要項」で、ふ号登戸関係、731部隊、100部隊等に連絡するよう指示している。 このように新妻は広島に投下された兵器が原爆であることを熟知していたにもかかわらず、その事実を隠蔽し、一般に知らせることを避け、それと同時に登戸研究所、731部隊等陸軍の秘密研究の隠滅も図ったのである。 5、敗戦後の新妻―米軍の監視対象者から自衛隊の幹部へ 新妻は敗戦後米軍の監視対象者となり、731部隊やウランの保有量等様々な問題について尋問されたが、徹底した事実の隠蔽を図った。彼がサンダースから尋問を受けていたまさにその時期、45年11月10日付けの八木秀次からの手紙を受け取っている。それは雑誌『科学知識』が原子力や原爆の特集号を出すにあたって、新妻に原稿を依頼するものであった。その手紙で八木は新妻について次のように述べている。 寄稿を願うべき方として仁科博士に9月初め頃お願いいたしたることあり、総合的に原子爆弾については貴官が中心となり居られることと承知いたします。 八木は戦時期に軍と学会をつなぐ役割を果たした人物であり、彼が仁科に新妻を紹介されたということは、新妻が深く軍の原爆研究に関わっていたことを示すものと言えよう。 このように新妻は電波兵器の開発と原爆研究に深くかかわっていた。その知識と経験によって、新妻は戦後自衛隊で再び役割を担うことになる。 新妻は敗戦後第一復員局において旧軍関係の業務の処理に当たり、1954年には防衛技術研究所に入所し、企画室において企画業務に従事した。翌1955年には防衛研究所教官兼務となる。以後新妻は核及びミサイル、レーダー関連の専門家として活躍することになる。 (「核とミサイルに関する新妻清一関連資料」(1) 軍事史研究グループ(松村高夫、兒嶋俊郎)より 審査会の結論 「『衛生学校30年のあゆみ』衛生学校30年のあゆみ編さん委員会編(1982年10月)第4編の資料中の『研究の実績』の昭和55年度(265頁)の『衛生戦史資料の体系化』と題する論文」(以下「本件対象文書」という。) につき、これを保有していないとして不開示とした決定は、妥当である。 「ABC企画ニュース」より ![]() 10月11日(火)14:00から、東京地裁419号法廷で、第12回目の防衛省の『衛生学校記事』の公開を求める裁判が行われました。岩井裁判長は、被告の防衛省に対し、詳しく調べるように、具体的な名前まで挙げ(防衛省が管轄する図書館のすべて、例えば、衛生学校図書館、彰古館等)さらに防衛省の外局も調べるように、また、あった場合は、その経緯も報告するように命じました。 また、ある程度時間がかかってもよいということで、よく調べてくださいということでした。 原告側からは、防衛研究所にある資料と金原節三目録の資料とは同じではないかということで、同一のものであることも確認してくださいということが付け加えられました。 ![]() 次回「衛生学校記事情報公開裁判」は、2月28日(火)午後 2時~東京地裁419号法廷 傍聴よろしくお願いします!! 次回「化学学校記事情報公開裁判」は、3月 1日(水)午前11時~東京地裁522号法廷 傍聴よろしくお願いします!! 原告の陳述より 5金原資料は隠蔽されている。 私たちが本件裁判で公開を求めている『衛生学校記事』は、一昨年、その 一部が防衛医科大学校図書館等から発見されたとして公開されました。 しかし、そもそも裁判を起こされてから「防衛医科大学校図書館」を調べ直したら 『衛生学校記事』 の一部が発見されたという話し自体に私は強い疑いを抱いています。虚偽だと思います。また、元学校長の金原節三氏が『衛生学校記事』 を89冊も寄贈しているのに、防衛省は存在しないと主張し続けていますがこれも虚偽だと思います。 裁判所の三権分立がいま問われている!! なんとか、この防衛省の内部研究誌を公開させたい!! 上記2点に対する裁判所の決定 お粗末な日本政府の情報公開 ※自衛隊衛生学校、階級社会のパワハラ、セクハラ!! 国民が見えない密室の中で何が行われているのだろうか?? ![]() ![]() ![]() 沖縄の那覇での写真。米軍の戦闘車両です。今年から米軍が参加しています。一回目に送信した写真は自衛隊の特殊防護車と地帯空ミサイルです。 ![]() 米軍の車両 ![]() 自衛隊の特殊防護車 ![]() ![]() 地帯空ミサイル そう言えばこんな事件もありました!! たちかぜ自衛官いじめ自殺事件 731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は? 戦後72周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ! 虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか? 日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!! 日本には本当に三権分立があるのかが問われている!! ・・・・・・金成民、彼は侵華日軍第731部隊罪障陳列館館長だ。2010年、彼は本部1号棟とロ号棟がつながっている廊下の中で731部隊及び細菌戦で名前が確認できた2900人余りの犠牲者のために位牌を安置した。歴史の空にさまよい瞑目出来なかった霊魂がようやく安息できた。 「いったいどのくらいの人が731部隊の人体実験の被験者にされましたか。つまり殉難者の人数はいったいどのくらいになるのか、それを一番わかっているのは731部隊に違いありません・・・・・・・・・・・ 731(4) ・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である??? 黒い太陽№15 ※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。 戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。 朝枝繁春の証言 ![]() ![]() 『週刊金曜日』からのメッセージ 日中戦争、南京大虐殺から今年は80年にあたります。本来なら安倍首相はこの国を代表し、改めて侵略戦争を反省し、アジアの国々に謝罪すべきです。しかしその風情は感じられず、「加害」の意識が希薄としか思えません。未来を語るためには、過去をしっかりと見つめる必要があります。どんなにつらくとも、負の歴史を正面からとらえなくてはなりません。このパネル展が多くの市民の考えるきっかけとなることを望んでやみません。 細菌戦(「戦争と加害」のパネル展in横浜) 毒ガス(「戦争と加害」のパネル展in横浜 「戦争の加害」パネル展(2016年2月横浜) 「辺野古の“今”」写真展(2016年2月横浜) 参観者の感想 「慰安婦」関係資料21選より ●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発) 日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕 日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!! 「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア 井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている) ※井本熊男 ・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる ・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀) ![]() ![]() 寧波(ニンポー)細菌戦 ![]() 地底からの叫び声が聞こえませんか??(「八紘一宇」のスローガンのもと行われた残虐行為!!) 731勿忘 731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、 また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。 ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長) 侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像 常徳細菌戦 闇に消された虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送) 細菌戦裁判(1997年~2007年) 終戦50周年731部隊 細菌戦被害の人々 (毒ガス戦) 原爆被害の重い苦しみを負いながら、学徒動員で毒ガス製造に関わった体験から自らの加害責任を語り伝える女性がいる。「戦争で受けた苦しみを知るからこそ、加害者としての責任も語り継がなければならない」。8月15日は終戦記念日。【高田房二郎】 <終戦記念日>ヒロシマの加害語る 学徒動員され毒ガス製造 日本鬼子のおきみやげ(毒ガス) 暴かれる毒ガス戦の真実 (毒ガス戦) さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。毒ガス兵器は多くの中国やモンゴルの戦闘員・非戦闘員を死に至らしめた。「日華事変」が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた。ベルサイユ条約第171条ならびに、第1次世界大戦後、日本が調印した国際的な協定は、催涙ガスを含め毒ガスの使用を禁止していた。しかし、軍事技術の面で劣った敵に対してはこの禁止を守らなくても問題はないと陸軍は考えていた。昭和天皇も明らかに同じ考えであった。天皇が化学兵器使用を最初に許可したのは、1937年7月28日のことであり、それは閑院宮参謀総長により発令された。北京-通州地区の掃討について、「適時催涙筒を使用することを得」と書かれていた命令である。天皇の2度目の命令は、1937年9月11日に出され、このときも閑院宮参謀総長により発令された。いくつかの特別な化学兵器部隊を上海に配備することを許可したものである。当初は実験的で、非常に小さな規模でこれらの命令が許可されたが、1938年の春・夏になると、中国、モンゴルの主要な戦闘地域で大規模に毒ガスが使用されることとなった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) (細菌戦) 昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 天皇は知っていた!! 澤田茂司令官は細菌戦に反対だった!! 『「澤田日誌」からみた浙贛(せっかん)作戦における日本軍の細菌戦』 松野誠也(明治大学大学院)【当時】より ・・・・・・(略) 澤田日誌には6月25日に再び関連する記述が登場します。 これは非常に重要な内容でありまして、支那派遣軍の反対意見が参謀本部によって握り潰されるということが記されています。内容は次の通りです。 石井部隊の使用総軍〔支那派遣軍〕よりも反対意見を開陳せしも大本営の容る処とならす大陸命〔大陸指の誤りか〕を拝したりと。命令ならは致方なきも作戦ハ密なるを要す。若き作戦課の人達を抑へる□に総長〔参謀総長・杉山元大将〕の力なからさるへからす。遺憾なり。ペスト防疫の為 一部家屋ハ焼却の命令を出す。 これを見ますと、陸軍中央と現地軍が一致して細菌戦に賛成していたのではなく、現地軍は反対していたが、大本営から指示なり命令がきて、それに従わざるえなくなったという構図が描けるわけです。しかも、トツプに立っている参謀総長は、幕僚たちがいろいろ意見を突き上げてくることを「抑へる」ことができない。それは非常に遺憾なことであると書いているのも非常に注目されます。澤田将軍は参謀次長を務めた経験があるので、参謀本部の下僚を「抑へる」ことの重要性と難しさをよく知っていたのでしょう。 次に澤田日誌に細菌戦関係の記事が出てくるのが7月11日です。石井四郎が戦線の第13軍司令部にやってきたという記述が出てきます。 石井少将連絡の為来着す。其の報告を聞きても余り効果を期待し得ざるが如し。効果なく弊害多き本作戦を何故強行せんとするや諒解に苦しむ。堂々王者の戦をなせば可なり。 何故こんな手段を執るや予には不可解なり。何れとも既に命令を受けたる以上実施せさるへからす。 仍(よ)つて次の三点に就て特に注意せしむ。/1、秘密の絶対保持/2、□□の予防/3、飛行場に攻撃を向くる事。 |