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●731部隊の実態 ●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より ●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? ●731部隊展 ●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」 ●自衛隊と日航機墜落事故の関係は?? ●サリン事件と自衛隊の関係は?? ●不二越強制連行問題!! ●「福島の今」 ●結核予防接種と人体実験 ●731部隊(2) ●731部隊(3) ●中国・北朝鮮脅威論を超えて 2018.3.28 緊急市民集会 ●731部隊の構成全容明らかに!! ●731部隊将校の学位の取消しを!! ●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!! ・情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年4月18日(水)11:30~東京地裁522号法廷 今、憲法9条の第2項:「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。)が大きな問題になっている。 自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまいます。 自衛隊の化学学校で、発行されていた『化学学校記事』ついて、防衛省は、いつまで発行していたのかが分からないという。全くおかしな話だ。作っている防衛省が、いつまで作っていたのか、分らないというのだ。 国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。 最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか? 1957年・・・化学学校創立 1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。 1964年・・・サリンの製造に成功 1968年・・・『化学学校史』の中に、この年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。 1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。 1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。 1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、) 1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。解毒の仕方を教えろと直接化学学校に電話があった?事件発生後の、素早い化学学校の対応。オウムが事件を起こすことを知っていた?化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。 1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。 1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。 だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。 現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。 ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項 ※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。 そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も) ※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。 「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」 オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。 また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!! 松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に 地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」 ●サリン事件と自衛隊の関係は?? 長春にあった軍馬防疫廠100部隊で人体実験をした獣医たちの戦後の流れはどうなっているのだろうか?まさか加計学園に流れている?? ●731部隊関連資料の情報公開裁判 ・裁判は『衛生学校記事』『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の情報公開を求めている。『衛生学校記事』は2013年11月に提訴して4年、第16回公判が昨年の12月21日に開かれた。14年9月に防衛医科大図書室から28冊発見・公開されて以降進展はない。『記事』が発行元の衛生学校に1冊も無いとは納得いかない。 『化学学校記事』は2016年9月に提訴、第6回公判が18年1月17日に開かれた。職員延べ98973名で調査したが1冊も保管されていないと主張している。 防衛省の「海上自衛隊たちかぜ」いじめ問題文書、「PKO日報」そして現政権による「森友、加計学園」等の防衛省、政府の文書資料隠蔽体質を追究する形で行って来た。そして今又、1年以上の隠蔽事実が明らかになった「イラク日報」、これらの状況を知ると「アメリカから返還された731部隊資料」は必ずあるはず!民主主義の基本である全ての情報公開実現を目指す。(『ABC企画NEWS113号』より) ・戦時中、支那派遣軍作戦主任参謀であった、井本熊男の『業務日誌』も、防衛省は、井本氏個人のプライバシーに関わるとして、公開を拒否している。この日誌は、井本本人も『業務日誌』としているように、個人的な日記ではなく、作戦主任参謀としての業務を記録したものであり、公文書の範疇に含まれる。これも公開してもらいたい。 “日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」 命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない ・「衛生学校記事」情報公開裁判 裁判長も被告防衛省側の期間・人員を多く使って調査した概括的な報告書の具体的な説明を求めたが、防衛省側は具体的な説明はしなかった。 また、「衛生学校記事」の後継である「ふかみどり」の編集に携わった人に、いろいろと問い質したら、いろいろな事も分かるだろうと原告側は主張し、被告側も応じる姿勢を見せた。次回は、4月24日(火)15:00~東京地裁419号法廷。 防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか?? 防衛省は言う、「確かに,発刊当時の昭和32年当時においては最新ともいえる医学領域等を中心とした学術情報も掲載されていた可能性はあり得る。しかしながら,学術・科学が日進月歩する中にあって、半世紀前に発刊された機関誌をなお、組織として保秘しておくべき要請は全くなく」と。 然し、国民の税金で作ったれっきとした機関誌であり、公文書である。どんな研究をしてきたかを書いた大事な機関紙である!! 自衛隊の研究成果は、国民にもきちんと知らせるべきである。 防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料に関して、衛生学校や防衛研究所図書館への資料の移管に関する記録も存在しないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。 30年経過したらきちんと情報を公開してください!! 米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。 日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理 公文書の在り方 自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか?? 北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか? 日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密?? 今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか?? 自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??ヘリに何があったのか、防衛省は果して原因を公表するであろうか?? 憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか?? 『衛生学校記事』情報公開裁判 森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする?? 国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!! 防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!! 時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!! 海底700mから自衛隊機を引き上げられるのだから、日航機も引き上げられるのでは?? 海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落 自衛隊と日航機墜落事故の関係は?? 加計問題!!証拠を隠すな!! サリン事件と自衛隊の関係は?? 陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年 ●731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示 4/14(土) 22:31配信 京都新聞 約3000人の隊員実名が記載された関東軍防疫給水部(731部隊)の留守名簿。国立公文書館が公開した ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。 軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。 今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。 また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。 14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。 ●中国人細菌戦被害者ビザ発給拒否裁判 内閣人事局撤廃!!忖度政治は、やめてくれ!! 3月9日(金)10:30~東京地裁415号法廷 9日の第8回ビザ発給拒否裁判では、裁判長は変わった。これで3人目。前回の裁判長は、外務省になぜ今回だけビザ発給をしなかったのか強く理由を求めたが、 今度の裁判長も、この事を、国側に、きちんと回答するように求めてもらいたい。 9日の裁判では、外務省は、はっきりしたストレートな回答をしなかった。今まで同様、ビザ発給は外務省の裁量であるとか、身元保証の問題を口にする。 2015年の集会の前までは、中国の細菌戦被害者遺族を日本に招くことが出来たのに、なぜ2015年の11月の集会には、外務省はビザ発給をしなかったのか? 外務省の官僚が、2015年9月に安倍政権が強行した戦争法成立に忖度して、集会のチラシにある「戦争法の廃止を求め、・・・」に敏感に反応したのか? それとも歴史の改ざんを目論む安倍政権が、これまで日本政府が細菌戦を公式に認めて、謝罪していないことから、政権側の指示で外務省が細菌戦被害者遺族のビザを発給をやめたのか。次回裁判では、当時、ビザ発給に関わった外務省の官僚を証人として証言を求めたい!! 安倍政権の、歴史修正主義の影響を外務省は受けていないのか?? ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟 ・次回裁判 2018年6月8日(金) 10:30~東京地裁415号法廷 《ビザ発給拒否》裁判!! ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!! 外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否 当時の集会の模様 中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない? ●軍学共同反対!! 岡山大、東海大、東京工科大、東京農工大へ抗議しよう!! 軍学共同反対連絡会のニュースレター18号 防衛装備庁助成の研究中止求める 岡山大に反対団体が申し入れ ●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!! 政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!! ・南京大虐殺の証言 抗戦したあの年は、私は24歳で、もう3歳の子供が1人いました。太倉巷で結婚したものの、1年の内8ヶ月は実家に住まっていました。実家には両親と兄2人に兄嫁2人、妹1人と伯父とが、夫子廟の党家巷で「望成軒」という飲食店をし、水餃子と牛肉麺とをやっていました。店は2階建て6部屋で、割に広かったです。実家の住まいは店の近くの瞻園路で、部屋が10ありました。 日本軍の南京への爆撃から逃れるため、1937年の農暦7月11日に、私は夫と子供と妹と一緒に避難しに江寧県の湖熟鎮の田舎へ行きました。実家の者は、伯父が家屋の管理に残ったほかは、みんな農村へ行ったのです。 伯父は馬懐徳といい、その時は60歳近くでした。12月15日の日に、日本兵が「望成軒」に闖入し、家具を全部ぶち壊して焚き火し、それから階下で火を放ったのです。たちまちの内に、猛烈な煙が空に吹き上がり、火の勢いがどんどん広がって行きました。伯父は店にいたのですが、建物に火がついたのを見て、外へ逃げ、それほど遠くへ逃げない内に、日本軍に発砲され撃ち殺されました。その時の大火で、党家巷からずうっと東牌楼まで焼け、瞻園路の片側10軒余りの家屋がすっかり焼けました。店の財産も家の財産も1つ残らず焼けました。(明日に続く:申全英と章厚之が記録) 驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!! 日中戦争全史年表 南京大虐殺80ヵ年 日本政府の今までの全く誠意のない対応!! ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた 村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国 2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!! 安倍晋三は、南京に行くべきだ!! かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!! 戦争の反省の無い頭!! 33、村瀬守保の写真集 村瀬守保は、1937年7月に応召して上海派遣軍兵站自動車第17中隊に従軍し、中国を約2年間転戦した。その間、2台のカメラを持つ彼は中隊の非公式写真班員として、様々な光景を撮影し、写真の数は3000枚ほどになったという。 村瀬守保の写真で、南京事件に関するものは6枚ある。撮影場所は揚子江岸と、城壁外の壕あるいは支流の土手である。写真28~31は、そのうちの4枚である。村瀬は写真を撮影した時の様子を次のように述べている。 当時、朝日新聞記者だった今井正剛が目撃したのは、12月15日深夜から16日にかけての事件と思われる。15日夜半、長い中国人の列を追って下関桟橋橋まで行くと歩哨に止められたが、機関銃の連射音の後に岸へ出ると、そこには死体が折り重なっていたという。その時の光景を今井は次のように回想している。 とみれば、碼頭一面は真っ黒く折り重なった死体の山だ。その間をうろうろとうごめく人影が、50人、百人ばかり、ずるずるとその死体を引きずっては河の中へ投げ込んでいる。・・・やがて作業を終えた“苦力たち”が河岸へ一列に並ばされた。ただだっと機関銃の音。ひっくり返り、踊るようにしてその集団は河の中へ落ちて行った。 ●重慶大爆撃裁判 重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。 爆撃の効果 「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真 立案 こうした状況を受けて大本営は1938年12月2日、中支那方面軍に対し「航空侵攻により敵の戦略中枢に攻撃を加えると共に航空撃滅戦の決行」との指示を出した。しかし、直ちに大規模な爆撃を行う能力は当時の日本陸・海軍には無く、また中国軍航空部隊の迎撃も無視する事は出来なかった。 中央統帥部は現地部隊に対し「航空侵攻作戦は概ね1939年秋以降に実施するので、各部隊はそれを目処として、整備訓練に努めるように」と通達した。 稼働率や飛行性能の劣るイ式100型重爆撃機(イタリアフィアット社製BR.20)や防御火器が貧弱な九三式重爆撃機では、中国軍の迎撃や対空砲火で被害が増大したため、防備の固められた重慶に対しては、より新鋭の九七式重爆撃機、九六式陸上攻撃機を主体とする陸海軍航空兵力による長距離侵攻を実施する事となった。 不当判決!! 中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京 2017.12.15(毎日) 日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支 持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。 判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。 祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。 ●憲法9条を世界へ普及させよう!! イラク日報、空幕にも オスプレイ 横田基地に5機到着 横浜の米軍施設から 9条の碑、沖縄に次々建立 「命どぅ宝」戦争体験者刻む 9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛の為の戦争はする?? 隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか?? 自衛他の為の戦争と言っても一旦戦争になれば、お互いに壊滅的な破壊がある!!地球全体の環境が脅かされる!! 日本版海兵隊、2020年代前半に沖縄へ 米部隊移転後 世界を変えるジェネレーションZ「もうたくさん。銃規制を」立ち上がるアメリカの高校生 【フロリダ高校乱射】「もう二度と」 米国の若者立ち上がる 「おびえる生活嫌だ」銃規制求め高校生ら大規模デモ(18/03/25) 米で高校生ら銃規制訴え大規模デモ 各国に広がる(18/03/25) 軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!) 自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!! 9条に自衛隊明記は不要で極めて危険 日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●「天皇制」を考える 昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか?? 大嘗祭反対!! 宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に <新天皇即位>式典準備委の議事概要公開 昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼 「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版 公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー 平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に |
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経済成長感じない人は「よほど運がない」 麻生氏 「安倍首相の欠点は友人かばう」 自民・吉田氏 財務次官セクハラ疑惑 財務省対応に政府・与党も批判 福田財務次官のセクハラ疑惑で混迷極める財務省の行く末 統幕3佐 議員罵倒 繰り返し「国民の敵」 処分検討 日本外務省ホームページ「韓国は最も重要な隣国」削除 金子勝:安倍総理の「膿を出す」という発言と行政機関の崩壊 ●靖国問題!! 何で、標本木が靖国神社にあるのか??おかしいと思う!! 東京の桜が開花宣言!靖国神社の標本木を見てきた ・安倍首相靖国参拝違憲訴訟(安倍首相忖度判決!!) 裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか? 「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」 安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴 ●侵略戦争!! 日中戦争全史年表 ・1937年(昭和12) 1月 広田内閣倒る。宇垣内閣流産 2月 林内閣成立 3月1日 東条英機、関東軍参謀長に任命され、満州における治安粛清作戦を展開 4月 総選挙、与党惨敗、社大党37 6月 近衛内閣成立 7月7日 北京近郊の盧溝橋で日中両軍の衝突事件発生(盧溝橋事件)、日中戦争始まる 7月10日 陸軍中央、華北派兵案を決定、石原莞爾作戦部長も同意 7月11日 盧溝橋事件について現地日中両軍による停戦協定成立。近衛文麿内閣、華北派兵を決定し「重大決意声明」発表、事態を北支事変と命名 7月12日 海軍軍令部「対支作戦計画内案」策定 7月29日 冀東防共自治政府所在地の通州で中国保安隊の反乱による通州事件発生 7月3!日 蒋介石、「全軍の将兵に告げる書」を発表、軍民一致の抗戦を呼びかける 重慶大爆撃パネル展 2017年10月 「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」 中国侵略にまっしぐら!! 無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!! 空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃> 重慶爆撃 アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした?? カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。 米軍による日本への無差別爆撃 本土空襲・全記録 2017 8 12 NHKスペシャル 重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!! 昭和天皇が戦争狂になった訳 ・安倍晋三の祖父は岸信介 岸信介という人 以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より 岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。 国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。 岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。 岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。 岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。 そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。 このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。 戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。 強制連行の決定 満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略 ●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター 感想 ・被害者意識が強かったが、私も加害者と思った。80代女性 ●731の実態 ソ連軍が満州に侵入したという情報が入って、上へ下への大騒ぎでしょ。それから私 1日も経たないうちにドカーン、ドカーンとやり出したと思いますけどね。 ・・・・ソ連軍が攻めてきた時ですね、その日の朝にですね、朝の飯に毒を入れましてね、皆殺しを図ったわけですけれどもね、それで死なない、苦しんでいる人を、それに機関銃を向けて射殺したわけですね。・・・・・・・・・・・・ ・・・・ 731(4) 第4回 日本軍による人体実験 闇に消された虐殺~731部隊 731部隊のドキュメンタリー ・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!! 悪魔の飽食:復号731 ●本の紹介 ●特移扱(とくいあつかい)資料 原美臻の特移扱資料5 ●今、731を問う!! 日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を4月に慰霊した。19 謝恩と巡礼訪中報告会 謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話) 731部隊の展示会(中国) 特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 一 戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 4、ドイツではどのように向き合ったのか ■二ュルンぺルクにおける訴追 ―ところで、医学の戦争への加担とぃうことでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。 ところが、私が2002年に、同書の著者と面談した際には、「世界医師会に西ドイツ医師会が加盟する際に約束した医師会会員へのジュネーブ宣言の配布は実行されずに放置されていた」「日本ではドイツが進んでいるかのように言われるが、遅々たるものだ」「ドイツ医学界の重職には元ナチ党員が多数を占めていた」「1994年には、ドイツ医師会会長歴(西山注:1973~1977年)があり、9年間務めていた世界医師会の財務理事(西山注:2010年7月、逝去)が辞任に追いやられたが、それはナチ親衛隊将校で戦争医学犯罪を犯したことが暴露されたから」「彼を推薦し、サポートし続けたドイツ医師会長が後任(西山注:1999年迄、以降名誉会長で現在に至る)」と聞きました。 (月刊『前衛』より) 旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます! ●731部隊本部(平房) ●731部隊遺跡を世界遺産に!! ●福沢諭吉 福沢諭吉について6 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。 ──あの名言も実は福澤の言葉ではなかった。 代表作「学問のすすめ」の冒頭には「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と言えり」とあります。「言えり」は伝聞体で、本人の言葉ではない。一説によるとアメリカの独立宣言の一部を意訳したとも言われている。つまり、もともと福澤の思想から出た言葉ではないのです。このことは福澤が創立者となった慶応義塾大学のウェブサイトにも明記されています。 ●戦争に反対した人々 小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日- 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。 参考文献 著作 小林多喜二 『蟹工船・党生活者』 新潮社〈新潮文庫〉、1954年、改版。ISBN 978-4101084015。 小林多喜二 『蟹工船 一九二八・三・一五』 岩波書店〈岩波文庫〉、2003年、改版。ISBN 978-4003108819。 小林多喜二 『独房・党生活者』 岩波書店〈岩波文庫〉、2010年、改版。ISBN 978-4003108840。 小林多喜二 『防雪林・不在地主』 岩波書店〈岩波文庫〉、2010年。ISBN 978-4003108833。 小林多喜二 『蟹工船・党生活者』 角川グループパブリッシング〈角川文庫〉、2008年、新装改版。ISBN 978-4041068021。 今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている) ●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発) 天皇の権限は絶大であった!! 日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕 ・昭和天皇の戦争責任は? 「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。 (『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店) ・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より 第2部 仁愛の政治 1922(大正11)年―1930(昭和5)年 第4章摂政時代と大正デモクラシーの危機 Ⅳ 以来陸軍は、戦時40個師団の兵力によるアジア大陸における戦争を想定して準備を進めることになる。帝国海軍はワシントン海軍軍縮条約の枠組みにとどまる一方、本土の防衛と少なくとも「台湾海峡以北のアジア大陸との交通線」の維持のため、編成と訓練を行ってゆく。これは主たる狙いをアメリカ海軍に定めたことを意味する。首相で提督の加藤友三郎の見地によれば、海軍の新しい課題は、補助艦の建造が終わらないうちは、何があっても対米戦を避けるということだった。海軍中将加藤寛治、海軍大佐末次信正らの少数派は、中国における権益をめぐる日米の対立が政治問題化し、アメリカが日本を従わせようと外交的・軍事的に圧力をかけてくれば、対米戦を辞すべきでないと考えていた。皇太子は摂政として、加藤友三郎や海軍主流派の意見を受け入れた。彼らは1930年代初期にかけて「条約派」と呼ばれるようになる。1923年の初め、摂政は国防方針の改定を承認した。それは統帥部の長から詳細な説明を受けてのことであった。 ※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!! ※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!! 戦争の記憶は消えない!! 英仏では昭和天皇がトップだった。 ※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!! 日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!! 「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア 井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている) ※井本熊男 ・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる ・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀) 寧波(ニンポー)細菌戦 麗水細菌 日本軍の毒ガス戦・細菌戦!! ・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか? 医の倫理は、向上すると思う!! 中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!! 夏草をふみしめてなおも歩き続ける 軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光 住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々 長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた 日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア 混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮) 『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■肝炎の実験 ここに名前の記されている11人のユダヤ人の子どもと若者が1943年9月にドーレンの黄疸実験のためにアウシュヴィッツ強制収容所からザクセンハウゼン強制収容所へ移送された。1944年に、ユダヤ人の少年たちが収容されていた第2病舎のブロック古参として、毎日彼らの面倒を見る仕事をしており、日誌をつけていたブルーノ・マイヤーは、検事の報告書によれば、ザクセンハウゼンのドーレンの実験―その中には肝臓穿刺が含まれているーについて次のように供述している。 強制不妊手術 都が1000超の医療機関を独自調査 旧優生保護法で強制不妊手術「人生を返して」 強制的に「不妊手術」させられたーー60代女性が訴える「旧優生保護法」の問題とは? |
●731部隊について
BS1 「731部隊」 西山勝夫(滋賀医科大学)さんの解説 前編が、ハバロフスク裁判の音声記録や米ソとの関わりを中心とした部隊の設立の全貌について、後編が、自死したと伝えられる柄沢被告のご遺族や少年隊の方々を中心とした内容で、隊員の素顔をお伝えしながら、彼らを取り込んでいったシステムについて伝える内容 「ハバロフスク裁判は強制による虚偽である」または、「731部隊の事実はなかった」等の批判に対して、私たちがわかりうる範囲で、事実や資料を提示することに徹している。 後編においては、ひとりの医学者でもあった隊員が、人体実験に手を染めていったのはなぜかということをテーマとし、システムやお金等による強力な取り込む力・権力に対して、あらがえない個人という、現代にも通じるものを感じながら、制作された。 731部隊展 ABC企画委員会 NHKの解説 戦時中、密かに人体実験を伴う細菌兵器の開発を進めた731部隊。新たに発掘した音声記録と数百点の資料から、部隊がどう作られ、人体実験はどのように拡大したのか迫る。 番組内容 戦時中、旧満州でひそかに人体実験を伴う細菌兵器の開発を行った、731部隊。NHKが発掘した、旧ソ連・ハバロフスク裁判の音声記録では、部隊幹部らが、日本に反発した中国や旧ソ連の人々を、実験材料としていた実態を克明に語っていた。731部隊はどのようにして設立されたのか。人体実験はどう拡大していったのか。そして米ソの対立の中で、731部隊の歴史はどう封じ込まれてきたのか。音声記録と数百点の資料から迫る。 BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(前編) BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(後編) NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 ※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!! 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし ナレーション 戸田が部隊の研究内容を把握していたことをうかがわせる文書も見つかっています。教え子が書いた回顧録によれば戸田は中国の731部隊の関連施設を繰り返し訪れていたといいます。 戸田の弟子の回顧録([『国民衛生』戸田追悼号) 戸田先生が来ると早速高等官、将校一同を集めての学術講演会が開かれ、和気藹々と部隊の研究を推進された。 ナレーション 戸田と関係が深い教授の研究室からは8人の医学者が、京大全体では11人が731部隊に赴任したことがわかっています。 ※吉村寿人 ※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。 731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!! 今の日本医学界に、この影響がないのだろうか??? 戸田正三 長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。 この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。 長與又郎 東大総長(1934年~1938年) 総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。 果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか?? 1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。 民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、 石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。 荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか? 1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。 1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか? 1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。 荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。 荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。 皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。 戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。 また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか?? 軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。 1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。 小泉親彦 第5代伝研所長 宮川米次 ※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!! ※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!! 当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!! ※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。 「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」 ※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。 また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。 講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって ※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!! ※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。 ※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!! 中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。 ※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。 天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか??? unit731 ※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・) ※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。 ロ号棟の建設について設計図を出してください!! 大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責 黒い太陽731 国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!! つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。 「みんなが知るべき情報/今日の物語」より 日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!! 目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」 教えてゲンさんより 防疫給水部(細菌戦部隊) 細菌戦部隊員の戦後 *金子順一 (当時)731部隊病理研究班 (戦後)東芝生物理化学新潟支所勤務 財団法人予防接種リサ-センタ-勤務 *小川透 (当時)栄1644部隊第3課、 腸チフス菌やパラチフス菌で食物や飲み水を汚染する研究に従事 (戦後)名古屋市立大学医学部教授 1952年に乳児院の孤児を対象に人体実験を行ったとして社会問題になる *山中太木 (当時)栄1644部隊第1課 (戦後)大阪医科大学長 第47回日本細菌学会総会長 *金沢謙一 (当時)731で孫呉熱のダニを使った実験に従事、大連衛生研究所研究員 (戦後)武田薬品研究部長 海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日 ・731問題 ・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である??? 国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する?? 黒い太陽№15 ※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。 戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。 朝枝繁春の証言 日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!! ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!! 裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、 今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!! 人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。 日本国民だって例外ではない!! ・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた?? 実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。 1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英) 1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。 紅白の殺戮者 1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか? 事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故 また当時の新聞記事や調査において、 三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと 2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと 患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない) 市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること などが分かっている。 当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。 しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。 一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの?? (参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年) 『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より 大牟田「爆発赤痢」事件 日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業 小島三郎 紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件 作者:久保 親弘 紅白の殺戮者 くぼちかひろ 第三章 浜松一中は創立以来四〇有余年,浜松市内でもっとも伝統が古く,「自主独立・自主自律」という,誇り高い校風で知られていた。上級学校に進学する生徒も多く,難関で知られる名門校などにも毎年多数の合格者を輩出し,一中の生徒たちは英才の誉れも高かった。 昭和一一年五月十日の日曜日,浜松一中では恒例の陸上大運動会が行われた。運動会の数日前からは,まるで初夏を思わせるような蒸し暑い日が続いていた。運動会の当日も,抜けるような青空に晴れ上がり,生徒たちは汗でぐっしょりと濡れた体を厭わず,組対抗のリレーや,五千メートル走,騎馬戦など,さまざまな競技に体ごとぶつかっていった。やがて弁当の時間も過ぎ,午後には全校生徒が「武田信玄」軍と「徳川家康」軍に分かれて,三方ヶ原の一戦を模した競技が行われた。新聞紙を硬く丸めた剣を手に持ち,頭や肩には叩かれると紙吹雪を散らす袋がつけられた生徒たちは,歓声を上げながら,敵軍に向かって走っていった。 ※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか? ※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか?? 1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。 ※北野政次は最初から目星をつけていた?その前年にゲルトネル菌が食中毒が発生している? 小島三郎の記述 小島三郎(ウキペディア) 小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。 岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。 『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より メリットと業績 ところが浜松事件の翌年、1937年の第11回には合わせて10本の論文が発表されている。 そのうち6本は、石井四郎とその部下である江口豊潔、白川初太郎、内藤良一、佐藤俊二、井上隆朝、それに勝矢俊一らの共同研究である。これは北野が「防疫秘話」に書いているように、 防研が中心となって浜松の食中毒の解明にあたったのだから当然の結果であった。ただ、当初陸軍での原因究明の中心だった北野と西による報告がないことに気付く。北野は満州医大の教授に出、また西も研修を終わり第一線部隊に戻つていた。その後、西は1943年に石井部隊の孫呉支部長に就任し、翌年、同部隊の教育部長となり、敗戦後ハバロフスクでソ連の裁判を受けることとなる。 『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より) 小泉親彦と昭和天皇 背蔭河での生体実験は、陸海空軍の全面協力のもとに行われたわけで、天皇の許可なくしてこのような重大事を行うことは、できなかったはずである。この2回の天皇と小泉親彦の会談で、天皇は小泉を信じ、小泉に賭けてみたのではないかと考えらる。 小泉は、天皇と会談後の1932年4月には、近衛師団軍医部長になり、1933 年8月には陸軍軍医学校長に就任している。 また1932年8月には、石井軍医正以下5名の軍医を新たに配属して、防疫研究室を開設したが、研究の進行(背蔭河の研究)とともにすぐ狭くなったことで、翌年、近衛騎兵隊敷地約5000坪に新防疫研究室を新築した。 ※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた? 結核予防接種と人体実験 ※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。 ※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過 1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。 5月11日午後、食中毒発病 軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。 「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。 ※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。 ※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。 ※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。 ※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか?? ※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。 ※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!! ※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。 8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。 ・三井という会社 毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている?? ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大 横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系 護衛艦などを作る!!軍需会社!! 三井造船が建造した船舶 ※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。 731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。 イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち 萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?) 2015年 偉人医 ・ 萩野昇 萩野昇(富山のシュヴァイツァー) 富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。 予期せぬアメリカの評価 萩野はアメリカからの研究費で動物小屋を作り動物実験を再開した。知人に酒の入った一升瓶を渡し、飲んで空になったら、神岡鉱山の廃水を一升瓶に詰めて返してもらうことを条件に、廃水を集めウサギに投与する実験をおこなった。この実験は何度も失敗した。慢性疾患を動物実験で成功させるには長い時間と根気が必要だった。子供も手伝ってくれて実験はしだいに成功に近づいていった。 ※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。 731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。 三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞 ●日本軍が中国で行った細菌戦 ・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦) ・本の紹介 ペストと村 七三一部隊の細菌戦と被害者のトラウマ (風響社あじあ選書1) (風響社あじあ選書 1) カスタマーレビュー おそらく、正統派歴史学者のなかで、もっとも面白い作品を書き続けている著者の一人による、 最高の作品の一つ。 著者自身、歴史学と社会人類学の手法を融合させ研究をしていると述べたことがあるが、 その魅力は本書でもいかんなく発揮されている。 単に歴史的事件について叙述するだけではなく、中国の社会文化の背景にまで踏み込み、 その事件を適切に文脈化している。 さらに、細菌戦の国家賠償請求裁判についての推移を紹介することで、本書は、戦中の「歴史」が、 現代の日本人とどのように関わるのかについての問いかけをなしている。 優れた文体は、研究者だけでなく、ひろく一般読者にとっても読みやすいものになっているものと思う。 学者による社会貢献の一つの理想像であるとも感じた。 ・細菌戦被害地(中国)の旅 ●現代も受けるがれている731部隊の思想?? 話は今につながっている!! 渡邊あきさんは満州の731部隊から無一文で引き揚げたのち、夫婦で食料品店を営みある程度繁盛したという。商売に忙殺され、子供たちを育て、戦後を必死で生きていく中で、部隊の事を思い出す間もなかったが、一方子どもたちにはそのことを隠し続けてきた。 石井四郎の戦後 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影 堀田伸永 ※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!! プロローグ 赤茶けた小冊子 図書館のエントランスに入ると、私は、すぐに2階の郷土資料室を訪ねた。731部隊の技師として1943年まで活動していた石川太刀雄丸が原子爆弾について書いた記事の掲載誌を手にしてみたかったからだ。私がその資料の存在を知ったのは、この図書館が被爆60周年記念事業として2005年夏に開催した「被爆文献初期作品展」の展示資料目録だった。そこに石川の名前を見つけ、石川が原爆の被害調査のために広島を訪れたという記録との符合に驚愕した。図書館員にあらかじめ収蔵資料データベースで調べておいた請求番号を示すと、館員は端末を叩いて「書庫に取りにいって参りますので少々お待ち下さい」と告げた。書架に櫛比(しっぴ)する本の背を眺めてしばらく待っていると、若い館一員が薄い透明フィルムに包まれた赤茶けた小冊子を両手に載せて来た。全部で20ぺージ前後の薄っぺらいB5サイズのその雑誌は、1945年12月21日発行の「興論」の第4号だ。表紙の用紙が本文のもの同じという粗末なもので、目次に「廿世紀の神話 原子爆弾 石川太刀雄」とある。 ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2) 宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、 東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された 世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督) 水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した 彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など 731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。 731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを 田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。 田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。 ※日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料を戦後国民に隠し続け、GHQは、原爆投下直後の原爆の影響を調べさせ、情報は隠蔽し、治療などはしなかった!! ●軍学共同の道(「京都新聞」より) 揺らぐ70年前の教訓 軍学共同の道(2) 防衛装備庁「安全保障技術研究推進制度」への対応状況 小沼さんは20代で日本学術会議の原子核特別委員会委員を務め、湯川博士と平和活動に取り組んだ。 「デュアルユース(軍事と民生の両用)」を掲げ、防衛省が研究費助成する現代に危機を感じている。「科学にはプラスだけではなく必ずマイナスもある。負の側面を軽視、無視して問題が起きれば『想定外』との責任逃れは倫理的に許されない。手遅れにならないよう、科学者は発言を続けるべき」と訴える。 2017年度に110億円に増大された防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」に対し、大学からの応募は、採用こそなかったものの前年度並みの22件と微増。出どころがどこでも、研究資金を熱望する教員はいる。 驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く ・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。 (以下敬称略) 本来ならきちんと裁判を行ない、731部隊の行なった残酷な人体実験の責任を明確にし、関係者を処罰し、医学界から追放すべきだった。 しかし米国と闇取引をして、実験の成果を渡す代わりに全員が無罪放免になった。米国も共犯である。 731関係者は何一つ罪を問われなかったために、人命を軽視し、人間を当たり前のように実験台に使い、成果を自分の昇進や金儲けに使うおぞましい伝統が日本の医学界に生き残り、はびこってしまった。 ※いろいろな医学系の研究所では今何が行われているのだろうか?? 子宮頸がんワクチン接種後の症状 政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解 ※神谷研二 2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。 被曝をめぐる御用学者の系譜 |
●原爆を投下された昭和天皇の責任は?(敗戦を引き延ばした)また原爆を投下したアメリカの責任は?
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影) 「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言) ニュース259号では、驚くことに被爆地広島に昭和天皇は行かず、侍従に行かせた。 そして、次のニュースには、GHQの報道管制の下で、米軍を好意的に紹介し、原爆批判は全く無い。 東京大空襲の時は視察している。 昭和天皇、東京大空襲後の御視察 日本への空襲 八王子平和・原爆資料館 昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』) 畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。 第2総軍は、全滅。 天皇は、事前に原爆投下を知っていた。 終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた?? 1975年昭和天皇記者会見 第5回 韓国・朝鮮人被爆者問題を考える 講師:高實康稔さん 「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版 ●原水爆禁止!! アメリカは非人道な広島・長崎の原爆投下では終わらず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。 アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!! 1月16日、ICANと国会議員との討論集会 核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!! 日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように) 放射能汚染地図「川で何が起きているか?」 被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか?? 海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集 水爆実験の影響はまだまだあるのではないか?? <水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染 ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年) 山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!! アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!! ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06 被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!! 水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!! 為政者は、大事件から国民の目をそらさせるために、国威発揚を狙って、オリンピックを画策する!! 1931年 満州事変から9年後の1940年(皇紀2600年??)の幻の東京オリンピック!! 1954年のアメリカのビキニ環礁における水爆実験の10年後1964年の東京オリンピック!! 2011年の東日本大震災による福島第一原発事故から9年後の2020年開催予定の東京オリンピック(豊洲問題も大問題だ)!! ※なぜか、ビキニ環礁で日本の多くの漁船の乗組員、水揚げされた大量の魚が放射能に汚染されて、大きな損害を被り、原水爆反対の声が高まったのに、政府は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと3度も国民は被曝をしているにもかかわらず、アメリカに抗議することもなく、原発推進を、アメリカの後押しで進めてしまう??そして、フクシマの事故が起き、アンダーコントロールなど出来ないのに、オリンピックを開催予定とは??国民はこれを素直には受け入れられない!! 原子力に悩む大国 アメリカ ●日本の科学者の核兵器への執念の系譜 ◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ 小路田泰直 ではそれは仁科一人の孤立した考え方だったのだろうか。当然、日本独立時の宰相吉田茂の考え方でもあった。 仁科と吉田の、並々ならぬ親交の深さから想像するとそうなる。仁科の長年の部下玉木英彦は、後に「1950年の夏のある日、吉田首相が箱根に先生を招いて二人きりで懇談したいといってきたことがあった」[★14]と思い出を語っているが、仁科と吉田の関係は、何か重大なことがおこると、それについて二人だけで議する間柄だったのである。 そして1954年3月2日に原子力予算23,500万円を国会に上程し、この国の原子力開発に道を開いた、中曽根康弘にも受け継がれた考え方であった。 ※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!! 仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より) *墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。 【ハリー・シー・ケリーと朝永振一郎が仁科芳雄と共に眠る理由】 多磨霊園は都営であるため規制が厳しく、宗教関係で例外的に血縁以外の者たちと眠る墓所はあるが、基本的に一般墓地は6頭身の血縁までと定めている。よって仁科芳雄の墓所は血縁外の人物と眠る例外的な墓所である。 ハリー・シー・ケリーはマッカーサーの科学顧問として戦後すぐに来日し、GHQ経済科学局科学技術部長などを務めた人物である。戦後の日本の科学界が最もつらかった時期に、苦楽を共にし、'50.4仁科芳雄を助け、米国からラジオ・アイソトープの輸入を実現した。'76.2.2ハリー・シー・ケリーが逝去し、仁科の隣りにケリーを眠らせてあげたいという話が両家から出て、没後五ヶ月して、多磨霊園に分骨埋葬された。 仁科芳雄を師として仰ぎノーベル物理学賞に輝いた朝永振一郎も同墓に分骨されている。朝永振一郎が亡くなったのは'79であるため、ハリー・シー・ケリーの没後である。察するにハリー・シー・ケリーが仁科芳雄の墓所に分骨される納骨式に参列したと予測する。二人と同様に苦楽を共にした同志として同じ気持ちを抱き、生前に仁科家に遺言を託したと推測される。朝永振一郎の正墓は京都の東本願寺にあり、墓石に両親の名と並び刻む。仁科芳雄の墓には「師とともぬ眠る」と刻む。 何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない?? ※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!! 「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」 ※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか? アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか?? 現在進行形である!!日本はなぜ原発をインドに輸出する?? 核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!! ※湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。 ※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。 ●核・生物化学兵器廃絶!! 「核兵器は無差別に、長年にわたって被害をもたらす非人道的な兵器で、再び使われれば同じ苦しみを世界中が背負う」 核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え 広島市長、核の傘は「錯覚」=禁止条約 「Yes! I can!」2000人がノーベル平和賞受賞者の応援に駆け付けた オスロの冬の夜 ●世界の流れ、脱原発 ・教えてゲンさん(原子力発電と放射能より) シーベルトとは何か 「グレイからシ-ベルトへ」 シーベルトは実際に放射線防護のため色々な使われ方をします。 単に放射線を受けただけの数値はグレイですが、放射線の種類によってもエネルギ-の強さは異なります。 そのため修正をしなければなりません。 その数値が修正係数です。 計算方法としては 「グレイ×修正係数=シーベルト」と言うことになります。 修正係数 どうする?これからのの日本のエネルギー ●脱原発3 [THE MANZAI 2017] 大注目を浴びたウーマン 時事ネタ漫才!賞賛の声 アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。 東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される? 日本は韓国を見習おう!! ・リニア新幹線反対!! ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは? 「リニア中央新幹線」問題に迫る! 知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由 物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか? →リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら リニア品川駅、深夜の工事を初公開 2027年開業 無視され続けた”慎重論” 東海道新幹線の実現に尽力した元国鉄技師長・島秀雄氏は、生前にリニアモーターカーについて「四百キロとか五百キロとかいった高速を狙うことは振動とか安全面からみて問題だから慎むべきだ」というコメントをしています。 また、元国鉄総裁の仁杉巌氏は、2002年の講演で「一つの国のなかに高速鉄道のシステムが二つあることになれば、鉄道の線路幅や電気の周波数などのケースと同様、不便なことが起こるのではないか」と疑問を投げかけています。 JR東日本の元会長・山之内秀一郎氏も、一般論として「鉄道においては、スピードばかりを競うような考え方はだめだし、そんな思想の技術者もだめだ」と警鐘を唱えています。 JRにとって大先輩に当たる人物たちの慎重論はことごとく無視されたまま、2014年12月、JRはリニア新幹線の着工に踏み切りました。 トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に 第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く ●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!! この国は、何で情報公開に全くしようとしない!!30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだ!! 今、森友・加計問題で、政府は、きちんと説明しない!!なぜ資料・記録・録音などを、全く公開しない!!官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発する?? 自衛隊の、情報公開も全然進んで」いない!! 自衛隊。様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか?? どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!! 戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示す きちんとした資料の公開を求めたい!! アジア・太平洋地域の住民。家屋等に多大な被害を与え、 日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!! これでは戦争の反省も何も出来ない!! 情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!! 大嘗祭、前回見解を踏襲 政府、退位儀式の概要固める 政教分離の論争、再燃避ける 「官房機密費」の使い道がヤバい!税金を泥棒する政治家・メディア・評論家たち! 天皇制を考えよう!! 昭和天皇の裁可が無ければ、731部隊は出来なかった。細菌戦・毒ガス戦を命じた昭和天皇の戦争責任は? 政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり 眞子さま結婚、囁かれる破談の可能性…秋篠宮殿下の大きなお怒り、「20年へ延期」の意味 天皇陛下の警護の多さ(警察3000人?以上) 日本への空襲 天皇制の存続は必要か??大嘗祭反対!! 象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!! 池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル 16 08 1 ・上のビデオでは日本の戦時中の昭和天皇=現人神、国家神道のことについては全く触れられていない!! 戦時中は、御真影を拝み、宮城遥拝して、果ては大日本帝国の為に、自らのの命を捧げ、結果多くの国々に多大な加害を与え、又自国にも大きな犠牲を出し、大日本帝国は崩壊した!! 戦後、自ら犯した侵略戦争の反省が十分なされないまま、以前の大日本帝国の亡霊が、今現在、復活してきている!! ●医療問題 強制不妊手術、都内で510人に 東京都調査 旧優生保護法で強制不妊手術「人生を返して」 群馬大病院 診療報酬を返還へ 不正・不当請求13億円 床下から胎児の遺体「ホルマリン漬け」か? ホルマリン漬けの胎児の遺体15体、廃病院から見つかる。鹿児島 医療闇 横浜市の病院 大口病院 点滴異物 殺人疑い 3ヶ月50人死亡!?「横浜はじめ病院」変更 医療事故で女児寝たきり=市立医療センター、チューブ誤挿入-大阪 石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」 水俣病 731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか? <私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(上)葬られた生/幸せも夢も無駄に チェック形骸化、有期雇用成果焦りか 京大iPS研論文不正 実験「生データ」厳重保存も不正防げず 京大iPS研 聖路加国際病院について 内海聡先生 船瀬俊介先生 ●自衛隊 地下鉄サリン事件に信者の自衛隊員に係わり、化学学校の情報が洩れていなかったのか?? 執行時期、順序など慎重に検討か オウム死刑囚7人移送 三菱小牧南工場 兵たん拠点にするな 自衛隊墜落ヘリは、10年間で40件事故が相次いだボーイング製 オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。 また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!! 松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に サリンの毒性(ウィキペディアより) ・・・経皮毒性の一例を示すと、経皮投与におけるヒトの半数致死量(LD50)は28 mg/kgである 。これは、体重60 kgのヒトが1680 mg(約1.5 mL)のサリンを経皮吸収すると、その半数が死亡するということである。また、皮膚に一滴垂らすだけで確実に死に至るとの記述も存在する。 ●サリン事件と自衛隊の関係は?? 陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年 1995年 地下鉄サリン事件 - 土谷正実 5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典 化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!! 自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!! 日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!! 大宮駐屯地5月28日 市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか??? 迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事 土呂久砒素公害 1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。 相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 北宏一朗 海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では? ・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!! 自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!! 『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!! 国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!! この事故は自衛隊が関係していませんか? 700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは?? 海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落 森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実 自衛隊と日航機墜落事故の関係は?? ●憲法9条を守れ!! 大竹まこと×倉田真由美:せり出す「国家」と自民党の憲法改正草案憲法9条 “軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明 東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度 安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか? 日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |