※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。
●日航機墜落から33年!!日本政府はきちんと情報開示せよ!!
●2018 所沢 平和のための戦争展
●2018 所沢 平和のための戦争展
●今も残る戦争被害~旧日本軍による遺棄毒ガス事件~
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご
臨時毒ガス調査委員会
その後、日本の化学兵器の研究も国内化学工業発展の影響を受けた。もとより、日本の化学工業の基礎は比較的薄弱のものであったが、戦争の影響で医薬品と染料の輸入は皆中断せざるを得なかったから、一面ではいやおうもなく、自国で解決し発展を迫られたという化学工業の現実があり、別の面では、ドイツが行った毒ガス戦が大いに日本を刺激した。そこで農商務省内に専門の化学工業調査会を成立させ、特に化学工業を振興させる政策と法律を制定した。
日本鬼子のおきみやげ
初めて知った戦争(毒ガス)
瀬戸内海の「毒ガス島」はいま――加害の歴史語り継ぐ人々
秘密を守るため、島は地図から消された
竹原市などによると、大久野島は1929年、全域が旧日本陸軍の管理下に置かれた。毒ガス製造を行うためだった。実際の製造は2年後。「東京第2陸軍造兵廠忠海製造所」が建設され、製造は敗戦の年の1945年まで続く。
大久野島での毒ガス製造は徹底的に秘密にされ、戦時中は機密保持のため、島の存在は地図から消された。そのため、この島は「地図から消された島」の異名も持つ。毒ガス製造の史実が広く社会に伝えられたのも、1980年代半ばだったという。
火薬庫跡。化学兵器などの置き場として使用されていた。壁はレンガ造りだが、屋根は爆発事故の際に爆風を上方に逃がすため簡素な造りだった
「大日本帝国陸地測量部」が1938年に発行した大久野島周辺地図。地図右上が島の場所だが、その周辺は白く切り抜かれている
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ニュース
「新基地NO!」訴え シュワブゲート前・集中行動
「これが地獄」核兵器廃絶へ涙の訴え 横須賀の被爆者3人
オスプレイ着陸「極めて遺憾」 三反園知事、定例会見
・今夏 日本の戦争を考える!!
翁長沖縄県知事逝去 杉田暴言に続く抗議 水道民営化 安田純平さん ウィークエンドニュース デモクラシータイムス
台湾少年工、生活まざまざと 県央の軍需工場で戦闘機製造 相模原で展示
金子先生が斬る!膿だらけの日本
女子受験生、東京医大に受験料返還求める「落とし前を」
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
イージスにお金をかけるより防災にお金をかけろ!!
陸上イージス、2基で6000億円超 防衛省試算、施設費含め想定の3倍
不可解極まりない「時代遅れのAAV-7」大量購入
【日本共産党】たつみコータロー参議院議員にきく「森友文書、地震・豪雨災害、カジノ問題」
加計問題はまだまだあった!!
しかし、翌5日に、野党が文科省のヒアリングを行った時、ある事実が明らかになった。
それは、文科省前局長が東京医科大学に便宜供与した「私立大学研究ブランディング事業」の助成対象に、加計学園系列の千葉科学大学と岡山理科大学が選定され、しかも、募集要項に書いてある2千万~3千万円という金額よりもはるかに多い金額の補助金をもらっていたということだ。選定されたのはこの事業が始まった2016年度で東京医大は落選した年だ。198校中40校、約5倍という難関をパスしたのだ。実は、この事実は、17年12月に東京新聞が報じていたのだが、その時は、事業選定に疑いをかける根拠がなかったので、他紙は追随せず、ほとんど知られずに葬り去られてしまった。
古賀茂明「西日本豪雨でも酒宴 火事場泥棒の安倍政権が民主主義を破壊」〈dot.〉
新たな安倍案件 文科省受託収賄事件に加計学園が2校
逮捕された文科省局長は安倍政権に近い官僚だった! 裏口入学の交換条件の支援事業に加計学園も選定
加計学園に国民の血税投入の新疑惑! 新規補助金交付40校中2校が加計経営の大学、特区諮問会議の決定直後に
文科省局長逮捕とオウム死刑執行に引っかかるのはなぜか
オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間「その後、仕事できず」と検察幹部〈週刊朝日〉
加計問題はまだまだあった!!加計学園に注がれる血税!!
南北朝鮮の宥和・協調が進んでいる中、防衛費・原発・加計より、西日本豪雨災害にお金を回せ!!
官僚たちに異変「転職者がぐっと増えた」 森友・加計問題が影響
少し古いが、三菱自動車が組織的に行った隠蔽工作は、内部告発による運輸省の査察で発覚した。
今の森・加家の国家犯罪は、内閣人事局の影響もあって、誰もきちんと検証できない!!
国家が根腐れしている!!
ドラマ三菱自動車の真実2004 リコール隠し
●麻原らの死刑執行の前日からの流れ
●オウム サリン事件
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018.7..7
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018年7月7日
●『明治150年』徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い 2018.7.5
●「明治150年」に隠された日本の侵略思想を問う!!纐纈厚(こうけつあつし)2018.7.5
●情報公開裁判「衛生学校記事」
●情報公開裁判「化学学校記事」
●ビザ
●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!
政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!! 「南京事件Ⅱ~歴史修正主義を検証せよ~」 NNNドキュメント 2018.5.13 南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分 南京の傷(アメリカ版)全片 荔枝网视频 2017.12.13 マギーフィルム(字幕付き) ・南京大虐殺の証言 ベイツ 友人たちへの手紙(1938年1月10日) 親愛なる友人がた: けれども彼らは私が南京市から出るのを許しませんし、彼女はと言えば、たとえ交通が開けたとしても、彼女も上海から西へ出るのは認められないでしょう。こういう状態がどれほど続くのか分かりません。中国人は、こういうアメリカ人やあらゆる外国人が南京から追い出されるのを、大変恐れています。今までの所、彼らは私たちが行ってしまうほうを恐れているみたいで、私たちが留まるのは恐れていません。同時に私としては、大使館で働いている人や、なかば役人みたいな日本人、果てはそれほど凶暴だったり悪賢かったりするわけではない警官や兵士たちと、友好関係を保っていこうとしています。けれどもそれは難しくもあります。今日でもう4週間です。あらかじめ分かってさえいれば、砲撃も爆撃もそれほど不安ではありませんでした。これからはどうでしょうか? 付言:この手紙を書いたのは、日本の人々への恨みを搔き立てるためではありませんが、この点は説明するまでもなさそうです。事実が、ある現代的な軍隊―欺瞞的な宣伝でその罪業を隠蔽する軍隊―の様々な野蛮な振る舞いを、説明するのならば、事実をして語らしめましょう。私の見るところでは、重要なポイントは、この侵略戦争がもたらした限りない苦難にあります。その苦難が野放図と愚かしさのゆえに倍加していて、将来をずうっと暗黒に陥れてしまっているのです。 驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!! 日中戦争全史年表 米国の牧師が撮影した日中戦争時の南京(マギーフィルム) 南京大虐殺80ヵ年 日本政府の今までの全く誠意のない対応!! ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた 村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国 2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!! 安倍晋三は、南京に行くべきだ!! かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!! 戦争の反省の無い頭!! ・南京大虐殺 24、虐殺数 ・虐殺数3 10数万人以上 笠原十九司は、中国兵の犠牲者8万人と、一般人犠牲者(南京城市:1万2千人、南京周辺農村部:2万7千人)を合計し、10万人以上もしくは20万人に近いかそれ以上と推定している(ただし、他の説と異なり南京周辺農村部の犠牲者を含んでいる)。 笠原は、中国軍総数を約15万人と推計し(一方、中国軍側集計11万人)、約5万人が国民政府軍に帰還、1万人が戦闘中に死亡、1万人が撤退中に逃亡、残り8万人が日本軍による殺害としている。民間人の犠牲者数の推定は極めて困難としつつも、「ジョン・ラーベ『ヒトラーへの上申書』中国側推定10万人、残留外国人推定5-6万人。」、「埋葬団体の埋葬記録 埋葬総数18万8674体(虐殺に当たらない死体、埋め直しによる重複がある一方、長江に流された多数の遺体があると指摘)。」、「スマイス調査市部(城区)殺害3250人、拉致後殺害された可能性が高い者4200人、農村部(近郊4県半)被殺害者数2万6870人。」をもとに推計している。 この説に近い研究者として南京事件調査研究会のメンバーである洞富雄 (元早稲田大学教授)、藤原彰(一橋大学名誉教授)、吉田裕(一橋大学教授)、井上久士(駿河台大学教授)、本多勝一(ジャーナリスト)、高崎隆治(戦争研究家)、小野賢二(化学労働者)、渡辺春巳(弁護士)などが挙げられる。 ※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。 ●重慶大爆撃裁判 日本は中国の首都 南京→武漢→重慶を重点的に攻め、空爆した。 ![]() 重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京 活動記録 戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか 重慶大爆撃訴訟 the battle of china 1944 重慶大爆撃(苦干より) 重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。 爆撃の効果 「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真 爆撃への評価 重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。 この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。 不当判決!! ![]() 中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京 2017.12.15(毎日) 日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支 持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。 判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。 祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。 |