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●日本軍の毒ガス戦
●7.7「戦争を始めた日」国会前集会
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却 1949-1956
●旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●記憶の継承を進める神奈川の会
●沖縄
●戦争とは何だろうか??
●軍事研究に関する学長声明 龍谷大学 学長 入 澤 崇
●第24回 スタディツアー 事前学習会
●文学者の戦争協力
●北宏一朗さんを偲ぶ
●長崎731部隊・100部隊パネル展
●京大 学位授与問題!!
●長野平和の旅
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
・新宿戸山の人骨が見つかって30年
・1937年7月7日→日中全面戦争
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・7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会
●香港人見せしめ弾圧事件
●香港の皆様へ!!
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
安倍政権下の改憲反対56% 優先課題「年金、経済」世論調査
“やさしい国会”になれるか
乗客に死覚悟させた 全日空ハイジャック事件20年 遭遇の元機長
日本は過去にきちんと向き合え!!
WTO理事会2日目会合 輸出規制めぐる議論 日韓双方主張へ
「日本の主張は詭弁」=請求権協定で韓国高官
秋田選挙区、無所属新人の寺田氏が初当選 自民現職の中泉氏ら破る
新宿に謎の人骨100体、731部隊と関連? 発見から30年もいまだ真相不明
徴用工問題 日本「譲歩に終止符」
軍事費突出!!
海自イージス艦「はぐろ」進水 ミサイル防衛、8隻態勢に
日韓関係は「戦後最悪」に 収拾困難、歴史的転換点か
韓国 輸出規制や「徴用」問題で日本へ対抗姿勢強める
「人種差別的な攻撃」“国に帰れ”発言に移民系女性議員ら批判
【横田現場直撃】山口イージス/参院選大物直撃!進次郎・二階・菅20190712
【横田現場直撃】決定版!イージスアショアの虚妄 防衛省の杜撰/維新お忍び謝罪/滋賀の野党共闘候補
過去を反省しない日本これでいいのだろうか??
輸出規制 日本側は韓国の対応見極めたい考え
佐川 元財務省理財局長を証人申請へ 森友文書の訴訟で原告弁護団
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
消えゆく「陸軍中野学校」の跡と記憶 「結局は駒」と卒業生は語った
遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議
エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声
辺野古の埋め立て加速 玉城デニー知事「暴挙以外の何ものでもない」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~
医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ
福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上
彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚
なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月14日
・どれ一つを見ても驚きと悲しみと怒りを感じます。長崎、広島、ひめゆりの党、ベトナム等、いろいろと見てきたつもりですが、何とも言えません。戦争は人間を人間でなくします。(女性、70代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6 月 24 日
12.とても勉強になった。引き続き沖縄についてと共に731部隊についても勉強したい。(男、 50.東京、ツイッター)
●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
秘密厳守の誓い
列車が平壌の駅に入ると、ホームに数百人の兵隊、軍属たちが群がっていた。よく見ると、その中に顔見知りの人も混じっている。さきに通化へ移動した人たちであった。互いに無事を喜びあい、離れていた期間の様子などを語り合う風景がそちこちで見られた。ペスト班の麻生雇員、教育部の佐藤傭員もいた。
後方のホームでは、略授章をつけた軍服姿の石井部隊長が、通化から来た幹部たちに挨拶している情景があった。
通化の先遣隊も、やはり私達と同じように、かろうじて満洲を脱出し、病人を除いては全員無事だったという。また、本部の残務整理に残った人たちも、輸送機で本隊より早く平壌に到着していた。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第7章 残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
同文書は1939年5月13日、大本営陸軍参謀総長の名により華北方面軍司令官に発令されたもので、その第1条に早速「現占領区内でのきい剤など特殊資材の作戦時における価値を研究せよ」との記述があり、第2条で重ねて研究の際、必ず秘密厳守せよと述べられている。
1994年8月、当秘密文書の内容がついに日本の新聞によって公にされた。この事実を前に、かつて日本軍の化学兵器使用、特にイペリット及びルイサイト等致死性毒ガスの使用を否認して来た人々は、どのように弁解するのだろうか。とはいえ実際、日本の侵略者が化学兵器の使用についてあんなにも極秘に組織的に事を運び、事後も現場での証拠隠滅を徹底させたにも関わらず、わずかにほころびから事は暴露された。1938年5月16日、国民党中央政治部部長、陳誠は在華外国人記者を集めて記者会見を開き、日本軍の毒ガス使用状況を明らかにした。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み
B.京都大学訪問の天皇裕仁への公開質問状
同学会が用意した裕仁への「公開質問状」は裕仁に渡されることは無かったが、この書簡も検察は、一時、「集団暴力事件」として取扱いできないかと案を練ったようであるが、当然、立証不可能であった。検察としては、「不敬罪」としたかったのであろうが、そのような「犯罪」はもはや存在しなかった。
この質問状は京都大学理学部学生で同学会委員の一人、中岡哲郎(現在は大阪市立大学名誉教授)が書いたものであるが、中岡は戦時中は海軍兵学校の生徒であった。後年、中岡は、この質問状を執筆しているとき、自分の眼の前に浮かんでいたのは、38式小銃の銃身に刻まれた「菊の紋章」であったと述懐している。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■基準と形態
この文章を書いたのはフライブルグの神経病理学者のアルフレート・ホッヘである。1920年、かれは、今日なおきわめて名声の高い法学者の1人であるカール・ビンディングと共に、『生きるに値しない生命の根絶禁止解除―その基準と形態』という冊子を発表した。ビンディングが「汝殺すなかれ」という規範を法的に相対化したのに対して、ホッヘはその医学的・経済的な論拠を示している。彼は障害者を「精神的な死者」「余計者的存在」「欠陥人間」「4分の1、3分の1の能力の持ち主」と呼び、「食糧、衣服、暖房などの形態で、国民資産からどれほど巨大な資本が非生産的な目的のために奪い取られているか」は計り知れないものがある、と述べている。殺戮されるべき障害者の基準として―ホッヘはそれを「2万から3万の症例」と見積もっている―ホッヘは「人間社会の構造になじまない異物的性格」「生産能力の欠如」「完全な無力状態」「第3者による援助の必要」を挙げている。
この冊子は非常な反響を呼んだ。1922年にザクセンの医師たちは「医師が人を殺すことは許されるのか」というテーマを議論した。このとき、ドレースデンのある医師は「多くの人々が犯罪者の死刑廃止を要求しているのに、その同じ人々が精神薄弱者の死に賛成しているのは不合理である」と指摘している。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「衛生学校30年の歩み」によせて
若き教官諸官のために
第11代校長 泉 将
(注3)
河合正計3佐(陸将補、現在東京女子栄養大学兼昭和大学教授):「有機燐剤に関する研究」のうち、特に、解毒剤に関する研究は、米国、西独、英国各陸軍から高く評価され、自衛隊衛生部で唯一の防衛功労章受賞。
(注4)
宮崎利雄3佐(現陸幕衛生部長 陸将):体力衛生、労働衛生の造詣深く、防衛衛生学会賞受賞。
(注5)
今を去る40年前、東北大学名誉教授の1人に木村男也先生がご健在だった。油気の無い白髪、年数の経ったネクタイ、汚れた白衣、一見村夫子然とした態様から、新入生が木村教授はどこにいますかと御本人に尋ねたというのも宜しなる哉。病理学の講義室に扁額「教不厳師怠也」が掲げられている。さる学生が「この額の文字、一字抜けているな」、「男という字が」と。その意は、也の次に男を加え逆に読む「男也怠師厳不教」-―(木村)男也は怠りの師、厳として教えずと。教え厳なる教授に一矢を報いた挿話が今日なお語り伝えられている。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第9章 聖戦
Ⅱ
これら都市部の日刊紙から判断すると、天皇は、一般に日本の政策決定過程に関係がないと考えられていた。わずかな例外はあるものの、当時のアメリカ人の心に映った昭和天皇(もし映っていればのことであるが)は、主に実権のない「看板」だった。1937年以降、対日関係が確実に悪化したが、このステロタイプ化した天皇像はほとんど崩れなかった。真珠湾以降、アメリカ人の支配的な天皇イメージは、第1に君臨すれども統治せず、第2に政治的な意思決定に参加することなく政治決定に支えられ、第3に側近の考えに影響を与えることなく、いつでもどのような方法においても側近に従っている君主というものだった。この誤った想定は根強いものだった。
早くからアメリカ人に定着していた明治天皇に関する誤ったイメージにより強化されたために、それはパールハーバーのあとも長く続いた。活動的ではない「お飾り」のイメージが支配的となり、太平洋戦争前、アメリカ人の昭和天皇や日本の政治決定過程に対する認識は、決して現実に基づいたものではなかった。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!