●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
5月3日(月)
16、平頂山の虐殺は今回新しい情報だったと思います。本当に見ても見切れないほど豊富な内容でしたし、知っていても改めて確認することも多かったです。そして、日本政府の卑劣さ、残虐非道さ、改めて恐ろしいと思いました。私も自分の子どもの教科書(歴史)がどんな記述をしているかチェックしています。川崎を含めヘイトスピーチの問題もまだまだ課題だらけです。私自身も様々な活動を4つくらい抱えるようになり、やる人を増やしていかないと思います。
(要望)ミャンマー国軍がかつての日本軍の影響を受けていると聞きました。今ミャンマーの支援をやっている関係上、日本の加害の歴史との関係をやっていただけるとうれしいです。
(女性、50代、市内、ウェッブ)
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
〇講習開講式
9月14日午前10時所内講堂に於いて第71回講習(公衆衛生学)開講式挙行された。
〇学術集談会開催
9月17日午後1時より所内講堂に於いて学術集談会開催。
演題は次の通りであった。
1、リチンの血球凝集作用について 守山英雄君
2、血液の「リパーゼ」について 大山西一君
3、沖縄県におけるデング熱流行について 細谷省吾君 川島四郎君
4、心臓ホルモンに関する研究の趨勢(総説) 宮川米次君
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
一月十六日
午前七時半おきる 晴 暖か。 煙台張台子巡察する.零下一四度 春すぎて 夏きにけらし し ろたえの・・・・ではないが春の陽気で気が浮く 或る小説のヒロインについて友と論ず
勿論恋愛のからんだその人の性格についてすべては論ずるに限る 得る所が多い
巡察だよ整列。出発十七列車で二四列車帰隊 平凡なれども春の陽気でピクニック気分で走る。公用兵の鈴木がいる 中隊も呑気らしい。早く帰りたいな・・・・
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
Ⅵ ひとりの正統的な人間
しかし絶対に、次の世代の原爆症の追求は行われなければならない。それは、次第に死に絶えて行く人々の原爆症と違って、これから生き続けて行く人々の原爆症の問題なのである、アメリカからABCCに、初めにやって来たのは優秀な遺伝の学者たちであった。いわば、20年の原爆医療史の当初から、次の世代の原爆症の問題は、世界中の全ての医師たちの関心の的であったのだ。ただ、その発想の、最も激しく奥深い恐怖心をそそる性格が、様々な時期に、≪お嬢さん方御安心ください≫というような楽観論を呼び起こす動機となったのであろう。しかし今被爆後20年を迎えて、次の世代の原爆症の調査は緊急の課題である。
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
“特移扱”で中国人を731へ送った
憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった
三尾豊
憲兵
〈経歴〉
1913年生まれ
1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊
1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属
1945年8月 捕虜となりシベリア抑留
1950年6月 中国戦犯管理所移管
1956年8月 起訴免除、釈放後帰国
■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。
大連事件
天津は私が初めて行った所でした。そこは大連の様な古い日本人の街と違いまして非常に捜査が困難でした、ある時は郵便配達に変装したり、ある時は電気修理屋に変装したりして約10日間探し回り、ようやくその住まいを確認し、10月の末に現地の協力を得てこの2人を逮捕しました。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
1、黒龍江
小野武次自筆供述書(1954年7月11日)
1940年10月、旧三江省富錦街で、私は富錦憲兵分隊長の憲兵中尉稲見定一の命令を受け、富錦憲兵分隊が逮捕した中国愛国者1名(男性、およそ45歳前後、姓名・住所不詳)を馬車で富錦憲兵分隊から富錦陸軍病院へ移送し、陸軍軍医中尉金築(あるいは金筑)金吾に渡した。金築金吾が生体手術実験を行い、殺害した。当時、私は警備係の憲兵上等兵であった。
(1)119-2、156、1,第5号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
Ⅰ、戦争初期の日本軍の作戦と毒ガス兵器の使用
東南アジアでの実戦使用
そして、2mの高さから落としても壊れないと部下に説明しながらも、内心は50㎝の高さの所から落としてもいの一番に逃げ出すつもりだったと回想している(同前)。「ちび」は日本軍兵士にとっても危険極まりない毒ガス兵器だった。
吉見氏の研究で、マライ攻略戦で第5師団と近衛師団が散発的に「あか筒」「あか弾」「ちび」を使用し、シンガポール攻略戦でも若干の「ちび」が使われていたことが戦闘詳報から確認されている(吉見義明「日本軍の毒ガス作戦」、同『毒ガス戦と日本軍』)。一方、ビルマでは、第15軍(軍司令官・飯田祥次郎中将)が3月20日に中国軍に対して多数の毒ガス弾を使用したので、中国は日本を非難したという(臼井勝美『新版 日中戦争』)
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
凶悪残忍な化学戦演習
「1940年5月下旬から6月上旬のある1週間、興安北省ハイラルの日本軍飛行場の北2キロの草原で、毒ガス普及訓練の名を借り、中国人を目標に、放毒を行った。私は教官小世勝次中尉の命令で、10名の新兵を指揮して東方1キロに50戸の中国民家がある村落に向かう道路と草原上に、面積2000㎡、毒量200㎏、殺傷効力1000名、毒ガス有効時間1週間の糜爛性の持久ガスを秘密に散布した。放毒終了後さらに、その村落の小川に放毒工具についていたガス5㎏を放流した。その結果、中国の農民6人が放毒地帯通過の際、体中毒に犯されて殺された。この他中国農民男女約50名が手足をガスに犯され傷害を受けた。」
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
村落掃討
上級将校の罪行
野間栄作
少佐
1941年10月、河北省涿県城に駐屯していた独立歩兵第79大隊は、『晉察冀(しんさつき・・・万里の長城の南側一隊)辺区作戦』に参加する為に房山県の西部、張坊鎮に部隊主力の約350名を集結し、拒馬河河峪(川の両側が山になっている谷)及び百花山周辺の八路軍を圧倒する事を狙って、その行動を準備したのであった。当時新任大隊長の小野真吾大佐と中尉の中隊長との間にあって、大尉の副官として功績と人事業務を主に扱い(副官に指揮・命令権はないが、大隊長が新任の為、代わって命令している)、各中隊を勝手気ままに使いまわし、自分の功績の為に夢中であったのが私であった。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回) 11月 10日(水)11:00~703号法廷
●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第30回) 8月25日(水)15:00~103号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
3 外交機密の生態
暗号電報の仕組み
暗号としてもっとも強度なものは、無限乱数表を使用したものである。この方式によれば、同一乱数を絶対使用しないから解読不可能であり、完全暗号とよばれる。不規則な暗号化数字が無限につづいているので、米軍ではこの乱数表を「トイレット・ペーパー」と呼んでいるという(長田順行『暗号―原理とその世界』による)。これなら乱数表が漏洩しないかぎり、解読される危険はない。高度の外交機密は、この方式で暗号化され、送受信されているのであろう。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
2、生物兵器の種類・使用方法
実際には、次のような手段によって使用されるのである。
①砲弾、ロケット弾に充填して
②航空機による手段(落下傘、爆弾、噴霧)
③気球
④その他の手段(舟の利用、宣伝ビラ、食料品、化学剤と併用)。
使用手段の詳細は、巻末資料の化学兵器の特性(陸上幕僚監部・米軍化学科部隊参考便覧)172頁、焼夷ガス及び発煙団の特性(陸上幕僚監部米軍化学科部隊参考便覧)184頁を参照していただきたい。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
1947年夏、天皇は巡幸を再開した。御召列車と自動車の列は長くなり、旅行はいっそう手が込み、金のかかる大衆向けのものになっていった。保守派の議員や地方政治家は、天皇との関係の近さが選挙民に対する自分の立場を有利にすると見たため、巡幸への同行希望が殺到した。6月初旬に天皇が大阪に着いたとき、戦災地の視察を主目的とするはずの巡幸は、まるで壮麗な凱旋パレードのような様相を呈した。禁じられている日の丸の旗が屋根屋根にはためき、万歳を叫ぶ数千人の歓迎の市民によって打ち振られた。事情を知らない人が見たら、最終的に勝利を収めた天皇を全国民が祝福していると思っただろう。
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
セーシェル 2018年9月26日
南アフリカ 2017年9月20日 2019年2月25日
セントクリストファー・ネイビス 2019年9月26日 2020年8月9日
セントビンセント・グレナディーン 2017年12月8日 2019年7月31日
スーダン
2020年7月22日
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!