細菌戦の系譜!!

2021-10-03 12:53:51 | Weblog

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

731部隊について

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)

●2021 9 17 浅井基文講演

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

 


第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月6日(木)

61、

・北先生が亡くなられ、お写真でここでお会いできました。悲しいですね。

・戦争はイヤです。繰り返されて、また戦前にいます。声を大きくして反対と言わなければならないとつくづく思います。

・パネル展は心が痛みます。池子にも弾薬庫がありました。言いたくないことを言い、顔を出せる方々の勇気に驚かされます。

・沖縄の友人からのFBで自衛隊の基地づくり、辺野古のことを知ります。サイパンにも行きました。沖縄からの出稼ぎの方々が、亡くなったことをバスガイドさんから聞きました。DVDにも出てきたので思い出しました。心が折れそうになりました。

・DVD上映について・・・子供に召集令状を学校で子供から子供に手渡せという先生はひどすぎる。

手渡した友人が亡くなり、その子のお母さんと向き合った時の心の痛みが伝わりました。戦争はダメです。何もかもゼロにします。

(要望)大変とは思いますが、これからも続けてください。

(女性、70代、市外、チラシ・FB)

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

 

 
 


 
 
 

 







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細菌戦の系譜!!

2021-10-03 12:52:52 | Weblog

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 



 
 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)

 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
生物兵器、脅威に懸念 防御後手
(The Economist)2020.5.5
 
■米ロの研究所、今も根絶した天然痘ウイルスを保有
とはいえ、今回のパンデミックへの各国政府の対応の遅れや場当たり的な対応は、各国政府のウイルス感染拡大への体制がいかに脆弱かを露呈した。米ジョージメイソン大学のグレゴリー・コブレンツ准教授は「今回の感染拡大で生物兵器による攻撃への対応に必要な要素はほぼ全てはっきりした。だが我々が目にしているのは、公衆衛生インフラのあらゆる部分が崩壊しているか、限界に直面しているという事実だ」と語る。同氏は、米国の生物攻撃監視体制の中核を担う迅速な検査のための研究所ネットワークが機能していない上、マスクの国家備蓄もこの10年ほとんど補充されていなかったと指摘する。攻撃をもくろむ者にとっては有用な情報だろう。
 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-10-03 12:48:54 | Weblog

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)

(5) 条約の作成過程に照らした解釈(条約法条約32条)

ウ 以上の事実に基づいて検討するに、第2回ヘーグ平和会議においてドイツ代表団が提案した案文には、その第1条において「その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任」という表現があり、この部分だけを見る限り、賠償を受ける者、即ち賠償請求権を有する者は被害者であると考えられているという見方も全く不可能なわけではない。しかし、ドイツ提案は、その案文全体を見ると、生じた損害及びが支払うべき賠償額が「国家間」で「決定」されることことを前提として(第1条にも「交戦当事者が生じた損害及び支払うべき賠償額を決定する」という文言が使用されている。)、被害者が中立国の者である場合と交戦国の者である場合とでは加害国と被害者の属する国との関係の相違に基づきその決定の時期を区別するという内容であったと解するのが自然な理解である。現に、賠償額の決定及び支払いが国家間で行われることを前提としてドイツ提案に賛意を示したスイス代表の意見に対しドイツ代表団が何ら異論を挟まず感謝の意を表したことも、この点を裏付けるものと言える。 

 

 
 
 
 
 
 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

 

二月八日

晴 風なし 非常に寒し 零下十二度 分遣下番

今日は下番 朝 彼女が昨夜一時に電話をかけてきたというので、どんな用事か聞いてみた。一週間はずいぶん悪づらした。そして彼女の悲鳴であった。何もかも忘れたよー

中隊に帰って寝たれば、榊原が改心したとか何とか云って頭をクリクリにすった 非常に青々した坊主だ。これがありし日に若きマドロスとして行く港々に遊びまわったかと思うと、面白くてやりきれない。一週間の分遣で疲れてしまった故、中隊に帰る早々寝たが、友がなかなか寝付かせない。島井と共に寝たれども榊原の奴改心したと言うに、裏から寝台を立てられては寝ていられない。夜は夜で河口が来て 眠いのに狂い回った。中隊が良いとは云うものの、分遣も中隊に帰れば懐かしい。あと十ヶ月で満期になるのに呑気なもんだ。

 
軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅶ 広島へのさまざまな旅


 
 この日、テレビのフィルムを通じて語る事を村戸さんは最後までためらっていた。それは彼女の回心が教条的に固定したものではなく、いわば日々常に、繰り返し克服されることによってのみ支えられているのを示している。テレビの視聴者は、1人の若い娘の実に美しい志に溢れた、凛然たる顔を見て感銘を受けたはずである。村戸さんは≪失われた美≫という言葉によってケロイドに傷ついた広島の全ての娘たちの声において語ろうとしたのだ。このように、原爆のもたらした災厄といかにも正当的に戦う、そのような威厳に満ちた被爆者たちによって、広島の原爆医療が、もう片方の翼を担われるとき、重藤院長たち医学者の努力は、最も効率よく機能するのであろう。
 
 
 
 
 
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細菌戦の系譜!!

2021-10-03 12:37:38 | Weblog
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

   

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

 
 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

 

実験医学雑誌第16巻雑報

 

16巻12号(1932年)

石原喜久太郎博士慰労会

今春退職された当所員石原博士の慰労会が、同博士の還暦祝いを兼ね、去る11月18日午後5時より上野精養軒において開催された。当日は石原博士並びに家族を招待の上、知己、門下生醵金の慰労金、伊原宇三郎氏揮毫の博士肖像額面を贈呈した。

 

学友会会計決算報告

(昭和7年12月15日現在)

省略

11月中職員異動調

月日    異動事項                  官職   氏名

 

10.13 昭和7年10月13日付願 研究生継続の件許可す     斎藤龍三

11.2  台湾へ出張を命ず              教授  二木謙三

11.8  石川県下へ出張を命ず            嘱託  中村二三郎

11.11 東京府下へ出張を命ず              嘱託   山岸精実

11.14 福岡県下へ出張を命ず                         嘱託   島崎正雄

〃   愛知及び静岡の2県下へ出張を命ず                     嘱託   菊地常雄

〃   神奈川県下へ出張を命ず                                   嘱託   山岸精実

11.16 千葉県下へ出張を命ず                                   嘱託   中村二三郎

11.17 病理学、病理解剖学第1講座分担を命ず                教授 三田村篤志郎

11.18 神奈川県下へ出張を命ず                                  嘱託   山岸精実

11.22 東京府下へ出張を命ず                                   嘱託   山岸精実

11.23 昭和7年8月26日付願研究生入学の件許可す          宇賀武俊

 

伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

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細菌戦の系譜!!

2021-10-03 12:36:12 | Weblog

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 ●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅱ 関連部隊・支部

ネズミを集め、ノミの飼育

フンドシ一丁の体にノミが・・・・

 

伊藤影明(いとうかげあき)

1855部隊

(略歴)

1924年生まれ

1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属

1944年 発疹チフスで入院

1946年 帰国

■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。

 

 私の終戦記念日 

 

 
 8月11日頃、対ソ作戦のために3課から10人以上がソ連国境に向かいましたが、既に関東軍が手薄だった為か、しばらくすると全員前線から戻ってきました。危ないところだったとのことでした。
 そうこうするうちに8月15日を迎えましたが、その日は大変暑い一日でした。当時ラジオで重大放送があるということは知っていましたが、私は衛生勤務があったので聞くことはできませんでした。
 その日、衛生勤務の“午後歩哨”として立哨中(1時間交代で立つ)、私は異様な感じがしました。私がいた分遣隊のあったところは、北海公園に行きかう賑やかな通りで、中国人、日本人とも行き交う人は私たちにお辞儀をしたり、目礼したりするのが常でしたが、この時は日本人は何となく私の立っているのを避けて通り、横目で眺めるような感じでした。中国人のある者は中国語で、立哨中の私に聞こえるように罵る姿もあったような気がしました。その日の午後3時になってわかったのは、本日の重大放送の内容はよくわからなかったが、情勢としてあまり良くないようだとのことでした。
 
 
 
 

 

 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

 

 

 

 

Ⅰ東北

3 遼寧

 

2 華北

1、河北

 

吉沢行雄自筆供述書(1955年)

 1943年秋、司令部を山西省啍(口へんではなく山へん)県に置いた独立混成第3旅団は、主力全部を五台県の省境から河北省に侵入させ、阜平県を中心として、殺人、放火、略奪、強姦など数々の罪行を犯した。

 当時、私は旅団司令部軍医中尉・患者収容班長として、この作戦に参加した。11月中旬、私は阜平県東下関で患者を収容し後方に送る任にあたっていた。

 ある日、軍医部長の原見軍医大尉が前線に行き、石川部隊の衛生状況を視察することになった。出発する時、彼は私に「八郎軍の捕虜を手に入れて、生体解剖をしようじゃないか」と言った。私は、これは手術を練習する良い機会だと思った。ここは山中で、住民もいないため、ことを行うのに都合が良かった。もし見つかっても、ここが敵の根拠地であるため問題になるはずはなかった。そこで、私はすぐ同意した。

 
 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

4 毒ガス戦をめぐる 日米の確執 アメリカ軍の毒ガス戦論計画と日本軍

 

毒ガス戦の抑制と報復的毒ガス戦準備

 

 

 一方、同年2月25日に、外務省内(条約局第2課と思われる)でアメリカ軍による先制的な毒ガス戦の行使を阻止するために日本側が採り得る策が検討されたが、それは、非公式に赤十字国際委員会の注意を喚起して交戦国に毒ガス使用禁止の照会をかける案と、アメリカに対してジュネーブ議定書に違反する戦争手段の相互禁止を申し入れる案の2つであった。(第2(課)「米国に依る毒瓦斯類の使用を禁止する為我方において採り得べき措置に関する件」)。うち、後者については、アジア太平洋戦争開戦直後にイギリス政府がジュネーブ議定書に基づいて毒ガスなどの使用禁止を認めるかどうかを照会してきたのに対し、ジュネーブ議定書に違反する行為は「武士道」に反しており、日本政府は従来禁止してきたところなので、今改めてそれを宣言する必要はないと回答したところ、イギリス政府から不満足で逃避的な態度であると批判され、日本軍がジュネーブ議定書を違反した場合、イギリス側は行動の自由については留保しないと通告された経緯はがあるので、この案の採用は避けるべきだとしている(同前)。 
 
 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第7章 残虐な毒ガス戦

 

動かしようのない事実

 

 

武漢戦役(1938.6.7~11.12)

 

 

 武漢作戦は日本軍の全面的な中国侵略期間における、初めて計画的かつ大規模に毒ガスを主要戦略の手段に用いた作戦であった。

 1938年8月初め、日本軍中支派遣軍司令部は毒ガス使用の発令を下した。「迅速な戦局の展開をはかり、作戦の進展状況に基づいて、いついかなる場所でも局部的な使用を原則とし、適当規模による集中的使用を行うべし」。続いて、第2軍司令官東久邇宮が8月16日、各師団に向け≪2軍作命字第466号≫を下達、第11軍司令官岡本寧次が8月20日、≪呂集作命字第33号≫を下達、武漢会戦における各種「特殊煙」の使用を認めることに関する命令であった。



 

 

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-10-03 12:35:06 | Weblog

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

 虐殺

若夫婦殺し

島津酉二郎

分隊長 憲兵伍長

《略歴〉

本籍    和歌山県東牟婁郡

出身階級  手工業労働者

学歴    尋常高等小学校8年卒業

職業    鍛冶工

所属部隊名 前関東軍長春第2特別警備隊第2大隊

被捕時   1945年10月初旬

被捕地点  長春市南嶺

年齢    36歳

 

 私は刀を打ち下ろした瞬間、女は表現しようのない叫びを発したと思うとその場に卒倒した。

「野郎、驚いて気絶しやがったな」と、私は女の体を蹴り上げた。女は気を取り戻して立ち上がった。髪は乱れ、引き裂かれた服の下からは拷問によって青黒く腫れ上がった肌が現れ、目が真っ赤に充血し、その視線は定まらず、右に左によろめき、何者かを追い求めているようだった。

「野郎、亭主を殺されて気が狂いやかったな」

私は放心してしまった女を蹴り、突き飛ばしながら、また中隊を追った。それから300mルも行くと中隊は粟畑の中に腰を下ろして私の来るのを待っていた。中隊長の前に行くなり、私は「中隊長、この女を殺しましょう」と言った。 

 
 

 

 

 

 
 
 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 
 
■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷 
 
8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷
 
 
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第3章 秘密保全の機構と体制

秘密保全のシステム

厳重な保管体制

 秘密に関与する範囲は、きびしく限定されている。その1は当該秘密事項の起案、運用、調査研究を命ぜられたもので、これを「取扱者」という。その2は、秘密に関する事務を取り扱う職制で、内局、各幕の課長以上、部隊では中隊長(陸)、航空隊長(空)等以上のもの、これを「管理者」という。その3は、管理者の指定により秘密文書等の管理を担当する准尉以上のもの、これを「保全責任者」という。だいたい以上を「関係職員」といい、この範囲以外の者に「職務上知ることのできた秘密」を漏らしてはならないとされている(庁秘訓令第6条)。保全責任者の補助者が設けられるときもあるが、補助者は 「関係職員ではないので、秘密内容に積極的に関与することは許されない」(次官通達)。

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

生物・化学兵器の効果についての報告書(大要)

1969年7月2日

 

はかり知れぬ国の費用

1、生物・化学兵器は、その力の規模、持続期間の何れについても、その多様さを予測できないものであり、更に、これらに対する確実な防御措置をとることはできないのであるから、こうした兵器を世界中からなくすことは、どの国の安全をも損なうことにはならないであろう。如何なる生物・化学兵器も、ひとたび戦争で使用されると、同種の、より危険な兵器や、他の大量殺りく兵器の使用という深刻なエスカレーションの危険が出てくるだろう。端的に言えば、生物・化学兵器と、それに対する防御手段の開発は、必ずしもそれに見合う安全保障の利点を伴うことなく、経済的な負担となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-10-03 12:32:50 | Weblog

●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。

 

 

 

 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産

彼は、天皇は、自分の治世に与えられた名前―昭和あるいは啓発された平和―もいまとなっては皮肉なように思えるが、自分はその名称を保持することを望み、真に「煌(きらめ)く平和」の治世となるのを確実にするまでは生き長らえたいと何度も述べたと語った。コートニー・ホイットニー文書から

 1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約、在日米軍に特権を与える行政協定がすべて同時に発効した。GHQは廃止され、占領は終結した。多くのアメリカ兵が帰国の途についた。

 

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
 
 
署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。
 
署名国         署名日          批准日 (締約日)
コロンビア      2018年8月3日
クック諸島                 (加入)                     2018年9月4日
コモロ         2017年9月20日        2021年2月18日
ドミニカ国      2019年9月26日                  2019年10月18日
ドミニカ共和国           2018年6月7日
 
 
 
 
 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 

 
 
 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
 

 

 
 
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